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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

しごのせかい!

何を伝えたいか 

・生きることのはかなさ 神はヒトラーと同じ 生きることが非常に苦痛であるということ


主文

 この世の中は非常によくわからない。他人が生きているというのがよくわからない。周りを見ると知らない誰かが歩いてる。家族とかはわかるが赤の他人はどうなのか。彼らは本当に生きてるのだろうか。我々が認知してるこの世は言葉によって定義されてる。この文章も日本語を利用し日本語の文法を利用して書いてる。誰に向けて?それすらも私には分からない。だが、この文字列自体も言葉のしがらみから抜け出すことができない。そんな事を考えると自分の死後について考えていた。浪人が決まったからだろうか。死についての医学的な定義はこうだ

「生命のを構成する“心臓”、“肺”、または“脳”の少なくとも1つの機能が永久的に停止すること」


分かったようなわからないような気持ちだ。実体験というのはその”時”でしか分からないから当たり前だ。しかし、私が考えてるのはこんな専門的な話ではない。私の意識はどうなるのかということだ 。人間いつか死ぬ、生まれた時から死は始まる。そう思うとこの世はとてもはかなく死にたくないと思ってしまう。フロイトは人は生まれながらにして生の本能と対立して死(破壊)への本能(衝動)をもつとした。


けったいな話だ。こんなことを意識すると主文に述べたように神はヒトラーと同じなのだ。こんな欲の分からない世界とやらを生み出して、たった80年の寿命を与え、言語というしょうもないツールを与えたのだ。そして、無差別に一律にわれらを殺す。これにはヒトラーも真っ青だ・


宗教を信じてる人はその点幸せなのだろうか。彼らは自分たちは神の僕だ。戒律を守れば極楽浄土やエデンに行けるのであると考えてる。


ここで、有名な偉人についてみてみるキューブラーロス大先生だ。知ってる人が大半で思うので説明は割愛させて頂く。ロス先生は熱心なクリスチャンであったが晩年、体が不自由になるとこう述べた「私は神に40年つかえた。あなたはまるでヒトラーだと神に言ったら神はただ笑った」偉大な精神科医である彼女でさえも他人の死は受け入れられても自分の死は受け入れなかったのだ。むろん、このことも彼女の理論では死の受容過程の二段目である「怒り」に当たるのかもしれない。


ここまで読んでくれば次第に自分の生命について考える人も出てきたかもしれない。

何が自分の人生にとって大事なのかというのをきちんと認識し行動することが大切なのかもしれない。



世界の死に関する考え方を見てみる。

・古代エジプト

死後の世界はある。現世では悪いことをせず来世で欲望をかなえる

・キリストカトリック

カトリックにおいては、「死とは、人間の持っている原罪によってもたらされた罰である」と考えています。そのため、天国や地獄、煉獄など(といった考え方があり、祝福された者は天国で永遠の安らぎと喜びを得、そうではないものは地獄で永遠の苦しみを味わうことになります。


「煉獄など」については説明が必要でしょう。これらは、「辺獄(キリスト教が誕生していないときに生まれた義の人などが行く場所)」「幼児の辺獄(洗礼を受ける前に死んでしまった子どもがいく場所)」「煉獄(キリスト教ではあるが、償いが終わる前に死んでしまった人がいく場所)の3つに分けられています。しかしこの罪も、生きている人が死んだ人間の代わりにミサなどを行うことによって軽くなるとされています。


・仏教

自業自得の因果の道理にもとづいて、死ぬまでの自分の行いによって死後の世界が決まると教えられています。死ぬまで善いことばかりしていた人は、死んだら善い世界に生まれますが、悪いことばかりしていた人は、苦しみの世界に生まれます。


ものすごく善いことばかりしていた人なら、仏さまがお迎えに来られることもありますが、

悪いことをしていれば、「火車来現」で、火の車が迎えに来ます。

自業自得の因果の道理です。


日本は無信教の国家とされる。かつて日本では国家神道や神仏習合はあったがいまや宗教というものが薄れかかってる。不景気の煽りを受け今後活発になるかもしれないが。

 どちらにせよ、日本人は死に関する認識や知識に触れる機会が少ないと感じる。勿論、死を意識しながら生きることは辛いかもしれない。繰り返しになるが、西洋ではキリスト教によって死というものが余り否定的に捉えられてない。しかし、東洋では死へ否定的な考えが多い。


この文章を書くにつれて自分自身もわかってきたことがある。

人生は余りにも短いし、自分や他人が本当に生きれるか知る術もない。この私の意識というのも後、60年後には確実になくなる。人間はどこまでも醜く儚い動物である、人間は動物で最も高等ではなく最も下等な生物ではないか。犬には罪悪感というものが存在しない、羨ましいものだ。


だが、我々はこの世界にいつの間にか産み落とされた。そして、いつの間にか、この世界から追い出される。私は今後の人生をどれだけ自分のしたいことに費やせるのだろうか。


この体験からか、私は塾に毎日いってる。最後まで勉強しいてる。この世はあっという間だ。

だから、明日ではない。いま行動を起こさなくてはいけない。


こんな駄文を読んだ読者の一人でもこの世の大切さ。死を意識するきっかけになれば至上の極みだ


終わり










参考文献、及ぶコピペ先(無断転載ですが。申し訳ございません)

https://sousiki-navi.com/sousiki/847/

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E4%B8%89%E9%80%94%E3%81%AE%E5%B7%9D/

https://kankon-sousai-history.net/world/the-egyptian-funeral-each-with-its-own-view-of-life-and-death/

https://www.askdoctors.jp/articles/201161

https://true-buddhism.com/teachings/afterlife/

異世界転生ものが、気持ち悪すぎて読めなくなった

VR世界や、人間を不老長寿にするムーンショット計画とうも現実に存在します

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