2話
「つまりここは死後の世界か?」
彼は問いかける。
女神はにこりと笑った。
「死後の世界では、ありません。あなたが暮らしていた、魔王の倒された、平和な世界です。あなたは死ぬ前と姿も声も力も、なにも変わらぬまま、ただ蘇生してここにいます」
「……じゃあ、ここは?」
「大陸の果て、旧魔王領と呼ばれるところです。王都からは離れた方がいいかと思い、ここに運びましたが、ご不満があれば都会の近くに移動もできます」
「そうか。……俺は死んだと、みんなは思ってるのか?」
「つい先日、葬儀が執り行われたようです。死体は見つかっていないでしょうけれど。だってあなたは生きて、ここにいますからね」
「……そうか」
不満は特になかった。
死んだことになっているのならば、姿を隠す方がいいだろう。
王都付近には彼が育った孤児院もあるし、そこには仕送りもしていたが――
無駄遣いをしない限りは、相当過ごせるほどの金は、すでに送っているはずだ。
今さら顔を出すこともないだろう。……いらない混乱のもとだ。
だって――
「……俺はきっと、仲間の誰かに殺されたんだろうな」
状況を冷静に思い返せば、そうとしか思えない。考えなくたって、それ以外ない。
理由もなんとなくわかる。
国の偉い人によく思われていなかったのを知っているから、たぶんその関係だろう。
だからその自分が孤児院に顔を出すのは迷惑になるだろうと、そう感じた。
「犯人を見つけたりはなさらないのですか?」
「いい。そういう難しい戦いは嫌いだ」
「難しい戦い?」
「ああ。たぶんなんか、偉い人の立場とか、そういうのがからんだ戦いだ。政治的な? 首謀者が誰で、黒幕が誰で、どんな影響で……とか考えたらキリがない。それに俺はとことんしかやれない。殲滅できない敵と戦うのは苦手だ。最終的に全人類が敵だったら報復もやるけど、目の前の相手が敵かどうか、いちいち考えながら戦ってられないし」
「……そ、そうですか……不器用なんですね……?」
「魔王退治だって難しいことは全然考えなかった。前に進んで、邪魔者を倒してただけだ。それしかできない」
「はあ……」
「そんなんだから裏切られたんだと思う。いい勉強になった。次に活かせるかは知らないけど、少なくとも都会でやっていけなさそうだっていうのはわかった。俺は人里離れたところでのんびり生きる。お前の土地選びは正しい。ありがとう」
「そう言っていただけると嬉しいです」
「食うのにも困らないんだろ?」
「……それなのですが」
女神が顔をうつむける。
彼は悲しそうな顔をする。
「お腹が空くのは嫌だな……」
「いえ、お腹が空くということは、ないと思います」
「そうか。ならいい。俺は食べるのが好きだ。ひもじいのが嫌いだ」
「しかし――GYU-DONしかないんです」
「は?」
「いえ、だいたいの人は神の加護を得ていまして、それで私の担当があなただったわけで、魔王を倒したあかつきには、担当の神が魔王を倒した者――勇者の願いを叶えると、そういうことになっていたわけなのですが……」
「難しい」
「えええ……え、ええと、まあ、とにかく、私はあなたを幸せにする担当なんです」
「そうか。ありがとう」
「い、いえ、どういたしまして……それでですね、神にもそれぞれ、能力みたいなものがあるのです」
「そうか」
「は、はい……それでですね、私の能力で『いつまでもお腹いっぱい』用意できるのは、このGYU-DONという異世界料理だけだったんです」
「でも俺、GYU-DON好きだ」
「そ、そうですか……それはあの、用意したかいがあるのですが……」
「うん」
「ずっとこれだけっていうのは、飽きませんか?」
勇者は考える。
そして、結論した。
「飽きると思う」
「で、ですよねえ……」
「他はないのか?」
「ええと……あ、GYU-DONというのはですね、『牛肉とタマネギの煮込み』と『紅ショウガ』と炊いた『白米』を合わせて作るものなんですよ」
「ふむ」
「だからですね、ここから『牛肉とタマネギの煮込み』を抜いて、『紅ショウガ』と『白米』を合わせて『紅ショウガおにぎり』というバリエーションの出し方もできますが……」
「…………他には?」
「……『白米』を抜いて『牛皿』とか……」
「他には?」
「『牛肉とタマネギの煮込み』から『牛肉とタマネギ』を抜いて、汁……とか……?」
「……他には?」
「『白米』……」
「そうか」
「……あはは」
