30話
「コカトリスはですねえ……目を見ると石になるんですからあ! だからずっと暗い場所にいたんですよう!」
どうやら彼女が牧場長の部屋に潜んでいたのは、そういう理由らしかった。
彼女の腕の中で、黒いニワトリ――コカトリスが同意するように「コッコッココケー!」と鳴いた。
ちなみに、そのコカトリスはよく見れば目隠しがしてある。
コカトリス飼育員のつけているのと同じ、どこかボロい黒い布を、巻いているのだ。
じゃあ別に暗い場所にいることはないんじゃあ――女神はそのように思った。
場所は変わらず廊下である。
魔剣……ではなく聖剣の精を除くすべての住人が集結しており、魔王の娘は壁にぶつかった体勢のままだった。
コカトリス飼育員は「危ないんですよお、危ないんですからねえ……!」とぶつぶつ陰気につぶやいたあとで――急にハッとした表情になる。
目隠しをしたまま魔王の娘がいる方向に顔を向け、
「ま、魔王さまあ!?」
今気付いた、というように叫んだ。
どうやら目隠しをしていても視界は通っているらしい――ただのファッションなのか、鍛え上げられた心眼でも持っているのか、その真偽は定かではない。
コカトリス飼育員は慌てた動作で魔王の娘に駆け寄る。
ベタリと床に伏せて魔王の娘と視線の高さを合わせてから、
「魔王さまあ! なんでそんなところで倒れていらっしゃるんですかあ……! 誰にやられたんですかあ……!?」
「お前だす」「アンタよ」「君だよ」「あなたです」と魔族全員からツッコミが入った。
しかし被害者本人である魔王の娘は――
「ふ、気にするな……」
かひゅーかひゅーと死にかけみたいな呼吸をしながらそう応じた。
なぜか涙を誘うやりとりだった。
「ところでコカ屋……」
「コカトリス飼育員は、ここにいますよお……!」
「もし……わたしの身を案じるなら……おいしいものをよこせ……」
「お、おいしいもの……?」
「コカを……コカトリス肉を……食べたい……アッサリしていて……それでいてジューシーな……」
「わかりました……! コカトリス、シメます……!」
「あとは勇者に任せ……」
ガクリ。
魔王の娘が意識を手放した。
「魔王さまあ……!」
コカトリス飼育員が魔王の娘の頭に抱きつく。
それから、コカトリス飼育員は目隠ししたままの顔をキョロキョロとあっちこっちに向けて――最終的に、勇者に目線を合わせて(隠れているが)動きを止める。
「……魔王さまのご命令ですから、コカをシメますう」
ギュッと抱きしめたコカトリスを抱きしめる。
勇者は首をかしげた。
「いいのか? それ一羽しかいなかったりはしないのか?」
「家に戻ればいっぱいいるですう。あと、この子はシメないんですう。この子は群れ唯一のメスなんですう。コカトリスは子供のころみんな中性で、群れで一番体の大きい一羽だけがメスになって、卵を産むんですう」
「コカトリスの卵は食えるのか?」
「あっあっ興味あるですか!?」
「うまいなら興味あるぞ」
「コカ卵はとてもおいしいんですう! でも食べると約五割の確率で石化するんですう! でもおいしいからみんなに食べてほしいんですう!」
「そうか。俺は食うぞ。石化しないし」
「勇者さまいい人ですう……! どんなに調理法を研究しても誰も食べてくれなかった『石化する卵』を食べてくれるなんて、いい人すぎますう……!」
魔族は全体的にチョロいな、と横で話を聞いていた女神は思った。
ともあれ――コカトリスはたしか、見たまま、鶏肉に味の近い生き物だったはずだ。
ということは今日は鶏肉料理だろう。
しかし、どう食べればいいのかという問題が立ちはだかる。
鶏には利用方法が無数にあるのだ――焼いてよし、煮てよし茹でたっていいし、ものによっては生のままだっていけるだろう。
女神としては、今までにしていなかった食べ方をしたい気持ちもあった。
なにがあるだろう、なにがいいだろう、そう考えつつ、最近食材の調理法ばかり考えているなと自分にあきれつつ、女神は考え続けて――
ふと、思いついたことがあった。
だから女神は、コカトリス飼育員にたずねた。
「あの、コカトリス飼育員さん、調理法を研究していたとおっしゃいましたけど、卵料理できるんですか?」
「できますう! おねーさんも五割の確率で石化するコカトリスの卵いるですか?」
「まあ、私も石化はしないので食べてもいいのですが……」
「おねーさんいい人ですう!」
「……あ、ありがとうございます……あのですね、それで、卵料理ができるんならちょっとやってみてほしいことがあるんですが……まずは普通の卵で」
「コカの卵食べてくれる人の言うことならなんでも聞くです」
コカトリス飼育員はチョコチョコ歩いて女神に近付いてくる。
かわいい動作だな、なんでも言うこと聞くとかみだりに人に言わないようあとで注意しないとな、目隠ししてるのに見えるのかな、とか思いつつ、女神は言う。
「じゃあ、知らなければ作り方は私が教えるので『オムレツ』を作ってみてくれませんか?」
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『オムレツ』はこの世界にも存在する。
だから試しに一つ作ってもらったものの、問題はなさそうだ。
ただし――
「乳屋さんがいないと完璧にはできないですう」
ということだった。
