どうしてそこで豆大福なんだ、お母さん(AI生成)
「タケル!急いで!」
母、春子の声は、いつもながら朝の慌ただしさに加速度をかける。高校二年生の僕は、昨日徹夜で仕上げた課題のせいで、今朝はまさに「屍にムチ打つ」状態だった。
洗面所で歯を磨きながら、ぼんやりと今日の時間割を思い浮かべる。一限は鬼の数学教師、佐々木先生の微分積分。遅刻などすれば、チョークの粉まみれになるまで罵倒されるのは確実だ。
「わかってるよ、今行く!」
トーストを口に放り込み、水で流し込む。リビングのドアを開けた瞬間、僕は完全に動きを停止した。
そこには、母、春子がいた。いや、正確には「事件」が起きていた。
春子は、朝食の準備を終え、食器を片付けようとしていたのだろう。しかし、なぜか彼女の右手が、見事に「醤油差し」の蓋を外したまま、その中身をバタバタと飛び跳ねる魚のように振り回していた。そして、その醤油は…
「お母さん、それ…」
僕は震える声で尋ねた。
春子の視線の先、床には、まるで墨絵のような巨大なシミが広がっていた。それは醤油が床に広がりきった、絶望的な光景だった。
春子は、一瞬固まり、まるでスローモーションのように口を開いた。
「ああ、タケル。ごめんなさい。ちょっと、ね…」
そして、春子は醤油差しをテーブルに置き、よろよろと台所へ向かった。
僕は心の中で叫んだ。(今、その状況の説明が先だろ!そして、そのシミをどうするんだ!俺は遅刻するんだぞ!)
しかし、その声は喉の奥に引っ込んだ。春子が戻ってきたからだ。
春子は、台ふきん、タオル、新聞紙…それら全てを無視し、手に持っていたのは、白くて、餡子が透けて見え、見るからに「粒あん」のしっかりした、豆大福だった。
「お母さん!何してるの!?」僕は絶叫した。
春子は、極めて冷静な、まるで宇宙の真理を語る哲学者のような口調で言った。
「タケル。これはね、応急処置よ」
「応急処置!? 醤油のシミに!?」
春子は、僕の制止も聞かず、その豆大福を、醤油の巨大なシミのド真ん中に、 ペシッ と置いた。
豆大福は、スポンジのように醤油を吸い始め、みるみるうちに茶色く、そしてブヨブヨになっていった。しかし、シミの大きさに対して、たった一つの豆大福が果たせる役割など、微々たるものだ。まるで、大火事にコップ一杯の水をかけるような、無謀で滑稽な行為だった。
「…どうしてそこで豆大福なんだ、お母さん」
僕の問いに、春子は真剣な目で答えた。
「だって、なんとなく吸い取りそうだったんだもの。それにね、タケル」
春子は、そこでピタッと動きを止め、突然、僕の顔を覗き込んだ。
「…この前、特売で買って、冷凍庫に眠ってたの。賞味期限が今日までで。捨てるには惜しいし、かといって、こんな朝から私が食べる気分でもなかったのよ」
…つまり、ただの「在庫処分」だった。
僕は、玄関で革靴を履きながら、床の真ん中で醤油を吸って茶色くふくれた豆大福を、もう一度見た。その豆大福は、まるで「これで良かったのか…」と僕に問いかけているように見えた。
「わかった、もういい!俺は行く!」
僕は、カバンを掴み、家を飛び出した。遅刻は確実だ。佐々木先生の顔が脳裏をよぎる。
(微分積分よりも、まず、あの豆大福をどうするか、春子と話し合わなきゃいけないんじゃないのか、俺は…)
そして、走り出した僕の背中に、春子の声が追い打ちをかけた。
「タケル!今日のおやつは、吸い取りすぎてない方の豆大福だからね!」
僕は、叫びたい衝動を抑え、ただただ、走り続けた。豆大福の呪いは、今日も僕の青春を蝕んでいく。
(了)




