63話
「まあ、そういうわけで、オレは死ぬ。明日にも、今の魔王に――娘に力の全部をあたえて、魔族の世代交代をして、死ぬわけだな」
あんまりにもアッサリと、名付け師――先代魔王は言った。
勇者は、彼の真っ赤な瞳を見る。
感情を読み取ろうと思ったのだ。
……けれど、今の勇者には、他者の感情がよくわからない。
己の感情さえ、わからないのだから。
「で、お前はどうするよ?」
先代魔王は、角の生えた生物の頭蓋をあしらった杖をつきながら、近付いてくる。
真っ黒な髪に、真っ白い肌の――人基準で言えば、青年と言える若々しさの、存在。
「どうするって、なんだ?」
勇者は問いかける。
先代魔王は笑った。
「お前、相変わらずだな」
「いきなり『どうする』とか言われても、よくわからないぞ」
「そりゃそうだ。すまんな。まあ、ほら、オレってさ、これから魔族の世代交代をするわけじゃん?」
「そう言ってた」
「でも、勇者はそれでいいのか? 世代交代するってことは、魔族は存続するんだ。人間たちの英雄であるお前はそれでいいのか? 世代交代をする前にオレを殺すべきなんじゃねーの? って、まあ、そういう感じだな。なんつーの? 立場的に?」
「立場は別に。俺は勇者を名乗ってるけど、別にもう勇者じゃないんだ。神の関係ない神の儀式で名前を奪われたから、それ以外に自分を表す言葉を知らないだけだ」
「……そういや、そうか」
「でも、お前が死んだら、今の魔王はちょっとかわいそうだな」
勇者の頭に浮かぶのは、まだ幼い少女の姿だ。
魔王。
目の前の魔王の――娘。
大食らいで、弱っちい彼女は、父親に会いたいのではないかと、なんとなく、そう思った。
「つってもな。オレは死ぬ前に娘に正体を明かす気はねーし。父親を二度死なすこともねーだろ。……まあ言づてぐらいは頼んであるけどな」
先代魔王は空を――うっそうと生い茂った木々の隙間から、空を見上げた。
……すでに日は暮れ始めている。
世界は、赤く染まっていた。
後ろから赤い光を受けた先代魔王の影が、勇者の足下まで伸びている。
逆光になって、先ほどまで見えていた彼の顔が、よく見えない。
「……ずいぶんと娘によくしてくれてるらしいじゃねーの」
少しだけトーンの下がった声で、先代魔王は言う。
勇者は首をかしげた。
「普通にしてるだけだぞ」
「……ま、お前はそういうヤツだよな。……でもさ、娘にさ、俺を会わせてやりたいとか、そういうこと言い出したりするかなと思って、いちおう聞いたんだよ」
「別に。お前が自分で死にたくて死ぬなら、好きにしたらいい。俺はもうお前を殺さないけど、死ぬお前を止める気もないぞ。……俺には難しいけど、たぶんそれを、お前は必要だと思ったんだと思うから」
勇者は己が『考えること』に不向きだと考えている。
だから、他者の考えに――他者がきっと、一生懸命、葛藤し、歯を食いしばりながら下したであろう決断に、口を挟むことはしない。
先代魔王は――
逆光の中で、笑う。
「お前のそういう性格、ほんと草」
「……草?」
「ああ、『笑える』とか『面白い』とかそういう意味の――たぶん、ここじゃない世界の言い回しだ」
「ここじゃない世界? 女神の故郷か?」
「神界でもなくって、なんつーの?」
先代魔王はしばし沈黙する。
それは、言い回しを考えているというよりは、『照れくさくてなかなか言えない』といった様子の沈黙に思われた。
「――異世界」
先代魔王はようやく口を開く。
そして――
「たぶんオレは、異世界転生者なんだと思う」
自信なさげに、そう言った。
◆
「昔すぎなんだよなあ」
先代魔王は、丈の長いローブの裾を踏んで、地面に座った。
手にした杖で正面を叩く。
