34話
それの原材料は朝食べたパンケーキとほとんど同じらしい。
ミルク、甘い粉、卵。
小麦粉を使用しないあたりが違うようだが、基本は一緒なのだとか。
ただし、調理工程がまったく違う。
パンケーキは混ぜた材料を焼く。
プリンは、蒸す――という話だった。
「というかこの家、調理器具ならなんでもあるのね。蒸し器がなかったらどうしようかと思っていたわ」
魔王の娘はそんなこと言われてもよくわからない。
でも、なんかおかしいな、とは思った――女神がよく自分で調理器具を買っているみたいなことを言っていたのだ。なんでもあるなら買う必要がないように思う。
まあおいしいものが食べられるならばなんでもいい。
それに、おやつの存在を明かされてから、もう長いこと待たされているのだ。
なんでもプリンは蒸したあと冷やすようで、時間がかかるのだ。
口の中がもうおやつの口になっているのに冷やす時間ずっとおあずけされて、魔王の娘は我慢の限界だった。
そこに提供される、プリン。
それははなはだ不思議な物質だった。
目の前にコトリと置かれた平らな皿。
乗ったもの――色合いはたしかに、パンケーキを思わせる。
焦げ茶色の上面。
白のような、黄色のような、肌色のような、不思議な色の側面。
ただしプリンはパンケーキよりも分厚く、小さかった。
かたちは丸みのある台形だ。
ここまでは特に不思議な点ではない。
しかし――
魔王の娘が、左手に持ったスプーンでちょん、とプリンに触れる。
すると、揺れた。
さらにつつく。
また、揺れた。
ぷるぷる、ぷるぷる。おおよそ食べ物とは思えない感触がスプーン越しに伝わってくる。
魔王の娘の知る中だと『スライム』という魔物が近い――暑い時期とかによく額に乗せる、柔らかくて冷たいアレだ。
つついた時の揺れ具合、柔らかいくせに簡単には崩れない不思議なねばり、つるんと磨き上げたように光沢を放つ表面の感じまで、まさにスライム、あるいはマンドラゴラ屋の胸という感じだ。
スライムもマンドラゴラ屋の胸も、食べ物ではない。
しかしプリンはおやつだから、食べ物なのだろう。
不安を抱きつつも、魔王の娘はスプーンをやや強くプリンに突き立てる。
切れた。
そして、スプーンに吸い付いてきた。
この柔らかさと弾力。
スプーンを抜いたら再生して傷が消えるんじゃないかというような感じすらしてくる。
知れば知るほど食べ物の特徴ではない――だが、先ほどから鼻孔をくすぐる甘く香ばしい香りはたしかにおいしそうで、魔王の娘はだんだん混乱してくる。
もういいや、食べちゃえ。
そう思って、スプーンによりプリンの一部を切り取り、口に運ぶ。
「ふっぐぅう……」
変な声が鼻から出た。
どうしたらいいのかわからない――なんだろうこの、ものすごいこれ! 甘くて香ばしくてねっとりしてて歯ごたえがあってとろける謎の存在!
今までも色々と見たことのない料理を食べてきた。
でも、だいたいは食べたらわかったのに、プリンはわからない。
もちろんおいしい。でも、なにがどうおいしいのか、全然まったくわからない。
まず甘いのがおいしい。
それもただ甘いだけではない――二種類の甘さだ。
優しい甘さと香ばしい甘さ。舌の上で転がしているとほんのり苦みみたいなのもあって、苦いのは嫌いなのに、それさえ香り立つ甘さの中ではとてもいい味に思える。
食感がおいしい。
柔らかいでもなく堅いでもない。ぷるんとしたこの硬度。噛めば弾力があって、そのくせトロリと溶ける。溶けたプリンが舌を包みこんで口中が甘くて幸せだ。
よくわからないが、とにかくおいしい。
分析できないけれど、すごさだけは伝わってくる。
この超越感――
プリンはお菓子界の魔王なのかもしれない。
「……わたし、やっぱりプリンになる」
魔王の娘は決意してつぶやく。
甘いものの人はどことなく引きつった顔で笑った。
「そ、そう……パンケーキはいいの?」
「パンケーキはプリンに比べるとカリスマ性がなかったんだ」
「……そう。まあ、なにかよくわからないけど、満足してもらえたみたいでよかったわ」
「うむ! わたしは満――あ、ちょっと待って」
魔王の娘はスプーンを置く。
そして、テーブルの上にのぼってから、改めて――
「わたしは満足だ!」
「……お行儀が悪いからテーブルの上に乗るのはやめなさい」
「えっ、いや、だって高い位置で言わないと王の発言っぽくないだろ!?」
「王っぽさより大事なものはあると思うのだけれど……」
「ないよ!」
「でも他の子のプリンにホコリが入ったりしたら、迷惑よ」
