66話
――女神よ。
――女神よ、あなたに通達があります。
部屋でぼんやりしていた女神のもとに、突如、女神の声が聞こえた。
勇者たちはいない。
みんな魔族の名付け儀式に行っている。
……神は魔族の敵対勢力なのだ。
だからこそ魔族を倒そうとする人類を支援し、勇者を見守るし――
――魔王を倒した勇者には、ご褒美だって与えるのだ。
そういった背景から、魔族の大事っぽい儀式はさすがに辞退したわけであるが……
そのおかげで、女神は、久々に育児含む家事から解放されていた。
しかし普段からあくせく料理以外色々と働いていると、たまに空いた時間どうしていいかわからなくなるものである。
女神はクッションなど抱いてベッドの上でボーッとしていた。
そこに聞こえたのは、同僚女神の声である。
光を通じた神のみの通信技術、『シャイン』による通信だ。
「あ、はい。もしもし、女神です。なんでしょうか、女神よ?」
ぼんやりしていたせいで対応が遅れた。
通信先の女神は、荘厳でゆったりした雰囲気で述べる。
「……女神よ。重大にして深刻なる問題が発生しました……なんと、魔王が生きていたのです……」
「はあ、そのようですね」
GYU-DONを取りに来た勇者から事前に聞いていたので、女神はさしておどろかなかった。
しかし、通信の向こうはそうでもないらしい。
「……女神よ、ことの重大さが、わかっていないようですね……魔王が、生きていたのですよ……?」
「いえ、しかし、私が担当している勇者様は、魔族とか人類とかいう垣根にこだわらないお方ですからね。娘さんもあずかっていますし、今後は仲良くやっていけるのではないかと」
「……状況を理解できていないようですね……」
「いえ、ですから、魔王が生きていたんでしょう?」
「……そうです……そして、魔王が生きていたということは……あなたの生活が、終わるということです……」
「……え、なぜでしょう」
「その家も、たくさんのご飯も、魔王退治のご褒美なのです……あなたは勇者への『クリア特典の配布』任務を終え、神界での監視業務に戻らねばなりません……」
「…………あっ」
そうだった。
女神はすっかり忘れていたが――この家は、勇者の『毎日腹いっぱい食べたい』という願いを叶えるために用意されたものなのである。
なぜ勇者の願いを叶えるのか?
それは、神にとって有害だった魔王という存在を、勇者が倒したからだ。
ならば、魔王が生きていたら――
当然、この家も消えてなくなり――
女神も地上での生活を終えて、神界で通常業務に戻る必要があるのだ。
「戻らねばなりませんか? 子供たちが大きくなるまでぐらい、延長するわけには……」
いちおう、食い下がってみる。
しかし……
「……すでに辞令が下っているのです……あなたの次の業務は、今まで通り『GYU-DONと独り身の男女の守護神』を続行し、そちらで獲得した『コンビニホットスナックを司る』という神性も維持し、一方で『クリスマス直前に恋人がいないと騒ぐが、その実、たいしてパートナーを必要としていない男女の守護神』も兼任するのです……昇進です……」
「本当に昇進ですかそれ!? 守護すべき相手の層がかぶってませんか!?」
「……神が増えすぎた現代、信仰の細分化をし、多数の信仰を兼ねることも認めていかねばならないのです……ぶっちゃけ老神たちに『早くそのポストからどけ』と言いたい気持ちは私も同じです……雷などのメジャーな自然現象を司るのは古き神々がやっていますからね……つらいのは、同じです……」
「まあ、そうなんでしょうけれど……」
「私だって『新婚旅行前に破局するカップルの守護神』『新婚旅行中に破局するカップルの守護神』『新婚旅行直後(空港を出るまでとする)に破局するカップルの守護神』を兼任させられています……破局するカップルのなにを守護すればいいのか……私はもう、己の司るものがなんなのか、わからなくなっているのです……」
「それは、その……元気を出してください」
「その私に、あなたはさんざん『子供たちが』『子供たちが』と幸せな様子を見せつけたのです……なんという罪深さでしょう……私なんか、幸せな家庭と縁のない光景ばかり見せられているというのに……」
「その愚痴は長くかかりそうでしょうか?」
「あっいや、違う……そうじゃない……そう、業務連絡です……辞令はすでに下っています……老害……ではなく老神の御意思に背くことは、なりません……」
「しかし……」
「……どうしても地上に残りたいと言うのならば、手段はないでもありませんが……」
「あるんですか?」
「それはもちろんそうでしょう……」
「どのような手段が……?」
「神を辞めればいいのです」
しばし、言われた意味がわからなかった。
女神はたっぷり時間をかけて、その言葉の意味を考えて、
「……あの、神って辞められるものでしたっけ」
「それはもちろん、職業ですからね……」
