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私の話を、聞いてください。  作者: 豆豆(まめまめ)
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1#過去を振り返ってみる


年齢順に起きた出来事を簡潔にまとめてみました。




0歳。

おしりを拭かれるたび、「おしりふきが冷たい…」と思っていた。高い高いで身体が宙に浮いた瞬間息が止まって少し苦しかった。なんか知らんけどいつも笑ってた。



1歳。

2つ上の姉としょうもないことで毎日喧嘩していた。外で同じ住宅の子どもたちと暗くなるまで走り回っていた。父の癇に障ると拳で殴られたり叩かれたりするのが日常。両親はちょくちょく喧嘩してた。



2歳。

不注意で腕を骨折した。入院しているときは両親と祖母が交代でお世話をしてくれた。父の癇に障ると拳に追加で週刊マガジ○やティッシュ箱が飛んでくるようになる。



3歳。

発達障害持ちの弟が生まれた。日常がめまぐるしく過ぎていった。お金が無くて幼稚園に入れなかった。この頃から両親の喧嘩が始まった。



4歳。

周りの子より遅れて幼稚園に入った。友達が一気に増えた。公○とピアノと水泳を習い始めた。相変わらず両親は喧嘩している。



5歳。

学ぶことが楽しくなり公○では3学年先を勉強していた。この頃から家にある本を読み漁るようになった。「言って分からないなら殴るしかないだろ」という父の発言に絶句する。両親の喧嘩は1日1回では済まなくなってきた。



6歳。

小学生になり、弟と似たような発達障害持ちの子の面倒を見るようになる。友情というより姉妹愛という感覚だった。弟とその子を重ねてみていたのだと思う。両親は相変わらず喧嘩している。



7歳。

学校での友達関係は良好。先生との関係も良好。成績も良好。しかし両親は相変わらず喧嘩している。できるだけ家に居たくないと思うようになる。



8歳。

やはり両親はしょうもない事で毎日喧嘩している。それを影から見ている私。「子供の存在が邪魔なら施設に入れてくれ」と本気で思っている。



9歳。

父という共通の敵がいる姉と私は次第に喧嘩をすることが少なくなり絆が深まり始める。この頃の日記には「誰でもいいから殺してくれ。楽になりたい。」と書いてある。



10歳。

母が家を出ていった。親権を取り合っていてなかなか離婚が成立しない。姉は小学校卒業と同時に母の元へと引き取られるらしい。父からの暴力はだいぶ減ったが、今度は暴言が酷くなった。父に「子どもが居なくなったらどう生きていけばいいかわからない」と言われ罪悪感を抱いたのと同時に可哀想だと子供ながらに同情した。承認欲求からか学校ではよくリーダー役を務めるようになる。親友ができた。



11歳。

結局姉は母の元へと行かず自分の意思でこちら側に残ることになった。ピアノ教室の先生が課題をこなせないと殴ったり叩いたりしてくるので辞めたいと泣きじゃくり結局辞めた。祖母が週3でうちに来るようになる。父からの暴言にウンザリする。



12歳。

中学生になり習い事をすべて辞めた。代わりに厳しめな部活に入る。月経が始まり体調の優れない日がめちゃくちゃ増えた。自分は月経が重い体質であることを知る。ようやく両親の離婚が成立した。父からの暴力はほぼ無くなったが心無い暴言は相変わらず。



13歳。

家庭環境から受けるストレスがピークに達したことや月経が重く激しい運動が辛いということもあり部活を辞めてしまう。祖母が母親ヅラしてくることに腹が立つ。祖母には祖母の立ち位置のままでいて欲しい。やはり中学校でもリーダー役の仕事を務める。2人目の親友ができる。



14歳。

月経が2週間以上続いている中祖母の家に泊まりに行ったら大量出血してしまい夜中に救急病院に連れていかれる。病気ではなかった。ホルモンバランスの乱れに日常生活が翻弄される。極度のストレスからリスカをし始める。



15歳。

高校生になりバイトを始める。学校が遠く、家にいる時間がとても少なくなる。1ヶ月のうちの3分の1は体調が悪いため体質にめちゃくちゃ悩む。リスカはやめた。自殺をしようとしたが姉に止められた。



16歳。

高校を卒業した姉が遠くへ行ってしまい地獄の日々が始まった。やはりリーダー役の仕事を進んで務めている。心と身体がちぐはぐ。忘れもしないあの12月、父と喧嘩をしてそのまま家出した。



17歳。

私のことを心配した姉が地元へ戻ってきてしまう。姉は自分で決めたことだから気にするなと言っていたが罪悪感に駆られた。罪滅ぼしに住む部屋の確保や諸々の契約を1人で行う。家賃光熱費を姉が負担する代わりに学校へ行きつつ、バイトをして、食費だけは負担し、家事はすべてこなした。



18歳。

1人で上京し飲食サービス系のブラック企業に就職。

仕事と勉強に追われ忙しい日々。次第に身体の疲れや痛みを鎮痛剤でごまかして出勤するようになり、最終的にはほぼ自力で動けなくなった。

病院に行き即入院になる。

告げられた病名は「過労」と「線維筋痛症」だった。退院してからしばらくの休養に入った。辞める予定の同僚と高校の同級生が見舞いに来てくれたが、上司は誰1人として来なかった。



19歳。

正社員で働くことを諦め、アルバイト生活がスタートした。都心で家賃が高かったため引越しと転職を決意。眠っている時以外は身体中が痛いためより一層気が狂う日常を送る。何度も自殺を考えたが20歳まではなんとか生きようと生き長らえる。



20歳。

アルバイトをしつつ生計を立てながら闘病生活を過ごす。周りの人にはだんだん良くなってるといいつつ自殺を考える。身体の痛みは改善されても心は癒されなかった。治療の末ようやく身体の痛みがほぼ無くなって元の業界に復職することになった。が、その復職先でパワハラを受ける。すぐに辞めた。社会に絶望した。心が折れた。



そして今現在に至る。



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