「そ、そうか……そうだな……うん、気をつける」
普通に怒られてしまった。
今まで怒られなかったので大丈夫かなと思っていたのだが、これからは気をつけた方がいいだろう。
「ちなみに甘味料は道案内妖精の粉を使ったわ。みんな、道案内妖精のがんばりにお礼を言ってあげてね」
甘いものの人が言う。
お礼を言うべく魔王の娘は道案内妖精の姿を捜す。
そして――勇者が食べようとしているプリン(たぶん五個目)から、それっぽい羽根が飛び出ているのを発見した。
「勇者! プリンになんか入ってる!」
魔王の娘の叫びにより、勇者の動きが止まる。
彼はプリンを観察したあと、スプーンを突っ込んだ。
そして、道案内妖精を内部から取り出す。
「……なにをしてるんだ」
勇者があからさまに困惑していた。
スプーンの上で道案内妖精は言う。
「よりおいしいものを食べていただこうと、甘味料でできたわたくし自身をプリンに添えさせていただいたかたちでございますな」
「俺、お前のこと苦手」
勇者がはっきり言った。
甘いものの人が「蒸したあと冷やしたんだけどいつ混入したのかしら」と怖ろしいものを見る目で道案内妖精を見ていた。
道案内妖精はなにも言わずに笑う。
魔王の娘もいい加減わかってきた――道案内妖精はなにか怖い。
怖い、が――おいしいものを提供してくれたのだ。
お礼は言わねばならない。
「道案内妖精、甘さをありがとう」
「魔王様、もったいないお言葉でございます。わたくしめに感謝をしてくださるのであれば、そこは『ありがとう』ではなく『もっと命懸けで尽くせよ家畜め』と言っていただけるとありがたいのでございますが……」
「わたしもお前のこと苦手かもしれない」
「まあ、わたくしのことはゆっくり理解していただくとして――お役目を果たさねばなりませんな」
「……お役目?」
「わたくしの使命は、勇者と魔王の戦いを、次の魔王や魔族に語り聞かせることでございますれば。ただ――色々と問題がございます」
「なんだ?」
「……それは」
道案内妖精が、勇者をチラリと見る。
勇者は嫌そうな顔をした。
「……なんだ。俺を見たってなにも言わないぞ」
「わたくしに対する嫌悪の表情、まことにありがとうございます」
「……嫌悪じゃない。なんか苦手なだけだ」
「最終的にゴミを見るような目つきで見るようになっていただければ幸いでございますな」
「お前こんなやつだったか? 冒険中はもっとまともだったと思うぞ」
「勇者様を案内する役目がございましたからな。ただ、現在勇者様はお休み中のご様子。なのでわたくしもオフ仕様なのでございます」
「……」
「勇者様がお休みのあいだは、わたくしもお休みということで、しばしのプライベートタイムを満喫するべく、プリンに混入されたり、わざと苦手に思われるような言動をとったり、コイツ付き合いにくいわ……という視線を楽しんだりしているのでございます」
「迷惑だな」
「そういう言葉をかけていただけると、わたくしもやりがいがございます」
頬をおさえて体をクネクネさせるプリンまみれの道案内妖精は、幸せそうだった。
人の幸福は様々なんだなと魔王の娘は学んだ。
ともあれ、と。
道案内妖精は話を戻すように視線を魔王の娘に戻して――
「お役目は、いずれ、時が来たら、ゆっくりと果たさせていただくのでございます」
「……父と勇者の戦いについて語るだけだろ? 今じゃだめなのか?」
魔王の娘の問いかけ。
それに、道案内妖精は微笑んだ。
プリンまみれのまま。
▼
「……そんなことがあったんですか。色々とお疲れ様でした。本当にすみません」
女神が帰還したのは、夜も遅い時間帯だった。
本日中に帰る――その誓いはけっきょく果たせなかったのだ。
それでも、甘いものの人は起きて待っていてくれた。
女神は普段よりちょっとオシャレな格好――同窓会仕様でエプロンを脱いだだけだが――のまま、着替えもせずに彼女の話を聞くこととなる。
場所は炊事場。
珍しくテーブルに着いていて、おやつに作ったというプリンをふるまわれている。
甘いものの人作製だというプリンを、一口食べた。
甘くて、おいしい――気疲れと酒疲れの体に優しく染み渡るようだ。
「茶碗蒸しっぽいプリンなんですね。ゼラチンを使ってないのによくここまでなめらかに……料理、お上手、ですね……料理、お上手、なんですね……」
プリンは甘いのに、胸中には苦い気持ちが広がっていく。
魔族たちなんかはもうコロッと甘いものの人に懐いてそうな感じだ――そのうち『女神より甘いものの人がいい』とか言われそうで怖ろしい。
