65話
「さて、お集まりのみなさま、お待たせした。予定通りのスケジュールで進行していこうか」
かつん、と杖を鳴らしながら、名付け師が言った。
――夜。
かがり火の明かりでうすく照らされた広場には、魔族たちが集まっている。
彼らは大きく車座になって、中央にいる三人を見つめていた。
一人は『名付け師』。
フードをすっぽりかぶり、丈の長いローブで身体的特徴を隠した男性魔族だ。
一人は魔王。
黒髪に黒い瞳、白すぎる肌を持つ幼い彼女は、珍しく緊張したように、表情を引き締めていた。
もう一人は――勇者。
魔族にとっては最悪の殺戮者であり、最も怖れるべき人類からの尖兵。
……で、あったはずなのに、彼は数回の訪問だけで、すっかり魔族たちになじんでいた。
彼から敵意や殺意を感じることがなかったせいだろう。
どれほどの憎悪、どれほどの殺意をぶつけようとも、彼はただ、受け止めた。
……だから、いつしか魔族たちは、彼を恨んでもしょうがないなと理解したのだ。
もとより『運命』を知り、運命と敵対し続ける種族である。
……勇者も運命の――あるいはもっと小さな、『人類』という存在の手先でしかなかったのだと、そう、理解したのだ。
かつん、かつん。
名付け師が、柔らかな草地のうえで、まるで硬いものでも叩いているかのように、杖を鳴らす。
その音はかすかだったけれど、集まったみなが注目した。
「これより次代の魔王に『名』をつける。つまりは魔族の世代交代だ。……次代魔王は、見た感じカリスマ性も威厳もないそのへんに落ちてる幼女って感じだが、先代魔王もだいたいこんなもんだったわけだし、大目に見てやってほしい」
「父はなんか、すごかったんだぞ!」
魔王が怒ったように言う。
名付け師は――彼がフードの下でどんな表情を浮かべているかは見えないけれど――笑うように肩を揺らした。
「『なんか』ってなんだよ」
「うー……う、うまく言えないけど! すごかったんだ!」
「そうかい。将来的にはうまく言えるようになれよ」
「なる!」
「おう、がんばれ。……さて、ここまでは予定通りの進行で、このあとオレが形式的に次代魔王に問いかけるわけだが――ご覧の通り、今回の運命はちと早かった。どこぞのアホ勇者が慣例にないほどの速度で侵攻してきやがったもんで、魔王の教育にちょいと不十分な点が見られる。だから、問いかけの前に、少しだけ教育をしてやりたい」
異論は、あがらなかった。
名付け師は満足そうにうなずく。
「さて、次代の魔王よ。このあとオレは、お前に『力がほしいか?』と問いかける。それにお前がうなずけば、儀式は完了。承諾があったものとして、お前は魔王にふさわしい力を得るだろう」
「……」
「では、次代魔王を教育しよう。最初に――問おう。『運命』とはなにか?」
「運命は、敵!」
「ふむ。だが、それは先代魔王の受け売りだろう? お前は運命を敵だと言うが、なぜ敵だと思う?」
「え、だって……魔族ってそういうもんでしょ?」
「ふんわり魔族論をやめろ」
「ええええ……だ、だって……」
「……わかった、わかった。問いかけを変えよう。――お前は、運命を恨むか?」
「恨まない」
「ふむ? しかし、運命はお前から生活を奪ったぞ。親を奪った。お前を我が子のようにかわいがってくれた、お前の父の友人たちを奪った。お前は城を追われ、さまよい、今にいたる。ずいぶんひどいことをしてくれたもんだが、それでもお前は、運命を恨まないと?」
「運命が敵なら、恨まない」
「……?」
「恨みで敵対するのは、かっこわるいから! 敵対するなら、恨まないんだ。父と勇者は、そうだった!」
魔王は真っ直ぐに言った。
名付け師は、勇者を横目で見る。
勇者は反応しない。
なにを考えているかわからない――あるいはなにも考えていない――顔で、押し黙ったままだ。
名付け師は肩をすくめる。
そして――
「では――次代魔王よ。『運命と戦う』とは、どういうことだ?」
「わからない」
「いや、考えろよ」
「でもいっぱいあってわかんないし……あ、じゃあ、その、すごいざっくりしてるけど」
「言ってみろ」
「生きること」
「…………」
「生きることこそ、運命との戦いだと、わたしは思うな! ……そうだよ! 生きて、わたしはこうしてるあいだにも、運命に勝ち続けているんだ! だって勇者は、魔王であるわたしを殺せてないもんな!」
魔王が勇者を見た。
勇者は、うなずく。
「そうだな」
「な! 勇者が敗北宣言だぞ!」
自慢げに胸をはる彼女を見て――
名付け師は、かすかに、けれど声を漏らして、笑う。
