18話
このあとの展開は絶対に面倒くさいぞ、と勇者は判断した。
だから「ご飯を食べよう」と全員に提案した。
この家には食いしん坊しかいないので、反論はなかった。
朝一番の食事。その日の活動の成否はこれによって決まると言っても過言ではなくて、だから勇者は冒険中でまともに食事がとれない時も、一日の最初には絶対なにか食べると決めていた。
目の前に並んだ朝食を見る。
GYU-DON、みそ汁、生卵――そして、お新香。
食べ慣れた食事だけれど毎日初めてみたいな気持ちで挑む。いただきます。手を合わせてから真っ先に取るのはみそ汁椀だ。寝起きで低い体温に優しい木製椀のぬくもり。すする。音は気にしなくていい。見た目も気にしなくていい。温かで、うまくて、楽しくて、芳醇で、そんな幸せをリラックスして胃袋に流し込む。
次に手をつけるのはGYU-DONか卵か。悩む。でも、やっぱりGYU-DONに決定した。これから卵をかけるにせよベースの味をまずはたしかめたい。どんぶりを手に、スプーンでかきこむ。
ああ――うまい。
幸せだ。
柔らかな肉とタマネギの歯触り、それらがご飯とからみあう。最高の調和。もちろん、紅ショウガの存在感も最高だ。
卵の入った小鉢を手に取る。
でも、勇者は、はたと手を止める。
お新香。
その味をたしかめようと思ったのだ。
それは本日より追加された新参者だった。
見た目は、複数種類の野菜――白い平べったいものと、赤い細長く切られたなにかと、緑と白がストライプのようになっている平たくて薄いもの。
見れば見るほど不可思議な存在だ。
『キムチ』とこちらでとりあえずお新香の方を選んだが、味に対して確たる予想があるわけではなかった。
選んだ理由を強いて言うなら、食卓に着いている四人のうち二人がキムチを選んでいて、じゃあ二対二になるから自分はお新香にしようとか、その程度のものだった。
フォークに持ち替える。
白い平たいものを突き刺す。
ザクリ、という感触はマンドラゴラに近い。
口に近付けて――慌てて、離した。
イヤなニオイがしたのだ。
それは酸っぱいような、甘いような、妙なものだ。
知っている。これは腐ったニオイだ。
特に果物が腐った時に出るような、そんなニオイ。絶対に口にしてはならないと、食物が放つ危険信号だった。
「……女神、これ、腐ってるぞ」
「腐っているというか、発酵食品なんですよ。お新香――漬け物は。野菜を塩漬けにして、しばらく置いておくんです。すると食べられる期間が長くなったり、栄養が変化したりするんですよ。まあ騙されたと思って」
騙されたと思って――
そうは言うが、むしろ勇者は女神を信じることにした。
彼女の出す物はだいたい見慣れない妙な物体ばかりだが、そのどれもが大変おいしかったのだ。
だからこのお新香だって、ニオイは完全に『もうアカン』という感じだけれど、今までの女神の実績を信じて、それでも息を止め、口に入れる。
この時点で勇者は、お新香の食感をある程度予想していた。
だって腐っているのだ。
腐っているものは、ぐずぐずで、崩れかけて、異常に柔らかいはずだ。だからお新香だってきっと口に入れた瞬間、イヤな感じで崩れるだろう――そう思っていた。
だから、咀嚼をするつもりもなく舌に乗せる。
そして――おどろいた。
まずは味だ。
しょっぱい。
腐ったものは妙に甘ったるくなる傾向があるのだが、このお新香はその法則に当てはまらないらしい。
しかもどうだ、口に入れるまではきついように思えたニオイが、なんだかさわやかな、果物めいた風味として鼻にのぼってくるではないか。
予想と違うことに首をひねりつつ、勇者は咀嚼を決意する。
そして食感すらもまったくの予想外なのだと、知ることになった。
ザクザク。そんな生野菜みたいな音がする――いや、生野菜サラダよりもむしろ、歯ごたえがあるのではないか?
