6話
出発は朝だったのに、到着したのは、夕方ごろだった。
女神と魔王の娘を引き連れた勇者パーティは、ようやく『ミノ牧場』にたどりつく。
ちなみに距離があったり、道行きが困難だったりしたわけではない。
たどり着いてみれば家から見えてもおかしくない程度の距離だが――
唯一道を知っている魔王の娘が、道を覚えていないうえに、方向音痴だったのだ。
その魔王の娘は今、勇者に背負われてぐったりしている。
「……体力ないですね」
思わず女神はつぶやいた。
勇者の加護をしていた都合上、勇者の行いは、女神が寝ている時と、検閲により閲覧不可能な風呂トイレなど以外だいたい見てきたのだが……
魔王と勇者の戦いも、見た。
その魔王の娘が、あんまりにも情けない。
女神は思わず変な顔で笑った。
「私なんてサンダルなのに……」
女神はサンダルしか履いてはならないという決まりがあるのだ。
そのせいで、野草が足にチクチクささってとてもかゆい。
魔王の娘はひどく重篤な病にでもかかったかのような、死にそうな顔をしていた。
そして、息も絶え絶えに言う。
「ハッハッハ……どうだ、すごいだろう……」
たぶん人の声が聞こえないほど衰弱していた。
弱すぎる。
さておき――元気だったころの魔王の娘が語った情報によれば、目の前に見えるコレがミノ牧場に違いないはずだった。
しかし、女神は疑問を覚える。
彼女の中にある『牧場』というのは、木製の柵で囲われた、だだっ広い草地というものだ。
実際、人族の側の牧場はそのようなデザインになっているし、勇者だって、そう思っているだろう。
しかし目の前のミノ牧場は――
「……迷宮ですね」
「迷宮だな」
――野草生い茂る荒れ野に突如出現した巨大な箱形建物だ。
扉はない。
外から見える内部は非常に暗くて、よく見えない。
それでも、狭苦しさとか圧迫感とかまがまがしさは、充分に伝わってきた。
「……ミノタウロスは迷宮で育てないとストレスで死んでしまうのだ……」
魔王の娘が死にそうな声で言う。
こんな場所だと逆にストレスがたまりそうだったが、魔王領の生き物を人の基準で考えてはならないのだろう。
女神はこれからここに挑むと思うと暗い気持ちでいっぱいだった。
留守番してればよかったなあと思う。
勇者は迷宮を見ていた。
そして――
「……魔王を倒して、魔族もほとんどいなくなったから、ミノとかの魔物も世話する人がいなくなって減っていく……そう考えるとかわいそうだ」
などと、後悔するような言葉をつぶやいていた。
なんとも声をかけづらい。
各々が各々の事情で、迷宮前で固まる。
そこに――
「こ、こらあ!」
幼い少女のような、甘く、高く、そして微妙におどおどした――なぜか語尾が上がった声がとどいた。
勇者と女神が、声の方向を振り返る。
そこにいたのは――
体にぴったりとした、要所だけを隠すような露出度の高い服装で、鞭を持った少女だった。
髪は燃えるような赤だ。後ろは短いが前髪は長く、片目が隠れていた。
頭の左右からは立派な角が生えている。――人族、ではない。
おそらく魔族だろうその少女は、鞭を両手で持ち、内股でプルプル震えながら、言葉を続ける。
「ウチの牧場になにするつもりだす!?」
変わったイントネーションで話す子だった。
全体としては語尾が上がり気味なのだが、なんというか、アクセントが勇者や魔王の娘、女神などと違い――一言で言うと、なまっている。
黙って無表情でいればクールささえ感じる容姿のはずだが、プルプル震えている足と、気弱な表情と、イントネーションの妙な話し方のせいで、かわいらしくさえ、感じる。
露出度の高い格好も、おしゃれなのか服がないだけなのか、わからない。
ともあれ――
勇者が反応した。
