32話
同窓会のお知らせが渡されたのは、同窓会当日だった。
「すっごい困るんですけど!」
いきなり予定が増えて女神は慌てる。
子供がたくさんいる家庭の朝は、死ぬほど忙しいのだ。
みんなを起こしたり、その前に掃除をしたり食器の用意をしたり、トイレ争奪戦にならないようそれとなく一人一人誘導したり、あとラッキースケベ現象に気を配る活動も女神はしていた。
そういうわけで『同窓会は今日です』とか言われても困るのだが……
「女神さん、なにか予定があるのだったら、朝の用意はやっておくから」
誰かが言った――そうだ、朝の炊事場に、今日は女神以外の人もいる。
甘いものの人。
それがもちろん本名のわけはないのだが――そういう名前で通っている、勇者と同じ孤児院で育ったという女性だった。
同窓会のお知らせも彼女が持ってきたのだ。
「でも、甘いものの人さんはなにか予定とかないのですか?」
「……あったのだけれど、会合相手の上司が急な腹痛で。あと、孤児院の先生と、何人かの子供たちが体調を崩したせいで部隊のみんなは看病に行くことになって、それから都合のいいことに突然魔族の王都警備の任務が今日休みになったから」
「……」
なんだろう、ものすごく――神の意思を感じる。
まるで甘いものの人が一日だけ女神と家事を代わるために誰かの見えざる手が入ったかのようで、女神は震える。
「あの、ごめんなさい」
つい謝った。
甘いものの人は薄く笑う。
「いいのよ、兄……勇者の世話は私の役割みたいなものだし。あの人、ああいう人だから」
「……まあ世話役は必要でしょうね」
「昔は違ったんだけれどね。神の加護を得る際に色々と奪われてて」
「その加護は神の関知するところではないのですが、なんとなくお詫びを申し上げます……」
「…………今の勇者もあれはあれで、人気があるのよ。子供から」
「それはわかります」
「そういうわけで、どういうわけかはわからないんだけれど、女神さんが忙しいみたいだし、今日は私が代わるわ。……本当はこっそり材料だけ置いてこっそり去るつもりだったんだけれどね」
「ちなみに、材料というのは?」
「……全体的に白い粉かしら」
「……ああ、はい」
「あとはそうね、バターとかミルクが手に入ったのよ。甘いものとは少し違うけど、勇者の好きなものが作れるかなって」
「好きな物?」
「任せてもらえるなら、朝食に用意しておくけれど」
表情の変化に乏しい甘いものの人が、楽しそうに笑う。
女神は困った――なんとなくここで朝食の用意を任せてしまったら、そのままポジションをとられそうな気がしたのだ。
同窓会から帰ったら居場所がないとか悲しすぎる。
しかし同窓会に行かなかったら行かなかったであとからなにを言われるかわからない。
なぜ神界との通信窓口が同窓生なのか。
違う人だったら今後の関係を心配して急な呼び出しに応じることもなかったのに。
学生時代の友神との付き合いがなんだかおっくうに感じる。
自分の主婦化が進んでいる気がして、女神は震えた。
取り戻さねば。
若さを。
「……それじゃあ、本日の色々は甘いものの人さんにお任せしちゃっていいでしょうか? 申し訳ないのですが……私も若さを取り戻さないとならないので……」
「……ええと、いいのよ。私の方も、あんな勇者のお世話を長いあいださせてしまったみたいで、心苦しく感じていたし」
「それほど大変でもありませんでしたけど」
「ところで女神さんは、その、なんと言うか、勇者とはどういう関係なの?」
甘いものの人が聞きにくそうにたずねてきた。
女神は返答に詰まる。
『ずっと見守ってきました(ストーカー発言)』
『子供のころから守ってきました(親発言)』
『ご想像にお任せします(いらぬ誤解を生む発言)』
……というラインナップしか思いつくことができなかったのだ。
なんとかストーカーとも親(年寄り)とも思われず、誤解も生まない言葉はないものか。
女神は考え、そして、
「その件は今度ゆっくりと」
引き延ばし発言をした。
たぶんひと言じゃ伝わらないと考えたのだ。
甘いものの人はうなずく。
そして、どこか儚い笑みを浮かべ――
「ええ、待ってるわ。聞かせてくれるのを」
そんなことを言った。
なぜだろう、入ってはいけないルートに入ったような気がしてならなかった。
▼
朝食と言えば?
