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「エヴァンさまぁ」
ローズマリーは潤んだ目をエヴァンに向ける。ネコナデ声を出して彼の腕に抱き着こうとしたがエヴァンはさらりと躱す。
避けられると思わなかったローズマリーは驚きながらエヴァンを見るがすぐに立て直して彼に対する好意を全面的に押し出す。
「エヴァンさまぁ、お姉様が虐めてくるんですぅ。お姉様は自分の性格が悪いせいで婚約者ができないのをぜーんぶ、私のせいにするんですよぉ。酷いと思わないですかぁ?それにぃ、エヴァン様のことも狙ってるんですよぉ。身の程知らずにも自分が王妃に相応しいと思ってるんですぅ」
くすりとエヴァンが笑う。
顔は笑っているのに目の奥は冷えている。それはまぁ、いつものことなんだけど今はいつも隠しているどす黒い気配が彼から放出されている。
「エヴァン様?」
元暗殺者の私でも懐に忍ばせたナイフを取り出したいぐらい警戒をしてしまうぐらいだ。普通の令嬢?であるローズマリーは恐怖でガタガタと震えている。
彼女が失神していないのである程度加減はしているのだろう。
彼の取り巻きやさっきまで威勢の良かったダニエルは青ざめている。
エヴァンは本性は兎も角、表向きは穏やかで争いごとが嫌いな王子として知られている為彼らは初めて見るエヴァンの姿に困惑もしていた。
どんなに穏やかで争いごとが嫌いだったとしても野心家の側妃と第二王子の策略を潰し、生き残ってきたのだ。穏やかで優しい王子にできることではない。それぐらい分かるだろうに。
国の上層部はエヴァンの本性に気づいているだろうし、エヴァンも彼らには隠しているわけではないのだろう。あくまで外面はこういう馬鹿を油断させたり、交渉をスムーズにさせるための道具でしかないのだ。
だからこそ無理に被ったりはしない。不要と判断すれば簡単に外す。そして彼らは不要だと判断されたのだろう。
「身の程知らずはローズマリー嬢、あなたの方ではないかな?先ほどから誰に向かって声をかけている?私はあなたに名前を呼ぶ許可を与えてはいない。それにあなたはエインリッヒの婚約者だ。王籍に入ることはない。エインリッヒが成人すれば王籍を抜き、新たな爵位が与えられる。当然だがあなたとエインリッヒの間にできた子供に王位継承権はない」
「えっ」
驚くローズマリーに様子を窺っていた野次馬たちはクスクスと笑いだす。
「まぁ、あの方はそんなこともご存じなかったのですね」
「ヴァイオレット公爵家ではどのような教育を施しているのかしら?」
「公爵家に相応しい教育を施したところで無駄だろう。何せ青い血が一滴も入っていないんだから」
「確かに」
こちらにわざと聞かせる会話は当然だがローズマリーにもその取り巻きにも聞こえている。ローズマリーは羞恥と怒りで顔を赤くし、彼らを睨みつける。
時に騙し合いをする彼らにとってローズマリーの睨みは子猫の睨みのようなもの。痛くも痒くもない。ついでに子猫のような可愛さもないが。
ダニエルはローズマリーを慰めるように抱きしめ、周囲を威嚇する。さすがに公爵家の令息を馬鹿にはできないが「婚約者でもないのにあのようにくっついてはしたない」と誰もが思っただろう。
「それにローズマリー嬢、こんなところでよそ見をしていいのかな?君の婚約者もだいぶ噂の的のようだけど」
「っ」
ローズマリーも男のハーレムを作っているけどそれは婚約者であるエインリッヒも同じ。彼の素行は改善されることはなく、多くの女性に言い寄っているのだ。
ローズマリーのことは気が向いたら呼びつけるだけ。ヴァイオレット公爵家に来るときも先ぶれもなくやって来る。無礼者と追い返したいところだが王子相手にそれはできない。
側妃の子は本来なら成人後は侯爵以上の爵位が与えられるがエインリッヒの場合はこの素行問題が解決されない限りは与えられる爵位は伯爵以下、最悪の場合は爵位すら与えられない可能性もある。
だけどエインリッヒも側妃もその危機感がない。側妃の場合は息子を溺愛しているのとエヴァンを殺してエインリッヒを王太子にするつもりだから余計に危機感がないのだろう。尤も全て失敗に終わっているようだが。
最近では私の方にも暗殺者を送ってきている。いっそのこと、王宮に忍び込んで側妃を殺してしまおうかと思うのだが報酬が発生するわけでもないし今のところは目をつむっておこうと思っている。





