20話
「わたし、わたしな、父のかたちにしたぞ!」
「ウチは子ミノ型だす」
「アタシ、土のかたちにしたわ」
「ボクはサンを作ったよ」
魔族たちがわいわい騒ぐのに混じって、ジュウジュウと肉が焼ける音がする。
炊事場だ。
時刻はもう夜になっていた――みんな、夢中でハンバーグを成形して、各々、自分の作ったものが目の前に来るのを楽しみにしている。
本日フライパンをふるっているのは女神だった。
料理は苦手なのだが、みんなには『かたちをととのえてもらった』ので、焼くぐらいは自分でするべきだ――そう彼女が主張したのだ。
勇者の見る女神の後ろ姿には、迂闊に話しかけられない緊張感がただよっていた。
料理は得意じゃないようなので、かなり集中して行っているのだろう――たしかに、自分が成形したハンバーグが焦げていたりしたら、少しがっかりするかもしれない。
まあ、それはそれで楽しいとも思うが――
勇者は、横に立つ聖剣の精を見る。
微妙な表情をしていた。
「……なんか解せないわ。ついこのあいだまで敵対してた相手と、一緒に食事なんて」
「別に魔王の娘とは敵対してないぞ? 敵対してた魔王は倒したし」
「でも魔族でしょう?」
「だからなんだ?」
「……あたくしには理解できません。だって、ずっと昔から、あたくしは魔族を倒す者……勇者様の味方でしたんですもの。代々勇者様に選ばれる方々は魔族と見れば女子供だろうが容赦をしませんでしたわ。だからあたくしも、なにも考えずにただ剣でいることに徹せられた」
「そうか」
「でも、今代の勇者様はよくわからないんです。……だからこんな、剣としての分をわきまえず、勝手に女神を斬ろうとしたり、人みたいな姿をとったり……あたくし、動揺していますのよ。このままではもう一生、勇者様に抜いていただけないのではないか――それから……」
「それから?」
「こんなのどかな場所で過ごしていたら、生き物を殺す道具としての本分を忘れてしまうのではないかって」
「そうか」
「……勇者様は、あたくしがなまくらになってもいいの?」
「それは困るな。ミノ肉が切れない」
「……あたくしは食べ物を切るようなものではないんだけど」
「でもこれから、きっとお前はずっとミノ肉を切るぞ?」
「…………」
「食べないものは殺さなくていいんだ。そもそも、前までがおかしかった。食べるために、食べないものを殺すなんて、回りくどい。今の方が自然で、わかりやすい」
「……そういうものなのかしら」
「たぶんもっと違う考えはあると思う。でも、俺はそう思ってるし――そんな俺が不満で、俺のそばにいたくないなら、俺はお前を、もとの場所に帰してもいい」
「……勇者様の馬鹿。そんなのあたくしが望まないって、わかってるくせに」
「望まないのか?」
「あたくしは一人が嫌いなの。持ち主を求めて待ち続ける時間が嫌いなの。だから――包丁でもいいわ。あなたの仰せのままに。だってあなたは、最高の使い手なんですもの」
「寂しいのか?」
「……そうね」
「だったらここにいたらいい。みんな、別に、お前の敵じゃないし。寂しいだけなら、誰かを斬る必要もないだろ? だって斬ったら人が減っちゃって、寂しくなるからな」
「……でも、あたくしは、そういう役割の刃物だもの」
それきり、聖剣の精は黙り込んだ。
勇者は彼女の考えていることがわからないが――
ともあれ。
「焼けましたよー」
できたらしい。
勇者は聖剣の精に言った。
「お前の分も、俺がこねた。だから、お前も食え」
「え?」
「食えないのか?」
「……別に空腹は感じないけど、食べられないっていうわけじゃありません」
「だったら食え。うまいぞ、ミノ肉。それに――みんなで食えば、寂しくない」
会話のうちに、配膳が完了する。
本日のメニューは『ハンバーグ定食』――ご飯、みそ汁、サラダにハンバーグ。
それから。
「半熟卵使う人、いますか?」
その申し出に、全員が手を挙げる。
勇者と魔族四人はもちろん――聖剣の精も、勇者をまねるように、手をあげていた。
女神が全員に半熟卵の入った小鉢を配り――
いよいよハンバーグ定食が完成した。
さて、半熟卵使う人、と言われてとっさに手を挙げた勇者ではあったが、この組み合わせは初めて経験する。
ハンバーグ自体は知らないものではないが、そこに卵を合わせるというのは見たことがなかったのだ。
どうしたらいいだろうか。
とりあえず――GYU-DONにそうしたように、乗っけるか。
勇者はそう思って、焼きたての楕円形ハンバーグの上に、半熟卵をのせた。
フォークを手に取り、黄色い部分――黄身に突き刺す。
つぶれてあふれ出す黄身。その味をすでに知っている勇者はすでにたまらない気分だ。早く食べたい。肉に直接かぶりついてしまいたい。
でも最初からそんな食べ方はもったいないので、フォークでハンバーグを小さく切ると、トロリとした黄身をからませて、口に運んだ。
それは頭を殴られるような強い衝撃だった。
まずは黄身。この味はすでに知っているものの、やはり他のどの食物と比べたって類をみないほどうまみが濃厚だ。ホカホカのハンバーグに乗っけたお陰か、やや温かくなっていて、その香りも強くなっている。
続いては、やはり、肉のうまみが来た――黄身をコーティングすることで、それがTEMPURAの衣みたいな役割になったのだろう。噛むとあふれ出す肉汁は洪水のようだ。
濃厚な黄身からの、濃厚な肉汁。
なんというたたみかけるような味だろうか。
ミノ肉のうまさは知っていた。半熟卵のうまさだって、もう、とっくに知っている。
だというのにこの組み合わせは予想外すぎた。
いや――そもそも、ミノ肉といえど、ここまで濃厚なものだっただろうか?