その問いに世間の人がどう答えるかはわからないが、この家に住む者ならば確実に『GYU-DON』と答えるだろう。
朝食はGYU-DON。
それこそが絶対の予定だ。
だが、今朝、炊事場で魔王の娘がいつもの席に着くと――
見慣れない物が、給仕された。
円形の、きつね色の物体だ。
大きさは魔王の娘の顔ぐらいあって、厚さは指一本分ぐらいだろうか。
ホカホカと湯気を立てていて、甘くていい香りがする。
「これはなんだ?」
魔族の食文化には存在しない料理だった。
だから答えを求めて、コンロの方向を見る。
そこにはいつもならば、女神がいるはずだった。
でも、今日は違う――金髪の、女神より子供みたいな女がいた。
甘いものの人だ。
きっと人族において子供に甘いものをふるまう役割をになっているのだろう。
毎日そばにいてほしい。
しかし彼女は忙しいようで、この家には住んでいない。
きっと世界中の子供に甘いものをとどけているのだろうと思うから、魔王の娘は彼女を独占しないよう気をつけている。
王は民を思いやらねばならないのだ。
さて、その甘いものの人が朝食にふるまう不思議な物体。
これを、勇者がこのように呼んだ。
「パンケーキか。懐かしいな」
パンケーキ。
それがこの、ふわふわで甘い香りがする丸い物体の名称らしい――見慣れないわけだ。聞いたこともなかった。
右手にフォーク。
左手にナイフ。
準備を完了してから――魔王の娘は、甘いものの人に問いかける。
「食べていいのか!?」
「どうぞ」
給仕役の許可を得たので、まずはフォークで突き刺す。
やわらかーい。
ふんわりとした感触。しかしスカスカではない――突き刺したフォークを包みこむような弾力が、パンケーキにはたしかにあった。
ナイフを入れる。
堅くないのでちょっと切りにくいが、感触だけで口に入れるのが楽しみになってくる。
大きめに切って、口に近付ける。
においが、やばい。
鼻孔をくすぐる香りの甘さ。
鼻から入って頭の奥をジンとさせるような、たくさんの幸せが湯気と一緒に立ちのぼっている。
魔王の娘は大きくカットしたパンケーキを、口いっぱいにほおばる。
温かい。
柔らかい。
おいしい。
噛み締めれば広がる甘い香り。食感は柔らかく、でもきちんと噛むごとにふわふわと歯を押し返すような弾力もあった。
よく噛んでから飲みこむ。
朝一番の低い体温に、パンケーキの温かさが染み渡るようだ――見て幸福、香って幸福、噛んで幸福、飲みこんでも、幸福。
パンケーキは幸せのかたまりだ。食べるだけで心が優しく、温かくなる。
「小皿の方にバターがあるから、乗せて食べてみてもいいのよ」
甘いものの人が付け加える。
魔王の娘が視線を動かせば、なるほど、勇者はすでにバターを乗せて食べていた。それが当たり前の食べ方だったのかと魔王の娘はうなずく。
ホカホカのパンケーキに、ナイフとフォークでバターをひとかけら乗せる。
四角い白いかたまりだったバターは、パンケーキの温度でゆるやかに溶けていく。
まだ溶けきっていない部分ごと切って、魔王の娘は一口でほおばった。
新しい衝撃が頭を殴ったような気がした。
塩気。そして、脂。目立った要素はそれだけだろうか。バターを乗せたパンケーキは、少しだけしょっぱさがあって、ほんの少しだけ、シットリとした食感となった。
変化はそれだけ。
だというのに、とてもおいしい。
優しさだけではなかった。
幸福だけではなかった。
バターを少し乗せただけで、満足感を強く増す力強さまで、加わったのだ。
甘いものの人――それはとりもなおさず『お菓子の人』だと、魔王の娘は認識していた。
でも、違う。
パンケーキは朝食だ。
ただ甘いだけではない。しっかり食べている感じがして、はっきりと満足感を得られる、お菓子とは一線を画すなにかだ。
優しく、強く、幸せに、満足させてくれる存在――パンケーキ。
それを一枚ペロリと平らげて、魔王の娘はうなずき、決めた。
「わたし、将来はパンケーキになる」
鼻息荒く宣言する。
甘いものの人は笑った。
「そ、そう……がんばってね」
「……ところで女神はどうしたんだ?」
お腹がちょっとだけ落ち着いたので、今さらながら魔王の娘は問いかける。
甘いものの人は頬をひくつかせて、苦笑した。
「……『同窓会』とかで、今日はもう、出かけたわ」
「そんな!? 女神がいなかったら、誰がわたしをお風呂で洗うんだ!?」
