43話
フライドチキン。
女神から聞くに、その調理法はTEMPURAなどと同じく、『鶏肉に』『衣をつけて』『油で揚げる』ものらしい。
食べる前から、なんとなく味の予想はできた――なにせ、勇者は今までにもう『鶏肉』は食べてきたし、『揚げ物』も食べたことがある。
まずいはずがない。
期待は、大いにできるだろう。
ただ、予想できてしまうことに、いちまつの寂しさもあった。
予想できるということは、同時に想像の域を出ないだろうということなのだ。
だってそうだろう。
鶏肉のジューシーさ――
オムライスの時に食べた噛めば噛むほど肉汁があふれ出すあの楽しさは、まだまだ記憶に新しい。
衣のサクサク感――
もうだいぶ前になるような気がするが、TEMPURAだって食べた。あれは、いいものだった。なんでもない時に近くに大量に積み上げてサクサクいきたい代物だ。
おいしいのは、わかっている。
だからこそ、寂しい――たぶんもう、おどろきはないだろう。予想していた味と、きっと寸分たがわないのだ。
もちろん、贅沢であることはわかっている。
おいしいものを毎日食べられる――『毎日食べられる』だけでも恵まれていると自覚すべきであり、しかも食べるものが毎日おいしいだなんて、そんなのはたかが人類の英雄というだけで甘受していい幸福ではない。
だから――
いつもよりいくぶんか安っぽい大きな銀の皿に山積みにされた、フライドチキンを、勇者は手にとる。
本日は椅子をどかして立食形式である。
テーブルの上には、他にも様々な料理が並んでいた――いつも見慣れた『牛肉の煮込み』や『サラダ』なども、大皿に盛りつけられていると、いつもと違ったものに見える。
勇者が手にしたフライドチキンは紙袋に入っていた。
その『紙』は勇者の知る『紙』よりかなり薄く、また柔らかい。
どうやら紙袋を半分だけちぎって、袋を持ったまま食べるのが正統らしい。
紙袋を破く。
すると、目に映るのは、こんがりと揚げられ黄金に輝くチキン。
漂うのは濃厚な香りだ。
ガツンと頭を殴られたかのような、強烈なにおいである――油のかおり、肉のかおり、そしてつけられた味までもが食べるまでもなく、鼻から脳へとしみいってくる。
その暴力的とさえ言えるうまみのかおり――
絶対にうまい。
勇者は確信をもって、フライドチキンにかぶりつき――
予想外の事故に見舞われることとなった。
なんか、出た。
噛んだ瞬間――衣に歯を入れ、サクッとした歯触りを感じ、肉へとたどり着き、ギュムッと歯で押しつぶし、食い千切ろうとした、その瞬間に、なんか出たのだ。
液体だろうか。
勇者は慌ててすする――なんだ今のは。なにが出たのだ。
フライドチキンを口から放し、ながめる。
すると――勇者が歯によって入れたわずかな切れ目から、流れ出る透明な汁があった。
しばしながめて、異常がないことを確認する。
勇者は少しだけ慎重に、フライドチキンを噛みちぎった。
そして、予想以上のものを知ることとなる。
鶏肉はジューシーだ――これはもう、すでに知っていた。だから予想もしていたし、噛めば噛むほどうまみがあふれ出すだろうことは確定事項だった。
でも、予想よりもはるかにすさまじいうまみがあった。
そうだ――肉汁。
先ほど、少し歯を入れただけであふれ出した――否、飛び出したものは、フライドチキンの肉汁だったのだ。
あんまりの量に、中になにか肉以外のものが入っているのかと誤解したほどだ。
サックリとした薄い衣の中には、鶏肉以外のものはなにも入っていない――柔らかで、アツアツの鶏肉。
そこからしみだす、うまみの塊――肉汁。
噛めば噛むほど、どころではない。口の中に入れているだけで止めどなくあふれ出す肉汁の洪水。
食感もまた、予想を超えていた。
噛む。
肉が口の中でほつれ――肉汁があふれ出す。
柔らかい食感はとろけるかのようだ。
だというのに、とろけた『あと』には、肉特有のしっかりした歯ごたえも感じられる。
衣が仕事をしすぎなのだ。
サクサクの食感。
鶏肉ではない、しかし、肉の味を引き立てるような独特の香り。
