61話
その円盤状の平べったい料理を見た時、勇者は最初、引っかかりを覚えた。
既視感、というのか。
どこかで見たことがあるような、ないような、そういう感覚。
しかし――『ピザ』。
それは間違いなく勇者にとって未知の料理であるはずだった。
香り。
香ばしく、酸味がある。
彩り。
キャンバスのように真っ白な上に、様々な色合いの具材が乗っている様子は、カラフルで面白い。
味は――まだわからない。
けれど現時点で得られる情報だけでも、『今まで食べたことがない』という事実だけはわかる。
だというのに――
このにぎやかな感じを、勇者はどこかで見たことがあるような気がしたのだ。
「えーと、あのー……すいません、こういう役目は初めてなもので、非常に緊張しているんですけれども……」
女神の声に、勇者は『壇上』の方向を見る。
短い草の生い茂った丘の上。
昼の日差しを受けたこの屋外にある場所で、立食パーティーが開催されているのだ。
あたりには整然とテーブルが並べられ、その上には『ピザ』がたくさん乗っている。
大人、子供、人型、人に見えないかたち、様々な魔族がいて、彼らはみな、壇上に注目していた。
急造の舞台。
そこには、女神と、魔王がいる。
勇者のいる場所はずいぶん端っこなものだから、女神も手のひらにおさまりそうなぐらい小さく見えるけれど、声を聞くのにも、表情を見るのにも、勇者ならば支障はなかった。
女神は緊張しているようだ。
だからか言葉は途切れ途切れで、なかなか進まない。
「あのですね、今回、色々な方々に材料や技術を提供していただいて用意した料理は『ピザ』と言いまして……えっと、切り取り線が入っていると思うので、そのかたちに従って、手でちぎって食べていただくものです。扇形になると思います」
それはまあ、食器が用意されていないのだから、なんとなくわかる。
並べられたテーブルの上には数々のピザが乗っているけれど、そこにはナイフもフォークもなく、ただ取り皿があるのみなのだ。
「『ナポリ』や『シカゴ』など、土地によって……ええと、この世界の地名ではないんですが……土地によって様々な種類がありますけれど、今回は……手軽に食べられる、パン系の生地の、厚すぎず薄すぎないピザになりました。デリバリーとか冷凍食品でよく食べられる感じの……まあ、はい。異世界では一般的なものです」
厚すぎず、薄すぎない――
そうは言うが、勇者の目の前にあるピザは、そこそこ分厚いように見えた。
だが、よくよく見ると分厚いのは外周部だけで、内部はそこまでの厚さでもないことがわかる。
「分厚い部分……『耳』を持って食べていただくと、手が汚れにくいかなあ、なんて思います……あの、このぐらいで大丈夫でしょうか? 冷めてしまうとあんまりおいしくないので、チーズが固まらないうちに……あ、でも、最後に! ピザ生地やチーズ、その他オーブンをふくめた調理工程で、集落のみなさんの多大なるご助力があったことを感謝いたします! ピザのために普段と違う生地やチーズを創造してくださった魔族の方々、また、材料の提供をしてくださった方々、ありがとうございました! では魔王さん……」
「いただきます!」
魔王が待ってましたとばかりに号令する。
長らく『おあずけ』をくらっていた勇者は、早速目の前のピザに手をつけた。
女神の解説通り、『耳』の部分を持つ。
そして、一気に引きちぎった――
――はずだった。
「……切れない!?」
勇者はおどろく。
そう、ピザは切れないのだ――伸びた。びよーんと、チーズ部分が、伸びたのだ。
丁寧に引きちぎろうとピザを引っぱるけれど、チーズ部分は頑固でなかなか切れてくれない。どこまでもどこまでも伸びていく。
――どうしよう、食べる前から、だいぶ楽しい。
勇者はこのままずっとチーズを伸ばし続けたいような気分になりかけたが、女神の言葉を思い出す。――そう、『冷めてしまうとあんまりおいしくない』らしいのだ。
勇者は糸を巻くようにチーズをピザに巻き付けていき、ようやく、本体からの分離に成功した。
そうして、かぶりつく。
まずは覚悟通り、歯茎をかなりの熱さが襲う。
大丈夫、今までどんなに熱いものだって食べてきた。このぐらいはまだ許容範囲だ――
最初はそう思っていた。
だけれど、すぐに覚悟量が足りなかったことを思い知らされた。
ピザの熱さは、違うのだ。
今までだって数多くのアツアツ料理を食べてきた。ヤケドさせられそうになったことは少なくないし、口に入れたあとしばらく呼吸で冷まさないと咀嚼できないようなものだって、いっぱいあった。
けれどピザは未だかつてない熱さだったのだ。
単純に温度が高い、というだけの話ではない。
そう、アツアツのねっとりしたものが、歯茎にからみつく。
チーズ。
先ほどよく伸びる姿を見せてくれたチーズが、歯茎にからみつき、すごく熱い!
