38話
おにぎり。
実は以前も作ったことがあるのだが、漁師の登場でうやむやになってしまったアレである。
「本日作るものは、正確に申し上げると『おむすび』かもしれません」
炊事場。
朝食の片付けを終え、みんなそれぞれの仕事に出かけた。
今、家にいるのは――三人だろうか。
女神。
魔王の娘。
それから、影武者。
道案内妖精と剣の精は勇者についてミノ牧場に行った。
だから炊事場には、今、この家にいる全員がそろっているということになる。
広い――というかいつの間にか広くなった炊事場は、三人きりだとやけに寂しく見える。
最初は六人がけだった、十二人がけのテーブル。
異世界料理を作り出したり生み出したりする謎の器具の数々――
今日はどれも使わない。
シンクの前に三人並んで立っている。
「『おにぎり』は『型でかたちを整える』『かたちにこだわらなくていい』という特徴があり、『おむすび』は『手で握る』『かたちは三角形に限る』という特徴があるようです。もっともこれは『諸説ある』ようなので、必ずしもとは言えないかもしれませんが」
魔王の娘と影武者に向けて説明をする。
同じような顔をした二人は、同時に首をかしげた。
そして――
一瞬だけ顔を見合わせると、魔王の娘が発言する。
「それはいいけど、なんでわたしたちだけ呼び出されたんだ?」
「人が増えたので、私一人だと全員分のお弁当を用意できないんですよ。そこで、仕事のないお二人に手伝っていただこうかと思いまして」
人が増えた。
本当に増えた――初日は魔王の娘が乱入してきた程度だったのに、いつの間にか十人の大所帯だ。
漁師がいつも巻いているリヴァイアサンと、コカトリス飼育員が普段から携帯しているコカトリスまで人数に入れたら、十二人である。
これだけの、しかも勇者を含む大食らいたちのお弁当など、女神一人では手が回らない。
そこで、唯一定まった作業がなく、普段からままごとばかりしている二人の手を借りようとそういうことなのであった。
「なるほどな! よかろう! 魔王としてたまには臣下をねぎらわないとだな!」
「そうですね。ええと、本日は『ノリ』が手に入っています。例によって数量限定なので、今日なくなるかもしれませんけれど……今日に限っては、前回のような真っ白おにぎりということにはなりませんよ」
「……前回?」
「漁師さんと出会った時ですよ」
「ああ、そういえば食べたっけ……漁師の尻しか記憶にない……」
「まあ私もそんな感じですが……」
「でも、おいしかったと思う! だって『まずい』っていう記憶がないもん!」
「ポジティブでいい子ですね……」
ちょっと嬉しい。
もっとも、おにぎりをまずくするとか、さすがにあり得ないと思うのだが……
「……ともかく、前回は真っ白で、具も紅ショウガと塩だけだったんですが、今回は漬け物とかあるので色々好きなように混ぜこんでみようかなとも思っていますよ」
「好きにしていいのか!? お好み焼きか!?」
「そうですね。焼きおにぎりとかもいいかも……まあ、お二人も好きな具材を混ぜたり入れたりしてみてください。やり方の見本はお見せしますので。持ち歩ける分量なら好きなだけ作っていいですよ。どうせ勇者様がたくさん食べますから」
「わかった!」
かくして、おにぎり作りが始まる。
女神は宣言通り、最初にやり方を見せた――とはいえ、『炊いた白米を握る』だけだ。テクニックなどは存在するのだろうが、女神は習得していない。
女神のやり方は『おわんにサランラップをかける』『そこにご飯をよそる』『具を入れる』『握る』の四工程である。
注意点としては『よくばって大きくしようとしないこと』『熱いから気をつけること』ぐらいだろうか。
サランラップ越しに握るので、どうしてもという時には軍手などを使用できる――見た目的にはあまりやりたくないが。
魔王の娘と影武者がおにぎりを作っていく。
女神は横で見ていて、性格の違いが出ているように思った。
魔王の娘のおにぎりは、前衛芸術めいている。
簡単に言うと具材が飛び出していたり、かたちが一定じゃなかったりするのだ。
ノリを巻く時も『大ケガをした人に包帯でも巻いているのか』というぐらいぐるぐるしつこく巻いたり、反対に申し訳程度に貼り付けただけ、というようなものもあった。
真面目にやっているのはわかるのだが、不器用なのだ。
体力がなく器用でもないというのはなかなか悲しい姿だった。
反対に影武者のおにぎりは、美しい。
どれもこれも角の丸い三角形で、具材が飛びだすこともなく、巻かれたノリとご飯のコントラストは芸術的ですらあった――前衛芸術的ではなくて。
ただ、どれもこれも、ちょっと小さい。
お上品というか、小さくまとまっているというか、勇者たちには物足りないだろうなという仕上がりが量産されていった。
しばらくそんなふうにおにぎり作製をして――
魔王の娘が、言う。
「おにぎり握ってたら、おなか減ったな!」
いい笑顔だった。
『おにぎり握ってたらおなか減ったな!』というセリフはなかなかすさまじいが――女神としては予想できた展開である。
