推し候補との攻防
確か『ジャージ』って正しくは『ジャージー』だったと思うんですが、『ジャージ』表記でいこうと思います。
私は付属で置いてあった上履きにガッツリ『ナナセ』と記入し、堂々とジャージで登校するという暴挙に出た。
周囲からは当然変な目で見られている。
前世で読んだ漫画の如く『ざわ…ざわ…』という効果音が見えるのではないかという程だ。
しかし私は最高に気分がいい。
『やってやったぜ!!』という満足感でいっぱいだ。
私は前世の時の様な臆病なこどもではない。
貴族社会と乙女ゲームに反旗を翻すその精神こそまさにロックそのものだ。
……まぁジャージだけど。
「ナナセ君……その格好はどうしたんだね?」
生徒諸君は一様に遠巻きに見ているだけだったが、流石に先生は私にツッコんできた。モブ眼鏡教師もそれなりにイケメンでけしからん。
「昨日制服を汚してしまいまして。私服ではまずいと思いましたので、用意されているものから季節に合ったものを着用したまでですが」
私はしれっと返してやった。
昨日オルツ化した時にスカートが汚れたのは事実なので嘘は言っていない。
それにクローゼットにジャージと上履きが入っていたのも紛れもない事実だ。
眼鏡教師は眼鏡をぐいっと上げると言った。
「うん……それじゃ皆、授業を始めようか」
それは権威にジャージが勝った瞬間だった。
休憩時間になっても私の周囲の『ざわ…ざわ…』は止まない。
直接私に話しかけてくる猛者はいないが、普段からボッチだったし陰口など叩かれまくっていたのでさして関係ない。
むしろ『自分の意思でやったこと』でガタガタ言われていることを思うと、『自分の意思ではなくやらされていること』にガタガタ言われていた今までよりよっぽどいい。
そんな状況の中、私は突然お呼び出しをくらった。
第二王子、ディートフリート・シャルフェンベルグ様からだ。
(……やべっ!!)
そういえば昨日は王子の補講だった。
前世を思い出したショックのあまり、さっさと寮の自室へ戻ってしまった私は彼の授業をサボってしまったのだ。
これはマズイ……
私は急いで指定の部屋まで走った。猛ダッシュだ。
上履きとジャージの機動力が身に染みる。
(よし!これならイケる!!)
息を整えて呼び出された部屋の扉をノックし、名を名乗ると私は次の行動への決意を固めた。
「入れ」
まずはゆっくり扉押す。隙間から第二王子が正面にいるのを確認すると私は思い切りよく扉を押し、その勢いで前のめりに歩を大きく進める。
「昨日はすいやせんっしたあぁぁぁ!!」
声を張ってそう言いながら、滑り込むように体勢を整える。
————土下座の。
これぞ秘技、『スライディング土下座』である。
前世で夏休みに派遣のアルバイトをした、とあるライン作業の工場で、遅刻したライン長(社員さん)が工場長にやっていた技だ。
ライン長は爽やかな笑顔でこう言っていた。
「頭下げんのはタダだからね!」
……反省はしていないと思う。
しかし私の前世スキル『スライディング土下座』は扉の影に隠れていた男によって阻止された。
「ぐえっ!!」
私は潰れたカエルのような声を発し、前のめりの姿勢から背筋の伸びた状態に無理矢理立たされた。襟首を掴まれたのだ。
首を抑えてゲホゲホいう私を尻目にその男はボソリと呟いた。
「……なにその格好……」
長いコートのフードを目深に被った男……それは私の推し候補、魔導師弟子ミクラーシュ・ウルバーネク様である。
彼の表情はフードでよく見えないが、見えたところできっとあまり変わらない。
なんせ無表情でボソボソ喋るのが彼の特徴だ。
ミステリアス男子ことミクラーシュ様は、イケメン、イケボでなければ謎の陰キャ。
そして襟首掴んで体勢直すってどういうことだ。勿論脱ヒロイン狙いの私ではあるが、体勢を崩したヒロインにイケメン攻略者がする対応としてだけでなく、女子に男子がする対応として著しく間違っている。
「ミックの言う通りその格好も気になるところだが、なんでそんな勢いよく入ってきたんだ?」
ハイ!王子にスライディング土下座をブッかますためです!!
……とは流石に言えないので「殿下に昨日の非礼を謝ろうと気持ちが急いていたんです」と適当な事を言っておいた。
「昨日?ああ、体調はその後どうだ」
「へ?体調……ですか?」
見ての通りすこぶる絶好調ですが何故?