舌に触った瞬間は少し大味かなと思える強い塩気も、中の肉がこれほどまでにジューシーなお陰で、なるほど必要な濃さだったのだと納得できる。
強い味でなければ、肉に負ける。
これはもう――『ジューシー』どころではなく、『うまい』どころではない。
さらにもう一段階上の表現を生み出さなければ、とてもではないが表現できないだろう。
魂のステージが違う――
フライドチキンは、人の想像力では計り知れない食べ物だった。
「……すごいな」
そうとしか言えない。
語彙力が足りないのである。
「気に入っていただけたようでなによりです」
女神が勇者の隣に来ていた。
勇者は彼女の方を向き、うなずく。
「これは神だ」
「……『程度が甚だしい』と言いたいことはわかるのですが、なんというか、こう、神としましては、その表現を聞くにつれ『これはうまい。人だ』みたいな感じに聞こえて複雑でして」
「そうなのか。でも、神だな。神みたいにすごいぞ」
「……喜んでいただけたなら幸いです」
「俺も神の加護があるから、そのすごさは本当にすごいと思ってるんだ」
「まあ、その『神の加護』は我らの関知するところではないのですが……」
女神は苦笑する。
そして――チラリと、炊事場の端に目をやった。
そこではリビングメイルさんが魔族たちに囲まれていた。
肉を持った少女に取り囲まれる大きな鎧という図は、なにかこう、異様な宗教風景めいて見えもしたが……
人気者だ。
彼なのか彼女なのか、そもそも性別がある存在なのかはわからないが、魔族にとって『運命に打ち克った者』は英雄なのだと、わかる光景だった。
「あいつ、戦ってないんだろ?」
勇者が言う。
あいつ――つまり、リビングメイルさんのことだろう。
女神は勇者に向き直る。
そして、うなずいた。
「そのようですね。魔王城の警備が主な仕事なのに放り出した、みたいなことを魔王の娘さんはおっしゃっていましたが……」
「そうか」
勇者はうなずく。
女神には、彼の言葉の意図がわかりかねた。
「戦っていないのに、英雄扱いというのが、不可解なのですか?」
「……? 不可解……不可解……」
「……まさか『不可解』という言葉の意味がわからない?」
「わかるぞ。でも、そんなような、ちょっと違うような、そういう気分なんだ。なんていうか――えっと、そう、神だな」
「……今回の『神』はどういう意味で使われた言葉なので?」
「うーんと……想像もつかないんだ」
「……と、おっしゃいますと?」
「女神の言う通り、あいつは魔王城警備をほっぽり出したとしたら、それであそこまで慕われるのはすごいと思う」
「……」
「人の世界だと、仕事放り出したりしたら、すごい怒られる。あとなんか、全体的に『戦いに出てないヤツは、戦いに出てるヤツになにを言われても我慢しろ』みたいな空気があって……だから戦わない英雄は想像もつかない……うーん……想像もつかない……?」
どうやら勇者の内心は、言葉で表しきれないようだった。
だが気持ちはなんとなく女神にもわかった。
特に『魔王城警備を放り出した相手』を『魔王の娘』がまっすぐに慕っている様子などは、魔族ならではの光景だろう。
「でも、いいな」
勇者は言う。
女神は首をかしげた。
「なにがでしょう?」
「戦わないで英雄になれるっていうのが――そういう世界が、なんかいいなって思ったんだ」
「……そうですね」
「ああいう英雄なら、俺もなりたい」
「……そうですね」
女神と勇者は、そろって、リビングメイルさんと、それにたかる少女たちを見た。
慈しむように、尊ぶように。
▼
朝。
女神が誰よりも早く起きて炊事場に来ると――
一足先に、青い、巨大な、つぶれたような鎧姿がそこにあった。
リビングメイルさんだ。
「あら、お早いですね?」
女神はちょっとおどろく。
リビングメイルさんは腕と手首と簡単なステップだけで踊った――女神の知るダンスだと、『パラパラ』というものに近い。
なお、なにを伝えたいのかはわからなかった。
「すみません、ちょっと私にはわからないんです……」
リビングメイルさんは腕を突き出し、親指を立てた。
気にするな、ということだろうか?