『座れ』ということだろう。
勇者は従い、
「昔すぎ、ってなんだ?」
「オレ、こう見えてお前の十倍以上生きてるからね」
「そうなのか」
「そうそう。……お前、昨日の晩飯覚えてるか?」
「GYU-DON」
「……わかった。オレが悪かった。えーっと……去年の今ごろ、なにしてたか覚えてるか?」
「お前の軍勢と戦ってた」
「もっと細かく」
「西方第三砦の攻略中で、屋内にいたから自信ないけど、たぶん今ぐらいの時間は――」
「わかった。オレが悪かった」
「……なんでお前が悪いんだ?」
「……普通はな、去年の今ごろなにしてたとか、そういうのは思い出せないんだわ」
「そうなのか」
「お前、記憶力いいよな……」
「記憶力は神の儀式で奪われてないからな」
「……なに奪われたんだっけ」
「『名前』『強い感情』『思考力』それから――」
「わかった。オレが悪かった」
「……お前、悪いやつだな」
「魔王だからな。……えーっと、話は逸れたけどさ。……去年のことさえハッキリとは覚えてねーようなオレが、二百年とか三百年前の、生まれる前の世界のことなんか覚えてるわけねーじゃん?」
「そうかもしれない」
「……だからさ。異世界から来たし、異世界のものとしか思えないような、かすかなイメージ? 記憶とも呼べないようなおぼろげな光景? みたいのは覚えてるんだけど、それが本当の『前世の記憶』なのか、『昔聞いた物語とかから想像した光景』なのか、ハッキリしないんだよ」
「そうなのか」
「……そうなんだけど……お前、とっておきの話をする相手としては向いてないな!」
先代魔王は笑った。
勇者はよくわからなくて首をかしげる。
「俺は聞き役には向いてるってよく言われるぞ」
「静かだからだろ。俺がほしいのは、リアクションなんだよ。わかる? リアクション。異世界転生者とかいうとんでもねー秘密打ち明けてんだから、ちょっとはなんか、ない?」
「なにしてほしいか具体的に言ってくれたら、その通りするぞ」
「そうじゃねーよ!」
「……難しい」
「わかった、わかった。多くは望まない。……まあ、アレだ。つまりだな! 異世界転生者っぽい感じはするんだけど、記憶は薄いし、異世界転生者ならではの得とかは別にないし、記憶に自信がないって話だよ!」
「それは聞いた」
「だぁー!」
先代魔王は杖を地面に打ち付けた。
勇者はやっぱり首をかしげる。
「どうした? なにかの儀式か?」
「……いや。いや……戦いを挟まずお前と話すの、非常に疲れるな」
「俺は悪いか?」
「…………悪いとすれば、お前から色々奪った連中なんだろうな」
「でも、その代わり、『飛び道具に当たらない加護』とか『敵意を感知できる加護』とか色々もらったぞ」
「完全にお前を尖兵にする気でやってたことじゃねーか。……オレより前の魔王……まあ、オレのお袋なんだが……そのころの魔王との戦いで、勇者が常に『殺戮装置』扱いされてた理由がわかったわ。『勇者』ってのは『魔族を倒す英雄』じゃなくて『人類が魔族を倒すために用意したシステム』の名前なんだなって」
「……つまりなんだ?」
「なんでもねーよ。なんでもーねんだ。……とにかく、オレはそういう感じなんだ」
「だからなんだ?」
「だからなんだと言われても困る。お前に『雑談』っていう概念はねーのかよ」
「………………」
「悩まれても困るわ」
杖で小突かれる。
勇者は避けられたが、殺意がない攻撃なので避けなかった。
そして唐突にひらめいた。
「……ん、わかったぞ。そうか、先代魔王、お前、雑談をしたかったのか」
「まあ雑談ばっかりでもねーけどさ……気持ち悪いじゃん? 秘密を秘密のまま抱えて死んでいくのって。すっきりしねーじゃん」
