第三話 一時の感情一生の幸福
食パンの間にハムと砕いたゆで卵。
そして、マヨネーズを入れれば俺特製のサンドイッチだ。
味を変えたければチーズでも、ケチャップでも入れれば良いだろう。
俺はこれが好きなので、これ以外食ったことないけど。
そんなサンドイッチを、俺は二枚の皿に二つずつ盛り、少女の元へと戻る。
彼女は、粗相をしたらいけないと思っているのか、俺がキッチンへ行ったときとなんら変わりない態勢でいた。
別に足を崩すぐらいなら気にする必要もないし、どうせならソファで寝るぐらいしててもいいけどな。
さっきまで寝てたし、まだ疲れているようにも見える。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
少女に皿を渡すと、ぺこりと頭を下げて皿を受け取った。
その瞬間、僅かに下がった彼女の服からミシンで縫ったような跡が見えた気がしたが、すぐに隠されてしまった。
視線を動かしたのも僅かなのに、それを感じ取り、かつ違和感のないようにささっと戻された。
何かされているのか?
まあ、俺が詮索する必要はないか。
心の不法親友だな。あれ?侵入だっけ?
どっちもでいいや。
個人のテリトリーに深くよくも知らない人物が入ってくるのは、心地の良いことではないだろう。俺だって嫌だ。
「少女、名前はなんだ?」
食事中の話題の一環として、自己紹介でもし合うかと思い、俺は少女の名前を聞いた。
「あ、俺の名前は淳平だ。波木淳平。荒波の波に、枯れ木の木。淳厚の淳に、フラットの平らだ」
名前を聞くならまず自分から、この前呼んだ漫画の主人公がそう言っていたのを思い出し、俺は先に名乗る。
漢字が何か分かりやすいように、説明付きで。とても分かりやすいな。
特に平らの説明がお気に入りだ。
これ以上分かりやすい説明はないだろう。
「えっと、私は……」
「ん?」
彼女は自分の名前が入ると思われるところで口ごもった。
なんだ。黙って食事をする家庭だったのだろうか。
だとしたら申し訳ないことをした。
俺も初めて施設を出てからの外の生活は最初、驚きの連続だった。一歩歩くごとに驚きがあるものだから、開いた口が塞がらなかったのは良い思い出だ。
「私その……名前がなくって」
「名前がない? ああ、まあそう言うこともあるよな。俺も施設を出るときに初めて名前を付けてもらったし。お前って施設の出なのか?」
外では親に名前を付けてもらうと教わった。
施設の出なら出るときに名前をもらえるが、何かの手違いでもらえなかったのだろうか。俺のいた施設でもよくあった、北に行くと言ってつれて行かれた友人が南に行っていたときは、いつも「また間違えてるよ」と心の中で思ったものだ。
大人はよく勘違いをする生き物だ。
俺の名前も勘違いされなくてよかったと、今改めて思った。
「えっと、その……」
「あ、すまん。あまり俺に聞かれても嫌だよな。気を付けようと思ったんだが、興味があるとすぐに聞いてしまうんだ。嫌だって言ってくれれば良いから」
気になることは聞いてしまうよな。
あまり詮索してはいけないとか言っときながら、片足を踏み入れてしまった。
「じゃあ、自分で名前考えといた方が良いぜ。名前って何かと必要だし、名無しってよりもテキトーな偽名でもあった方が、人間って信用するからさ」
「はい、そうですね……。考えておきます」
もぐもぐとサンドイッチを食べながら、少女は口に運ぶ間にそう返事した。
サンドイッチを気に入ってくれたのか、とても美味しそうに食事をしてくれている。
いやあ、自分が作った料理を他の人が美味しそうに食べてくれるのは気分が良いな。
アイツらに食わせるといつも嫌そうな顔しやがる、こっちは作ってやってんのによぉ。
そんな奴らと違って、少女との食事は会話がないのに楽しいな。
美味しそうに食べる食事の様子を見るのは楽しいし、嬉しい。
「ふーん、それでこの後お前どうするの?」
「えっと、その……どうにかします。これ以上迷惑をかけるわけにもいきませんし」
どうにかって、行き先がないのか……?