「……いえ、でも……あれ? 最初から神になるべく生まれ、立派な神になるべく教育を受け、学校を卒業して、ついに神になりましたよね?」
「……つまり、神に就職したのです……」
「……ほ、ほんとだ……じゃあ、私はいったい、なんだったんですか? 神ではなかったころの私は、なんという存在だったのですか……?」
「考えると、気が狂うので、やめておいた方がいいでしょう……」
「……そうかもしれません」
「ともかく、神をやめれば、上から辞令に従う必要もなくなります……辞めさえすれば、辞令なんか関係ありませんからね……」
「……しかし……」
「当然、神を辞めるデメリットもあります……今までは信者の数に応じて月々決まったお給料が振り込まれていたわけですが、それがなくなります……」
「……この家とか、無限湧きするGYU-DONなどは……そ、それに、魔王退治のご褒美として生き返らせた勇者様の命は……」
「……別に……」
「別に!?」
「勇者様を復活させたのも、無限湧きするGYU-DONも、あなたの力なのです……」
「しかし、私が神を辞めたら、その力も……」
「いいことを教えましょう、女神よ……」
「なんでしょう、女神よ」
「仕事を辞めても、スキルは残るのです……」
「……」
「……常識でしょう……?」
なぜだろう、ひどく釈然としない。
ありがたいことのはずなのに。
「……もういいでしょう……あなたは、女神を辞めなさい……」
同期の女神がたたみかけてくる。
実際、辞める方向でだいぶ心がかたむきかけていたが……
「しかし、女神よ、なぜそこまで私に辞職を勧めるのですか?」
「あなたは、勤め神に向いていません……家庭に入り、子育てをするのです……」
「……」
「所帯じみたあなたに、若さを取り戻せと同窓会を開いたこともありましたが……あなたは子供の話ばかり……そばで聞いている同僚未婚の我らが、どれだけつらかったか、あなたにはわからないでしょうね……」
「いえ、その、つらかったならごめんなさい。そんなつもりじゃ……」
「つらかった……ほんとうに……」
「ご、ごめんなさい……」
「子供かわいいとか言われても、よくわからなくて……」
「ごめんなさい……」
「男性からの理想のプレゼントを議論していた中、宝石、コンサートのチケット、様々な絢爛豪華なプレゼントをみんながあげる中、一人だけ『少し掃除を手伝ってくれればそれで』と、はにかんで言ったあなたに、どれだけ我らが敗北感を覚えたか、わからないでしょう……?」
「本当にごめんなさい……」
「謝らないでください。謝られると、煽られているように感じてしまいます……」
「そんなつもりはないですよ!?」
「……いいですか、女神よ……あなたは独り身の男女やら、パートナーのいない男女やら守護していますが……もはや、それらを守護する資格など、あなたにはないのです……」
「……」
「やめちまえよ、神なんて……リア充のくせに……」
「め、女神!?」
「……というのも偽らざる本音ですが……我ら同期の同僚一同、あなたの幸福を願った末に、悪いことは言わないからもう辞めろと思ったのです……」
「……女神……」
「……ああ、そうそう。神をやめたら、通販や『シャイン』の利用も、できなくなります。ソーシャルネットワークのサービスの運営は、あなたのスキルでまかなっていませんからね……あなたは神をやめて、神の社会から隔絶するのです……私との交神も、これが最後になるでしょう……」
「……」
「ですが、我々は、神界からあなたの幸せを見守っていますよ……」
まだ辞めると明言していないのに、ガンガン辞める方向で話を進められている。
きっと、自分の意思はすでに言うまでもないほど見え見えなんだろうなと女神は思った。
「お気遣いありがとうございます、女神よ。私は――神を辞めます」
「知ってた……」
「あの、正直つらい決断なんですけど……けっこう、揺れ動いたんですけど……そんな『あーはいはい』みたいに受け止められると、少なからずショックなんですけど……」
「……女神よ……あなたの辞職手続きは、窓口担当として、私が行っておきましょう……」
「あ、ありがとうございます……」
「……ですが、いつかまた、あなたと会える日が来ると、私は思っていますよ……」
「……女神」
「それではまた。……立場もなき、名もなき『誰か』よ。お幸せに。――神の加護を」
フッ、と。
なにかが、消える。
その『なにか』は女神に――立場なき彼女にとって、重要だったもののように思えた。
けれど目に見える変化はない。
あまりにあっさりと、どうやら彼女は、『神』ではなくなったらしい。
……一人、部屋に残されて。
クッションを抱えながら、彼女は言う。
「……あなたとまた会える日って……破局を司る、破局者の守護神じゃないですか……」
会わない方がいいに決まっている。
……だからそれもきっと、あの女神なりの冗談なのだろうと、彼女は思った。
でも、不吉なものは、不吉。




