35話
プリンを食べ終えた女神はシャワーを浴びて着替え――
なんとなく、炊事場に戻っていた。
理由はなかった。
このまま部屋に戻って眠ってしまってもいい。いやむしろ、その方がいい。
だって明日も早いのだ。お腹を減らせた魔族と勇者にGYU-DONをふるまわなければならない――盛りつけるだけなのだけれど、その役目を人にゆずりたくはなかった。
だというのに、なんとなく眠るのが寂しく思えて、炊事場に戻ってしまった。
誰もいないのに――そう思っていた。
思っていたのだが。
炊事場は明かりが点いていて、なぜかそこには勇者がいた。
「おう、女神、お帰り」
勇者は一人、テーブル席に着いていた。
女神は硬直してまばたきを繰り返す。
「勇者様、眠っていらっしゃらなかったんですか?」
「眠ってたけど、帰って来たっぽいから、お帰りは言った方がいいと思ったんだ。出迎えてもらえないのは寂しいからな」
真面目な顔で彼は言う。
女神は――笑った。
「はい。ありがとうございます。ただ今――といっても結構経ちますが、帰りました」
「おう。ところで」
「どうされました?」
「腹減った」
「……ええええ……」
「中途半端な時間に起きたから」
「太りますよ……」
「俺は太らないんだ。常に理想的なコンディションを維持できる神の加護があるから」
「ああ、いつもの神が関係しない神の加護ですか……まあ私も似たようなものですけど……」
「GYU-DON食べていいか?」
「あ、それでしたらお待ちを。友神からいいものを借りたんです」
女神はいそいそとエプロンのポケットを探る。
そこからずるりと出て来たのは、女神の胴体ぐらいある巨大な直方体のなにかだった。
ポケットにおさまる大きさじゃない――
そんな当たり前すぎることにはいちいち突っ込まず、勇者はたずねる。
「それはなんだ?」
「これは『ODENの泉』と呼ばれるものです」
「……『ODENの泉』?」
「別な神話体系に就職した友神が、就職先の新人歓迎ビンゴ大会で当てた代物だそうです。そちらの神話の主神は『知恵の泉』で水を飲むことによって賢くなる逸話があるのですが、それになぞらえた代物ですね」
「よくわからない。つまりなんだ?」
「これは『無限にODENがわき出す什器』なのです」
「……『ODEN』ってなんだ? 食えるのか?」
「食べられますよ。GYU-DONのある世界において、GYU-DONと並ぶ有名な食品です。全国のコンビニでお求めになれます」
「……よくわからないが、きっとうまいんだろうな」
「はい。あ、ちょっとテーブルに置きますね。よっこいしょ」
ずしん、という音を立ててテーブルの上に什器が置かれる。
よくよく見ればそれは、金属製の箱に木製の蓋が乗ったものだった。
そばによればぬくもりを発しているのがわかる。――女神が何気なく持っていた金属製の部分は、絶対に熱い。
勇者はぬくもりや材質以外にも、情報を得ていた。
いいにおいだ。
GYU-DON系の、塩気のある、おいしいもののにおいがする。
「ODENは複数種類の具材をだし汁で煮込んだものです。なにも付けなくても食べられますが、からしや赤みそ、ゆずコショウなんかをつけて食べる文化もあるようですね」
「そうなのか」
「はい。ODEN初心者の勇者様には、私が独断と偏見で選んだ具材TOP3をまずは召し上がっていただきましょうか」
言いながら、女神が木製の蓋を開ける。
――湯気と香りが、あふれ出す。
なんというかぐわしさか。
においだけで胸が満たされるこの感じ。
中身に視線を向ける。
金属製の仕切りで区切られた箱の中には、女神の言うように複数種類の具材があった。
どれも見慣れないものばかりだ。
白いものと茶色いものが多いだろうか?
かたちは細長かったり、球体だったり、円形だったり、実にバラエティに富んでいる。
女神はどこからか取り出したおたまで、どこからか取り出したコップに似た形状の器へと『ODENの泉』の中身を移していく。
そしてこれもまたどこからか取り出したフォークと一緒に、コップに似た器を勇者の目の前に置いた。
中身は――
「味の染みた『大根』、煮込まれてほんのり色づいた『卵』、それから私が個人的に愛してやまない『ちくわぶ』です」
「食べていいのか?」
「どうぞ。大根がお口に合えば、ODENがお口に合わないことはないと思いますよ」
すすめられたので、いただく。
とりあえず大根だろう――しかしどれが大根かよくわからない。
フォークを持ってさまよっていると、女神が『丸くて透明感があるやつが大根です。短い円柱みたいなの』と言った。
なるほど言う通りの形状のものがある――透き通った美しい物体。涼やかさすら感じるそれこそが大根なのだろう。
フォークで突き刺す。
感触は柔らかく、しかし深く刺せばたしかな手応えもあった。
マンドラゴラを思い出す。
一口で――いくにはさすがに大きい。
勇者はフォークで大根を四つぐらいに切り分けた。
それでも大きいが、自分ならいけるだろう――そう思い、四分の一となった大根をほおばる。
「あふっ、あふっ!」
まともにしゃべることができない。
大根が熱いのだ――それは今までに未体験の熱さだった。舌に乗った時は『熱いがいける』だったのに、噛み締めると奥歯の歯茎が火傷しそうになるような熱い汁が染み出してくる。
熱で舌が麻痺するようだ。
だが、はふはふと口に空気を送り込み冷ましながら食べれば――いい香りがした。
だし。
『ODENの泉』全体を満たす、透き通った、黄金のだし汁――それとまったく同じ、いや、より凝縮されたような香りが、口の中の大根からあふれ出してくる。
噛めば噛むほど染み出す、だし。
味はもちろんいい。塩気を感じるが、やや薄いか。しかし香りが芳醇で、薄めの塩味が優しさとなって体全体を温めていく。
なるほど、大根一つにODENの魅力が凝縮されている。
大根が合えばODENが口に合わないことはない――その言葉の真意がわかった気がした。
こうなると次に食べるものが楽しみになってくる。
次は――そうだ、卵だ。卵なら、見ればわかる。
勇者はフォークで卵を突き刺す。
つるん、とこちらの攻撃をいなしてくる卵の弾力と曲面の妙技。それでも集中して突き刺し――口の前まで運んで、少し迷う。
一気にいくか?
