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1私の狐  作者: 川本千根
第一部
33/51

突然

学校は二時半に終わった

私は同好会の集まりをパスしてバスに乗り、家の前のバス停を通り過ぎ、アピ○前のバス停で降りた

そこからはなぜかずっと抜き足さし足でここまで歩いて来た


ああ、もう二度と来るまいと思ったのにと、道から塀に囲まれた環さんの家を見上げる


敷地に入り砂利がならないように慎重に慎重に歩く

そおっと玄関脇のポストに封筒を入れようとした途端玄関がガラッと開いた


環さんの登場


う…

なぜ

会わずに帰ろうと思ったのに


環さんはい無表情に近い顔で私を眺めてる

気まずい

説教される気がする


あのですね、私の足がこの家から遠のいたのは私なりの思いやりと言うか、遠慮と言うか…

私のことを気にせず環さんが雛にアプローチできるようにと思ってのことで…つまり愛なわけで…

と、心の中で言い訳していたとき環さんが口を開いた


「間に合って良かった、繭」


なにに?


「さよならを言わずに別れることになるかと思った」


…?


「私は個として自立するエネルギーがなくなって来た」


「もうしばらくしたらこの体から魂が抜け、もといた眷属としての大きな意識に取り込まれる」


「大きな意識に吸収される前にこの体を散らし関わった人間の記憶を消していかなければならない」


えっ

そんなっ!


「私は会いたかった女に出会った」


「お前はそれに気づいたんだな?繭」


「だから私に会いに来なくなったんだな?」


「お前が察したとおりお前の妹の雛は私がかつて愛した繭の生まれ変わりだ」


環さんは私の目をまっすぐ見据えてそう言った


やっぱり…やっぱりそうだったんだ

私の思いこみじゃなく…


ああ、今はそんな答え合わせどうでもいいっ!

ハッハッと息が短くなる私とは対象的に環さんはとても静かに語った


「性格はまったく変わっていない」


「昔のままだった」


「けれど…」


「昔の繭と今の雛はまったく別の人間だ」


「私を見ても何も感じず何も思い出さなかった」


「ずっと恋しく思っていた私と違い、繭の私への気持は昇華していた」


「繭が私の部屋に土足で飛び込んできた日、それに気づいた」


「あの時、それが一瞬でわかった」


「それに気づいたら…私は自分の存在理由がわからなくなってきた」


「お互い魂が呼び合っていると思っていたからこそ私は再びこうして大きな眷属の意識からまた独立することができていたのだ」


「繭、お前はわたしがかつての恋人に心を残しているのが不満だっただろう」


「だが、その思いがあったからこそ私は私でいられた」




滝のように

ほんとうにそれ以外形容のしようがないほど、涙が止めどなく流れてくる


いつから泣いているのかわからない

話のどの時点で泣き始めたのか

…もしかしたら悲しい話を聞く前…環さんの姿をひと目見たときから泣いていたのかもしれない


思わずすがるように環さんの手を取る


「環さん…雛じゃなきゃだめなの?」


「私も環さんが…好きだよ?」


「何ヶ月か恋人として過ごしたよ…ね?」


「何回もキスして抱き合ったよ…ね?」


「ケンカもいっぱいしたけど同じ数だけ仲直りもしたよね?」


環さんは残酷なほど、まっすぐ私の目を見た


「残念だがお前と雛では魂の格が違う」


「お前に私を個として独立させるほどの力は無い」


「私がお前と睦み合って得られるエネルギーはとても微量なものなのだ」


…なんてそんなにはっきり言うの

今まで何度も気づいて傷ついてきた雛と私との差はどこまで私を苦しめるの


「格が低い上にお前はとても未熟な人間だ」


追い打ちをかけるように繰り出される環さんの言葉に耐えきれない


立っているのがほんとうに辛くてしゃがみ込んでしまった

環さんの手を握っていた私の手はするりと自然に解けた


うずくまった私の上から環さんの声が聞こえる


「それでも心は不思議だな?」


「私にはお前が充分可愛く思えた」


「かつての恋人と再開したあとでもお前に会いたいと思った」


「けれど私は雛が部屋に飛び込んで来たあの日から力が急激に弱り動けなくなってしまっていたので会いに行けなかった」


「昨日雛が来なかったらきっと会わずに別れることになっていた」


「繭、お前はすねて時間を無駄にしたな?」


「どうやって呼び出そうかと思った」


「あの手紙に会いたいと書いても、お前は来なかっただろう」


「あの手紙は考え抜いて書いた、お前を誘き出すために」


「…やっとお前の扱い方がわかってきたところなのにな?」


環さん、なに暢気に笑っているの?

環さん!

いかないで!消えないで!


そう叫びたいのに

どうしても言葉が出ない!


「繭」


そう呼びかけると環さんは私の肩をつかんで立ち上がらせた

そして顔をのぞき込んで訊ねた


「繭、希望するならお前の記憶は残していく」


「どうする?」




落ち着いて考えることができたなら、そんな答えはでてこなかっただろう


けれど私は環さんを失う苦しさに耐えきれなかった


楽になりたい


自分が好きな人を支える力がない現実からも、妹にまた負けた現実からも、好きな人がいなくなってしまう現実からも


いきなり頭をつかまれて水の中に沈められているようなこの苦しさから一刻も早く逃れたかった


私は傷ついている

ひどく

この大きな痛みに耐えながらこの先生きて行くのは無理だ

環さんのいない世界で記憶と傷だけを抱えて


私には…出来ない!!




「忘れたい…環さんのこと全てを」


「出会ったことも好きだったことも…」


そう言ったら私の肩をつかんでいる環さんの手の力が抜けた


「…弱い…なあ、繭は」


環さんが視線を私から外してそう言った


「比べないで!私と雛をっ!」


急に猛烈な怒りが沸き上げてきた

瞬間的に悲しみが怒りにすり変わった


だから…

だからこんなことを言ってしまった

心にもないことを


「環さん?もしまたこの世に現れることがあったとしても絶対私の前には現れないで」


「間違わずに雛のところに行って」


「二度と環さんに関わりたくない」


「私は環さんのことを忘れてすっきり暮らしたいっ!」


「環さんに会う前の自分に戻りたい!!」


私がそう叫んだら環さんは私の肩を再びつかんでくるりと方向を変えさせた

環さんと向かい合って家の方を向いていた私は環さんに背を向けて外を向くことになった


後から環さんの声がする


「繭、お前がこの家の敷地を出たら私はこの体を散らす」


「そして眷属としての大きな意識に戻る前に関わった人々から私の記憶を消す」


「さあ、行け」


「一歩この家の敷地から出た瞬間お前の私との記憶は消える」

 

「…きっと楽になるだろう」


そう言って環さんは後から私の肩をつかんでいた手をパッと離した


「う…」


ごめんなさい


違うよ

全部嘘だよ

今言ったこと


ほんとはずっと環さんと一緒にいたい


何度生まれ変わってもまた会いたい

好きになってもらえなくてもいいから


振り返ってそう言いたかったのになぜか足は外を目指す


長年自分の本当の心に従って来なかった癖がこんな時にでた


足元から砂利を踏む音がする


お願い環さん、前みたいに後ろから抱きしめて

私がこの家を出るまえに


お願い…


おね…が…い…













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