あふれ出る肉汁の量は、分厚い『みのたん』よりもずいぶんと多い気がする。
「やっぱりハンバーグは脂が多いと肉汁が濃厚ですね」
女神がそのようなことを言う。
そうか――脂だ。
このあいだ食べた『みのたん』は、歯ごたえがあって、何枚でもいけそうな味だった。
しかし今日は、部位が違うのだ――たしか肩やスネなどで『みのたん』には少なかった白いスジみたいなものが、たくさんあった気がする。
それが、うまさの秘密か。
勇者はうなずきながらハンバーグを食べていく。
「勇者様が冷たいボウルで手早くかき混ぜてくれたから、脂が溶けずにおいしく出来上がったんですよ」
女神は言う。
そうか、あのやたら冷たいボウルにも意味はあったのか――今さらになって勇者はそんなことを知る。
うなずく勇者の耳に、さらなる女神の声がとどいた。
「繊維を潰さずミンチにできたのは、勇者様の剣技と、魔剣……ゴホンゴホン、剣の精さんのお陰ですし」
調理工程一つ一つに、そこまでの意味があったのか。
ただ斬るだけではない。
ただ混ぜるだけではない。
配慮があるからこそ、味が変わる。
料理というものを馬鹿にしていたわけではないし、調理する人の技術を軽視していたわけではない。
だが――生まれて初めて、料理人ってすごいんだなと、勇者は本当の意味でそんなことを思った気がした。
「わたしもコネるのがんばったぞ!」
魔王の娘が言う。
勇者は彼女の皿を見た。それは、二口三口すでに食べられてしまっているが――それとはあんまり関係なく、無残な形状だった。
たしか『父のかたち』とか言っていたが……つまり原型は人型ということなのだろうか? たくさんの触手が生えたモンスターを模したようにしか、見えなかった。
でも、魔王の娘は楽しそうだった。
他の子も、同じように笑顔でハンバーグを食べている。
調理工程。
……それは味に寄与するだけのものではなのだな、と。
いや――みんなで楽しく食べるために、無駄な工程はないんだなと、そんなことを、勇者は思う。
「……平和ねえ」
聖剣の精がつぶやいた。
つまらなさそうな顔で、ほおづえをついて――
我慢しきれないというように、笑う。
「こんなんじゃ切れ味落ちちゃうわ。鋭くいられるわけないじゃない、こんなの。……ああ、そうか。もう勇者様に、あたくしは必要ないのね」
「そんなことないぞ。ミノ肉を切るから」
「……こんなあたくしより適任の刃物がいるわ」
「そうかもしれない。でも、お前は俺にとって一番使いやすい刃物だ」
「……」
「別にいいだろ、剣だからって生き物を斬らなくても。お前は誰かを殺すことができる。でも、みんなにおいしいものをふるまうこともできる。それでいいと、俺は思う」
「…………いいのかしら、あたくしがここにいても」
「なんで悪いんだ?」
「……だって」
聖剣の精は、魔王の娘をチラリと見た。
魔王の娘が反応する。
「なんだ?」
「……あたくし、あなたの父親の体を切り裂いたのよ。勇者様より、よっぽど、実行犯だわ」
「そうか」
「いいのかしら? あたくしがいて――あたくしという人格の存在を知って、あなたは今まで通り、この家で過ごせるの?」
聖剣の精が問いかけ――
魔王の娘は静かに食器を置いた。
そして。
なぜか。
テーブルの上にのぼった。
「ハッハッハ! 愚かなり魔剣!」
「聖剣ですう!」
「食べ物がある! みんながいる! ごろごろしていい! こんな環境で、わたしにどう変われというんだ!?」
「……」
「同じ屋根の下に誰がいるかは知らん。だが――わたしは変わらんぞ! ……それにな、よく考えたら、わたしは今、まさに戦いの最中なのだ」
「どういう意味かしら?」
「勇者に殺されなければ、わたしは運命に勝ったことになる。つまり――勇者に殺されていない今! わたしは運命に勝ち続けているのだ!」