あんまり無節操に食べさせるのも健康のためによろしくないのだろうが、がんばったのに、おあずけするのもかわいそうなので――
「じゃあ、一個だけ、食べてもいいですよ」
と、言った。
このあたりが甘い――甘いものの人より甘いところなのかもしれない。
魔王の娘は嬉しそうな顔をする。
「いいのか!? じゃあ、食べる! どれ食べようかなーアレは自信作だからみんなに見せたいしなーでもなー」
悩む姿まで嬉しそうだ。
許可してよかったと女神は思う。
「よし、決めた!」
魔王の娘が言う。
そして、逆にどうしたらそんな形状になるんだかわからない、どこから見ても五角形というこの世にありえていいかわからないおにぎりを取り――
「女神に下賜する!」
差し出した。
どうやら魔王の娘の中で、魔王とは神より上に位置するらしい――と、そうではなく。
「……私に、ですか?」
「うん! 自信作だぞ! 私も食べるけど、女神もがんばったんだから、一個ぐらい食べるだろ!?」
「まあ、そうおっしゃるのであればいただきますけど……自信作ならご自身で召し上がった方がいいのでは?」
「違う! 自分で『一番いい』と思ったものは、人にあげるべきなんだ! 王として!」
「それはあなたのお父様のお言葉ですか?」
「そうだぞ! 王がほしいもの全部自分の物にしてたら国が滅ぶから、一番いいと思ったものは人にあげるぐらいでちょうどいいって、父、言ってた!」
さすが魔王である――とは女神の立場上、おおっぴらには言えないが……
勇者との関係性などからかんがみるに、なかなか立派な人物だったようだ。
それにしても……
『どの角度から見ても五角形』という数学的にありえるのか女神にはわからないおにぎりだ。ちょっと恐い。
しかし笑顔でおにぎりを差し出す魔王の娘を、むげにもできない。
受け取る。
女神が持っても、ちょっと大きめだ――なんというか密度も高そうだ。ズッシリしている。
「いただきます」
端っこをかじる。
大きいので具までたどりつかない――そういえば、このおにぎりはどんな具を入れているのだろうか?
楽しみでもあり、恐くもあり――
まずは、ご飯の食感を楽しむ。
やっぱり、密度が高い――ガチガチに握られたご飯はなかなか口の中ではほどけない。
噛んでいけば潰れたご飯の硬い食感があった。
二口め。
と、ご飯とは違った食感にたどりつく――具材だ。
二口で具材にたどりついたものの、女神からすると『意外と早いな』という印象だった――なにせ、おにぎり自体が大きいのだ。
というか、妙に硬いような……
女神は口を離して具材を確認する。
入っていたのは――
「なにこの黒い……あの、ひょっとしてこのおにぎり、具材は『ノリ』ですか?」
「うむ! 外に巻かない代わりに中に入れるという、逆転の発想だな!」
たしかに、巻かれていなかったし、貼られてもいなかった。
中にノリを入れたおにぎりは、見たことがない――つくだ煮とかならともかく、焼きノリおにぎりというのは存在しないだろう。
ただし、女神は思った。
この『中にノリを入れる』という発想は『誰も思いつかなかった』のではなく『思いついてもやらなかった』ものだ、と。
ノリというのはパリパリの食感が楽しいものだと思う。
お弁当用に作り置きしてしっとりしたノリも悪くはないが、少なくともできたておにぎりに巻いた時には、あの『バリッバリッ』という音を楽しみたい。
にもかかわらず、温かいご飯の中に『ブラックホールでも作ったろ!』とばかりに圧縮されたノリは、湿っていて、硬くて、リアルに歯が立たない。
ちょっとしたあめ玉みたいになってしまったノリのカタマリを口の中でころがしてほどいていく。
するとノリのノリ臭さとでも言うのか――海藻特有の、普段、普通にノリを食べていればまず感じることのない独特な風味が口いっぱいに広がる。
女神はどんな顔をしていいのかわからなかった。
それでも、どうにか食べきり――
「どうだ!?」
魔王の娘にたずねられる。
浮かべる表情にかなり迷ったが、最終的に女神は苦笑して、
「が、がんばりましたね……」
「ノリにパワーあったろ!?」
「そ、そうですね……でももう少しパワー抑えめでいいと思いますよ」
「でもパワーあった方がよくない?」
「いえ、抑えめで……ノリでも小さく固めると歯を欠けさせかねませんので……」
「そっかー……わかった! 次は抑える! わたし、魔王だからな! 余人にはわたしの力は強すぎるんだな、たぶん!」
「そうですね……」
色々言いたかったが、最終的には笑うだけにとどめた。
強さとはなんなのか――それを言葉にするのは、女神にも難しい。
「……ではお二人とも、おにぎりを食べて、これからラッピングしたり箱詰めしたりしましょうね」
女神は言う。
二人から「えっ」という声。
……目の前には山のように積まれた、大量のおにぎり。
お店でも出すのかという感じのこの分量が、勇者と食いしん坊魔族たちの胃袋におさまるのだから、恐怖である。