67話
これから目指すのは楽園だ。
けれどまだ、その姿はうまく描けない。
だけれど楽園を――みんなが幸せな場所を思い描くたび、脳裏によぎるものがあった。
ピザを思い出す。
サクサクもっちりとした生地の上には、見たこともないような色々な具材が乗っていた。
その上にかけられたのは、よく伸びる、アツアツのチーズ!
熱さをこらえて噛みしめれば、具材のうまさとチーズのうまさが合わさって、経験したこともない楽園を見せてくれた。
作るのが大変とかでなかなか食べられるものではない。
でも、それもいい。
なんていうか――食べ物には味だけではなく、『特別感』みたいなのも、必要だと思うから。
コロッケの熱さは未だに記憶に新しい。
キラキラと輝く黄金の衣。
噛めばカリッとした食感のあと、あふれ出すホクホクした甘さ。
肉だって入っているのに、でも、肉がメインじゃない。
イモのおいしさを思い出すたび、その甘さと、わずかな肉の、充分なジューシーさと、それらがソースと合わさった時の味わいを思い出すたび――
きっと、これをたくさん食べられるのは幸せなのだろうと。
強く、強く、そう思うのだ。
カツ丼の味は、箸と一緒に思い浮かぶ。
初めて箸を使った。
最初はちょっと後悔した。
だって分厚いカツに、たっぷりつゆにつかったご飯。
分厚い肉を揚げたカツはナイフとフォークで切り分けたかったし、つゆにひたったご飯はスプーンの方がずっとずっと食べやすかっただろう。
でも、今は箸で食べてよかったと思っている。
だって、分厚く大きなカツにかぶりつく幸せを味わえたから。
とき卵と、ご飯と、だしつゆとを箸でかきこむ幸福を、経験できたから。
しょっぱさと香ばしさに、肉のうまみとご飯の甘み。
思い出すだけでヨダレがあふれそうな――そんな記憶と一緒に思い出すから、箸を使えるようになって本当によかったと思う。
フライドチキンのイメージは、音と同時にやってくる。
カリッ。サクッ。ジュワッ。
もぐもぐ。ごくん。
『肉はうまい』『揚げ物はうまい』。
だから、フライドチキンだって、もちろん、うまい。
薄紙に包んで食べる時、手で感じる熱さが好きだ。
握った時に感じる衣の適度な硬さが素晴らしい。
口を開けて顔に近付ける時に感じる脂の香りにはガツンと殴られるような衝撃を覚える。
歯を入れるその瞬間に弾けた衣から肉汁が飛び出す。
口の中に入れて咀嚼すれば、噛めども噛めども尽きぬ、肉のジュース。
気付けばペロリと消えている。
だからどうか、許してほしい。――もう一つ、もう一つと、いつまでも食べたいこの気持ちを。
『おにぎり』と『楽しさ』はセットで頭の中にあった。
ピクニック。空振りに終わったけれど、それも楽しい思い出だった。
山頂の景色。
澄んだ空気の中で手渡された、銀色の包み紙。
わくわくしながら開ければ、出てくるのはノリで包まれた、三角形だったり丸だったりするおにぎりだ。
こっちの具はなんだろう?
あっちで食べてるのは、どういう具材なんだろう?
