14話
ミノとマンドラゴラの世話に、昼少しすぎまでかかった。
そのあいだに女神がやったことは、MIZUGIの発注及び受け取り、それと『おにぎり』の作成である。
おにぎりはお弁当のつもりだった。
あくまでも『お腹が減って動けない』という事態を避けるための措置である。
最低限の予防策でしかない。
勇者たちの胃袋を本気でまかなおうと思ったら、おにぎり作りだけでも一日仕事になってしまう。
具材は紅ショウガと塩だ。
本当はもっと色々入れたいものもあったのだが、つい昨日小麦粉を申請するのに担当者と激論を交わしたばかりである。
さすがに二日連続で無理を通そうとするのも印象が悪いだろうと思い、勇者たちには簡素な具材で我慢していただくことにした。
ちなみに『コショウだけを入れたハズレおにぎりも作ろうか』と思ったが――
なんか魔王の娘が引きそうな気がしたので、やめた。
かくして昼少しすぎ――
全員が集い、海へ出発することになったのであった。
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「……ってどこで着替えればいいんですか」
海である。
気温は高いとまでは言えないものの、そこそこ温かい。
水につかるのはまだ早いような気もするのだが、まあ、魔王の娘は例によって例のごとく勇者の背中で倒れているし、ここから泳ぐ体力はないだろうから、ある意味安心だ。
という打算もあって、水泳目的ではなく、砂浜で遊ぶ目的のつもりで女神は来たのだった。
MIZUGIは気分作り以上の代物ではない。
海は大方の予想通り、ひと気がなく、広々としていた。
ざざーん、ざざーんと寄せては返す波の音。潮風。
真っ白い綺麗な砂浜は日差しを受けて輝いており、景色だけならもう常夏という感じだ――まあこの大陸にそこまでハッキリ四季はないので、そんな印象を抱いたのは女神だけだろうけれど。
そして――着替える場所がない。
物もないし人もいないし、とにかく見晴らしがよくって、どこにも隠れる場所がないのだ。
岩場はあるのだが、少し遠くて、着替えるためにあそこまで行くと言えば、牧場長やマンドラゴラ屋からは不満が出るだろうし、魔王の娘は死ぬだろう。
じゃあどうせ泳がないんだしMIZUGIなんか着なきゃいいじゃん――ということになるのだが、それでは女神が納得できない。
MIZUGIとか小麦粉とか網とか炭とかは、女神が自分の給料で買っているのだ。
こうして勇者と隠居生活をしているのも一応業務の一環なので給料は発生しているものの、あんまり使いすぎると好きなブランドの新作とか出たときに困る。――バッグがほしい。
そんなわけでせっかく自腹を切って買ったMIZUGIのお披露目が延期になるのは避けたい。
あと、純粋にいつもの服で遊ぶより、MIZUGIを着て遊んだ方が気分が出てみんなに楽しんでもらえると、そういう想いもあった。
「どうした女神」
勇者が女神の困った声を聞きつけ、たずねる。
女神は苦笑した。
「いえ、その……MIZUGIに着替える場所が見当たらなくてですね」
「……そういえば、大荷物だな。それがMIZUGIか?」
「いえ、このバッグの中身がMIZUGIなんです」
「俺もさすがにバッグを『MIZUGIか?』とは聞かない」
そりゃそうなのだが、勇者だし、勘違いの可能性はゼロではないだろうという判断なのだ。
こういう細かい配慮が、勇者の家でのラッキースケベ現象を防いでいるのである。
防ぐなよ――という声がどこからか聞こえてきそうだけれど、そう呼ばれる現象はだいたい当人たちにとって気まずいものなので、女神としては平穏のために防ぐ方針でいる。
「……とにかくですね、MIZUGIに着替えるのは一度全裸になる必要があるのですが、勇者様の目の前で着替えるのはさすがにどうかと思いまして」
「目の前で着替えるのがまずいなら、俺が目を閉じればいいんじゃないか?」
「……まあ、そうなんですけど」
勇者が薄目で見る――などという疑いはまったく抱いていない。
単純に気分の問題であり、『見られるかも』という心配よりも『男性のすぐそばで着替えるのは恥ずかしい』というたぐいの心情であった。
「じゃあ問題ないな。目を閉じる。開けてもよくなったら言ってくれ」
どうやらそういう流れになりつつあり、明確な反論ができない以上、止められない。
MIZUGIをあきらめるということも――もうできなさそうだ。
いつの間にか牧場長とマンドラゴラ屋が女神のバッグをあさっており、「うわ、なにこの攻めた衣装!?」とか「ウチの普段着より布が多いだす」とかワイワイしている。魔王の娘はまだ死んでる。
女神は観念した。
勇者の背中から魔王の娘を引き取り、服を剥いていく。
マントとシャツしかないので、剥くのは極めて簡単だった。
それから、MIZUGIだ。
女神が魔王用に用意したMIZUGIは――あった。
