54話
「ほう! これは『黄昏過ぎたる宵闇の暗澹たる世界に舞い降りし奇跡の果実』だな!」
「えっ、なんて?」
「『黄昏過ぎたる宵闇の暗澹たる世界に舞い降りし奇跡の果実』! オヤツにもなるしご飯にもなるんだぞ!」
台所で『じゃがいも』を見た魔族たちは大はしゃぎであった。
『黄昏過ぎたる宵闇の暗澹たる世界に舞い降りし奇跡の果実』――長いから『じゃがいも』でいいと思う――は、魔族の話だと、どうにも一般家庭で普通に食べられる物体のようである。
だが、はしゃがれても困る。
甘いものの人は、『じゃがいも』の満載された麻袋を囲んで踊る子供たちの中から、とりあえず魔王の娘をつかまえて、話を聞くことにした。
「ちょっとちょっと、魔王の娘さん、いいかしら……?」
「もう娘じゃないぞ! 魔王になったんだ! な、勇者!」
魔王の娘が、赤い瞳で、台所の入口側を見る。
そこには勇者が壁を背にして腕を組んで立っていた。
相変わらずぼんやりした印象の青年である。
その表情は『なにを考えているかわからない』と王城では評判だったが、あの表情の時はなにも考えていないか食べ物のことを考えているのだと、甘いものの人は知っている。
そして今は――
「そうだな。お前は魔王だ。それよりも、その『黄昏過ぎたる宵闇の暗澹たる世界に舞い降りし奇跡の果実』はどうやって食うんだ? うまいのか?」
――やっぱり食べ物のことを考えていたようだった。
魔王の娘――改め、魔王はちょこちょこと歩いて勇者に近付いていく。
「勇者も興味があるか! この『黄昏過ぎたる宵闇の暗澹たる世界に舞い降りし奇跡の果実』はな、すごいんだぞ!」
ある程度近付いてから、魔王は腰に手を当てて足を肩幅に広げ、平べったい胸を反らしてドヤ顔をした。
魔王の娘はマントとシャツのみ着用でスカートやズボンをはいていないので、足を広げるとシャツが持ち上がってしまい、横で見ていた甘いものの人はハラハラした。
「なんとだな、この『黄昏過ぎたる宵闇の暗澹たる世界に舞い降りし奇跡の果実』は――生だと毒があって食べられないんだ!」
「……毒があってもうまければ食うぞ?」
「ゆ、勇者はそれでいいかもしれないけどさあ……わたしたちはほら、毒を食べない派だし」
「そうか。じゃあ、どうやって食べてたんだ?」
「なんと、ゆでたり『ふかす』ことで、おいしく食べられるんだ!」
「うまいのか」
「ホクホクだぞ!」
「ホクホクか」
「今日の夕食……はカレーだから、カレーのあとおやつにふかそう!」
「おう。いつでもいいぞ。俺は食べ物の受け入れ準備ならいつでもできてるんだ」
「さすが勇者だな!」
「おう」
魔王と勇者はハイタッチした(魔王の背が低いので、勇者にとってはミドルタッチぐらいだろうか)。
会話の流れが独特で、横から見ていると『なぜそこでハイタッチをするのか』がわからない。
あっけにとられていたが――
甘いものの人は、使命を思い出す。
「魔王さん、それで、黄昏過ぎ……えっと、『これ』は、どうやったら増殖しなくなるの?」
「普通に置いておいたら全然増えないぞ?」
「でも、『これ』が大量増殖したせいで、王都はちょっと大変なのよね……道を歩けば『これ』にぶつかるって感じで……」
「んー……あ、ひょっとして『天高きところよりこぼれし慈愛深き者のしずく』と一緒に置いたりしたのか?」
「ごめんなさい、なんですって?」
「『天高きところよりこぼれし慈愛深き者のしずく』! 『黄昏過ぎたる宵闇の暗澹たる世界に舞い降りし奇跡の果実』専用の肥料なの! 液体の……なんか細くて小さい緑の瓶みたいなのに入った……」
「さあ……そこまでは……ただ、魔王領から奪った品物は、なんでもかんでも王城の保管庫に詰めこんだようだから、一緒に置いてしまった可能性はあると思うわ」