それでも勇者は一度口に入れたものをはき出すなんていうことはしない。
もうこなればヤケだ――そう思って、一気にピザを半分ほど口の中に押し込み、噛みちぎった!
サクッ!
やや厚めの生地はよく焼けていて、そんな香ばしい音を立てる。
同時に、やっぱり、チーズのアツアツねっとりした感触。
そして――もう一種類、歯ごたえを感じた。
野菜だ。
ピザの上に乗せられていた、緑色の野菜。
薄い輪切りにされ、チーズの上で香ばしく焼けていたそれが、生地、チーズと並び立つ小気味よい食感を生み出しているのだ。
この野菜はなんだ――
そう思っていると、ちょうど、女神が勇者のそばに帰ってきた。
「ふう、緊張しました……女神の立場で魔族の親睦会の料理説明をするとは思ってもいませんでしたよ……」
「女神、ピザの具はどういうものなんだ?」
「あ、はい。ええと……あ、勇者様が召し上がっているのは『ミックスピザ』ですね。魔族のネーミングは『黄昏過ぎたる』系でとても長いので短い名称で言いますと、『ピーマン』『オリーブ』『コーン』『ハム』……に、似たものを利用させていただいています」
「この緑のは?」
「ピーマンですね。黒いのがオリーブ、黄色いつぶつぶがコーン……は、サラダに入っているからわかりますね。ハムはまあ、ハムです。この世界にもよくある肉の塩漬けですね」
ピーマン。
この焦げ目がつけるほど焼けていて、サクサクした食感まであるくせに、内部には未だ水分を閉じ込めたままの野菜は、そういう名前らしい。
手に残ったピザにかぶりつく。
生地、チーズ、ピーマンの三段構えのサクトロサクという食感。
生地はやや甘くて、チーズはしょっぱい。
そこに噛めば噛むほどあふれ出す、ややほろ苦く、少しだけ青臭さのある味わい――ピーマンの味が、とてもよく合うのだ。
もちろん他の具材だって、よく合う。
コーンのつぶつぶ食感と噛むとほのかに香る特有の甘みは、生地の甘さと合わさり、チーズとからまって、素朴で懐かしい感じのうまみを演出している。
ハムのうまさは今さら言うまでもない。
肉は好きだ。表面がカリッとするまで焼けた薄いハムならば、嫌う方が難しい。
そして肉とチーズのコンビネーションはもはや無敵と言える。うまみ、塩み、酸味――重ねれば強すぎて舌を刺すようなこれらの味を、生地の優しい甘さがふんわりとなだめていて、とてもおいしい。
不思議な香りはオリーブのものか。
しょっぱいでもなく甘いでもなく、さりとて辛いわけでもない。
酸っぱいと言えば酸っぱいのかもしれないが、味わいよりも、オリーブの長所はこの独特な『香り』だろう。
噛みしめればあふれだすのは『果汁』と呼びたくなるものだ。
オリーブの『果汁』は、ピザ全体の味になんとも言えない、食べる者を飽きさせないような『もうひと味』を与えてくれる。
ひとつひとつに着目しても、もちろん、おいしい。
だけれどピザの醍醐味は、それら個性的な具材すべてが混じり合い、互いに味を高め合っていることだろう。
噛みしめればあふれ出す強いうまさ――ハム、チーズ。
それらが舌を刺すころに感じる、ほろ苦さ――ピーマン。
プチプチとチーズに混ざったコーンは、塩みと苦みで疲れそうな舌を癒やしてくれる。
オリーブの香りがバラバラになりそうなすべての味を包みこみ、調和させ――
最後に生地のふんわりした甘さが、なんとも言えない優しい後味となって、口の中に香る。
噛みしめ、味わい、最後に耳を口の中に押し込む。
口いっぱいにピザをほおばり、もむもむと咀嚼して、飲み込む。
たったひとピースのピザ。
だけれどコース料理を食べたほどの満足感。
……なのに、一枚飲み込むころには、すでに、次の一枚に手が伸びている。
「うむぁい」
勇者は『うまい』と言ったつもりだった。
けれど口の中にピザが入り続けているので、うまく言葉にならなかった。
すぐそばで、女神は苦笑し――
