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よみがえった勇者はGYU-DONを食べ続ける  作者: 稲荷竜
一章 GYU-DONと勇者と女神と魔王の娘
1/68

1話

 貫かれた。

 背中から胸へ抜ける感触で気付く。痛い、とか、熱い、とか、倒れた仲間たちはそういう表現をしていたけれど、彼が思ったのは『うわ、びっくりした』だった。

 胸に手を当てる。

 手を離す。

 手のひらは真っ赤に染まっていて、ごほごほと胸のあたりで自分じゃない誰かが咳き込んでいるみたいで、だんだん体から力が抜けていって、膝から崩れ落ちた。


 意識が明滅する。

 視界が霞む。

 世界がぼやける。


 なにをしていたんだっけ。

 ここは、どこだっけ。

 目の前にある黒いモノは――そうだ、魔王だ。


 魔王を倒して、世界を救ったのだ。

 そして――後ろから、誰かに、胸を貫かれた。


 ついに倒れ伏す。

 振り返ることはできそうもなかった。

 誰が自分の胸を貫いたのか気にはなったけれど、『まあいいか』と彼は持ち前の気楽さで思う。


 だって自分の役割は終わったのだ。

 神に守護を受けた英雄の役割は魔王を倒すところまでで、そこから先の世界でどう生きていくかなんて考えてたこともなかった。


 ――なんで、勇者なんていう生き方を選んだの?

 誰かの声がリフレインする。


 その時。

 その問いに――自分はなんて答えただろうと、彼は考える。



「……答えられなかったんだっけ」



 笑う。

 意識は消えていくのに、やけにはっきりと過去の出来事を思い返すことができた。

 そういえば仲間たちもこんな風に、死ぬ間際、昔のことを急に語り出したなと思い返した。


 回想。

 子供のころ。

 貧乏な孤児院で育って、貧乏は嫌だな、と思っていた。


 お腹が空いていたんだ。

 そうだ、勇者なんていうものを目指したつもりはない。魔王を倒そうという使命感もなければ、世界を救おうだなんていう正義の心も持ち合わせていなかった。


 生きていたかった。

 空腹に悩まされる仲間を見ていられなかった。明日の食事の心配をしたくなくって、でも難しいことは昔から苦手で、だから体を使うことをしたかった。


 ちょうどよく世界は人と魔族で戦争中で、だから戦ってお金を稼いだ。

 毎日毎日、食べるために、戦っていら――いつの間にか、自分が先頭に立って、魔王の目の前まで来ていた。


 だからまあ。

 なんにも考えず、毎日あくせく戦って、仲間がいなくなっていく中で、こうして目標を達成するまで戦い抜くことができて。

 自分は幸福だったのかな、なんて、思って。



 ――願いを。



 消えかけた意識に女性の声がとどく。

 眠かった。もう目は閉じている。あとは意識を落とすだけで深い眠りにつけるはずだ。

 もういいだろう。もう寝せてくれ。そういえばずいぶんと休みがなかった。孤児院の後輩たちは元気だろうか。顔も見ていない。仕送りはとどいているはずだから、飢えているということはないはずだけれど。



 ――勇者よ、願いを。



 最期に顔ぐらいは見たかったかな、と。

 それが――願いか?



 ――それが、あなたの願いですか、勇者よ?



 いや、違う。

 それはきっと自分の願いじゃない。

 世間が思う『勇者』の勇者らしい願いだ。

 だからそうだ、もう勇者稼業は終わりで、魔王はいなくて、戦いも終わって、そのあとに自分という人物が極めて個人的になにを願うかといえば――



「……やっぱり、毎日腹いっぱい食事をしたい、かな」



 ――それが、あなたの願いですか、勇者よ?