「そうなのかー。とにかく、『黄昏過ぎたる宵闇の暗澹たる世界に舞い降りし奇跡の果実』は『天高きところよりこぼれし慈愛深き者のしずく』を浴びせない限り増えないぞ。まあ、浴びたあとは、なんもしなくても、しばらく増え続けるけど……」
「どのぐらい?」
「一週間ぐらいかな……」
「……だったら、そろそろおさまるころね。ちょうどよかったわね、増殖の心配なく食べられる時期だったみたい……まあ、お腹の中で増えられても凄惨だから、念のためもう少し食べるのを待ってほしいけれど……」
「別に増殖なんて『芽』をとったら止まるぞ?」
「そうなの!?」
求めていた答えがアッサリ転がり込んできた。
仲間うちでは冷静沈着で通っている甘いものの人もさすがに声を大きくする。
「え、なんでおどろくの……? だって植物だし、芽をとったら増えなくなるのは当たり前だろ?」
「そ、それはそうなんだろうけれど……」
言い出したら、『そもそも異常増殖としか表現できない増え方をする植物は当たり前なのか』というところに行き着く。
そのあたり言い出しても魔王が困るだけの気がしたので、甘いものの人は沈黙した。
大人の配慮である。
「……とにかく、『じゃがいも』は置いていって大丈夫そうね?」
「持って帰るつもりだったの!?」
魔王が捨てられた子犬みたいな顔をしていた。
食べ物関連で感情を揺さぶられすぎである――横にいる勇者も似た顔をしているので、この二人は本当に似ているな、と甘いものの人は思った。
苦笑しかできない。
「ええ、その、まあ……危険物だったら置いていくわけにもいかないでしょう? だから、増殖への対策を聞いて、持ち帰るつもりだったのよ。大量に持ってきたのは……少しでも王都の外に捨てないと王都が滅ぼされると思ったからで……」
「捨てるなんてとんでもない! これははるか昔、魔王領が食糧難に陥った時に、空から降ってきて魔族のお腹を満たした伝説のある奇跡の果実なんだぞ!」
「そうだったの……」
「夕焼け空が終わって日が沈むころ、明日の食事がなくって不安で眠れない魔族のところに、空からボタボタ降ってきたんだ。それ以来、魔族ではよく食べられてる」
「へえ。そんな伝説が……だから『黄昏過ぎたる』なのね」
「うん! あとな、降ってきた時、ケガ人がいっぱい出たんだって! 加熱しないとけっこー硬いからな!」
「……ええと……さ、さすが、魔族の歴史に詳しいのね」
「魔王だからな!」
「ちなみに専用肥料の『天高きところより』の方はどんな伝説が?」
「…………えっ」
「……」
「え、えっと……天高きところより……こぼれる……慈愛が深い……?」
「……ごめんなさい。知らなかったら無理はしないで」
そんなつもりはなかったのに追い詰めてしまったようだった。
明らかに狼狽している魔王を見ていると、非常にかわいそうに思える。
「……それじゃあ、私はこれで。いずれ増殖が収まるなら、王都には対策を報告しなくてもよさそうね。情報ソースを誤魔化す手間がいらなくて助かるわ」
甘いものの人はそう言って立ち去ろうとする。
だが――翻る彼女のマントを、魔王がつかんだ。
「食べていかないの?」
「……うーん」
その申し出は、なんとなく予想していたのだが――
甘いものの人は、増殖しまくった『じゃがいも』で王都が大混乱する様子を目の当たりにしている。
王都では『災いの実』とか呼ばれているぐらいである。
なので、『食べ物だ』という情報を得ても、実際に食べるのには抵抗があるのだが……
「……」
魔王がすがるように見つめてくる。
甘いものの人は、軽く息をつき、口の端をあげた。
「……じゃあ、ご相伴にあずかるわ」
「やった!」
魔王がぴょんぴょん跳ねて、勇者とハイタッチする。
なんというか――このかわいい魔王からは、逃げられない。




