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1私の狐  作者: 川本千根
第二部
40/51

オープン

私は耳鼻科に行ったあと、やっぱり気になってお弁当箱が工事をしていた場所に戻った。

もう日は暮れてかけていて、そこにおじさんたちはいなかった。


工事中の看板も、ダンプも、もうない。


道路に新しく敷かれたつやつやと黒光りしたアスファルトの上をただ車が通って行く。


私はその場で立ちすくんだ。



残念、ここでの工事、終わっちゃったんだ…


もう一度お弁当箱みたいなおっさんに会いたかったんだけど…

私は決して頭のおかしい女ではありませんって弁明したかったんだけど…


う…ん?なんだろう?この胸の締め付けられるような思い。

ああ、きっとこの夕暮れに聞こえてくる学校のチャイムのせいだ。

なんとなく物悲しいものね、学校のチャイムって。


私は自分の感情をそう理解して、その場を後にした。

今はサンドイッチ屋の開店準備以外のことに気を取られてる場合じゃないよと自分に発破をかけながら。






そして迎えたサンドイッチ屋開店の日。


卒業した調理師学校からはお祝いのフラワースタンドが届いた。

それがこの店を目指して来る人への良い目印になった。


雛が作ってくれた小さな木の看板はとてもおしゃれで上品だったけど、住宅街に馴染みすぎて目立たなかったから。


用意した六十個のサンドイッチは時間内に全て売り切れた。


それはお母さんのお茶の生徒さんとか、お父さんの会社の人とか、調理師学校時代の友達が義理で買いに来てくれたおかげ。


多分本当のお客さんは一割にも満たなかっただろう。

明日は日曜だから、今日来なかった知り合いが買いに来てくれるはず。


本当の勝負は月曜日からだな…

そんなこと考えながら二階で売上の計算をしているときに、ふと思い出す。


お弁当箱みたいな顔したおっさんの作業ズボンにこの店のチラシをねじり込んだことを。


ふ、今思えばアレも随分強引な行為だったな…


でも、でもそのおかげで希望が持てる。

あのおっさんがもしかして店に来てくれるかもと。


…なんであの時おっさんの稲荷ずしを食べちゃったんだろう、私。

そのせいで気になって気になって仕方ないよ。

あのひとのことが。


もう、なんなら恋しちゃってんじゃない?って思うほどの勢いで考えちゃってる。


うん、なら一層きつね屋の存続に向けてがんばらなければ。

いつかお弁当箱が、私のことを思い出してこの家に来たとき、店が潰れてたんじゃ洒落にならない。


私は月曜に作るサンドイッチは半分の三十個にして、今日一番早く売り切れたあんバタをきつね屋の主力商品に据えることを決めた。

本当は牛肉のサンドイッチが一押しなんだけどね。

あんバタにもまあまあ、工夫を凝らしてあるんだ。


自家製餡を少々甘めにして、合わせるバターには粗塩を少々混ぜ込んである。


餡の甘みに負けない塩味をバターで補おうとするとかなり油が勝ってしまうので、バターの塩味だけを増すことにした。


軽い甘さが好まれるご時世に逆行したどっしりした味になっていると思う。

好き嫌いは別れると思うけど、食べれば印象に残る味のはず、多分。





店の片付けを終え、家に帰り、両親に店を宣伝してもらったお礼を言ったらお父さんが


「繭、やるだけだやってもし上手くいかなかったら見切りをつけるということも大事だぞ?」


と、言ってきた。


「ちょっとー、今日オープンしたばっかりなのに、そういうこと言う?」と恩知らずの私はむくれる。


喧嘩になるといけないと思ったのか、そこにお母さんが仲裁に入る。


「そおよ、お父さん、デリカシーのない…

でも…繭?ほんと、そういうことも大事よ?」と諭すように囁く。



あー

二人には商売の失敗が予見できちゃってるんだろうな…


ほんとなら初孫の誕生に浮かれて然るべき時期なのに…

私、親にこんな心配そうな顔させちゃって…


店には入ってこずにチラチラ表からこちらを覗いていた昼間の二人の姿を私は思い出した。


「うん、わかった。

やるだけだやってだめだったら諦めるから」


さっきちょっとぶそくってしまったことを反省しながら私は両親にそう答えた。


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