「……」
「つまり、すでに勝者である! そしてわたしは敗者に寛大だ! 好きな場所にいるがいい! それでもわたしの勝ちはゆるがぬ! なぜならば――すでに勝者であるわたしが、さらに勝者であり続けるために、今、体力作りをしているからな!」
「……体力作り?」
「今日は一日寝ていた! そうすると、計算上、明日はいつもの倍動ける! これを繰り返しエネルギーをため続ければ――強い!」
その理論を理解できるものは、この食卓にはいなかった。
全員ポカンとして『なに言ってんだコイツ』という目で魔王の娘を見ている。
それでもひるまない彼女は強い子だった。
「それにな、わたしは今くだらんことを考える余裕がないのだ。なぜならば、明日なに食べようか、それを考える役割があるのでな」
「……」
「だから父を殺したとか、もうどうしようもないことは言うな。いたければいればいい。好きにせよ! それが次世代魔王たる我が意思である!」
魔王の娘がニヤリと笑い、聖剣の精を指さす。
聖剣の精は唖然とした。
勇者が、言う。
「そういうことだ」
どういうことなのか、勇者と魔王の娘以外はまったく理解できていない様子だったが――
ともかく。
「よくわかったわ。……あたくしが斬るべき相手はミノ肉で――もう生き血を吸うことは、ないのね」
「いや、俺がミノをシメる時に使うから、生き血は吸うぞ」
「そういう意味ではありませんー。ようするに、ここでは深く考えた方が負けなのね。やだわあ、あたくし、人の姿をとるぐらい悩んだのに、道化じゃない?」
「そうか」
「そこは『違うよ僕のかわいい聖剣ちゃん』って言うのよ、勇者様」
「ちがうよぼくのかわいいせいけんちゃん?」
「……もういいわ。とにかく、とにかく、とにもかくにも――大人しくしてるわ。でも、一日に一回は抜いて、なにか斬ってね。じゃないとまた女神を襲っちゃうわよ」
「わかった」
なんで私があ!? と女神が嘆いていた。
ハンバーグの夜は更けていく。
なんの変哲もない、にぎやかな夕食。
――ただ。
命を奪う道具が、人を喜ばせる道具に変わったと――
人の目に映らない変化だけは起こった、そんな食卓だった。
▼
翌朝。
女神が誰よりも早起きして炊事場に来ると――
新しい――
新しい……
「……あれ? なにも増えてない?」
女神は首をかしげる。
コンロ。テーブル。シンク。サラダ製造器、みそ汁メーカー、冷蔵庫――
換気扇や調理道具一式、読みかけの通販カタログにいたるまで、何一つ変化は起こっていないように見えた。
「……剣の精だから? 最初からいた扱いになって……ひょっとして初日だけ増えたのが『半熟卵』と『生卵』の二つだったのは、その時もう剣の精も『増えた』カウントされて……?」
頭が混乱してくる。
とりあえず水でも飲もうと、女神は必死にお新香とキムチを食べてスペースを空けた――それでも専有面積が減っただけで無限にあるに変わりはない――冷蔵庫を開く。
すると――
――あった。
青い小鉢でギッシリで、食べて場所を空けてそこに水差しをねじ込んだ冷蔵庫。
そこに、白い小鉢が増えている。
女神は目を閉じ、ふう、と息をつく。
そして冷蔵庫をしめて、指を振った。
すると指の軌跡をなぞるように光が走り、そこに神界の文字が浮かび上がる。
「『信者が増えて女神の力が強くなったので、とろろと冷や奴がメニューに追加されました』……言葉を交わすのが最低条件とかあるんですかね?」
メニューが増えるメカニズムについては、まだ謎も多い。
今までは特に困ってなかったが、そろそろ問い合わせてみる必要があるだろう――
だって。
冷蔵庫に入れていた水差しが消失して、そこに白い小鉢が入っているのだから。
水差しはどこへ消えたのか――
それはきっと、神さえ知らないミステリーだった。




