ちらり
少し持たれた胃を感じながらアピ○前のバス停からバスに乗り込む
楽しく遊んで名残惜しかったのか環さんは珍しく私を引き止めた
もう少しいたら?と
…いや、あの、そう言葉にしたわけじゃなくて目で訴えただけだけど…
私ももっと一緒にいたかったんだけれど、夕飯の時間までに帰らないとお母さん怒るから日暮れ前に帰路に着いた
環さんの家に行くときはいつもお母さんに、図書館行ってくるとか、同好会に行ってくるとか言って家を出る
今まで私はこんなに続けて外出することなんかなかったから、お母さんは少し変に感じたみたいだけど、雛の勉強の邪魔をしないように出かけるんだって説明したら納得してくれた
お母さんには環さんとの交際を内緒にしている
だって私男の人と付き合うってガラじゃないから恥ずかしくって
でも良かった、話さなくって
環さんニートになった上に狐になっちゃったから
私が環さんと付き合ってるのを知っているのは雛と直くんだけ
あーあ、あの時、雛に相談しなければよかったなあ
そしたらもっと気楽に狐の妖怪とも付き合えたのに
おっと、妖怪じゃないんだっけ
神の遣い、神の遣い
六時過ぎにマンションに着ついた私はエレベーターに乗り込み部屋のある六階のボタンを押す
いつもこの瞬間、夢の世界から現実の世界に帰ってきたなって感じがする
私はあの家で環さんといちゃついていた名残や胸に渦巻く不安を振り落とすようにエレベーターの中でパンパンと小さく二回頬をたたいた
よし、いつもの自分の顔に戻ったぞ
「ただいま〜」と玄関のドアを開けそのまま雛と共同で使う部屋に入ってその室温の低さに驚く
「寒っ!」
見れば雛は勉強疲れからか学習机に突っ伏して寝ている
雛、風邪引いちゃう
私がいないのをいいことにいったい何度に設定してんだ?
この暑がりめ
えーと、エアコンのリモコンはどこだ?
あ、あったあった
学習机の上
私はリモコンを発見したときに一瞬、ん?と思った
学習机の上のリモコンの横には北欧のお団子頭の女の子を雛が自分で刺繍した手作りのペンケースが置いてある
その右上には裏返されたスマホ
突っ伏した雛の顔の下には広げられた問題集
それはいつも通りの光景
なんの変哲もない受験生の学習机の上だった
けれど私はこの光景を見て、なんに対してか気づきがあった
この時、ちらりと頭に浮かんだことを深く掘り下げていれば、出てくる答えがあったのだけれど、無意識の恐れがそれを拒否した
私はエアコンを切ってベットの上に丸めてあった薄いパーカーを雛にかけて足早に部屋を出た
雛の額には勲章のような傷がある
小学生のときに負った傷
小5のとき、雛には不登校になってしまった友達がいた
その子が学校に来なくなったのには事情があった
雛の友達が学校に行きたくなかったわけではなく、彼女の不登校の兄が妹を学校に行かせたくなくて、力で支配し妹の登校を阻んでいたのだ
数日続けて休んだ友達を心配して雛はその子の家を訪ねた
その雛に彼女の兄はいきなり鉄でできたおもちゃを投げつけ、それにより雛は額に傷を作った
妹を自分の道連れにしたい兄にとって妹を学校に誘いに来る雛は敵だったに違いない
四針も縫う怪我だったのに雛は当時怪我の原因を言わなかったんだよね
お母さんはいろいろ察していたみたいだけど…
そんな目にあいながらも雛はケロッと次の日もその次の日もその子の家に行った
頭に大きな絆創膏つけて
根気よくその子の家を訪ねているうちに雛は彼女の兄とも次第に仲良くなっていき、習い事のない日の放課後はその子の家に遊びに行きその兄妹とゲームなどをして遊ぶのが日常になっていった
その兄妹と雛の付き合いは、彼女らのネグレクト気味の母親の再婚によって、一家が隣町に引っ越して行くまで続いた
あの頃、親は雛にあの子たちと遊ぶのをやめろと散々忠告したのに、雛は言うことをきかなかった
きっと私なんか同じ目にあっていたら、その友達にそれ以上近づかなっただろうな
雛のあの傷は友達を思う心の証
人としての勲章のようなもの
なーんか雛って子供の頃から意志が強いし懐が深い
それでいて素直
ちゃんと自分の夢もあるし、それに向かって努力する力もある
そして自分か間違っていたと思えば、サクッと謝る勇気がある
あと、かなりのかわいこちゃんなのに付き合っている相手が、生徒会長とかサッカー部のキャプテンじゃなく、帰宅部の直くんだというところもなんか好感がもてる
自分の付き合う相手が世間からどのくらいの評価を得てるかなんて関係ないんだなあ、雛には
本物の大物って感じ
私は…典型的な小物だな…
小心者の
ならば群れて風に吹かれて皆と同じ方向になびいていればいいものを…
私はそれが出来ないへそ曲がりの小物
…だからあの時、環さんには私が小さく見えたんだろうか
環さんには、前の繭さんはどんなふうに見えていたんだろう…