「じゃあ、俺に言ってすっきりしたか?」
「……いや、しねーな。けっきょく、オレは、オレが何者なのか、わからないままだ」
「先代魔王だろ?」
「そういう意味じゃない。もっと読み取って」
「………………先代魔王ではあるだろう?」
「あるけども。そうじゃねーんだよ。そこじゃねーんだ。どうしようこの会話。オレはひょっとして壁に向けてしゃべってんのか? ひどい手応えのなさだぞ」
「俺は人間だぞ」
「知ってるよ」
「でも、今、壁って」
「お前極度にめんどくせーな! 知ってるよ! お前は人間だよ! バーカバーカ!」
「……よくわからない。つまり先代魔王、お前はなにが言いたい?」
「なんにも言いたくねーよもう!」
「そうか。じゃあな」
「待って」
立ち上がりかけた勇者の足を、先代魔王がつかんだ。
勇者は仕方なく腰をおろしなおす。
「なんにも言いたくないんじゃなかったのか?」
「………………待ってくれ。オレは今、疲れ果ててる。少しだけ言葉を整理する時間をくれ」
「わかった」
「……」
「…………」
「………………」
「……………………」
「…………よし、わかった。そうだな、オレはたぶん、迷ってる」
「そうなのか」
「そうだ。……たぶんな、GYU-DON――アレは、オレが昔いた世界にもあった食べ物なんだと思う」
「そうなのか」
「ああ。で、食べたらきっと、少しだけでも、オレは、オレの前世について思い出し――自分が何者だったのか、確信を得ることができそうな気がするんだ」
「じゃあ食え」
「まあ待てよ。そこが『心』ってのの難しいところでな。GYU-DONを食べることによって前世を思い出したい――オレが前世どういう人物で、どんな使命を抱いてこの世界に生まれたかを知りたいっていう気持ちはある。一方で、前世を思い出すことで、生きることに未練が出るのは怖ろしいんだ」
「じゃあ食うな」
「瞬時に結論を出すんじゃねーよ! 迷ってるって言ってんだろ!」
「そもそも食べてないのか? 俺はけっこう持ってきたぞ」
「だから、迷いがあってな。……食べようかどうしようか悩んでた。そんで、今になる」
「食べたいのか、食べたくないのか、どっちなんだ」
「自分でもわからないから『悩み』なんだろ! どっちかわかったら苦労しねーよ!」
「それはおかしい」
「いや、お前に『おかしい』と言われるのは釈然としない」
「釈然としなくても、おかしいものは、おかしい。メシを食いたいかどうかなんて、悩むことじゃない」
「でもなあ」
「腹に聞け」
「……」
「腹が減ってたら、食えばいい。減ってなかったら、食わなくていい。なぜ悩むのか、わからない」
「……お前はほんと、心の細かな機微のわかんねーやつだなあ」
「そんな難しいものはわからない。でも……」
「なんだよ」
「お前は俺に相談した。だから、俺は、俺の答えを言った」
「……」
「俺は腹が減ってれば食うし、減ってなければ食わない。当たり前のことだ。悩む理由が、わからない」
勇者は首をかしげながら言った。
……本当に、なんにも、わからない。
あるいは、過去の――なにも奪われていなかったころの自分なら、一緒になって悩めたのかもしれない。
それができないことが、悲しいのか、それとももっと別の感じ方をすべきことなのか、それさえわからない。
だから勇者は、今の自分が出せる答えを出した。
それだけしかできないから、力いっぱい、そうする。
「腹減ったか?」
勇者は問う。
先代魔王は、笑う。
「お前は本当に……ああ、わかった。わかった。そうだな……腹減ったな」
仕方なさそうに。
降参したように。
「GYU-DON食うよ。食わせてくれ」
かすかな笑みで、そう言った。