「…………そんなことしてるのね。……じゃあ、私がやるから」
肩を落とされてしまった。
どうやら女神は、しっかりと役割の引き継ぎをしていかなかったらしい――魔族ならもしも誰かに代理を頼む時、役割の引き継ぎはかなり神経質に行う。
魔族と神とではかなり文化が違うようだと魔王の娘はまた一つ新たな知識を得た。
「女神はいつ帰るんだ?」
「さあ……? 今日中には帰りたいらしいけれど、ひょっとしたら朝になるかもしれないとか言っていた気がするわ」
「女神が帰るまで、甘いものの人はいるのか?」
「そうね。いちおう、そういう話になったわ」
「じゃあ女神帰らなくてもいいかな……」
「そんなこと言わないの」
苦笑されてしまった。
もちろん女神が嫌いなわけではないけれど、毎日甘いものを食べることができるならば、その方が楽しそうだなと思っただけだ。
女神も甘いものの人も毎日一緒にいるのが、本当は一番いい。
「でも、今日はずっと一緒なら、今日はずっと甘いもの食べられるのか?」
「……どうかしら。三食パンケーキにもできるけど、今回はそれしか用意がないわよ」
「材料がそろったらなにか他にもできるのか?」
「……うーん……あなたが私をどう思ってるかわからないけれど、私はそこまで料理を知ってるわけでもないのよ」
「甘いものの人なのに?」
「………………そうね。ああ、それと、女神さんから言伝があるんだけれど」
「なんだ?」
「『家にもう一人誰か隠れてるかもしれないので、捜してください』って」
「また探索か? でも昨日やったばっかりだからなあ……今日は別な遊びしたいぞ」
「遊びというか、住んでいる場所の安全確保は優先してやった方がいいような……」
「だってあと見て回ってないのって、勇者の部屋とわたしの部屋ぐらいだろ? わたしの部屋にはなんにもないぞ。勇者は?」
魔王の娘が問いかける。
懐かしいなあ懐かしいなあと言いながら山盛りのパンケーキを食べていた勇者が、パンケーキの横から顔を出し、
「なんだ?」
「あと一人誰か隠れてるらしいんだけど、勇者の部屋には勇者以外に誰かいるのか?」
「だったらきっと、俺の部屋にいるぞ」
「いるのか!?」
「聖剣がいる」
「……たぶんそいつじゃないぞ」
「他には――ああ、そうだ。じゃああいつだ」
心当たりがあるらしい。
先日、女神が捜索を言い出したタイミングで言ってやればいいのに――全員が見守る中、勇者が心当たりについて語る。
「道案内妖精」
「……ああ」
と、声を出したのは、甘いものの人だ。
どうやら二人には心当たりがあるらしい。
そして――
魔王の娘にもまた、心当たりがあった。
「そいつ、魔族だな!」
「そうなのか?」
「たしか、勇者を魔王城まで連れて来る担当の魔族がいたはずだ」
「羽根を舐めると甘いやつ」
「そう、そいつ!」
魔王の娘が立ち上がる。
甘いものの人が「兄さん、いつ舐めたの」とちょっとマジなトーンで言う。
勇者は首をかしげる。
それから、「ああ」と言って、
「たしか、遭難して腹減った時に、『羽根舐めてみるといいですよ』と言われたから、舐めたら、甘かったんだ」
「……そんなこともあったわね。でも、道案内妖精がついてて遭難するっていうのも、今思えばおかしな話よね」
「あいつ方向オンチだったから」
「……向いてないわよね、道案内」
「うん、たぶん、もう一人家に隠れてるとしたら、そいつだ。俺が気配探ってもわからない相手は、そいつぐらいだし。そういえば何日か前から、朝、女神に起こされるより早く『起きて』って誰かの声で言われてる気がするから、そいつの仕業だと思う。起きたあとなんか甘いもの口についてることもあったし、そいつの鱗粉かも」
「……兄さんは相変わらずね」
「そうか? あ、でも、そいつの鱗粉甘いから、がんばって羽ばたかせたら砂糖の代わりになるかもしれない」
「兄さんはたまにサラリとすごい鬼畜発言するわよね」
「そうか?」
「先生の影響かしら……だめよ、兄さんはあんな穏やかな笑顔の鬼畜メガネになったら」
「俺はメガネ、かけてないぞ」
「……とにかく、私たちの先生には似ないように気をつけて」
「俺は先生には全然似てないぞ」
「……まあ、じゃあ、兄さんの部屋を捜して、道案内妖精を捜しましょうか」
甘いものの人が肩を落とす。
なんかいつも疲れたような顔をしてる人だな、と魔王の娘は思った。