異世界はきつすぎる!
草原に一人、孤独に立って居る夢・・
最初はそう思っていた。
轟々と鳴る風に吹かれ、身体の芯から寒く感じて身震いした。
きっとそれは現実の俺が布団を剥いで寝ているのだろうと、頭の片隅でぼんやりと考えて、
吹き荒ぶ風に両腕で身体を抱えても、いつもなら醒める目が醒めない。
周囲を見渡して、風になびく葉先の、そのリアルさに違和感を感じ、巻上がる埃に目が痛んだ時、まさかこれは夢ではないのだろうかと訝しみ始めた。
改めて周囲を見回し始めた時、遥か遠くに何か動く物が視えた。
草原のはるか向こう、暗い森との境目から、こちらに向かってゆっくりと何かが近づいてくる。
黒黒とした影、遠目にも大きな輪郭は、まだ細部ははっきりとは判らないが近づいてくる事だけは確かな様だ。
何故か本能的な恐怖を感じて一歩後退りをした時に、足の裏に小さく鋭い痛みを感じた。
そこで目が覚めた・・と思った。
妙に覚醒した目覚めに違和感を抱きながらリモコンでテレビの電源を入れると、
「明けましておめでとうございます、江ノ島から初日の出の映像が届いております、とても美しい初日の出です、皆様のご自宅からも観えていますでしょうか」
1月1日の朝7時5分の時刻表示と共に、よく観るアナウンサーが新年の挨拶を明るく軽く喋りだした。
正月だろうがなんだろうが、就職をしくじってニート生活を続けている俺には関係ない。
すぐにテレビを消した。
就職に失敗してから冷たく険悪になった母親との関係では、お節料理も用意されては無いだろうが、とりあえず腹を満たせる物でも無いかと階下に降りていく事にした。
ベッドから立ち上がり床を踏みしめると、
「イテッ」
足の裏に痛みが走った。
訝しみながら足の裏を見ると、土と緑色の汁に汚れた踵から血が流れていた。
「なんで夢で怪我をするんだ?」
思わず独り言をつぶやくと、
「ユメ・チガウ」
小さな声が聴こえた。
驚いて部屋の中を見回すが誰も居ない。
急いでドアを開けて廊下から階下を窺うが誰も居ない。
気のせいかと、頭を叩きながら階段を降りてリビングを覗くが誰も居ない。
いつもなら起きているはずだが、正月だから寝てるのかと、一階に在る母親の寝室のドアを開けて声をかける、
「まだ寝てるのかよ、腹減った何か食い物無いか」
母親からの返事が無い。
冷え冷えとした部屋の空気に何故か不安になり、背中を見せて寝ている母親の肩を揺さぶる・・
動かない。
「おい、どうしたんだよ、朝飯・・」
その時、気がついた。
部屋だけでは無く母親の身体も冷たい事に。
力をこめて母親をこちらに向かせると、半開きの目が何も見ていず、開いた口から息もしていない事が判った。
視界がグニャリと歪み、頭の芯がカッと熱くなった。
「おふくろ・・」
「落ち着け、落ち着け、とりあえず119番、警察もか?あとは何処に連絡をすれば・・」
はたと気が付いた、俺には親戚も居ない、家族は母親だけ、母親の友達なんて知らない。
自分の友達も就職を失敗してから縁を切った。
俺はこの世の中にたった一人になった気になって、立ち竦んでしまった。
それでもしばらくして、なんとか気持ちを落ち着かせて救急車を呼んだ。
後は自分の外側の世界が勝手に進行していくようだった。
「はい、検視は終わりましたが事件性は無い模様です、発見者は23歳の長男、同居、無職、朝、起きて声をかけたら死亡していたと言う事です。」
「消防の方から、連絡が有り現場に入り交代しました。」
初老の警官が無線に向かって話している言葉が頭の中を素通りしていく。
警官は俺に向かって言った、
「賢治君、もう一度訊くけれど親戚等の力になってくれる人は居ないのだね。」
「はい、誰も居ません」
「それじゃあ、これが死体検案書と言って、これが有れば火葬が出来る書類だから無くさない様にして、葬儀屋に任せれば全てやってくれるから。」
「それって僕がやるんですか?」
「君しか居ないんだろう、お墓の有るお寺に連絡すれば葬儀屋を紹介してくれるだろうから難しくないよ。」
それだけ言って警官が家から出て行くと、一人取り残された感がまた強くなってきた。