「ここ、お前の牧場か?」
「そうだす! ウチの牧場だす!」
「お前、名前は?」
「名前はないだす! ウチは『牧場長』の二代目だす!」
やはり魔族らしく、役割が名前になっているようだった。
勇者と女神は顔を見合わせる。
それから、勇者が口を開く。
「そうか。俺は勇者だ」
「勇者!? 死んだはずでねえんが!?」
「生きてるぞ」
「こ、こ、こんな場所まで来るとは、ウチの肉が目的だすか!? ウチのミノ肉は魔王さまに献上するもんで――魔王さまでねぇが!?」
牧場長が、勇者の背中でぐったりする魔王の娘を発見したようだった。
魔王さま――魔王の娘自身は自分を二代目だとか娘だとか位置づけているようだったが、魔族からすると、すでに彼女が魔王の扱いのようだ。
「ま、ま、ま、魔王さまになにしただす!? 親子二代にひどいことしたうえ、ウチの肉まで奪うだすか!? ゆ、許さねえだすよ! 魔王さまはともかく、ウチの肉にまで手ぇ出したら、コレもんだす!」
ビシィ、ビシィ、と鞭を振り回す。
腰が完全に引けていて、今にも崩れ落ちそうだし、涙目だし、先ほどから生まれたてのミノのように震えているしで、見ていてかわいそうになってくる。
うっかり『魔王さまはともかく』とか魔王より肉の方を大事にする発言があったものの……
混乱しているだけだろう。たぶん。
「とにかく、ウチのかわいいミノどもには手ぇ出させねえだす! 覚悟――あわ、あわわ……足が動かねえ……!? ふ、震えちまって……」
空回りすぎだった。
このまま見ていればずっと一人で踊り続けそうだな、と女神はなんだか冷静に思う。
そんな状況に終止符を打ったのは――
魔王の娘だった。
「落ち着くのだ……牧場長よ……」
「魔王さま!? 生きてたんだすか!?」
「ハッハッハ……我は死なん……ただちょっと歩き疲れただけだ……」
「嘘だす! 歩き疲れただけでそんな、明日死ぬみたいな感じにはならねえだす! 絶対勇者になにかされたんだす!」
「牧場長よ……一度しか言わんから聞け……」
「なんだすか!?」
「黙ってわたしの話を聞くのだ……疲れてるから……ほんとに……歩きすぎて、しゃべるのもつらいから……ほんと黙って、聞いて……」
「あ、はい」
牧場長は静かになった。
魔王の娘は、静かに語り始める(疲れているので)。
「勇者は……わたしを……ぐふぅ」
「魔王さまァァァァ!?」
「……いや、大丈夫だ……お腹が減ってな……勇者は、わたしを……世話しているのだ……わたしは、勇者に育てられる……だからとにかく、勇者に敵対するな……勇者への敵対はわたしへの敵対だと思え……」
「けども!」
「反論するな……とにかく納得しろ……疑問は回復したら答えるから……」
「あ、はい」
「そういうわけで……ミノ肉を分けろ……お腹が空いて動け、な……ぐふぅ」
「魔王さまァァァァ!?」
「『みのたん』が、食べたい……」
そう言い残して、魔王の娘は意識を手放した。
よく気絶する子だな、と女神は思った。
さておき――
事情はわかっていないのだろうが、魔王の言葉はとりあえずわかったらしい。
牧場長がおずおずと近付いてくる。
「……魔王さまの遺言だす。ミノ肉を分けるだす」
勇者からぴったり五歩分の距離で止まり、牧場長は言った。
ちなみに彼女が『魔王さま』と呼んでいるのは勇者が背負っている魔王の娘であり、まだ死んでいない。
ともあれ勇者はうなずく。
「楽しみだ。ミノ肉は食べたことない」
「魔王さまが食べたがってた『みのたん』は、ミノの舌部分の肉だす。厚切りにして焼くとうまいんだす」
「楽しみだ」
「ただ――問題があるんだす」
牧場長は表情をかげらせる。
勇者が首をかしげた。
「なんだ? 俺が解決するぞ。俺はうまいもののためならたいていなんでもするんだ」
