序章~加後 兼年の話1~
先日、会社を辞めた。
原因は人間関係だ。きっと世の中の辞職理由の5割くらいは人間関係だと思う。その5割の中に俺は入っている。もう誰かと関わるのが怖くて、退職届を上司の机に置いてきた。
そして今日までおよそ3か月、僕は自殺の準備をしてきた。
自殺の準備って、死ぬだけじゃないのかと思うだろうけど、人によっては色々片付けなければいけないことがある。
まず、死ぬ方法を探してみる。そして、一人で誰にも迷惑が掛けずに死ねる場所を探す。自分に合った自殺方法が見つかったら、必要な道具を誰にも怪しまれないように揃えていく。
僕はなるべく苦しまずに死にたかったけど、インターネットではどれが楽とか、いやいやそれ実はめちゃくちゃ苦しいよ、とか情報が錯そうしててどれも信じられなかったので、簡単に手に入る睡眠薬で死ぬことに決めた。
あとは身の回りの整理だ。
1人で暮らしていた部屋を片付けて、いつもあまりお金の入っていなかった銀行の口座を解約して、捨てられるものは全部捨てて、遺書を書いて、机の上に置いてきた。
残された身内にあまり迷惑が掛からないように、面倒くさいことを全部済ませながら、この3か月を過ごした。
いま思うと、自分のために死ぬのに何故他人の手間の心配までしていたのか……。こういう無駄なことをやってしまうのが、自分の悪い癖なんだとつくづく思う。
いま僕は、県内でも有名な自殺のスポットにいる。そこは一寸先も見えない暗い森の中で、歩けば歩くほど、自分の居場所が世間から離れていくようで、空っぽな気持ちになれた。
ある程度歩いたところで、背負っていたリュックを地面におろす。中には睡眠薬と水の入ったペットボトルに、身元を確認するための書類が入ったビニール袋が入っている。
あと、上着のポケットには今のいままで捨てきれなかったスマートフォン。
画面を点けるとメールが何件か入っていた。悲しいことに全部勤めていた会社の元上司からだ。僕が辞めて空いた仕事の穴についての文句が、動物の死体に群がるアリのように羅列している。文字の隙間を覗くと、今までこいつから受けてきたパワハラの数々が垣間見えてきそうだった。
変な話だが今まで着信拒否をしなかったのは、このメールが僕の自殺の源になっていたからだ。僕のせいで苦しんでいる人間がいると思うと少し愉快な気分になれる。この源を転職に生かせればよかったのだけど、どうも上手くいかなかったみたいだ。
メールアプリを閉じて、今までインストールしていたアプリを一個づつ消していった。写真も動画も、好きなアニメの画像も音楽も、一個ずつ手で消していく。最終的にはこのスマホごと壊すのだけど、これはいわば僕にとって儀式みたいなものだから、時間をかけて行う必要があった。
最後の一つで手が止まる。インターネット掲示板を見るための専用アプリだ。これで自殺の方法や場所を調べてここまで来た。
せっかくだし、最後に何か書き込んで終わろう。
アプリを起動して掲示板を遡る。今日も誰かが生を嘆いている。
時間は午前2時を回っていた。そろそろ、とアプリを閉じようとした時だ。
「『スリーコール・テラー』…?」
今日の日付のスレッドに、それはあった。
スレッドを覗くと、そこには電話番号が記載されている。誰かのイタズラだろうか。
あまりにも怪しげな雰囲気のあるスレッドにコメントする者は誰もいないらしい。
こんなに目立つのに、なぜだろう……。
好奇心が勝ってしまい、僕はその電話番号に掛けてみた。
1コール
2コール
3コール
…………。
『……はい?』
電話がつながる。まさか本当につながるとは思わなくて、咄嗟に返事をすることができなかった。
『もしもし、どちらさま?』
「え、えっと…」
『あ~もしかして、いま自殺しようとしてる?』
は?と思わず声を上げそうになる。なんで、まさか。
いやでも、この電話番号は自殺掲示板のスレッドに載っていたものだ。もしかして自殺防止センターの電話番号だったのだろうか……。
「け、けっこうです」
『あ、そう。じゃあ切るね』
……いや、ちょっと待って。
「…そこは引き止めるんじゃないんですか」
『そんなことしないよ。俺にお前を止める義理は無いし、俺にはお前の生死を決める権利もないから』
「それはそうなんですけど、あの、この電話番号、自殺防止センターの番号ですよね?」
『え?違うよ。俺個人の電話番号』
そうなの?……じゃあ何で、僕が今から自殺しようとしてるってわかったんだ?
『最近、というか1年前くらいから謎の電話が掛かってくるようになってさ、それがぜーんぶ死にたがってる奴からの電話なんだよね。今月はお前が初めてだけど』
いや~不思議だよな!と電話の向こうの男は笑っている。不思議で済む問題か?
というかこの男、自殺願望者の電話を取って何故こんなにあっけからんとしてるんだろう。
……だめだ、また余計なことばかり考えてしまう。
『つまりさ、この時間帯に、この携帯電話にかけてくるやつはこれから死ぬんだなってわかるんだよ。お前は何でかけてきたの?好奇心に負けた?』
「……まあ、そんなところです」
『じゃあお前の好奇心に免じて、何でも質問に答えてやるよ。どうせ今から死ぬ身だろ?心残りは今のうちに無くしておけよ』
なんで上から目線なんだよ。いや、こんな時間に掛けたのはこちらだから、むしろ優しい方なのかもしれないけど……。
だが確かにこの男の言う通り、心残りがあるまま死ぬのは嫌だ。何もやり残しの無いようにこの3か月間頑張ってきたのに、今この電話を切ったらすべて台無しになってしまう。
一呼吸置いて、じゃあ、と僕は最初の質問を口にした。
「あなた、誰ですか?」
『俺?俺の名前は千代田 律。漫画家だ』