 女性の声が問いかける。

 彼はかすかにうなずいて――意識を閉じる。


 ここで、勇者は死に絶えた。

 末期に彼はようやく自分の願いを思い出し――

 あとには。



 ――その願いを叶えましょう、勇者よ。



 どこにも響かない、美しい女性の声だけが、残った。







 起床。

 よく知らないがとにかく空腹に訴えるニオイで目覚める。


 ここがどこかは知らなかった。

 けれど彼はベッドから起き上がり、ニオイをたどっていく。


 どうやら木造の住宅のようで、今までいたのは誰かの部屋のようで、ベッドとクローゼットしかないような簡素な構造に、会ったこともない部屋の主への親しみを覚える。


 壁に手をつきながら歩いていく。

 そこそこ広い家屋らしい。

 細長い廊下。部屋はいくつかあるようで、でも彼はニオイのもとをたどってひたすらに歩き続ける。


 とにかくお腹が空いていた。

 空腹は嫌いだ。心が貧しくなる。


 彼は食べることが大好きだった。

 食事をしているあいだは幸福を感じることができる。おいしくてもまずくても、一人でもみんなでも、なにかを食べれば幸せなのだ。

 ……いや、やっぱり食べるならおいしい方がいいし、一人よりはみんなの方が、いいんだけれど。


 彼はペタペタと足音を立てて歩く。

 そして、ニオイの発生源であろう部屋の扉を、開けた。



「おはようございます、勇者よ」



 おいしそう――もとい、美しい女性がそんなことを言う。

 ポカンとした。


 まずは呼称。

 勇者よ――そういえば、自分の立場はそんなんだったな、と彼はようやく自身のことを思い出す。


 次に女性の容姿。

 美しい。

 美女というものを、魔王討伐が近くなるにつれあきれるほどの数見てきたし、献上なんかもされてきた。

 みな、人種も様々で、美しい娘たちだったと思う。


 でも、別格だ。

 シルエットはありきたり。

 出るところが非常によく出ており、ひっこむところがなまめかしくくびれている。

 金持ちに『勇者様、美しい女を用意しました』と言われれば、だいたいこんなのが出ますよという代表的な『美女体型』である。


 しかしその女性の他と違うのは、神々しさ――だろうか?

『運命の相手に出会った時は、その相手が輝いて見える』なんて言っていた仲間がいたが、そいつの言う通り、その美女が彼の目には輝いて見えた。


 金髪のせいか?

 薄い黄金の瞳のせいか?

 あるいは、真っ白で健康的な肌のせいか?


 着ている白く薄い、体のラインを出す衣類のせいかもしれない。

 いや、しかし――それよりもなによりも、だ。


 エプロン。

 彼女が、高級そうな布でできたと思われる薄いドレスの上にまとっている、どこでも扱っていそうな普通の白いエプロンが、なにより輝いているのだ、と彼は思った。



「……お前は?」



 言葉はうまく出てくれなかったが、どうにかそれだけ絞り出した。

 エプロンをつけた美しい女性は、彼の方へ体ごと向き直り――



「どうも。女神です」



 ――聞き間違いだろうか?