「なるほど。生きることこそ、闘争であり勝利であるか。……あー、なるほどな。たしかにな。そりゃそうだわ。お前すげーな」
「わたしは魔王だからな! 魔王はすごいんだ!」
「では逆に――『運命への敗北』とは、なんだ?」
「死ぬこと」
「……まあそうなるわな」
「だってみんな『こうやって死ぬ』っていう運命があるだろ!? だったら死ねば負けだよ!」
「しかしお前はもうちょい空気を読め」
「なんで!?」
「――ここにいる魔族たちは、仲間の死に支えられ、生き延びた」
名付け師の杖が、魔王たちを取り囲む魔族をぐるりと示した。
彼らの顔には、複雑な感情が浮かんでいる。
悲しみ。
怒り。
……様々なものが混ざった、複雑な感情。
この問答は、魔王の資質を測るモノなのだ。
多くの魔族に見つめられながらおこなわれるこの儀式は、魔族たちに次代の魔王の考えを示すためのものでもある。
そして――
魔族たちは、己が今ここで生きるために、どれだけの犠牲が出たかを、知っている。
「『死は敗北か?』……まあ、そりゃ、死ぬところまで運命がわかってるんだ。運命に抗えず死んだなら、敗北とも言える。だけれどな、連中のお陰で生き延びた命がここに集まっているんだ。わかるか? お前は、お前たちを生き延びさせた先代連中の『死』に、意味を見出さなければならない。『ただの敗北だ』と切って捨てるだけでは、王とは言えない」
「それでもわたしは、死ぬのは負けだと思う」
「……ふむ。なぜ、そこまで強く言い切る?」
「だって、みんな生きてたら、もっと楽しかったもん」
「……?」
「みんなで逃げたらよかったんだ。そしたら、みんなでおいしいもの食べられたのに、でも、死んじゃったらだらだらいい生活もできない。だから、死ぬことだけは、しちゃいけなかったんだとわたしは思う」
「……しかし我ら魔族には運命が立ちはだかる。『全員で逃げる』――そりゃあいい。できたらよかった。しかし、できてない。……それともお前は、先代たちが、全員無事に生きる方法を模索さえしなかったと、そう思うのか?」
「……」
「いいか、お前が考えつくようなことは、先人もとっくに考えついてんだ。考えて、試して、それでもダメだから、今、こうなってる。……できることは、やってる。やり尽くして、それでも死んだ。だからお前は、魔族たちの犠牲の上に自分の命があることを認識し、彼らの死に意味を与えなければならないんだ。……わかるか?」
「わかんない」
「……大人になれ。今、ほんの少しだけでいいから」
「わかんない! 『死』に意味なんかないよ! だから、死んだらダメなんだ!」
「……」
「おいしいもの食べて、だらだらして、生きていこうよ! そしたら幸せだよ!」
「それは運命が許さない。オレたちはいずれ次の勇者と戦い、またこのような状況になる。……だから、少しずつ、少しずつ、世代をまたぎ、手を変え品を変え勢力を維持して、滅びを避け、次代にたくす。それが魔族のあり方だ」
「だから、死ぬの?」
「……」
「父も、死ぬの?」
「…………」
「死なないでよ。生きてたんだから」
名付け師は――先代魔王は、勇者を、見た。
勇者は首をかしげる。
「黙ってろって言われたか?」
「…………言ってはないけどさあ!」
「お前にGYU-DON持っていった時、家に魔王がたまたまいたから、言っておいたぞ」
「…………」
先代魔王は頭を抱える。
しばし、沈黙し――
観念したように、フードを取った。
現れた面相は、黒髪に赤い瞳、白い肌の青年――魔王の、容姿。
けれどその場に集う多くの魔族は、おどろかなかった。
おどろいたのは、魔族たちの中でも幼い容姿の者たちと――
勇者の家で暮らしていた数名だけだった。
「勇者のアホに台無しにされた感あるけど、改めて問うぞ。――お前は、魔族たちの『死』にどのような意味を見出す?」
先代魔王が、問いかける。
魔王は、真剣な顔で父を見つめ返した。
「『死』に、意味はない。死んだら、おしまいだと思う」
「……」
「父、わたしね、おいしいもの、たくさん食べたよ」
「……?」
「だらだらしたよ。運動とかしたり、ミノ牧場とか、冒険したよ。……ほとんど勇者の背中におんぶされてたけど、色んなことがあったんだ。……生きてたから」
「……」
「死んだみんなは、たしかにすごいことしたのかもしれない。でも、死んだらもう、幸せになれないんだよ。……牧場長とかさあ、親の遺志を継いでがんばってて、すごいと思うよ。わたしだって父の遺志を継いで生きていけたら、かっこいいかもしんないけど……かっこよさより大事なこと、絶対あるよ」
「……」
