26話
魔王の娘を背負った勇者は、魔族の王都に来ていた。
今日はいちおう、変装みたいなことをしている――長いローブで体を隠し、フードをすっぽりかぶって顔を隠すという、その程度のことだが。
魔族の王都は人族の王都と比べれば、かなり入り組んだ構造の街だと言えるだろう。
区画整理がされているのかいないのか、この街は王城を中心として渦を巻くように道が延びているのだ。
住みにくい気がする。
だが一方で、ひょっとしたら人族の王都と違って襲撃を前提とした街作りがされているのかもしれないと勇者は思った。
ぐるぐると回らなければ大軍が城にたどり着けない道作りや、小勢で侵入しようにも一番高い位置にある魔王城からはあらゆるものが丸見えという街の構造は、攻める側からすればやりにくい。実際、それで魔王城到達までにすら苦労をしたものだ。
「魔王の娘、その、粉を扱ってる店はどこだ?」
背中で死にそうな呼吸を繰り返す魔王の娘にたずねる。
彼女は数度の呼吸を終えてから、
「ハッハッハ……パウダー屋は魔王城のそばだ……マジックパウダーは色々使うのでな……」
「マジックパウダー?」
「パンやパスタの材料だ……魔族における主食なのだぞ……」
「そうなのか。どんな植物からとれるんだ?」
「……マジックパウダーは魔法で生成するものだぞ?」
「生成? 製粉とかじゃなくてか?」
「専門の者が儀式魔法により無から生み出すものだぞ」
「そうなのか。魔族はすごいな」
「すごいだろう……クックック……」
などという会話をしつつ、勇者は屋根から屋根へ飛び移るように移動していく。
魔族の王都の建物はだいたいが石造りなので頑丈で、なおかつ屋根が平べったいので屋根伝いの移動がしやすい――きっと、あまり雪が降らない地域なのだろうと勇者は思う。
それにしても、静かだ。
てっきり土地がほしくて人族は戦っていたと思っていたが――人が移住している様子は、まったくない。
まあ、それでも生き残った魔族に王都が返却されている様子はないし――
監視はいるみたいだし。
人族の目的とか難しいことはわからないけれど、今の魔族の王都は居心地が悪いことに変わりはない。
さっさとパウダー屋本人かその店舗を見つけて帰った方がいいだろう。
そう思っていたのだけれど……
「魔王の娘、ごめん」
「なんだ」
「囲まれた」
面倒くさい展開になったなあ、と勇者は思う。
これだけ見晴らしのいい場所だ。目につく見張りの視界にはいちおう注意して進んでいたものの、目につかない方の見張りには案の定捉えられてしまった。
まあ、こうなったら仕方ない。
あきらめて『斬り』抜けようか。そう思い、腰に帯びた聖剣に手を伸ばして――
「……あ、大丈夫そうだ」
――手を止めた。
そして代わりにフードをとる。
その動作とまったくタイミングを同じくして、勇者をとりかこむように、ローブ姿の数人が姿を表す。
その集団は『奇妙な風体』という評価を受けている。
なにせ集団の全員が、真っ黒なローブと、幽霊を模した――見えないものを模すという挑戦的な試みをした仮面を身につけているのだから。
「おう、俺だ」
勇者は軽い調子でそう言った。
すると、勇者を取り囲む集団から一人が歩み出る。
性別年齢種族は一切不肖だった――なにせ体型がわからないローブと、顔がわからない仮面をつけているのだ。わかりようはずもない。
しかし、勇者にはそれが誰かわかった。
だって――
「兄さん?」
少女の声。
勇者はうなずき、
「おう。聖剣見るか?」
腰に帯びた剣を、鞘ごと外す。
それを掲げるように示せば――仮面をかぶった集団が、どよめき、感嘆の声をあげ、それから、武器を落として、ひざまずいた。
魔王の娘は状況がよくわからない。
だから小声で問いかける。
「……な、なあ勇者、こいつら、なんなんだ? ちょっと怖いぞ、あのお面とか」
「こいつらは俺の部隊だ」
「勇者の部隊?」
「そう。同じ孤児院で育ったやつらだけの部隊だ。信用していいぞ」
どうやらそういうことらしい。
魔王の娘はまだ事情をのみこめなかった。
▼
「兄さん、生きてたんなら手紙ぐらいよこしてよ!」
魔族の王都の、てきとうな民家の中――
木製の家具とテーブルが前住人の名残を感じさせる、三部屋きりの家。
そのテーブルに座らされた勇者と魔王の娘は、仮面を外した集団に囲まれ、詰め寄られているところだった。
質問の声は数多いが、集団を代表しているらしいのは、金髪碧眼の人間の女だった。
飾り気のない少女である。
まだ幼い印象を残してはいるが、どうやらこの、男女入り交じった、年齢も若いは若いがそこそこ幅がありそうな集団のリーダー格らしい、と魔王の娘からは見えた。
「俺、手紙苦手だ」
