稲荷ずし
環さんの家にはいつもバスで行く
幹線道路沿いにあるマンションの近くのバス停から西回りのバスに乗り、アピ○前で降りて、そこからアピ○のA館とB館の間の道を通って環さんの待つあの古い家に向かう
ここのところほぼ毎日通っているからバス代がバカにならない
自転車を使えばいいのかも知れないけど、この暑い中自転車漕ぐと汗だくになるからなー
汗だくであの家に行きたくないからな…
秋になったら自転車で通うとして、夏の間はやっぱりバス使うしかないよね
そんなことを考えながらアピ○裏の閑静な住宅街を歩く
家に着いた私は「ごめんくださーい」と言いながらガタガタと音のする玄関の引き戸を開け、家人の返事を待たずに靴を脱いで家に上がり短い廊下の右側についている階段を昇った
これ、ここ最近の習慣
環さんやおばあさんががそうしていいって言ったので、まるで、この家の住人みたいに自由に出入りしている
二階の環さんの部屋の入り口の襖は開けっ放しだった
いつも通り部屋には万年布団が敷かれていて、それに沿ってテーブルが置かれている
テーブルの上には白いお皿に盛られたキラキラ光る稲荷ずしが乗っていた
きゃあっ美味しそうっ
本当に作ってくれてある…
環さんたら、もう…
約束の稲荷ずしは作ってくれてあったけど、部屋に環さんはいなかった
「繭?」と階段の下から声がする
「麦茶飲む?」と続けて聞かれたので、「飲みまーす」と大声で返事をした
しばらくするとトントンと階段を昇る音がして麦茶の入った大きなコップを手にした環さんが現れた
万年布団に座っていた私はそれを受け取りゴクゴクと一気に飲んだ
すごくのどが渇いていたので
飲み終わって「ごちそうさま」と言ってコップをテーブルに措いたら、環さんは小さくうなずいた
ん…今日は愛想がいい
きっと昨日のプチ喧嘩を反省してのことだろう
こんなに優しい顔して迎えてもらったことなんか今までなかったな…
わたしが怒って帰ったのが効いたかな?
たまにはガツンとかまさなきゃね?
ふふ
私も昨日のことは水に流してあげ、機嫌よく環さんとおしゃべりしてあげた
「昨日の昼、マンションの植え込みに大きな蛇が出たんだって」
「管理人さんが捕まえようとしたけど捕まらなかったらしい」
「エントランスの掲示板に蛇にご注意くださいって張り紙がしてあったんだよ」
「夜コンビニにアイス買いに行こうとしたんだけど、なーんとなく蛇が怖くて止めたの」
そんなたわいのない話をしながらも私の目はテーブルに置かれたキラキラ光る稲荷ずしに引き付けられてしまっていた
だってほんとに美味しそうなんだもの
環さんは私の食い気に気づいたみたいで「食べる?待ってな、今味噌汁とお茶を持ってきてやる」と言って部屋を出た
テーブルにお茶やお味噌汁が運ばれてきて、稲荷ずしにかかっていたラップが環さんによって外される
「食べな」と言われたのと同時に「いただきまーす」と私は手を合わせ稲荷ずしにかぶりつく
うっ!
ナニコレ?!
一口食べてまずっ…って思ったけど口にするわけにはいかない
なんかご飯が柔らかくてベチャベチャしている
包んである油揚げの味はいいんだけど…これを完食するのは厳しい
すごく期待していただけにギャップが激しい
環さんはじーっと私の方を見てる
一緒に出された味噌汁やお茶で稲荷ずしをなんとか胃に流し込む
はい、頑張って八個完食しました
だってせっかく環さんが私のためにご飯炊いて酢飯作って油揚げにて、酢飯詰めて作ってくれたのに残すわけにはいかない
「繭、どうだった?」との問いかけに「うん、美味しかったよ」とにっこり笑って答える
そしたら環さんは私の顔をまじまじ見て「愛だなあ…」と言った
?
「おばあさんは一口食べてそれ以上は食べなかった」
「繭、完食は愛だな?」
!!
もうっわかってくれたぁ?!
そうか、環さんはお供えされる方で作る方じゃないんだ
でも私のリクエストに応えて頑張って作ってくれたんだよね
愛だなぁ…
そんなこと思っていたら横に座っていた環さんが急に私を押し倒してきた
ヤダ、このスケベ狐…と思ったらそのまま私を下敷きにしてくうくう寝始めた
え?何なの?
気になる…最近環さんこうやって寝てしまうことが多い
なぜか前に言っていた私は力の弱い狐なのだという言葉を思い出す
なんとなく、漠然とした不安を感じる
と同時に私の右半身の上で無防備に寝る環さんの重さに幸せを感じる
どうしよう
このまま寝かせておくか
へへ、いつも上から目線の環さんも眠っているときはなんだかかわいいな
そっと左手で肩に乗った頭を撫で撫で
そんなことしているうちに私も眠ってしまった
しばらくしてから蒸し暑さと右半分の体のしびれで目が覚める
う〜と唸リながら目を開けたら少し前に起きてたのか環さんが私の鎖骨に顎を乗せ至近距離でじーっと見つめていた
そしてぽそり愛だな…とつぶやいた
環さんを起こさないように黙って下敷きになっていたのをそう感じるんだ…
環さんは、覆いかぶさったまま横たわった私のいろんなところの匂いをクンクン嗅いだあと軽くキスしてしきた
この人ってキスしてくる前に必ず私の匂いを嗅ぐ癖がある
「た…環さん、人の匂いを嗅ぐのはなんか変態っぽいよ」って言ったら「繭だって私の匂いを嗅いでいるくせに」って言い返された
うっ気づかれていたか
私はーっなんの匂いもしないなって確認してただけだからっ
雄としての匂いも、狐としての匂いもっ
「重いよ環さん、起きたならどいてー」と私がもぞもぞ体を動かしたら、環さんはふいに両手で私の前髪をかき上げた
あっちょっ!
やめて〜〜〜
私のコンプレックスのおでこ出すのっ
「繭はおでこかわいいな?」
「おでこを出して生きて行け」
え…おでこがかわいい?
うれしくなーい!
このデコっぱちをほめられても
私は頭をフルフル振って環さんの手から逃れようとしたけど、環さんはしつこく手を離さない
「ふんっ私も環さんの弱点知ってるもんね」と、かぶさってきてる環さんの脇の下をくすぐる
「ちょっ、やめろっ」
環さんが悶てゴロンと横に転がった
その隙にすかさず立ち上がって腰に手をあてて「あはは」って大声で笑ったら環さんも立ち上がって私の背後に回りヘッドロックをかけてきた
くっ、この負けず嫌いめ
私は後手で環さんの脇を狙ったんだけどかなわず、足を払われてそのまままた畳に倒されてしまった
環さんは私の首を締めていたままだったので自分も一緒に倒れた
た
そして私たちはこの戦いの主導権を取るべくひっついたまま上になったり下になったりしてゴロゴロ畳の上を転がった
で、勢い余って壁に激突
「痛っ」と同時に声を上げその間抜けさを一緒に笑った
クールな環さんもこの時はさすがに声を出して笑っていた
ほんと、楽しそうに
…なんとなくカレカノとしてこなれてきた気がする、私達
ああ、常につきまとうこの不安さえなければどんなに幸せだろう…
私には環さんに怖くて聞けないことが二つある
一つは前の恋人の繭さんってどういう人だった?と言う質問
もう一つはいつも言ってる時間が無いという言葉の意味…