牧場長もマンドラゴラ屋も好き勝手にバッグからMIZUGIを取り、好き勝手に着替えているので適切なMIZUGIが残っていないんじゃないかと不安になりもしたが、それぞれ、それぞれのサイズをとってくれたらしい。
ともあれ魔王の娘に黒いビキニを着せることに成功して、女神は自分のMIZUGIを手に取る。
そして、チラリと勇者を見た。
彼の目はピッタリと閉じられていて、薄目ということもなさそうだ。
そして姿勢は不動である――『目を閉じる』と言ったその瞬間から、一切動いていない。
つまり、向かい合って会話をしていた状態からまったく動いていないので、顔はこっちを向いている。
「あの、勇者様」
「もういいのか?」
「よくない! よくないです! 今、マンドラゴラ屋さんの胸が放り出されてるところですから! そうではなくって、背中を向けてくれますか?」
「どこにだ?」
「私たちにです」
「わかった」
彼はくるりと背中を向ける。
それでもまだなんか恥ずかしいが、女神は服を脱ぎ始めた。
自分用に用意したのは白いワンピースMIZUGIであった。
ビキニという案もあったのだけれど、この中では断然年上の自分がそんなに攻めてもしょうがないなと結論したわけである。
当たり前だが、MIZUGIは全部女神が選んだ。
基準としては『普段着よりも攻めすぎない、露出度の少ないもの』ということなのだが、マントとシャツしか着てない魔王の娘とか、普段着がMIZUGIよりすごい牧場長とか、ミニスカートヘソ出しマンドラゴラ屋とかなので、基準値がまずおかしかったかなと今さら反省する。
……と、そうだった。
女神はあることを思い出し、勇者に告げる。
「そういえば、勇者様」
「もういいのか?」
「よくないですよ!? 今、牧場長さんのお尻が大変な食い込みを見せているところですから! そうではなくって、勇者様のMIZUGIも用意したのであとで着替えていただけますか」
「わかった。脱いでおいた方がいいか?」
「あとで! 私たちが目を閉じて、魔族のみなさんにも目を閉じさせますからそのあとで!」
「別に俺は恥ずかしくないぞ? 冒険暮らしの時は人前で着替えることもあった」
「教育によくないんです!」
「そうなのか。難しいことを考えるんだな、女神は」
勇者と話していると、女神は家の風紀は自分にかかっているという思いが強くなっていく。
魔族たちはまだ子供だからいいのだが、勇者もなんというか――子供みたいだ。
まあ、そういうのもあって、ブーメランパンツとトランクス型で迷ったあげく、女神はトランクス型MIZUGIを勇者用に購入したのだが……
そもそも迷った自分が邪念まみれだったなと反省する。
女神が過去を恥じていると――
死んでいた魔王が、ぱちりと目を開ける。
「う、うーん……ここは……海か!? ついにわたしも転移魔法を!?」
「……」
女神は反応できなかった。
たぶん自分で真実に気付くだろうと、そう思ったのだ。
案の定――
「……そんなわけないか。きっとまた倒れて勇者に運んでもらったのだな」
「ご自分で気付かれましたか……」
「……なんか乳を放り出した大人の女がいる!?」
「放り出してません! 見てください! ちゃんと着てますから!」
「お、おお……ほんとだ、びっくりしたぞ。なんでそんな体にぴったりくっつく、肌と近い色の衣装を着ているのだ。遠目から見たらほとんど全裸だぞ。あと起き抜けに見たら完全に全裸だぞ」
「肌の色と近いというのは計算外でしたけど……」
カタログで見た時はもっと純白に近い白だったのだ。
実物は少々、肌色寄りの感じもなくもない――まあ、通販あるあるである。
「魔王の娘さんだって、髪の色と合わせておきましたよ」
「……ん!? なんだこれは? 胸がスカスカするぞ!? ヘソも出てる!? はしたないな!?」
普段から胸がスカスカしている牧場長や、ヘソが出ているマンドラゴラ屋にケンカを売っているとしか思えない発言だった。
同じ魔族でも価値観は様々らしい。
「ともかく、それがMIZUGIというものですよ。濡れても重くなりにくい、特殊な素材でできているんです」
「わたしの水練のために用意してくれたのか!? ありがとう!」
「……」
水練のために用意したというか――
どうせ魔王の娘は倒れていて水練なんかできないという予想のもと、浜辺で遊ぶ気分を出す用に用意したので、女神は微妙な顔でその感謝を受け取った。
「衣装も用意してもらったし、がんばって体力つけるからな! わたし、いつか父に追いつくのが目標なんだ! この水練が終わったら、きっと、ちょっとだけでも追いつけるかもしれないから、がんばる!」
なんだろう、その目標は立派なような、女神の立場的に褒めてはいけないような。
あとセリフがいかにもこれから死にそうなのもあって、女神はやっぱり微妙な顔しかできなかった。
ともあれ――
女性陣は全員、着替えを終えたようだ。
女神は勇者へと声をかける。
「勇者様」
「もういいのか?」
「は――」
い、と。
そう言い切る前に、突如として海からなにかがせまってきた。