「そういう問題じゃないでしょ!? ああもうまったく……とにかく、勇者の生還ね。実はあんまり心配はしてなかったの。だって兄さんが死ぬはずないもの。だっていうのに王宮の連中ったら、さっさと葬式までしちゃって馬鹿みたい」
「いや、俺は一回死んで、よみがえって、今はGYU-DON食べて暮らしてる」
「……どういうこと?」
「本当に一回死んだ。でもよみがえって、今は、女神と、それからこいつらと、毎日食べたり遊んだり風呂入ったりして、暮らしてる」
「……こいつらって――その子、魔族でしょ?」
「魔王の娘だ」
「…………頭が痛いわ。ちょっと時間をちょうだい」
金髪の少女はこめかみをおさえて目を閉じた。
それから、
「話を整理すると、実は生きてた兄さんは――」
「一回死んで、よみがえった」
「……一回死んで、よみがえった兄さんは、魔族や女神……女神? とどこかで隠遁生活を送っていて、それなりにいい暮らしをしてるって、そういうこと?」
「それなりに、じゃないぞ。かなり、いい暮らしだ」
「頭が痛いわ。……その子が本当に魔王の娘なら、なんで兄さんはその子と一緒にいるわけ? だって魔王って、兄さんを殺した相手でしょ? 『一回死んでよみがえった』なら」
「違うぞ。俺を殺したのはたぶん、人族だ」
「……なんで人族が勇者を殺すのよ」
「なんか偉い人のなんかがなんかしたんだと思う。魔王との戦いが終わった直後の隙を突かれたんだ。でも魔王までの道にいた魔族は全部倒してたから、生きて俺を後ろから攻撃できるとしたら、それは人族以外にない」
「…………頭が痛いわ」
「お前はいつも頭痛いな。大丈夫か?」
「ええ、慣れてるから。……あー、うーんと、とにかく、この子は殺さなくていいのね?」
「殺すなよ。もう魔族は俺の敵じゃない。魔族倒さなくてもご飯食べられるんだ」
「わかったわ。……とにかく、状況は複雑なのね。じゃあ兄さんが見つかったことは、王宮に報告はしない方がいいの?」
「その方がいいって俺は判断してた。でも、お前の方が頭がいいから、お前の判断に任せる」
「……少し時間をちょうだい」
「ああ、あと」
「なに?」
「パウダーがほしい」
「……は?」
「別に、誰が俺を殺したとかはどうだっていいんだ。でも、俺はうまいもの食いたいから、そのためにパウダーを探して魔族の王都まで来た。なにかを考えるにせよ、パウダーをくれ」
「パウダー?」
「マジックパウダーっていう、魔族におけるパンとかの材料だ」
「……魔族の王都にあった、魔族の手によると思われる品々は、全部接収されて王宮に運び込まれてるわ。たぶんこのへんにはないんじゃないかしら」
「なんだと……ないと困る……TEMPURAが食べられない……」
「捨てられた愛玩動物みたいな顔しないでくれないかしら……わかった、わかったわ。私がなんとかするから」
「そうか。お前はいつも頼りになるな。ありがとう」
「……どういたしまして。ああ、本当に頭が痛いわ……兄さんは相変わらずね。頭が痛くて安心する」
「痛いのに安心するのか?」
「そうよ」
「お前、変わってるな」
「………………そうね」
言いたいことを色々飲み込んだような顔だった。
魔王の娘は事情こそ把握しきれなかったが、彼女が苦労していることだけはわかった。
「そういえば、お前は来るか?」
勇者が問いかける。
金髪の少女は眉根を寄せた。
「来る? どこに?」
「今の俺の家に。お前だけじゃなくてみんな来るか? 食べ物は無限にあるぞ。それに、住人が増えると食べられるものが増えるんだ」
「……頭が痛いわ。えっと、待ってちょうだい。考えるから。情報が一気に増えるし、しかも情報源は兄さんだしで、考えることが山積みよ」
「そうか。がんばれ」
「……ええ、そうね」
金髪の少女は苦笑していた。
そして、しばしの沈黙のあと――
「まず、パウダーにかんしてだけれど、ようするにパンとかの材料になる粉があればいいのよね? それは、用意するわ。人族のものだけれど」
「そうか。ありがとう」
「どういたしまして。……で、次に兄さんが生きていることについては、ここだけの秘密にした方がよさそうね。人族が勇者を倒すっていうのがどうにも想像しがたいんだけれど……兄さんの言うことだからね。根拠はないけど真実ではありそうだし、少し調べてみるわ」
「そうか。いつもすまない」
「どういたしまして。……あとは、兄さんのいる家に行かないかっていう話だけど、これは見送らせてもらうわ。兄さんを殺した相手の調査もしたいし、それに、私たちがいきなり姿を消したら不審に思われるでしょ? 隠遁生活を続けたいなら、ここで不信感を抱かれるのはよろしくないと思うわ。ただでさえ、私たちは兄さんと一緒に育ったわけだし」
「そうか。お前に任せる」
「ええ、任せて。……で、兄さんはどうしたいの?」
「どうしたいってなんだ?」
「兄さんを殺した犯人が人族にいるとして、どうしたいの? 私に任せてくれれば、消しておくけど」