名前から察するに、ミルク系担当の魔族だろう――ミノタウロスがオスしかいない以上、他にミルクを出す生き物がいるのかもしれない。
まあ、魔物ならオスでもミルクを出しそうな気もしないでもないのだが、オスのミルクというのは響きがなんか嫌なので、女神的にはいきなり『ミノ乳』とか出される可能性が潰れてくれたようでホッとする。
さておき――まだ他のどの魔族よりも小さいようなコカトリス飼育員だったが、料理の腕はたしかだった。
思えば牧場長はミノタウロス調理をすべて担当したし、マンドラゴラ屋はマンドラゴラのTEMPURAを調理してみせた。
漁師だってとった魚は自分で焼いた。
魔族は自分の収穫物ならだいたい料理できるとかいう可能性は低くないだろう。
自分も料理覚えないと『ただGYU-DONを盛りつける存在』としか認知されなくなるかも、と女神は危機感を覚えた。
その女神は炊事場、コカトリス飼育員がオムレツを作っている横でなにをしているかと言えば――通販である。
もし炊事場に第三者がいたならば、女神のことを『娘に料理を任せてぐうたら通販をする母親』みたいに思ったかもしれない。
しかし通販こそが、女神にしかできないことである――自分で思って悲しくなるが、それは変えようもない事実だった。でも掃除もきちんとしてますからね。
本日は調味料の購入だ。
だから、女神の戦い、その本番は購入許可の申請ということになる――予定だったのだが。
調味料の購入申請は拍子抜けするほどアッサリ通った。
というのも――
「小麦粉とかグレーゾーンでない限り、調味料購入申請は基本的に通るようになりました。ただし、その家のメニューが増えたり部屋が増えたり家具が生えたり、その他メカニズムにかんする質問は一切受け付けません」
交換条件だった。
そこまで秘されると気になってたまらないのだが、ここでゴネるには、今後『調味料』の枠に収まるものならば許可を得る必要がなくなるというのは、魅力的だ。
女神はメリットとデメリットを天秤にかけて、家のメカニズムを知るよりも、自由に調味料を購入できることの方がいいと判断した。
まあ、気にはなるが……
そもそもこの家は『魔王を倒した勇者へのご褒美』である。
少々気味悪かろうが、勇者にとってマイナスになるようなことはないだろう――そもそも、多少のことであれば、勇者は気にもしないだろうし。
というわけで調味料購入申請は通った。
あとは買うだけだ。
結果に満足し、また安堵し、椅子の背もたれに深く背中をあずけ、神界との通信を切ろうとしたところで――
通信先の担当者が言う。
「それにしても順調に信者が増えている様子ですね、女神よ」
「そうですね、まったくの計算外で私としては戸惑いを隠せませんが……あと信者じゃなくただの同居人だと思うのですが」
「通販の購入履歴が所帯じみてきていますね、女神よ」
「……子持ち男性に貢いでいるようだなとは私も思っています」
「そうですか。今度食事でもしましょうか、女神よ」
「いいですけど、なんでいきなり……」
「家庭に収まり若さをなくし、一気におばさん化した女神をたくさん見ています。いいですか女神よ。『今が幸せだなあ』とか『子供ってかわいいなあ』とか、『大変だけど家事って楽しいなあ』とか思い始めたら、おばさん化の危険信号が出ているのです」
「そんなことはないと思いますが……」
「女性の若さは、同年代の女性との付き合いでしか維持できません。ですから女神よ、近々同窓会の案内を送るので、楽しみにしていなさい。若さを取り戻しましょう」
「しかし、勇者様を残してこの家からいなくなるわけにも……」
「安心しなさい女神よ。すべては手配します。あなたに神のご加護を」
「はあ、神のご加護を……」
微妙に無気味なことを言い残し、通信は切られた。
同窓会とか着て行く服に困るからちょっと面倒くさいのだが、この誘われ方では断わるのもそれはそれで面倒だ。
気遣いは嬉しいんだけれど、なんだかなあ――そんなことを思いつつ、女神は通販で目的の調味料を購入する。お急ぎ無料便なのでそうかからずとどくだろう。
と、ひと仕事終えて女神が伸びをしていると、チョコチョコとコカトリスを胸に抱いたコカトリス飼育員が近寄ってきていた。
目隠しに隠れた瞳を、ジッと向けてきている。
女神は微笑み、問いかけた。
「どうしました、コカトリス飼育員さん」
「あっあっ、あの、……焼いてみたんですう」
「ああ、オムレツですか。おいしかったですよ。魔族の方々はみなさんお料理上手でいいですね……やっぱり経験ですよね……幼少時からの……もう戻れないあの日々……」
「あのその、さっきのじゃなくって、もう一個、焼いたんですう」
「もう一個?」
「コカの卵で焼いたんですう」
「……」
石化するヤツだ。
まあ、女神は下界の状態異常はもらわないので、石化はしないのだが……
それにしたってその卵はどこから出したのか。ずっと持ってたのか。だとしたら衛生状態はどうなのか。それとも今そこで産んだとでも言うのか。女神が通販してるあいだに横で産卵していたのか――
気になることはたくさんあった。
というか、ありすぎだった。
でも、女神は笑うことにした。
だって、コカトリス飼育員があんまりにも食べてほしそうにしているから。
「……そうですか。では、いただきましょうか」
「はいですう……!」
女神は覚悟を決めて、コカトリス飼育員の頭をなでた。
本当の慈愛がなんなのか、初めて知った気がした。




