狐雲社
ちょっと油断するとすぐあの人のことを考えてしまう。
そう、あのお弁当箱のことを。
いくつくらいなのかなとか、奥さんはどんな人なのかなとか、子供はいるのかな…とか。
ほんと、どういう素性の人なんだろう。
どうしてあの時私にお弁当箱差し出して来たんだろう。
それにしても、不細工な人だったな…
なんか、顔だけ見ればコメディアンに向いてそうな、そのくせ態度はちょっと渋めの大人の男を気取ってた。
そのギャップがなんだかおかしい。
うん、でも恰幅は良かったな。
厚い胸板がほのかに大人の色気を感じさせた…
四十代?五十代?おじさんの年齢って判断しづらいんだよね。
案外もっと若かったりして。
作業着似合ってたけど、普段はどんな格好してるんだろう。
やみくもに自転車で市内を巡ればどこかでもう一度工事をしてるあの人に会えるかな…
うぅ…、ここまできたらもう認めるしかない。
私、多分恋してる。
あのお弁当箱みたいな顔したおっさんに。
確かにイケメンとか好きじゃないけど、アレはいくらなんでも不細工過ぎるでしょ、と自分に突っ込みたくなる。
それに、私今まで恋とかしてこなかったわけだから、つまりその…
あのお弁当箱は私の初恋の人ってことになるの?
うわあぁ〜堪忍してー
と、思いつつも店の近くの小さなお社に、もう一度あの人に会えますようにと、お願いしてしまう。
あ、もちろん不倫とかしませんから。
だたもう一度会いたいだけですからと神様に言い訳しつつ。
いつも朝、店に入る前に道の角にあるこのお社に手を合わせるのが私の習慣になっている。
だめじゃんね?私ってば。
色恋より今は商売繁盛をお願いしなきゃ。
私が毎朝手を合わせるお社はこの辺の人に狐雲社と呼ばれているらしい。
近くのお寺の奥さんに聞いた話だけど、このお社には語り継がれる伝承があるそうな。
昔、昔、このあたりは農村だった。
ある時北の山の方角に、狐の形の雲が浮かんでいたことがあった。
くっきり狐の形をしていたその雲を農作業中の村人の多くが見た。
その雲が出てからはこの土地にはろくなことが起きなかった。
疫病が流行ったり、狭い範囲での豪雨で川の氾濫があったり。農作物が不作だったり。
それはこの周辺限定で起きた。
最初のうちはこのお社に祀られていた神様にこの村の平安を祈っていた村人も、ときが経つにつれ疑いを持つようになった。
もしかして、このお社のご神体は空に帰ってしまったのではないか?
あの日の雲はそのお姿だったのではないか?と。
それならば、どんなにここに詣でても村の平安は望めない…
やがて村人の心はこのお社から離れて行った。
けれど、村の庄屋の娘だけはこのお社の神を信じ、毎日詣でていた。
小さな握り飯や、花などを持って。
ある日、それを好ましく思う神の使いが娘の前に人の姿を借りて現れた。
二人は一瞬で恋に落ちた。
村人たちは二人が仲睦まじくこの社の前で語り合う姿を何度も目撃した。
見たことのない若者を不審に思った村人もいたが、あまりにも娘が幸せそうだったので、村の人々は娘の幸せのためにその若者を村人の一員として迎え入れることにした。
その若者が神の使いであると気づくことなく。
やがて娘は重い病に倒れる。
人の姿を借りた神の使いには神通力がなく、娘の病を治す力がなかった。
そして娘は命を落とす。
娘が亡くなってからも若者は村に住み続けた。
村人の一員として働き、娘の墓を毎日お参りし日々を過ごしていた。
そして五年ほど経ったある日若者は村人を集め話をした。
実は…私は神の使いだ。
本来なら、娘が亡くなった後、すぐに素性を明かし、自分に与えられた本来の使命を果たすべきだったのだが…
私はこの村で、一人の若者としていつまでも娘との思い出に浸り過ごしていたいが為、自分の正体を明かすことができなかった。
この体に染み付いた娘の記憶を大事にしたかった。
けれど私はこの体を離れなければならない時がきた。
仲間が私を呼んでいる。私の意識は大きな眷属としての存在に吸収される。
この体を離れる前にお前たちに伝えることがある。
神はこの村を離れたことはない。
神が守らなければ、この村はもっと大きな災難に見舞われていたであろう。
神は今もこの村を守り続けている。
私の言葉を信じるか信じないか、神を祀るか祀らないかは、お前たちの自由だ。
そう言い終わると、若者の体が霧のように消えた。
それを目の当たりにした村人は自分たちが小さな社の神に守られていたことを知り、今までの不信心を詫び、それからは再び社の神を尊び、代々大切に祭ってきた。
なーんて、ロマンチックな伝承がこのちっこいお社にはあるんだな。
食物の神様を祀ってるらしいんだけど、そんな伝承があるもんだから恋愛成就にもご利益があるんじゃないかと、私は勝手に思っている。