「別にそういうのはいい。俺は毎日腹いっぱいうまいもの食べてる。だからこの生活が続けばいいなって思ってるだけだ」
「……まあ、復讐心はないわよね。兄さんだもの。あと――魔族の処遇だけれど」
「処遇?」
「運悪く――というかそちら側からすれば運良く、今まで魔族の王都周辺で見つかった魔族はいないわ。でも私たちは、魔族を見つけ次第処理するように命令を受けているの」
「そうなのか」
「でも、もう魔族は兄さんの敵じゃないし――私が復讐するべき相手でもないのよね。だって兄さん生きてるし、そもそも兄さんを殺したの魔族じゃないらしいし」
「そうだな」
「だから、それとなく兄さんのいる方向へ逃がした方がよかったりするのかしらって、そういう質問ね」
「そうだな」
「じゃあ、なるべく逃がす方針でいくわ。でも、大人しい魔族に限った話ね。抵抗されたら、どうしたって殺し合いになるもの。その時に手加減をするつもりはないわ。それでいい?」
「いいぞ」
「兄さんの家は東の方?」
「よくわかるな」
「わかるわよ。だってここより西をいくら調べても兄さんは見つけられなかったもの。あーでもそうか、兄さんの家はここより東で、そこには魔族もいるのよね?」
「いるぞ」
「じゃあ、気取られない程度に土地の調査を遅らせるわ。あと、兄さんのいそうなあたりに調査の手が伸びそうになったら連絡するから」
「わかった」
「幸いにも、まだ潜んでる魔族がいるとか、未開の地で調査したくないだとか、どの貴族が開拓して土地を得るとか、そういうゴタゴタでもうしばらくここより東の調査への着手はしなさそうだし……うん、なんていうか、忙しくなるわね」
「すまない」
「いいのよ。気にしないで。兄さんは神の加護を得る際に名前以外にも色々奪われてるし、奪われたものの代わりになるのが、私たちの望みだもの」
「実はそれ、神は関係ないただの魔法らしいぞ」
「……その話はええと、女神から?」
「そうだな」
「……兄さん、大事な質問があるのだけれど」
「なんだ?」
「その『女神』っていうのは――比喩じゃないのね?」
「どういう意味だ?」
「いやだから、魔族の領地の深い部分で、傷ついた兄さんを保護して、料理をふるまってくれる理想の女性に会って同棲を始めたから、そのお嫁さんみたいな女性を『俺の女神』って呼んでるとかそういう話じゃないのよね、って。本物の女神なの?」
「あいつはうまいものを毎日食べさせてくれるから、たぶん本物の女神だぞ」
「……その情報は判断が難しいわね」
金髪の少女は顎に手を添える。
勇者は首をかしげた。
「ところで俺はこのあとどうしたらいい?」
「ええと……パウダーは……まあ、兄さんだし家畜が運べるぐらいの量は運べるわよね」
「おう」
「じゃあ、今、用意させるから、それを持って一度帰りましょう。私も、ついて行くわ」
「一緒に住むのか?」
「違うわよ。詳しい場所知らなかったら魔族を逃がしたり、今後なにかとどける時に困るでしょう? だから、私だけは知っておくのよ。でも、私以外は知らないようにするから、安心して。もし違う人が知ってたら私が死ぬ間際に仲間に場所をたくしたと思ってちょうだい」
「わかった」
「孤児院で一緒だった子以外が知ってたら、私が裏切り者で、場所を漏らしたと思って」
「お前、裏切り者なのか?」
「違うわよ。でも、今のところ誰が兄さんを殺したか完全に不明でしょう? だからそういう警戒もしてっていう話」
「同じ孤児院の連中を疑いたくないぞ」
「私も同じ孤児院に兄さんを殺した子がいるとは思ってないわよ。ただ可能性の話で……」
「難しい」
「……とにかく、なんか敵意を持って近付いてくる相手がいたら、それは同じ孤児院の子であっても容赦しないでってこと。できるでしょ、敵意の感知」
「魔王との戦いの直後じゃなければできるぞ」
「……兄さんは本当に、保護者が必要よね。今はその女神が保護者なのかしら」
「それはわからないけど、俺は今魔王の娘とかの保護者をやってる」
「……頭が痛いわ。そのへんも――まあ、女神さんに聞いた方がよさそうね。じゃあ、少し待ってて。パウダー的なアレを持ってこさせるから」
「おう」
かくして話はまとまったようだった。
金髪の少女がせわしなく指示を飛ばし、その指示に応じて仮面の少年少女青年淑女たちが建物を出て行く。
そうして勇者、魔王の娘、金髪の少女が残され――
金髪の少女が魔王の娘を見る。
「そうだ、ねえ、あなた……魔王の娘? 名前は?」
「魔族に名前はないぞ。一人前になるまでは、役割で呼ばれるんだ。だからわたしは、魔王の娘が名前みたいなもんだ」
「そうなの、変わってるわね……ところであなた、甘い物は好き?」
「甘い物?」
魔王の娘は首をかしげる。
金髪の少女は、優しく笑った。