22話
「倒れていたわたくしを介抱してくださったこと、まことにありがたく思います。ですがみなさまに、わたくしから差し上げられるものがなにもないのです。申し訳ありません」
極めて上品に食事を終えると、魔王の娘によく似た少女はそのように述べた。
炊事場である。
魔族たちと魔王の娘が部屋の隅でザワザワしている。
女神の耳にとどく子供たちの会話内容は、「あいつなんか上品じゃないか?」「そうだすなあ」「本物の魔王さまあっちじゃないの?」「ボクもそう思った」というものだった。
魔王の娘の立場が危うい。
ともあれ、魔王の娘によく似た、しかし魔王の娘よりよほど気品を感じさせる少女は、女神を見て――
それから、正面に座る勇者へ視線を移す。
「あなた様が、この家の主ですね?」
「そうなのか?」
勇者は女神を見た。
女神はでしゃばりすぎないように、無言でうなずく。
勇者は再び魔王の娘のそっくりさんに視線を戻し――
「そうらしい」
「あらためて、お礼を……わたくしを救ってくださり、ありがとうございます。見ればあなた様は魔族ではなく人族の様子……だというのに、魔族のわたくしにこうして食事までふるまってくださり、本当に感謝の念がつきません。その差別なき博愛の精神、ひとかどの人物とお見受けいたしますが、あなた様のお名前をうかがってもよろしいでしょうか?」
「名前は神の加護を得る時に剥奪された。俺は勇者だ」
「まあ、勇者……勇者というと、えっと、その……魔王を倒す役割を持つ、人族の英雄だったり……? あ、そうですわ、あなた様はひょっとして『YOU-SHYA』というお名前なのでは? だって勇者だったら、魔族のわたくしを生かしておくはずがありませんものね」
「いや、名前はない。立場が勇者で、実際に魔王を倒したのが俺だ」
「…………」
魔王の娘のそっくりさんは、視線をせわしなく泳がせる。
そして、炊事場の隅で固まってひそひそ話す、魔族たちに視線を止める。
「……彼女たちは?」
「漁師と、マンドラゴラ屋と、牧場長と……魔王の娘だ」
「……わかりました」
「わかったか」
「彼女たちを解放してください。わたくしはどうなってもかまいません」
「どういうことだ?」
「あなた様がなぜ魔族である我らを生かしておいておくのか、わたくしなりに考えました。きっと、捕虜として置いているのだと思います。ですから、解放をお願いしているのです。わたくしの身柄と引き替えに、どうか、彼女たちを自由に……」
「どういうことだ?」
「……わたくしは、先代魔王の力を受け継ぐ、正式な次期魔王です」
観念した、というように次期魔王は白状する。
勇者は首をかしげ、炊事場の隅でひそひそ話している魔王の娘を一瞥する。
「あいつが魔王の娘だぞ。そう言ってた」
「彼女は――わたくしの影武者なのです」
「そうなのか?」
勇者がたずねる。
魔王の娘がブルブルと首を素早く左右に振った。
「いやいやいや! わたし、魔王の娘! 次期魔王はわたしだから!」
「でもコイツは自分が次期魔王って言ってるぞ?」
「嘘だ! わたし、魔王! 次の魔王、わたし! わたしだよ! 信じてよ!」
必死に叫ぶ。
けれど、次期魔王を名乗る少女は、優しく微笑み、ゆっくり首を横に振る。
「いえ、もういいのです。……あなたたちには、苦労をかけましたね。わたくしが捕まってしまっては、魔族の再興はならないかもしれません。けれど、どうかあなたたちは、無事に逃げ延び生きてください。それがわたくしの、最期の望みです」
どうにも次期魔王は、自分がここで死ぬつもりらしい。
勇者の方に殺す気はないはずなので、その自己犠牲は勘違いからのものであり、ぶっちゃけてしまえばまったく無意味なのだが……
配下のために我が身をなげうつ。
その覚悟からは、気高い精神性がうかがえた。