甘いものの人は困ったように微笑む。
それから、
「道案内妖精には気をつけた方がいいわ」
「……はい、それはもう、お話を聞く限りそうだろうなという感じです」
「性癖だけじゃなくて――なにか、隠してる感じがするの。勇者はそういうの無頓着だから気にしていないだろうけれど、私としては心配だわ。勇者が許すなら、こっそり排除したい」
「甘いものの人さんも意外と物騒な思考をしますよね……」
「……まあ、裏稼業だもの。私は家族を守りたいだけ。そしてきっと、家族の定義が人より狭くて――永遠に、変わらない」
「……なんだかシリアスな感じがして戸惑っています。そういう人と長らく接していないので……」
「……いい家ね。やっぱり私は、たまに来るぐらいでちょうどいいわ」
甘いものの人が笑う。
女神もなぐさめるように笑った。
「居心地が悪いならば無理強いはしませんが、いつでもいらしてくださいね。住んでいただいても結構ですよ」
「私の家はここじゃないわ」
「そうですか」
「……まあでも、調理器具がなんでもそろってるみたいだから、またなにか作りに来るのはいいかもしれないわね。料理は嫌いじゃないの」
「……あの、大変申し上げにくいんですが……」
「なに?」
「あなたが本日使用した調理器具の料金が、私の口座から引き落とされるのです」
「…………ごめんなさい、ちょっと、意味が」
「この家は調理器具がなんでもそろっているのではなく、有料で望んだものが手に入るだけなのです。そしてその料金を払っているのが私なので、あんまり調理器具を増やされるとその、お財布がつらくて……」
「そうだったの? ごめんなさい……払うわ。いくら?」
「いえ、通貨単位が下界と神界だと違うので……」
「よくわからないけれど、お金がだめなら、それに代わるものでもいいのよ?」
「えーっと……まあ、その、いずれ考えておきます」
「わかったわ。ごめんなさいね、なにも知らずに」
「いえ、伝えなかったこちらも悪いので……むしろ料金が発生するというなら、本日のシッター代をあなたにお支払いしなければいけないぐらいですし」
「……まあ、道案内妖精以外はみんな、手間のかからないいい子たちだったわ。むしろ一番手間のかかる子供が兄さんという」
「……マンドラゴラ屋さんと泥遊びしてそのまま家に上がりますからね」
「そういうところは昔から一緒なのよね。……だから、気にしないで。料金とか言い出したら、むしろ兄さんの世話を任せているあなたに私からなにかあげなければいけないぐらいよ」
「わかりました。では、そのあたりの話題には今後触れないということで」
「そうね」
「お料理もしにいらしてください。魔族の子たちが喜びますから。私は料理ができませんし。私は、料理が、できませんし………………」
女神がうつむく。
甘いものの人は苦笑してから――
「……ともかく、あなたも戻って来たし、私は帰るわ」
「えっ? こんな夜中にですか? 眠っていかれたらいいじゃないですか」
「先生――孤児院の先生の体調も心配だし。本当は甘いものをとどけに来ただけだったのよ。私も看病に行くつもりだったの」
「それはなんというか本当にすいませんでした」
「まあ、病気程度に負ける人じゃないから、看病を口実に魔族の王都を離れるっていう感じだったし、いいの。いつまでもこっちが占領した土地に居続けるのも、気が滅入るからね」
「……」
「だからいい休みになったわ。また今度、甘いものを持ってくるから」
「ありがとうございます、甘いものの人さん」
「もう訂正する気もないわ……それじゃあね、女神さん。兄さんによろしく」
「あ、勇者様を起こして見送りしてもらったりとかは……」
「あの人、一度寝たら、お腹が減らない限り朝まで起きないわよ。じゃあね」
甘いものの人は軽やかな足取りで去って行った。
ガチャリ、と炊事場のドアが閉められ、しばらくするとピンポーンピンポーンと家の出入り口が開いた音がする――あの音夜中はやめてくれないかなあと女神は思った。
「……はあ。お料理覚えた方がいいかなあ」
プリンをつつきながら、女神はつぶやく。
今日一日いなかった。
でも、話を聞く限り、道案内妖精の性癖以外の問題はなさそうだ。
問題がないのは一番いい。
でも、自分がいなくてもまったく問題がないというのは、それはそれで、寂しい気がする。
すっかり心が家に居着いているなあと、女神は主婦化していく自分をまざまざと感じて笑った。