48話
『カツ丼』。
それはGYU-DONやBUTA-DON、カルビ丼などと同じく『丼』の系譜に連なるモノだ。
先ほど揚げたカツを『卵とじ』にし、それをご飯の上にのっけたものだ。
その調理法を知って、勇者は少しだけ不安になった。
揚げ物。
そのうまさはとうに知っている――TEMPURAやフライドチキンを思い返せば、やっぱり揚げられた食材自体のうまさも鮮烈だけれど、それ以上に『衣』の印象が強かった。
小麦粉や卵などでできた、素材を包みこむベール。
その歯触りは思い出すだに心がワクワクしてくる。カリッ、サクッ、というあの快音は脳内で再生するだけで腹が鳴るほどだ。
だからこその不安。
『卵とじ』という調理法は、『タマネギ、めんつゆ、溶き卵と一緒にカツを煮込む』というものだった。
煮込む。
勇者は干し肉などを旅での食事として食べていた。
だから『煮込む』という調理工程の強力さを知っている。
煮込んだものはなんでも柔らかくなるのだ――硬い干し肉さえも、噛み切れる柔らかさになるぐらいなのだ。
そして柔らかいものは『カリッ』とも『サクッ』ともいわない。
だから、せっかく揚げたカツだけれど、あの快音が今日は聞けないんじゃあないかと、勇者は不安になるのだ。
ともあれ――食べないことには始まらない。
勇者は自分の席に給仕された食事をながめる。
カツ丼。
みそ汁。
お新香。
芸術のようなトライアングル。
左手側、どんぶりに入ったカツ丼は、溶き卵をまとったカツが照明に照らされキラキラと黄金の輝きを放っている。
丼ということはご飯のはずなのだが、カツが大きくてご飯がまったく見えない。
この分厚さ、迫力はなかなかのものだ――かつて食べた『みのたん』に匹敵するかもしれない。
そして食器は箸とスプーン、フォークが用意されていた。
勇者はスプーンに手を伸ばしかけ、一瞬迷ってから、箸を取った。
今日一日の練習の成果を試そうかと思った。
また、カツはカットされているとはいえまだ大きくて、スプーンではうまくとれないような気がしたのだ。
右手で箸をとる。
左手を使いながら、『正しい持ち方』にセットし――
カチカチ。
感触を確かめるように箸を慣らして、カツ丼の中に差しこんだ。
挟む。
持ち上げる。
――重い!
ご飯、そのうえにカツの卵とじ。
目の前まで持ち上げればカツはやはり相当な大きさ、そして分厚さだ。
けれど、しっかり火が通っていて、断面は白くなっていた。
吸い込む息には、優しい香りがまざる。
これは『めんつゆ』の香りだ――卵とじをコカトリス飼育員が作っていた時から気になっていたが、なんとも言えない、複雑で芳醇で、そして心安らぐ香りがする。
たぶんみそ汁と同じ、『ダシ』の香りだろう。吸い込むだけで疲れが癒やされるようなそんな不思議で懐かしさを覚える香り。
勇者は鼻から吸い込んだ息を口から吐いて――
開けた大口に、箸にとったカツ丼を口に放り込んだ。
――噛みしめた途端、不安を吹き飛ばすインパクトが口の中で弾ける。
ザクッ。煮込まれているというのにそんな快音を響かせ衣が割れると、中には分厚いのに柔らかい肉の食感があった。
歯ごたえがないわけではない。トロトロというわけでもない。
これはまさしく――ちょうどいい。顎に力をこめて噛めば、その歯ごたえ、まさに『肉』。
揚げられているのに。
煮込まれているのに。
今まで食べたどの肉よりも『肉』というその感じに、勇者はおどろく。
噛みしめていけば、サクサクとタマネギの軽い食感、ご飯のモチモチした食感。
それらはみんな『めんつゆ』をよく吸っていて、優しい香りと少々の塩気が、分厚い肉を何度噛んでもまったく咀嚼に飽きさせない、いい仕事をしている。
肉を口の中で味わい、めんつゆの風味を楽しみ、ともすればバラバラになりそうなそれらすべてを、卵の濃厚なうまみが調和させている。
一回噛むごとに、様々な調理工程が頭をよぎる。
ザクザクと衣の食感で『揚げ』の工程――弾ける油の音と、揚げたてのキラキラ輝くカツのいい香りを思い出す。
サクサクとダシの味のしみこんだタマネギを噛むたびに、『煮』の工程――グツグツ浅い鍋の上で煮立つダシの綺麗な黒色と、漂う、たまらない、しかし優しい香りを思い出す。
一口目をたっぷり味わい、二口目。
勇者は左手にどんぶりを取った。
そこからはもう、かきこむのみだ。
『かきこむ』というのはどんぶりの醍醐味である。
カチャカチャと箸を使って、カツを、卵を、タマネギを、ご飯を、どんどん口の中に入れていく。
最初になくなったのはカツだった。
あとにはダシのしみこんだご飯が残される。
いや――『残される』なんていう表現は失礼だろう。
これがまた、本当に、うまいのだ。
カツ丼と言うからにはカツが主役――勇者はそう思っていたし、実際、ご飯はでしゃばらないようカツの陰に隠れていた。
しかしとんでもない伏兵だったのである。
巨大なカツの下にいたご飯は、カツ丼のうまみすべてをその身に吸い込んでいた。