家出をしてるのかと思ってたが施設の出のようだし、親族もいないのか?
それは大変だな。
見た感じお金を渡されている様子もなさそうだし、雨風をしのぐ場所も目星はついてなさそうだ。
路地とか、どっかのファミレスとかに行けば雨風だけならしのげるけど、寝るのには適してない。
公園は止まるには適しているが、防犯面的に考えるとこんな少女を一人にするのは危険だよなぁ。
うーむ。
じいさんに言ったらちょっとぐらいなら許してくれるかな?
「なあ」
「はい」
「住むか」
「え?」
「一緒に住むか」
「え??」
俺の発言に、少女はとても不思議そうに首をかしげる。
言っている事が分からないと言うよりかは、言っている事を理解しきれないという感じだ。
理解よりも驚きが勝っているような、そんな顔をしている。
口がぽかんと開いている。
それほど不思議な発言だったか?
目の前に人が困ってたら、助けたいとか思うだろ。
そいつがどんな奴にもよるかと思うけど。
少なくとも、彼女は悪い奴じゃない。俺のサンドイッチを食べて幸せそうにしてくれたんだ。それだけで助ける理由にはなるだろ。
幸せのお裾分けだ。
……今思いついていったが、良い言葉だな。もし本を出版できたらタイトルはこれにしよう。
「いえ、私なんか引き取っても良い事なんて……」
「別に良い事が欲しいから引き取るわけじゃねえよ。例え、お前を引き取って殺し合いに参加させられたとしても、俺は引き取った者として最後まで努力する決意ぐらいなら持ってる」
「でも……」
でもって。
ここで断って彼女にとって良い事なんてないだろ。それこそ。
後悔をすることほど、人間嫌な事はない。
結局やったって、やらなくたって後悔するかもしれないんだから。
どっちも一緒。
なら、もしかしたら後悔しなくて良い方をしとけば良いだろ。その方が幸せだ。
「お前が嫌がっているのは、自分を引き取って俺に迷惑がかかるかもしれないからか」
「そういったわ────」
「それとも、自分を引き取ったら何か迷惑になることが起こると確信している?」
「ッ!!!」
俺の発言に、少女は瞳孔を小さくし衝撃という感情を顔に表わした。
心の中でも読まれたかのように、理性を忘れて感情を露わにしている。
感情があるようでそれが大きく現れない奴だ、と思っていたがそんなことないようだ。
しっかりと、自分の信念がある。意志がある。
何かを恐怖し、それから逃げることを望む程度には勇気がある。
強い子だ。
「なら気にするな。俺は探偵だ。どんな事だって解明して、お前を助けることができる」
だから、お前は理性ではなく感情で今は答えろ、と俺は続ける。
迷惑だの、問題だの、そんなどうでも良いことは考えずに、今のお前に思った事を言え。
「私は……、私が……ここにいてもいですか。間違いなく私は問題を起こします。それはとても恐ろしく、姿形さえ見えない恐怖でもあります。そんなものがついている私が、ここで暮らして良いですか……」
問題。
姿形さえ見えない恐怖。
そんな者に怯える生活なんて、一人でできるわけないだろ。
幼気な少女が一人、孤独と絶望の淵で世界をさまよえるほど世界は広くない。
会って間もない少女。
名前もなければ、年齢も、身長も、好きなものさえも分からない。
お節介を焼くには関わりが極度に少なく。
手を差し伸べるには、関係がとてつもなく薄い。
水に濡らしたティッシュ以上にもろい関係だろう。
風化した岩石よりも、小さくなる関係だろう。
「ああ、気にするな。俺は探偵だ。この街で唯一の……な」
でも、俺の心が大きく唸っている。
腹の心臓が、激しく鼓動を伝えている。
それはお前の選択であり、定められた運命だと───
─────アレが囁いている。