質問の意図がわからずキョトンとしていると王子は訝しげに言った。
「お前が具合が悪くて補講にはでられないと聞いていたのだが……」
「それは……どなたから?!」
前世が戻るきっかけの出来事の後、私は誰とも会っていない。もしかしてフランソワ様から聞いたのか!?やはり彼女は味方?味方なのか!?
『敵か味方かフランソワ』……そんなフレーズと共に私は王子の返事を待った。
「侍従からだが……それがどうかしたのか?」
ですよねー!直では伝わってないっスよねー!!
私はガックリと肩を落としつつも、情報の発信源を後で探ろうと思った。
どんな意図が相手にあるのかはわからないが、昨日あのまま王子に伝えない方が私の好感度は下がったに違いない。もしかしたら不敬に問われるなんてことも全然あるし、なかったとしても普通に失礼だ。
それを考えると一応は味方である立場の人の可能性が高い。
「まあいい、今日お前を呼んだのはここ1ヶ月の補講の成果と今後の対策について話す為だ。そこに座れ」
「はぁ……」
気のない返事を返しながら私は言われるがままソファに腰掛けた。
ミクラーシュ様は私の隣に座り、徐ろに置いてあった菓子に手をつけ始めた。
え、いいの?食っていいの?
私も食べたいが、取り敢えず我慢する。
いや、我慢しなくていいのか?脱ヒロインな訳だし。
悩んでいる最中も隣から焼き菓子の甘い香りがして私を誘惑する。
チラリとミクラーシュ様の方に目をやると、既に1個目を食べ終え、2個目に手を伸ばすところだ。
テーブルの上には3個しか菓子は用意されてなかった。残り1個だ。
っていうか3個しか用意されてないって事はさぁ……普通一人1個だと思わない!?さらっと2個目に突入する神経ってどうなのよ!!
だいたいにして侍従の方が『お茶を用意してまいります』と言って出て行ってからまだ戻っていない。
(食うの早すぎか!!茶の前に茶菓子が無くなるわ!!)
王子が何やら書類を用意し話し始めようとしているが、私はミクラーシュ様の動向と菓子が気になってそんなことばかり考えてしまう。
「さて……」
王子が話し出そうとした瞬間扉が叩かれ、侍従の方がお茶を持ってきて皆の前に用意した。
お茶のいい匂い……これはきっと焼き菓子にあうんだろうなぁ……
そう思って暫しうっとりしていた矢先、ミクラーシュ様の手が最後の1個に伸びた。
「あっ!」
反射的に私も手を伸ばしてしまう。
しかしミクラーシュ様の方が圧倒的に早かった。
「「「「…………」」」」
私のアホみたいな叫びと動きに場が一瞬静止し、視線が私に集中した。
そんな中真っ先に動き出したのはミクラーシュ様。
彼は私を一瞥すると、無表情のまま最後の焼き菓子に齧り付いた。
「ああぁっ!?」
今こっち見た!見ておいて食った!!酷い!!
ぐううぅぅぅぅ……
「ぐううぅぅぅぅ」というのは私の悔しさからの唸り声ではない。腹の虫の唸り声だ。
残念ながら私の腹の虫さんは「きゅるる」なんて小動物のように可愛らしくは鳴いてくれず、獣のように唸り声を上げたのだった。
「ハァ……仕方ないな……半分あげるよ」
本当に嫌そうにミクラーシュ様は私に食べかけの焼き菓子を割ってよこした。
しかも明らかに半分じゃない。ちょっぴりだ。
「ミクラーシュ様の半分の感覚おかしくないですか!?大体3個あって3個とも食べるとかさぁ……!!」
「……文句があるならあげない」
「あああぁぁぁっ!?!」
ミクラーシュ様は無理矢理大きな欠片を一口で口に詰め込んだ。
ほっぺがリスのようになっていて、推しならば『やだー可愛い』とか萌えるところなのだろうが全然可愛くない。
こいつを推しにするのはやめる!!絶対!!
ギリギリと歯軋りをしながら奴を眺めていると呆れたように殿下が言った。
「おい……そろそろ話始めていいか?」
……すっかり忘れていた。
ちなみにこのやり取りの際、そっと部屋を抜け出した侍従の方が焼き菓子のおかわりを持ってきてくれた。とても気が利く。
できれば彼を推しにしたい。
ヒロインのジャージ標準装備が決まったので、題名少し変えようと思います。