とりあえず窓を開けると、知らない顔が家の周りを囲んでいた。
もっとも近所の住人と交流は無いから知った顔は最初から居ないが。
中でもおせっかいそうな初老の男性がチャイムを鳴らして訪ねてきた。
「町内会長の中村だが、あんた宮沢さんの息子さん?逮捕・・いや警察に一緒に行かなかったんだ・・いやお母さんが大変な事になったらしいと聞いたんだが」
俺を値踏みする様にジロジロと眺めながら無遠慮に不快な言葉を並べだした。
俺は腹が立って、嫌みのように言ってやった。
「おふくろは死にました、貴方に用は無いので帰ってください。」
露骨に嫌な顔を見せる町内会長をドアの外へ追い出して、ソファに身体を投げ出す。
ヘトヘトに疲れているが寝る訳にもいかない、スマホで葬儀屋を探さなくてはいけない、そう思いながら動かないでいたら、また聴こえた。
「ツナガリ・キレタ・カクテイ」
俺は今、気が狂いかけているから変な声が聴こえるんだろうなと冷静に考えていた。
気が狂う前にやらなくてはと、スマホで葬儀屋を探して連絡してからは、目の前で起きている事がドラマのリハーサルの様だった。
テキパキと枕飾りが用意され、ソファやテーブルが追い出されたリビングに祭壇が用意されるまで俺のやる事は
「はい、お願いします。」
と何度も同じ返事をする事だけだった。
「それでは、明日の朝ドライアイスを追加がてら火葬のご相談に参ります。」
「一階の暖房は点けないでくださいね、ご遺体が傷んでしまいますから」
そう事務的に伝えて葬儀屋が帰ってからは、冷え冷えとしたリビングにしばらく耐えていた。
しかし、誰も弔問にはこない。
果てしなく続く時間にくたびれ果てて、2階の暖房を点けてベッドに潜り込んでから気が付いた。
朝飯を食べていない・・
また、草原に立っていた。
今日は風が吹いていない、冷やりとした空気に寒気は感じているのは昨日と同じだ。
そうすると、あれは居るのかなと森の方を眺めたらやはり居た。
黒い塊が、またこちらに迫ってくる。
昨日より少し落ち着いて眺めていると、その異様な姿が近づき視えてきた。
ワニの口を持った熊が迫ってきている。
そんな物を想像したこともないのに、夢で視るのは何故だろうと考えて、
「あれは何なんだ?」
思わず口に出した。
「キメラNo17」
また狂気の声が聞こえた。
「やっぱり俺は気が狂い始めているのだな、変な声が聞こえる。」
「キョウキニヨルゲンチョウデハアリマセン・ワタシハナノマシンコトロールシステムデス」
また聞こえてきた狂気の声に、思わず言い返す。
「そんな物はこの世界に無い!」
「アナタノイタセカイニワマダアリマセン・コチラノセカイデワキョウキュウサレツヅケテイマス」
「こちらの世界って何の話だよ?」
「アナタガ・ショウカンサレハジメタセカイノハナシデス」
「召喚?ゲームやアニメの話かよ?」
「ゲンジツデス・キメラNo17ガキマス・ヨケテクダサイ」
いつの間にか、あのワニ頭の熊がすぐ近くで巨大な口を開いていた。
「うわっ」
俺は横っ飛びに避けた、顔のすぐ横でガチンと牙が鳴った。
俺の部屋だ。
「なんて夢だ・・」
うんざりして口に出すと、もっとうんざりする声が聞こえてきた。
「ユメデハアリマセン」
「またお前か、夢じゃないって・・」
俺は恐ろしい事に気が付いた。
顔の横にべったりとへばりつく生臭い液体、それはあの怪物の唾液だと言う事に。
恐怖に目眩がして、その場にへたり込む。
「あれは夢じゃないって、どういう事なんだ?」
また何も居ない空間から応えが返ってきた。
「アナタハダンカイテキショウカンタイショウシャデス・イチニチ5フンノダンカイテキショウカンジカンエンチョウヲヘテ288ニチデカンゼンショウカントナリマス」
とんでもない事を言っている。
「なんで俺が召喚されなくちゃならないんだよ。」
とりあえずそいつが居る事は受け入れて問いかける。
「ショウカンシテモコノセカイニエイキョウガスクナイタイショウシャカラ・タイリョク・チリョクヲハンテイシテエラバレマシタ」
つまりニートの中でマシだったって事か。