「魔族の方々が芸達者で助かりました。ピザは色々と複雑な条件をクリアしないといけなかったので……特に『生地作り』『焼くと伸びるタイプのチーズの確保』『実際に焼く工程』の三つの難易度が高かったので、集落の魔族さんたちと協調しなければ作れなかったと思います」
「人が増えるとうまいものが増える。いいな」
「そうですね……この集落のリーダーである名付け師さんがいなければ実現はなかった……って、あら?」
女神がキョロキョロと親睦会場を見回す。
そこでは、様々な魔族たちがピザを楽しむ光景が見えた。
大人もいて、子供もいる。
人型も、そうでないのも、いる。
勇者の家で暮らしていた牧場長やマンドラゴラ屋、漁師などが、他の魔族に囲まれて『勇者の家での暮らし』の話をせがまれている姿も見えた。
だけれど――
「名付け師さんがいませんね? ……もったいつけていたわりに、意外とアッサリ出てきたので、普通に親睦会に参加しているものと思っていたんですが……」
「……そいつはひょっとして、ドクロのついた杖を持って、フードで顔を隠したローブ姿の男か?」
「そうですけど……勇者様、ごらんになられたので?」
「ミノタウロス牧場から家に帰る時、そいつが家の方から歩いてくるのが見えたんだ」
「そうだったんですか。……しかし魔族の集落の代表者っぽい方が親睦会に参加していらっしゃらないのは、ちょっと心配ですね」
「俺が捜してくる」
勇者の申し出に、女神はおどろいた。
だって――
「勇者様、ピザを一枚しか食べていらっしゃいませんよね? まだ勇者様的には食べ足りないのではありませんか? ミックスピザ以外にも色々あるのに……それなのに食卓を離れるなんて……」
『一切れ』ではなく『一枚』であるが……
勇者には珍しい――というか、ありえないことだと女神には思えた。
彼の表情はあいかわらずぼんやりしたもので、内心がうかがえない。
「……あ、ひょっとして、居心地が悪かったり……? 魔族の中に、勇者が一人ですからね……そういえば、このテーブルに魔族の方はいらっしゃいませんし……」
「俺は別に居心地悪くないぞ。ここに魔族がいないのは、俺がよく食うからだ」
「……ええと」
「女神には黙っていたけど、魔族の集落で何度かおやつをごちそうになったことがある」
「そうだったんですか?」
「ああ。その時にいっぱい食べたから、俺はいっぱい食べる人だと思われてるんだ」
「……つまりこのテーブルにある量であれば、どうせ勇者様が全部食べ尽くすだろうという予想のもと、誰も寄りついていないと……」
「そんな感じだ」
「なるほど」
納得しかできない。
長いテーブルの上には残り六枚のピザが乗っているが、ピザ六枚程度、勇者の胃袋であれば五割の力もいらないだろう。
「とにかく探しに行くぞ。俺がいないあいだ、このテーブルのピザはたぶん魔王とかが食べる」
「よろしいんですか?」
「魔族の親睦会だからな。魔王が主役だ。主役にはおいしいものをゆずるのが、孤児院にいたころからのルールなんだ」
「はあ、そうおっしゃるのでしたら……」
とは言いつつも、勇者の態度から感じられる不審さをすべて払拭はできない。
食卓を離れたがっている――というか、名付け師を捜しに行きたがっているような、そういう意思が、なんとなく見える。
だけれど女神はそれ以上引き留めないことにした。
勇者には勇者の考えがある。……彼が食べ物を人にゆずるならば、よほど強い意思や、深い考えがあってのことだろう。
「じゃあな」
「あ、心当たりはあるんですか?」
「たぶん道案内妖精が案内してくれる気がする」
「……え? そうなんですか? ……そういえば、彼女も親睦会にいませんね。というか、ここ最近、ふらふらとどこかに出かけて戻ってこないことが多いというか……」
「あいつはそういうやつだ。……じゃあな、女神。ゆっくりしてくれ」
「は、はい。お気を付けて」
勇者が歩き去って行く。
女神はしばらくその後ろ姿を見つめていたが――
「女神! 女神! こっち来て!」
魔王に呼ばれて、視線を切った。
――その一瞬で。
勇者は始めからそこにいなかったかのように、消え失せていた。