「いっぱいあるな。女神はやはりすごい」
「いえ! 冷静に数えてくださいよ!? いっぱいはないですよ!?」
「だって今、GYU-DONの他に四つぐらいメニューを言わなかったか?」
「いえ、合計五つだってそれは『いっぱい』とは言わないと思うのですが!」
「しかも水も飲める」
「水なんてレパートリーに含めないでくださいよ!」
「しかし冒険中は水も満足に飲めない状況があった。メニューは『干し肉』『豆』『干し肉と豆』『干し肉を戻した水と豆』『戻さない干し肉と豆』ぐらいだ」
「メニューの数で並ばれているんですが……」
「…………本当だ」
「今気付いたんですか」
「しかし干し肉と豆よりうまいから大丈夫だ。俺はGYU-DON好きだぞ」
「……」
女神は微妙な顔をした。
彼は首をかしげる。
「女神の料理好きだぞ?」
「……それは嬉しいのですが……あの、私が作ったわけじゃないんですよ」
「そうなのか?」
「この寸胴鍋は『無限に牛肉とタマネギの煮込みが出てくる鍋』なのです。それで、あちらの羽釜は『無限に炊きたて白米が出てくる羽釜』でして、あちらの壺は『無限に紅ショウガが出る壺』なのです」
「無限?」
「無限です。私が作らなくても、味付けまですんだ料理が、無限に、腐ることもなく」
「でも女神からは料理のにおいがした」
「それはその……適切な盛りつけ方を練習していたからで」
「女神はなにか作れないのか? 料理」
「…………」
「………………」
「……紅ショウガとご飯を混ぜるぐらいならできますよ!」
「そうか。期待してる」
「期待しないでください」
女神は肩を落とした。
彼は首をかしげる。
なんだろう、先ほどまで感じていた神々しさが、会話をするごとに減じていく。
「親しみやすい女神だな」
「…………追い打ちですか?」
「褒めてる」
「そ、そうですか……あの、なんだか見守っていた時はわからなかったのですが……」
「?」
「勇者様、ちょっと変わった方ですよね?」
「そうらしい。仲間にそう言われた記憶がある」
そんな会話をしていた時だった。
ピンポーン、ピンポーン。
という音が屋内に響く。
「おや、誰か侵入してきたようですね」
女神が言った。
どうやら今の音は侵入者を報せる音――つまり、鳴子のようだ。
「このへんに人はいるのか?」
「いえ、いないはずですが……」
「つまり侵入者は人じゃないのか?」
「そうかもしれません……この家のドアは、センサー式の自動ドアなので、人じゃなくても開けることができますし」
「なんでそんな防犯意識の低いドアにしたんだ?」
「GYU-DON屋といえば自動ドアなので」
「そうか」
「……あの、『そうか』以外になにかないんですか?」
「俺の疑問に、女神は答えた。これ以上なにか必要か?」
「……い、いえ」
「ああ、そうか、なるほど。疑問はあった」
「そうですか。『そもそもGYU-DON屋ってなんだよ』とか『GYU-DON屋が自動ドアだからってここまで自動ドアにすることないだろ』とかそういう疑問ですね?」
「いや、俺の剣は?」
「剣?」
「侵入者が来た。人じゃない。じゃあ倒す。そのためには剣が必要だ。でも俺は俺の剣がどこか知らない。だから知ってるかもしれない女神に聞いた。なにか不思議か?」
「……いえ、なにも不思議じゃないですね」
「だろう。剣は?」
「えっと……」
「わかった。いい。素手で対応する」
「できるんですか」
「竜の群れまでなら素手でいける」
「……そうでしたね」
女神はそれ以上なにも言いたくないようだった。
彼は拳を握り、ドアの方を見る。
食事もあり、寝起きということもあり、すっかり気配察知が遅れてしまったが――侵入者は建物の中に入ってから、真っ直ぐに彼と女神のいる場所を目指しているようだった。
しばし、沈黙。
そして――
ガチャリ。
炊事場のドアが開かれる。
彼は一瞬でドアまでの距離を詰めて、振りかぶった拳を振り抜こうとし――
ピタリ、と止めた。
だって、入って来た生き物が、予想と違ったのだ。
それは頭があって手足がある二足歩行の生き物だった。
真っ白い肌に、真っ黒い髪。
髪はぼさぼさで長く、着ているのはもとが何色だったかもわからないほどすり切れ、汚れた衣服だ。
その生き物――まだ幼い少年、あるいは少女は、真っ赤な瞳で炊事場の奥、鍋の方を見て、
「…………おなか、すいた…………」
その言葉を最後に、バタン、と倒れた。
彼と女神は顔を見合わせた。