「どうか、死ぬことに意味を見出さないで。死ぬよりも、おいしいもの食べて、だらだらして、生きていこうよ」
「それはものすごく幸せな夢だな」
「うん」
「……けど、とてつもなく難しい。おいしいものを食べて、だらだらして、それだけでは、生きていけないんだ。生きてるだけで運命はのしかかってくる。魔族が生きれば、人間がこれを滅ぼそうとする」
「なんで、そうなるの?」
「理由? ……さてな。宗教もあるだろう。権益もあるだろう。ただ古い時代から連綿と続いている因習だからっていうのも、理由だろう。もっとひどいところだと『敵がほしいから戦う』なんて理由だってあるかもしれない。不満のはけ口っていう理由もあるかな?」
「……」
「それら雑多で大小様々な理由が重なって、大きな流れになる。決して少なくない数の人間どもが、なんでか知らんがピタッと同じ方向を向いて力を合わせる、奇跡みたいな『流れ』だ。その流れを『運命』と言う」
「……」
「どうしようもなさが少しはわかるか? オレたち魔族は、定期的にそんなもんにさらされ、ちりぢりにされる。少しずつ少しずつ生き残る魔族の数を増やすことで『運命』にあらがってはいるものの、まだまだ勝利とは呼べない。善戦ではあるだろうが、敗北は敗北だ」
「……どうして、わたしたちは、ただ生きていけないの?」
「世界がオレたち『やられ役』を望むから」
「……」
「すまんな娘よ。夢も希望もない話ばっかりしてる。でもな、現実はそんなもんだ。夢も希望もない。運命は重くのしかかる。オレたちはつぶされねーようにあがくだけで精一杯なのさ」
「……でも、それでも、わたしは幸せだったよ。この幸せをみんなで味わいたいって思うのは、いけないことなの?」
「いけなくはねーさ。難しいって話をしてる」
先代魔王は目を閉じて、ため息をつく。
なにかを思い出すように、苦く、苦く眉根を寄せて――
「現実の中で夢を見続けるのは、並大抵のことじゃない」
「……」
「いつかきっと、夢にとどかない自分の人生に絶望する時が来るだろう」
「わたしは絶望しない。わたしは、魔王だから」
「お前が本当に魔王なら、もうオレが心配するようなことじゃない。でも、お前はオレに生きろという。オレが生きる限り、お前は半人前の『魔王の娘』のままだ」
「……それでもきっと、みんなで幸せになることはできると思う。勇者の家での暮らしを、みんなでずっと続けたいって、わたしは思うよ」
「ならもうなんも言わねーよ」
「……え?」
魔王はおどろいた顔をする。
先代魔王は、大きくため息をついた。
「いつかきっと、お前も、夢の難易度の高さに気付いて、絶望する日が来るんだろうな」
「不吉なこと言わないでよ……」
「……不吉っていうか、当然訪れるべき未来だと、オレは思ってる。苦しんで悩んで、色々試して、それでもどうにもならなくって、そのうち最初に抱いた夢とはかけ離れたものを追いかけるようになって、そのくせ最初とは違うって気付かなくなるんだぜ。あーあーやだねえ。夢には賞味期限があるんだ。お前はまだ知らねーだろうがな」
「……」
「オレは後悔してる。夢を追って、夢にとどかなかったから」
「……」
「でも、まあ、こういうのって、大人がどうこう言っても理解してもらえるもんじゃねーんだよな」
「……うん」
「だったらお前はお前の夢を追えよ。現実はオレがどうにかすっから」
「できるの?」
魔王は首をかしげる。
先代魔王は、笑った。
「その質問は野暮だぜ」
「……そうなの?」
「ああ。普通に考えてできるわけねーだろ。聞かれたら『まあ、その、できませんが』としか答えられないことぐらい、わかれよ」
「ええええ……だ、だって、すごい自信満々で言ったから……」
「ところが無理だとわかっていても、ここで格好つけたくなるんだ」
「なんで」
「親だからな」
「……」
「……オレの夢は応援してもらえなかったけどさ。オレは、お前の夢を応援してやりてーじゃん。のしかかるのは『不遇な運命』だけで充分だ。『現実』の方は――まあ、なんとかするさ。魔王ってのはすごいんだ。しかもなんとこの魔王、勇者と友達なんだぜ。なあ」
先代魔王が問いかける。
勇者は、うなずいた。
「ああ」
「そういうわけだ。……お前は夢を追え。叶わねーと思うが、叶ったら褒めてやるよ」
先代魔王は三度、ため息をつき――
「……ああ、死ぬべき時に、生き残っちまったな。これも運命への勝利と言えるのかね」
空を仰ぐ。
広がるのはどこまでも続く夜空。
またたく星に見下ろされながら、パチパチと爆ぜるかがり火の火の粉が、空へと舞っていた。