身がしまっている、というか。
野菜を相手にこんな表現を用いるなどと想像もしていなかったが、『ギュッ』としているのだ――ああ、そうだ、フォークを刺した時にこの感触を体験していたはずではないか。だというのに腐っているという先入観で、とんだ思い違いをしてしまったものだ。
「塩漬けにすると水分が抜けるんですよ。だから、長持ちするし、食感も変わる。あと――このお新香は『ゆず』で香り付けをしているみたいですね。甘くてさわやかな風味でしょう?」
なるほど、と勇者は女神の捕捉にうなずく。
怖れも消えた。あとは食うのみ。
勇者は次々とお新香をフォークで突き刺し、口に運んでいく。
味はだいたいしょっぱめで、食感はだいたい堅めだけれど、素材ごとにそれぞれの個性みたいなものが、たしかにあった。
最初に食べたのは、『カブ』らしい。
次に食べた赤い細長く切られたもの――『人参』は、カブよりなお歯ごたえがあった。
もしカブと同じ切り方をされていたら、さすがに硬くて食べられたものじゃないだろう。なるほど切り方が違うことにも意味があるのだと、勇者は感心する。
最後にいただいたのは『白菜』らしい。これまでの二つにはなかった、葉物特有の味というのか、不思議な風味があったが――緑色の薄い部分と、白い厚い部分とが、それぞれ違った食感で、これもうまい。
勇者はお新香でしょっぱくなった口に、白米をかきこむ。
ザクザク、モチモチ。お新香とご飯の食感が合わさり、噛んでいるだけで楽しい。
「……うん、これもいいな」
本日新しく増えたメニューもまた、おいしくいただけた。
次はキムチをいただこう――そう思い、GYU-DON一杯目をスプーンで食べ尽くして、
「ねえ勇者様、そろそろ、あたくしの話聞いてくださらない?」
……そういえばそんなのもあったな、ということを思い出させられた。
勇者はどんぶりを置く。
そして、隣に立つ――席に着かずに、横に立っている――聖剣の精を見た。
「わかった。なんか嫌な予感するけど、聞く」
「そんな、あたくし、勇者様の不利益になるようなことは決して提案しませんわよ? ただちょっと、剣としての本分をまっとうさせていただきたいなあって、そのぐらいでしてよ」
「剣としての本分?」
「斬・り・た・い」
「……」
勇者は未だかつてない渋面を浮かべる。
その彼にしなだれかかるようにして、聖剣の精は耳元でささやく。
「ねえ、勇者様? あたくしの、史上最高の使い手――そのテクニックをもう何日も経験してないわ。経験、したいなあ。ねーえ、斬りましょ?」
「なるほど、これが『剣を抜くのに斬ることのないタイミング』か」
「……本当に斬らないの?」
「斬らない」
「なんで!? 魔王倒すんでしょ!? 魔族と戦うんでしょ!?」
「戦いは終わった。魔王は倒した」
「いるじゃない! たった一人で、食卓に呼ばれることもなく、のんきに寝こけている、次世代魔王が!」
「でも、斬らない」
「勇者様の馬鹿! あたくし、勇者様に一生ついていくつもりで故郷を飛び出したのに!」
「故郷?」
「あたくしが刺さってた台座よ!」
「ああ、そういえばそうだったな」
「もうこうなったら野菜でもいいから斬らせてよお……あたくし、勇者様に使われないと寂しくて死んじゃうから……」
「聖剣の精も死ぬのか?」
「……どうかしら。鋳つぶされたらさすがに死ぬんじゃない? あたくしを鋳つぶせる炎が存在しないけど」
「じゃあ別に死なないな」
「とにかく使って! 野菜でも肉でも斬るからあ!」
「料理に使うなら、いいぞ。でも俺の許可なく女神に襲いかかるのは、駄目だぞ。俺の許可がなかったら、女神以外も、駄目だぞ」
「はあい……」
「女神にごめんなさいするんだ」
「はあい……」
どう見ても邪悪な聖剣の精は、しょんぼりした顔で唇をとがらせる。
そして、女神の方を見て――
「ごめん」
謝り方が下手な主従だった。
というか――勇者は単純に言葉の選び方が下手すぎるだけだが、聖剣の精は謝罪自体不本意という様子だ。