切り分けるか?
大根の例がある。熱くてうまかった。でも、熱かった。
卵も同じように煮込まれているのだ――熱くないわけがない。
でも、いっちゃうか。
勇者は決断する――熱さも醍醐味のような気がした。勇者は直感的に、ODENの食べ方はハフハフ言いながら熱さを楽しむものだと、そう判断したのだ。
一気に口の中に入れる。
なんということだ、転がせない。
勇者の口にも卵はさすがに大きかったのだ――空気が入ってこない。だが、幸いにも噛むことはできる。
勇者は空気の通り道を確保するべく、卵を噛む。
その瞬間だった。
口の中で熱が弾けた。
爆発と表現するのがふさわしい現象。弾力のある表面部分を歯でかみつぶした途端、あふれ出す熱を伴った中身――そう、黄身だ。
アツアツの黄身が口の中でバーンってなったのだ。
声も出ない。
熱い、熱すぎる。
だが――うますぎる。
白身の歯触り、爆発した黄身の濃厚な味。そこにODENのだしが加わることで織りなされた味の素晴らしいこと!
ハフハフ言いながら、噛み分けて、噛み分けて、転がして、転がして、ヒリヒリする舌と歯茎を空気で冷ましつつ卵を飲みこむ。
しかしさすがに一度口内を冷ましたい――そう思ったのと同じタイミングで、女神が水を持ってきてくれた。
一気に呑み干す。
口内にのこった黄身と白身が洗い流され、ヒリヒリも多少おさまった。
次は――『ちくわぶ』だ。
これまた見たことのないかたちだ。円柱形、と呼べるのだろうか? 大根に比べればかなり細長く、色は真っ白で、ギザギザしていて、円柱の芯にあたる部分には穴が空いていた。
フォークで刺せば、非常に高い弾力性がわかる。
近いものが見当たらない。プリンの系統なのだろうけれど、プリンよりもはるかに堅く、しっかりとフォークを押し返してくる。
力をこめて突き刺せば、まるでフォークをホールドするかのような感触だ。
さすがに長くて全部は口に入らない。
だからといって切り分けるのも、非常に強い弾力があって、難しそうだ。
噛み千切る。
勇者は充分に熱さを警戒しつつ、フォークに差したちくわぶを前歯で噛み千切った。
熱い! ――が、大根や卵を乗り越えた勇者には、まだ耐えきれる熱さ。
それよりも、なんだこのモチモチした食感は。
やはりフォークに感じた弾力はただごとではなかったのだ――押し返す、押し返す。噛み千切られても、からみつく。
もちゃもちゃと咀嚼するごとに音が鳴るほどの粘りを、ちくわぶは有していた。
大根は、だしのうまさを教えてくれた。
卵は、だしと具材の味が合わさった時の威力を教えてくれた。
ちくわぶは――だしに、面白い食感を与えてくれる。
味は、だしそのものだ。やや甘いのがちくわぶ自体の味なのだろうけれど、その味は弱くて、もし単品で、だしで煮込まれずに提供されたら、眉をひそめるかもしれない。
しかし、ODENのだしで煮込まれたことにより、この面白い食感に、芳醇な風味とさっぱりした味が加わる。
なるほど、これは――興味深い。
他にもいっぱい具材はあって、どれもこれも、違った魅力を宿しているのだろう。
次はなにを食べようか楽しみになる。
勇者はODENを、こう評価した。
「みんなで食べたい料理だな」
「そうですね。明日、どこかで魔族の子たちにもふるまいましょうか」
「それがいい。……ひょっとしてODENはご飯にかけて食べるものなのか?」
「え? どうでしょう……そういうのもアリなのかもしれませんが、鍋として食べると、シメにうどんを入れたりしますかね?」
「うどん? ODENと似た響きだな。仲間か?」
「いえ、まあ……原材料とかは『ちくわぶ』に近いですかね? もっと細長くて……いずれ可能だったら取り寄せてみましょうか」
「そうだな」
「……作るのはちょっと勘弁してくださいね」
「作れるのか?」
「今うちにある材料なら作製はできますよ。その技術が私にないだけで……はあ、料理覚えた方がいいんでしょうか……」
「好きにしたらいい」
「でも、甘いものの人さんがお料理してくださったから、魔族の子たち喜んでたでしょう?」
「喜んでた。でも、女神は女神だからな。あいつは料理ができるかもしれないけど、あいつみたいになる必要はないぞ」
「……そんなものでしょうか」
「おう。やりたいならやればいいし、やりたくないのにやることはないぞ」
「……そう言っていただけると気が楽です」
「それより次の具材を勝手にとっていいのか? あと、女神は食べないのか?」
「……そうですね。私もいただきましょうか」
女神が勇者の対面に腰掛ける。
二人は、『ODENの泉』と湯気を挟んで向かい合った。
なんとなく――
二人して、笑う。
夜がふけていく。
二人だけの夜は、静かで、穏やかで――
――それから、とても、温かかった。