魔族たちがザワザワと会話をする――「あいつ本当に魔王なの? わたしは?」「し、知らねえけんども……」「でもあっちの方がよっぽど王様っぽいわよね」「綺麗だよねえ。ボク、あの人になら仕えてもいいかも」
魔王の娘の信頼度が低すぎる。
まあしかし、第三者である女神から見ても、先に来た魔王の娘は偽物であり、あとから来た次期魔王の方が本物っぽく見えた。
だが、どちらが本物かは関係ないのだ。
だって――
「お前がどういうつもりかわからないけど、俺はあいつらを追い出さないぞ」
「……わたくしの身柄であれば、魔族四人と釣り合いがとれるはずです」
「だって追い出したらあいつら野垂れ死ぬぞ」
「どうかお願いいたします……あなたに慈悲の心があるならば、どうか……」
「いや、追い出したらかわいそうだろ」
「彼女たちはまだ若く、未来があるのです……どうか、解放をしてあげてください」
会話がまったくかみ合っていなかった。
勇者と次期魔王だけでは話は一切進みそうもない。
そんな気配を感じたのか――
魔王の娘が、口を開く。
「おい偽物! わ、わたしが魔王の娘なんだぞ!? なんでお前、次期魔王とか名乗るの!? わたしの立場をどうしたいの!?」
別に会話が進まないことをみかねたわけではなさそうだった。
ただ、自分の立場が危ういから慌てたらしい。
「いえ、ですから、もういいのです。あなたもよく、今までわたくしの影武者としてつとめてくださいましたね。その自己犠牲に感謝を……」
「いや、自己犠牲とかじゃなくて、わたしが本物なの!」
「それはもういいのです。これからは自由に生きなさい。次期魔王として命じます」
「もうよくないよ!? なんで!? なんでわたしの居場所奪おうとするの!?」
「ですから……」
「お前偽物だよ! わたしが本物なの! どうしてそんなひどいことするの!?」
「あの、ですから……」
「わたしが次の魔王なの! だって父からそう言われたもん!」
「いえ、あの」
「わたしが魔王だ!」
「……はあ」
次期魔王はため息をつく。
そして、ニコリと笑って――なぜか、テーブルの上にのぼった。
それから魔王の娘を指さし、
「あなた馬鹿でしょう!? わたくしが代わりに捕まるから、あなたたちはお逃げなさいと、そういう作戦なんですよ!」
空気が凍った。
次期魔王と名乗った少女は続ける。
「ちょっと頭悪いんじゃなくて!? あなた様が本物なのは、わかっています! わたくしが偽物なのも、わかっています! ですから頭を働かせ、勇者を騙して助けだそうと、そういうつもりだったのです! それをゴネて台無しにするなど……!」
「えっえっ」
「まったく、こんなのが次期魔王……あなたが生きていても魔族の再興はなりませんわね! もうわたくしが次の魔王やりますから、あなたは一生ここで捕まってなさい!」
「あ、うん……」
「そういうことで! 失礼いたしますわ! ごちそうさま!」
話が少々ややこしいのだが……
つまり、あとから来た少女の方こそ影武者だったらしい。
次期魔王――否、影武者はすごい剣幕で怒鳴り散らしたまま、呆然とする全員を置き去りにするように炊事場を立ち去ろうとする。
それを、
「待て」
勇者が、止めた。
影武者がテーブルを降りた段階でピタリと止まる。
「……あ、あら勇者様……なんでしょう?」
「事情がさっぱりわからなかったけど、ようやくわかった。ようするにお前、魔王の娘を助けようとしてたのか。酷い目に遭ってると思って」
「……ええ、まあ、はい。予想以上の知力のせいで失敗に終わりましたけれど」
「なら安心していいぞ。魔王の娘たちは、俺が守ってるから。ちゃんと毎日ご飯食べさせてるし、一人に一部屋与えてるし、毎日よく遊んで、風呂入って、寝てる」
影武者が硬直する。
それからギギギと魔王の娘の方向を見て、
「……そんないい生活してるんですの?」
たずねた。
魔王の娘は力強くうなずいて――
「毎日ごろごろして、いい生活してるぞ!」
ハッキリと宣言した。
その宣言はどうなんだ、と女神は思った。