彼あるいは彼女は、突然頭(兜?)をずらして、中に手を入れる。
人であれば『首をとって手を突っこむ』みたいな感じなので、女神はギョッとした。
しばし、リビングメイルさんは自分の内部をごそごそして――
一冊の本を取り出した。
「……なんですか、それは?」
古びた一冊の、そこまでの厚さでもない本だ。
ヒモで閉じられており、市販品というよりは、手作りのレポート感がある。
リビングメイルさんはそれを女神へ差し出す。
表紙には文字が書いてあるのだが――女神には、読めない。
魔族の文字だろうか?
「すいません、私が読めるのは、人族の文字と、神界の文字だけなんですが……」
リビングメイルさんはうなずく。
そして――また体の中をごそごそしてから、
『差し上げます』
一枚の大きな紙を取り出した。
まさかの筆談である――それは人族の文字なので、女神にも読めた。
女神がおどろいているすきに――
リビングメイルさんは、あらかじめ用意していたらしき、何枚かの紙を入れ替えながら出し続けた。
『それは、あなたと勇者様へのプレゼントです』
『昨日一日接して、あなたたちは信頼できると感じました』
『魔族に見せれば内容がわかるでしょう』
『どうかよろしくお願いします』
そういうことらしかった。
しかし――女神は疑問に思う。
「これは、あなたから魔族のみんなに渡すわけにはいかないのですか?」
『ファンレターはご覧の宛先まで』
「ええっ!? どういうことですか!?」
思わず声をあげた。
リビングメイルさんは紙を見て、それから『違う違う』というようなジェスチャーをし――
『私は大陸をめぐって、生き残りの魔族を捜します』
『今、こうしているあいだにも、きっと生き残った魔族は不安でいっぱいでしょう』
『私は芸人です』
『みんなに笑顔をとどけなければ』
そう言うと、リビングメイルさんは逆さまになってぐるぐる回り、ポーズをきめた。
すごい技術なのはわかるが、突然この巨体で踊られるとびっくりする。
「まあ、つまり――出て行かれるんですね?」
『事務所を通してください』
「直接教えてくださいよ!?」
リビングメイルさんは『間違えちゃった、テヘッ☆』みたいな動作をし――
新たな紙を取り出す。
『私は行きます』
『あなたに渡したその本を、いつ魔族に見せるか、そのタイミングはお任せします』
『内容は、先代魔王の遺言です』
『私は中身を見てはいません』
『先代の魔王様は童話仕立てにしたから子供でも読みやすいと言っていました』
先代魔王のキャラクターが……
げんなりしつつ、女神は思い浮かんだ疑問を口に出す。
「あなたは先代魔王と仲がよかったのですか? 遺言をたくされるぐらいですから……」
『同じ城に住んでいましたから』
「ああ、なるほど……」
『あと、魔王様からは、私が踊る曲の楽曲提供を受けています』
「ええっ!? 先代魔王、歌とか作曲るんですか!?」
『「我を殺すのは勇者だP」という名前で活動していました』
ちなみに、今の一連の会話を書いた紙は、すべてあらかじめ用意されていた。
なんという想定力だろう――魔族の人気者はだてではない。
『魔王様をよろしくお願いします』
『当代の方ですよ』
そう書いた紙をしまうと、リビングメイルさんは、ムーンウォークで炊事場から出て行く。
女神の視界から消える寸前、『ヨロシクゥ!』という感じのポーズをして去って行った。
「……はあ、なんというか……」
いい人だった――のだろう。
より正確に言うならば、『いいヒトガタだった』になるのかもしれない。
朝にこっそり出て行ったのも、気遣いだろう。
魔族たちが引き留めそうである。
まあ、引き留めるヒマもないぐらい鮮やかな立ち去り方だったけれど――誰がムーンウォークで去って行く鎧を引き留められようか。呆然と見入るに決まっている。
「……しかし、魔王と神はいちおう、敵対関係にあるんですけど……」
女神は受け取った遺言書をしげしげと見る。
そして、苦笑した。
まあ――今さらだ。
神とか魔王とか勇者とか、この家では関係がない。
「……たしかに、たくされました。……でもいつ渡したらいいんだろうなあ……」
この家はひたすらゆるいのだ。
だから遺言書なんていう重い物を渡すタイミングがありうるのか、女神はそれを一番心配した。