女神は勇者にGYU-DONのお代わりを渡してから、聖剣の精へ問いかける。
「あの、魔剣の精さんは、そもそもなんで私を狙ったんですか?」
「ちょっとお! あたくし、魔剣じゃないんだけど!?」
「……すいません。剣の精さんは、なぜ私を狙ったのでしょう?」
「あたくしを聖剣と認めたくないらしいわね……まあ理由を問うなら答えてあげましょう? あたくしはねえ――あんたが、勇者様を腑抜けにしている元凶だと判断したのよ!」
聖剣の精は女神を指さす。
女神は首をかしげた。
「私が、ですか?」
「そうよ! 食べるためにあたくしを使ってた勇者様に、一生尽きない食事を与えたら、勇者様はもう剣を抜かないでしょ!? それ、すっごい困るのよ! あたくし、寂しいじゃない! どうしてくれるのよ!? 倉庫でホコリかぶるとかイヤよ、あたくし!」
「は、はあ……なるほど?」
「あと、あんた女神なんでしょ?」
「まあ、誰も信じてくれませんけど」
「神を殺したら、あたくしにものすごい箔がつくでしょ? そしたら勇者様も、あたくしを使ってくださるかもしれないじゃない?」
「……うわあ」
思考がヤンデレめいているな、と女神は思った。
いや、刀剣なのだから『すごいものを斬って箔をつける』という考え方は間違いではないのかもしれないが……
魔剣――ではなく聖剣の精は頬に手を当てて腰をクネクネさせる。
「でもやっぱり、勇者様に頭を抱かれてないと、イヤね。優しく抱きしめて、激しく振り回してほしいの。だからそうね、最低でも一日に一回は使ってね、勇者様?」
聖剣の精がウィンクする。
勇者は首をかしげた。
「頭を抱く?」
「いやね、勇者様、そんな、わかってるくせに。――剣の持ち手の先の方は『柄頭』っていうのよ?」
「……そうか」
あの勇者がちょっと引いていた。
というかその論でいくと、『頭を抱く』のではなく『首を握っている』というような気がしないでもないと女神は思うのだが――あえて突っこむべきではないだろう。
「とにかく、あたくし、今日はなんか斬りごたえのあるもの斬るまで納まる気ないわよ。そうねえ、理想は生き物、現実的に言えば――岩とか? 岩……岩かあ……なんかもう少し違うものがいいわ……ここで妥協したら、そのうち普通に料理とかに使われそうでイヤだわ……」
剣の精も葛藤があるらしい。
しかし『斬りごたえのあるもの』と言われたところで、パッとは思いつかないのだが――
――そうだ。
女神は思いつく。
『斬りごたえ』のあるものが思い起こされたというわけではない。ただ――塵も積もれば山になるかなと、そういことを思っただけだ。
「魔剣さん」
「聖剣ですう!」
「……剣の精さん、じゃあちょっとお願いしたいことがあるんですけど……」
「あたくし、あんたの言うことは聞かないわよ」
「そ、そうですか……」
「だからもし、あたくしがあんたの提案を呑んだとしても、それはあんたの言うことに従ったわけじゃなくって、勇者様の持ち物としてあんたの提案に見るべきところがあったと、あたくし自身がそう判断したってことよ」
「面倒くさい人ですね……」
「人じゃありません! 聖剣ですう!」
超面倒くさい。
ともあれ、女神は提案する。
「それじゃあ、うちにあるミノ肉をめちゃくちゃに切っていただきたいんです」
「……まあ野菜よりは肉の方がいいわね。あたくし、脂がつかない加工になってるし」
料理目的の加工――ではないだろう。
でも深く考えないでおこうと女神は思った。
「では、お願いします」
「それはいいけど、なんでミノ肉をめちゃくちゃに切るの? ちゃんと切ったお肉はおいしくいただくんでしょうね? あたくし、食べ物を粗末にするのは許さないわよ。勇者様が怒るから」
「ああ、それは大丈夫です。ただちょっと、ミンチを作っていただきたいなと思いまして」
「ミンチ? どうするの?」
「そうですねえ、ええと――ハンバーグ、知ってますよね?」
あ、と誰かが気付いたような声を出す。
女神は笑った。