「ウチのかわいいミノどもは迷宮の最奥の小部屋で、のびのび暮らしているんだす」
「のびのびできなさそうだな」
「ストレスを減らすことで肉を硬くしない育成方法だす。ミノは狭くて暗いとこが好きで、空とか見たらストレスで死ぬんだす。特別な訓練をした『闘ミノ』以外は……」
「それで、問題はなんだ?」
「ミノは迷宮の奥なんだす」
「それは聞いた」
「ウチは道順を知らないんだす」
「お前、牧場長じゃないのか?」
「人との戦争でまともに引き継げないまま、とうちゃんが死んだんだす」
「そうか、ごめん」
なんだろう、妙に軽い。
勇者の面持ちはいたって真面目なのだが、言葉選びがへたくそすぎた。
「牧場長の役割は『うまい肉を育てる』『魔王に従う』『戦ではミノタウロス部隊を率いて人に倒される』だす。別にそれはいいんだす。でも、迷宮の地図はとうちゃんの頭にしかなかったんだす。ウチじゃ奥までたどりつけないだす」
「中のミノは大丈夫なのか?」
「ミノは小食で、滅多にものは食わねえんで、大丈夫だす。ただ……」
「ただ?」
「ミノは迷宮奥にたどりついた生き物を餌だと思って食う習性があるんだす」
「……前の牧場長はどうやって肉を卸してたんだ?」
「そりゃもう、サッと行って、サッと必要な分だけシメて、サッと帰ってくるんだす。牧場長はミノの集団を視線で威圧できねえと話にならねえんだす。一対一ならミノを瞬殺できるぐらい強いんだす」
「魔族はすごいな。人族の牧場長は、だいたい育てている家畜より弱いぞ」
「どうやって家畜をシメるんだすか?」
「……そういえば知らない。俺なら家畜を油断させてスキを突くけど」
「人族は情けないだす! そんな卑怯な勝ち方するなんて、家畜への愛情がない証拠だす!」
「それでお前はミノをシメることができるのか?」
「……修行中だす」
「わかった。じゃあ、俺は迷宮の奥にたどりついて、ミノをシメて帰ってくればいいのか?」
「そうだす。でも全部はとったらダメだす。最低二頭は残しておかないと絶滅するだす」
「オスとメスか? 俺じゃ見分けつかないぞ」
「大丈夫だす。ミノはオスしかいないだす」
「どうやって増えるんだ?」
「オスとオスで増えるんだす」
「そうか」
勇者は興味がないらしかった。
女神は興味があったが、ここは黙っているべきだろうなと大人の判断をした。
勇者は視線を迷宮へ向ける。
そして――
「じゃあ行くか」
「ウチもついて行くだす。後ろからオメェらのこと見張ってるだす。ウチのミノに変なことしたら承知しねえだす!」
「後ろから見張ってどうするんだ?」
「変なことしそうになったら、ムチで叩くんだす!」
「俺は魔王の娘を背負ってるから、後ろからムチで叩かれたら魔王の娘に当たりそうだぞ」
「叩く時は言うから、ウチの方向くだす」
「わかった」
「まだオメェらを信用したわけじゃねえがらな! 魔王さまのお言葉だから肉を分けるだけだす! 魔王さまはどうなってもいいけんど、ミノに変なことしたら許さねえだす!」
「わかった」
「さあとっとと行くだす! 迷宮内ではウチに頼ろうと思うんじゃねえだすよ! ウチは頼られてもなんも知らねえから困るだす!」
「わかった」
「でも迷宮の道順を覚えさせてくれたら感謝はするだす! 今のうちにどんなお礼がほしいか考えておくだすよ!」
「わかった」
「ささ、ボサッとしてねえでサッサと行くだす! ウチもしばらくまともな食事をしてねえんだす! ミノ肉手には入ったらご相伴にあずかるだす! ミノ料理なら得意だす! オメェらにもたっぷり食わせてやるからなあ!」
ビシィ! と牧場長が地面にムチを叩きつける。
言葉と語調と行動が合ってないな、と女神は思った。