第五話 一人と一人
俺が電話してから大体十分後。
少女がサンドイッチを黙々と食べる姿を見ながら彼らを待っていると、事務所の扉がノックされた。
扉の向こうには女が一人、男が一人だ。
家賃を取り立てに来た大家のじいさんではなさそうだ。
「開いてるから、さっさと入れ」
扉の向こうにいる奴らに聞こえるように、俺は大声に入室を促す。
そして、俺が言い切るか、それよりも先に扉が開いた。
サンドイッチを黙々と食べていた少女は、ノックの音にびっくりしたのか、はたまた恐怖したのか持っていたサンドイッチを落としてしまっていた。
それほどまでに怖いのだろうか。
「ねえ! 用があるから来いって急に言われても困るんだけど!!!」
「淳平。こっちにもある程度予定というものがね」
「なんもねえだろ、お前ら」
いっちょ前に文句を垂れる男女が俺の事務所に侵入してきた。
どうせなんも用事なんかないんだから、黙って入ってこいよ。
サンドイッチを頬張りながら、俺は文句を言う。
心無しか、まずくなった気がするぜ。
「まあ、ないけど……」
「右に同じ……」
「しょうもねえ嘘つくんじゃねぇ!!! 俺の言葉は有料だ、金だせ」
「で、何の用なの」
俺の金の請求を華麗にスルーした彼女は、呼ばれた理由を聞きながら事務所をぐるりと見回して、ある一点に視線を向けた。
彼女の隣に立っている男も同様に、驚いたような顔しながら彼女と同じ方向を見ている。
そんな熱い視線を向けられているのは、もちろん少女だ。
少女も自分が見られていることを理解しているようで、静かに俯いている。ゾンビから逃れるために、息を殺すゾンビゲーのキャラクタ-のように、災難が通り過ぎるのを望んでいる。
それほどまでに彼らを怖がるくせに、なぜ俺は信用されてるんだか。
皆目見当がつかない。
「淳平、もしかして君ついに幼気な少女に手を出したのかい。たしかに、君は女に興味がないと馬鹿にしたが、まさか女性と言うよりも少女に興味があったとは、驚いたよ」
「ふざけんな。勝手に俺はロリコンにするんじゃねえ」
「ゆ、ゆ、ゆ、誘拐!? アンタの犯罪の片棒を担がせようと私たちを呼び出したの! 絶対に嫌よ! 通報してやるッ!!!」
「させるかッ」
ポケットに手を突っ込み、携帯を出そうとする彼女に、俺も負けじとすぐさまポケットから輪ゴムと蝉の抜け殻を取り出す。
そして、憲兵に通報しようとする彼女の顔面目掛けて、蝉の抜け殻を小さな輪ゴムにセットして打ち込んだ。
「んにゃっ!」
よく分からない悲鳴を上げて、彼女の手から携帯が吹き飛んだ。
そんな吹き飛んだ携帯を、横に立っている彼が慣れた手つきで受け取りぶん投げた。
偶然、運悪く、たまたま開いていた窓から、彼女の携帯がよく飛ぶ紙飛行機のようにすーっとなくなる。
彼女が携帯を取りだしてから、飛んで行くまで大体十秒もなかっただろう。
「あっ! 私の携帯がぁぁぁぁぁぁ」
「それで、本題に入る前に俺が誘拐をしてないことだけは言っておく。だから、通報しようとするんじゃねえ」
「それにしたって窓から投げる必要はないでしょ!」
携帯をぶん投げられてお怒りの彼女が、俺に威勢の良い反論をする。
だって、お前一度動き出したら止まらないし。無理矢理にでも止める必要があるんだよ。その最適解が携帯をなくしてしまうことだ。
人が傷つくよりもマシだろう。
というか、携帯投げたの俺じゃないんだけど。
「あとで僕が直してあげるから、淳平を悪く言わないでやってくるかい」
俺と彼女の喧嘩の仲裁に、携帯の修理を交渉の条件として彼が止めに入った。
ここまで大体いつも通りだ。俺と彼女が喧嘩して、それを彼が仲裁して終わり。
「ま、まあ。あなたがそう言うならそうして上げる。淳平! 感謝しなさいよ」
「なんでだよ」
彼女が、純情な心で顔を赤らめて和解だ。
この世で最も美しい終焉だろう。
まあ、携帯を投げたのは修理を言いだした彼だけど。
「それじゃあ、本題─────に入る前に紹介しておいた方が良いよな。えっと……」
少女を呼ぼうとしたとき俺は名前がないことを思い出し言葉を詰まらせてしまう。
その様子から自分が呼ばれていると感じ取った少女は、「はい」と向こうからこちらを見てくれた。
「あそこにいるさっき携帯を投げられた女が『南美麻音』だ。言う事は特にない」
「は?」
「で、その隣に立っている携帯を投げた人間が『野上時鬼』だ。言う事としたら機械いじりがうまいな。それ以外ない」
「え?」
「以上がコイツらの紹介だ。そして、お前の味方になる奴らだ。敵じゃないから安心しろ」
最後の敵じゃないという発言を聞いた瞬間、少女の硬直していた体が僅かに柔らかくなったように見えた。
やはり、それほど怖いのかねぇ。俺にはよく分からない。命を狙われた事なんて今までなかったからな。
敵じゃない。
…………敵ねぇ。
「そして、そんなお前らには彼女の名前を決めて欲しい」
紹介に仕方について今にでも文句を言いそうな彼らを黙らせるために、話を変える。
さっさと本題に入ってしまおう。
「え? この子名前はないのかい? 誘拐じゃないし、君の知り合いでもないだとすると一体彼女はどこからここに来たんだい」
「階段で拾ったんだ。そのあとかくかくしかじかで今事務所にいる」
何がどうなっているか分かってない彼らに、俺がさくっと分かりやすいように説明する。
最初からついさっきまで、端的に説明する。
俺の言葉を彼らは訝しげに聞いていたが、彼女が俺に対して敵対心を抱いていない様子から、俺の言う事を信じてくれた。
と言うか、たぶん俺に嘘をつけるほど知能がないとでも思ってるんだろう。
「それで、名前がないから私たちに考えろ、と?」
「その通り! 物わかりが良くて助かるぜ!!」
「注文だけ、いっちょまえね。自分はなにも考える気ないんでしょ」
いちいちうるさい奴だ。
俺は考える気が無いんじゃなくて、考えられないんだよ。
お前らの方が得意って理解してるだろ。
そして、俺は苦手って事。
あいにく、俺にゼロからイチを作る脳みそはないんでね。
ご愛敬っすわ。
「何か良い案、思いつくか。時鬼」
「急に言われても困るよ。名前って言うには適当に付けるのは可哀想だし」
「そうか? それっぽいかっこいい名前があれば十分だろ」
別に名前によって事件が起こるわけでもあるまいし。
名前って大事?
「そんなことないわよ。名前って言うのはその人を表わす大切なものよなの! しっかり考えてあげるべきよ!」
「うーん」
しっかりと考えるべき、ねぇ。
麻音の言うとおりだよ、と時鬼までそんな事を言うものだから、少女の名前をどうするかの会議が始まった。
本当はサクッと決める予定だったのだが、長丁場になりそうだ。
ああああ、昼までにコイツらを帰らせないと、飯代が増える……。