冷めてもおいしいご飯と、鼻に抜けるように香るノリの組み合わせ。
その中にあるのはきっと、『おいしいものを食べてほしい』という、作り手の愛情だった。
だから、おにぎりを食べていると、こんなにもおいしくて、こんなにも、幸せなのだ。
ちょっとだけ申し訳ない気持ちになる。
女神と二人で、ODENを食べた。
香るだし汁。
同じスープの中に浸かった、多種多様な具材。
寒い夜、アツアツのスープごと器に注がれたODENをいただく。
噛めば熱さが口内で弾け、呑み込んでもなお胸の中に温度が残っている。
ハフハフと冷ましながら食べた、あの夜を忘れない。
……きっと、何年経っても、絶対に、忘れない。
特別なもの。
お祝いのためのごちそう。
オムライス。
あれをなに料理と呼ぶべきなのか、まだわからないでいる。
肉料理か? 肉は、あった。大ぶりで、香ばしく、ジューシーな、肉。
卵料理か? きらめく半熟の、ふわふわに焼かれた、ちょっとだけ甘いオムレツ。
ご飯料理か? よみがえるのはかすかな酸味と粒の立ったご飯の食感。
すべて、おいしかった。
すべて主役級だったけれど、どれも、主役ではない気がする。
トロトロのオムレツにからませつつ、粒の立ったご飯を噛みしめ、酸味とともにあふれ出る肉汁を味わう。それが、おいしい。
『どれが』ではなく、みんな合わせて、とても、おいしい。
だからきっと、あれは『なに料理』ではなくて、『ごちそう』なのだと、彼は思った。
それは香りに脳髄を殴られた初めての経験。
お好み焼き。
なんといっても暴力的なのは、焼け焦げるソースとマヨネーズの香り。
ジュワー! という音とともにまき散らされるのは、たっぷりとうまみをふくんだ香ばしくおいしそうなにおい。どれだけお腹いっぱいでも、ついつい釣られて食べてしまいそうな、本能的に求める、あの香りだ。
色味もいい。黒と白のコントラスト。
切り分けた断面からのぞくのは、たっぷりと詰めこまれた『お好み』の具材。
おいしくないわけがない。
そして、期待を裏切らないで、おいしい。
けれど絢爛豪華な具材が使われたその料理でなにより重要だったのは――
――具材すべてを包みこむ、サクサクモチモチの『生地』だと、彼は思っている。
ハンバーグは飲み物だったのかもしれないと、時々不安になる。
たしかに、肉だったはずなのだ。
濃厚な肉のうまみを覚えている。もぐもぐと噛みしめたあの食感を覚えている。
たっぷりの肉を練って固めて、表面をこんがり焼いた。
上に乗せた卵の黄身と、ハンバーグの肉が合わさった、これ以上ないというぐらい濃厚な味を覚えている。
だというのに――肉汁がすごすぎて。
少し押しただけであふれ出す透明でキラキラ輝いた液体。
切ればもちろん流れ出る旨みの洪水――肉汁。
肉ならではの香りとうまみ。
肉ジュースをたっぷりふくんだ、肉の塊。
あれほど『ああ、肉を食べている』と感じる料理もそうはないだろう。
同時に、あれだけの肉のジュースを飲み込む料理も、そうそうない。
だから彼は不安になり――また、ハンバーグを食べたくなるのだ。
これだけの記憶の中でも異質な存在感を放つ料理があった。
焼き魚。
焦げ目のついた銀色の細長い姿を連想すれば、香ばしい香りまで思い起こされる。
パリパリの皮。中にたっぷりつまった身は触っただけでホロホロ崩れてしまうぐらい柔らかい。
奥歯で噛みしめた時に感じるうまみ。
つぶれた身をいつまでもいつまでも口の中で転がして味わいたいけれど――なにぶん、アツアツで、できない。
よく脂ののった身を飲み込んでも、その存在感は脂として口の中に残る。
それも味わい尽くしたら――ようやく、すり下ろしたマンドラゴラで口の中をさっぱりさせよう。
そうしたら、おかわりだ。
だって、何度でも何度でも、味わい、食べられるんだから。
食感がもっとも鮮烈だったものと言えば、TEMPURAだ。
カリッ! ザクッ!
つくづく不思議な『硬いのに硬くない』あの食感。
『衣』との出会いはあれが最初だった。
最初に感じた異様な雰囲気は思い出すたびに笑ってしまう。
だって、見た目はなんだかわからない、黄ばんだ白の薄い膜だったのだ。
ところが食べればその効果と食感におどろく。
好ましいカリカリ。
中の具材の水分を閉じ込めているお陰で感じる、野菜のジューシーさ。
知ることができてよかった。
世界にはたくさん、おいしいものがあるのだと!
――夜空。
立ち上る煙と火の粉が空へ空へと舞いのぼり、消えていく。
この温かさ、この火は――
そうだ、『みのたん』を焼いているのだ。
強い歯ごたえといつまでも噛んでいたくなる肉の味わいは、色々食べた今となっても、みのたん特有のものだった。
薄切りみのたんを食べた。塩だけで食べた。うまい。うまくて、ご飯を頼んだ。
ご飯をみのたんで巻いて食べた。案の定うまくって、飲み込むのがもったいなくて、いくらでもいくらでもかみ続けていられそうな気がした。
厚切りが焼けた。
生唾と一緒に薄切りを飲み込む。
鼻孔を撫でる炭と肉の香り。
焦げ目のついた表面を噛めば、たしかな歯ごたえはあって、けれど噛めないほど硬くはない。
迫力、歯ごたえ、肉の味。
肉汁ではない。肉そのものの、肉を噛むことにより感じる、肉の風味。
あの歯ごたえを思い出すだけで、思わずもぐもぐと口が動いてしまうような圧倒的存在感は、きっとこれからもかすむことなく、記憶の中に残り続けるだろう。
そして――