かきこめばダシをふくんでパラパラになったご飯が、噛みしめれば卵が絡んで濃厚にうまいご飯が、その力をこれでもかと発揮する。
タマネギ、そしてたまに見つかるカツの衣の欠片がサクサクザクザクとアクセントを加えてくれるお陰で、まったく飽きずに食べ切れてしまう。
「波状攻撃を受けた」
カツ丼は名軍師に操られた大軍のような料理だなと勇者は思った。
それから――
「なんか、いつもより、米がうまかった気がする」
「それはたぶん『お箸』のお陰ではないでしょうか」
女神が言う。
勇者はコンロの前に立つ彼女を見て、首をかしげる。
「そうなのか?」
「ええ、たぶんですが……私も詳しいわけではないんですけれど、ご飯を主食にしている文化圏では箸が使われていることが多いのは、そういった理由なんじゃないかなあ、と……なんとなくですけど」
「……」
勇者はどんぶりに残っていたご飯を一粒、箸でつまむ。
そうして口に放り込んだ。
一粒を噛みしめ――
うなずく。
「そうか。箸はカツ丼のご飯と一緒なんだな」
「あの……箸は食べられませんけど……」
「そうじゃない。箸はでしゃばらないんだ。スプーンもフォークも、けっこうでかいから、どうしても食器が舌に当たる。でも、箸は料理に『食器の味』っていう要素を混ぜないから、細かい味まで感じやすいんだと思うぞ。女神は正しかった。箸をがんばってよかった」
「……勇者様、そんなことまで考えて味わっていらしたんですか?」
「別に考えてないぞ。感じたまま言ってるだけだ」
「はあ、天才肌なんですね……」
「それでいい。そんなことよりおかわりをくれ」
「あ、はい。ただいま」
女神が勇者のどんぶりを持っていく。
そして『無限に炊きたてご飯が出てくる羽釜』からご飯をよそりながら――
「そういえば、『名付け師』さんには会えましたか?」
「別に今日は会いに行ってないぞ。その途中のオーク牧場が狙いだった」
「あ、そうでしたね……でも、『魔族の集落』があったんでしょう? そこの代表者が『名付け師』さんだったりとかいう展開は……」
「うーん……どうだろう、たしかめてない。そんなことよりオークをゆずってもらうために必死だった」
「今日の食材は集落のみなさんからの提供だったんですね……あの、魔王の娘さんからの話をうかがった限りだと、あんまり仲良しにはなれなかった感じなんですが、食材をゆずってもらうぐらいには好感度を稼げたんですか?」
「ああ。がんばって説得したら、最後には『一頭やるから帰ってくれ』って言われたぞ」
「…………」
厄介払いされた感じがすごかった。
どのぐらいねばったのだろう――食材がからんだ時の勇者の行動力は、女神でさえ想像しきれない。
「あっちはあっちでうまくやってるみたいだったぞ」
勇者が言う。
女神は『カツの卵とじ』をご飯の上に乗せ終えてから、
「飢えたりはしていませんでしたか?」
「腹減ってそうなら連れてきてる」
「そ、そうですか……」
「こっちほど贅沢じゃないけど、普通に生活はしてるように見えた。あのぶんだと、最初から避難所としてあの集落があらかじめ用意されてたんじゃないか?」
「そういうのわかるんですか?」
「魔王が死んでからそんなに経ってないだろ? それにしては住環境が整いすぎてた」
「……勇者様は頭がいいのか悪いのかどちらなのでしょうか……」
「俺は感じたまま言ってるだけだから、頭はよくない自信があるぞ」
「なるほど……?」
「まあ、魔族のことだし、俺はどうせなんにも考えない。魔王の娘とかがどうしたいか決めるんじゃないか?」
「勇者様ご自身の意思などは?」
「俺の意思? 別に。家は広いし、飯は無限にあるし、来たいヤツがいたら来ればいいんじゃないか?」
「……」
魔族を家に引き入れることで、自分の身が危険になるかもしれないとかは――たぶん、考えていないのだろう。
いや、考えているのかもしれないが、『その時はその時』と覚悟しているフシがある。
「ああ、でも、そうか。住人が増えると食えるものが増えるなら、何人か連れてきてもよかったかもな」
「いえ、その……誘拐とかはやめてくださいね?」
「働かなくても飯が食えるって言ったら、たぶんみんな喜んで来るぞ」
「人によるのではないでしょうか……?」
「働かなくても飯が食えるのに?」
どうやら『働かなくても飯が食える』というのは勇者の中で殺し文句らしかった。
女神が勇者とのファーストコンタクトでまずGYU-DONを提供したのは間違っていなかったようだ。
勇者はご飯で釣れる。
「……まあとにかく、無事な魔族が多くてよかったですね」
「そうだな」
勇者がうなずく。
女神がカツ丼を勇者に差し出す。
魔族たちからもおかわりを求められ、女神は「はいはい」と笑って応じていく。
せわしくも明るくにぎやかな夕食の時間はそうして過ぎていく。
魔王の娘が食糧を持って行きたがっているが――
そうでなくとも、近々、またオークを求めてその集落に勇者が出向きそうな気がする。
女神はそんな確信を抱いて、次なる豚料理のメニューを早くも考え始めた。