 彼は『神』について思い出す。


 勇者とは神の加護を受けた者である――そういう風聞だったし、実際に、『神の加護』とされる儀式を受けたことも、少なくない回数、あった。

 しかし、『神』をはっきりと目の前にしたことはない。

 世間でもそうだ――『神官』と呼ばれる連中でさえ、実際に神がいるかは半信半疑、率直に言えば一信九疑ぐらいで信じていないだろう。


 つまり――いきなり美女が『私は神です』と名乗ったら、疑わしく思うのが普通だ。

 だけれど。



「……そうか」



 彼は微妙な表情でそう言うだけにとどめた。

 自分が寝ていた家の家主らしき女性の機嫌を損ねたくないという打算も、あったかもしれない。


 ともあれ自称するだけあって女神みたいに美しい女性は、すでに惚れていても惚れ直しそうなほど可憐な笑みを浮かべる。

 そして。



「お食事、できてますよ」

「……」

「召し上がりませんか?」



 空腹の時にほどこしをしてくれる者は、誰であろうと神に見える。

 彼が彼女を女神だと信じようと思ったのは、この時が初めてだったかもしれない。



「食べていいのか?」

「ええ、いくらでも。だって、あなたはそう望みましたから」



 そう望んだ――

 ズキリ、と頭の痛みを覚える。

 ……自分がなぜここで寝ていたのか、ひどくあいまいだ。

 思い出そうとすると、頭になにかが突き刺さるような、ひどい異物感があった。



「ああ、経緯についても、説明しますから。今はまず、お食事を」



 女神を名乗る女性――女神が、慌てたように駆け寄ってくる。

 そして、肩に手を添えてきた。


 彼はその『手』に対し、二つのことを思った。

 まずはもちろん、指先までスキのない美しさだな、という感想。


 そして――その手からは、いいニオイがした。

 女性らしい甘い香りではない。

 少ししょっぱい、しかし食欲をそそるおいしそうな――料理のニオイだ。


 彼は香水のニオイよりも、食事のニオイの方が好きだった。

 だから『とんでもない美女に近寄られ、肩に手を添えられる』というたいていの男性が美女の顔をつい見てしまうシチュエーションで、彼が視線を向けたのは――


 鍋、だった。

 今いる空間はどうやら炊事場らしい。

 しかし、彼の知る炊事場とは、かなり趣が違う。


 まずは『かまど』がない。

 謎の台があって、その上に鍋があるのだけれど、薪をくべている様子もないのに、その台からは火が熾っている。

 女神はかなりの時間火から目を離しているのに、火力は強まりも弱まりもせず、一定だ。



「オール精霊力キッチンです。精霊の力で火力を管理します。『シンク』にある『蛇口』からは無限に綺麗な水も出ます。それ以外にも色々と便利なんですよ」



 彼の視線から疑問を察したのか、女神は語る。

 ともあれ、と女神は微笑んで、



「そこに掛けてください。今、お食事を用意させていただきますから」



 示されたのは、六人掛けのテーブルだ。

 この炊事場は食卓も一緒にある珍しいデザインなのだった。……たしかに、火や水の管理が大変でないならば、ここで食事をとるのは、効率がいいだろう。


 彼は言われるがまま、椅子を引いて腰かけた。

 料理はすぐさま用意される。



「どうぞ」



 スプーン、それに水が入った透明なジョッキと同時に提供された料理を見て、彼は固まる。

 見たことがないのだ。


 器はツボのような、深く丸みのあるデザイン。

 中身は茶色く薄く長いなにかが、大量に乗った、なにか。

 彩りなのか、真ん中あたりには紅色の細長いものが乗っている。


 茶色いなにかは二種類あって、片方は、たぶん肉だろう。

 もう片方は、よく知らない。

 こんなものを食べた記憶があるような、ないような……


 スプーンで茶色いものをどければ、下には白いものがぎっしり詰まっていた。

 どうやらたくさんの白い粒の集合体のようで、スプーンで触れればかなり柔らかく、そして粘着性があることがわかる。

 炊いた豆のようでもあるが、これもよく知らない。



「……これはなんだ?」

「異世界でGYU-DONと呼ばれている料理です」

「………………GYU-DON?」

「はい。炊いた『白米』の上に、『牛肉』と『タマネギ』を甘辛く煮込んだものをのせていただく料理でして……ああ、添えてある赤い物は『紅ショウガ』です。私に用意できる精一杯のものなんですよ」



 精一杯。

 ……そう言われてはためらうわけにもいくまい。


 見た目が茶色すぎで若干怖くもあるが、ニオイは好みだし――

 それに。


 グゥゥゥ……という音が、腹からする。

 とにかく空腹なのだ。


 彼はスプーンを持つ手に力をこめた。

 そして――GYU-DONに、スプーンを突き刺し、一気にすくって、口に運んだ。


 その瞬間口いっぱいに広がったのは濃密な肉の風味だ。

 肉、肉、とにかく肉。噛めば噛むほど口の中に広がるのは、炊いた『白米』の上にたっぷりと乗せられた『牛肉』とかいう肉の風味だ。

 うまい。

 数々の料理をふるまわれてきた彼ではあったが、やはり食べた時の満足感が一番大きい食材は肉であった。たまらない。香りも、食感も、なにより、味も。


 ただしその肉は、彼の今まで食べたようなものにはなかった味がついている。

 それは香ばしく、ややしょっぱめで、それからほのかに甘い、食べたことはないのになぜだか安らぐようなそんな味だった。


 しかし肉というのは大量に食べると飽きるものだ。

 この肉は柔らかくトロトロに煮込まれており、噛み疲れるという心配こそないものの、柔らかいというのも必ずしもいいことではない。歯ごたえという重要な要素が、不足する。


 だが、この料理はその不足を見事におぎなう存在があった。

 それが肉でもなく、赤いものでもなく、白いものでもない――『タマネギ』というものだ。


 噛めばサクッ、サクッ、と軽やかな音を立ててちぎれる。

 味も、いい。甘み、それから、肉汁の味。そしてやはりあふれ出す懐かしいような、安らぐような、そんな味。


 ただ全体として、味は濃い。

 だからこその――炊いた『白米』なのだろう。


 このGYU-DONなる料理は『白米』のために作られたのではなかろうか?

 そう考えてしまうほど、この『牛肉』も、『タマネギ』も、『白米』と合わさった時にその真価を発揮した。

 食感は不思議なものだ。柔らかいのに、しっかりと歯ごたえがある。また、噛めば噛むほどしみ出す甘みは、『牛肉』『タマネギ』にほどこされた味付けとは別なものだ。

 この食感が、甘みが、『牛肉』『タマネギ』の味と混ざり合うと――おどろくほど、うまい。

 濃いと思われた味がほどよくなり、風味、香り、食感、すべてにおいて隙が消える。


 ガツガツとスプーンをはしらせる。

 うまい。ただ、さすがにこの器は結構なサイズであり、味は単調で、食べきるまでには飽きるだろうと、そう思われた。


 しかし、新たな味を発見する。

 それは『牛肉』『タマネギ』『白米』のどれにもない、ともすれば舌を刺すような、強烈な酸味だった。

 シャキシャキとしたやや硬い歯ごたえ。噛むとしみ出す汁もやはり酸味が強く――甘辛さになれた舌に、いいアクセントとなっている。


 そうだ、あと一つ女神は言っていたではないか。

『白米』の上に、『牛肉』と『タマネギ』を甘辛く煮込んだものをのせていただく料理。

 添えてある赤い物は――『紅ショウガ』。


 最初に見た時は、あんな少量、ぽつんと真ん中あたりにあるだけでなにができるのか、ただ彩りを添えているだけで味には寄与しないのではないか――そんな頼りなさを覚えていた。

 だが、見誤った。

 なんという――存在感。


 少量しか乗っていなかったのではない。少量しか乗せていなかったのだ。

 大量に乗せてあれば、酸っぱくてとても食べられたものではないだろう。――いや、どうだ。この味はこの味で、慣れてみればビリビリ舌に来るような強烈な酸味が、案外癖になるのではなかろうか?


 ともあれ、意外な伏兵『紅ショウガ』にも助けられ、彼はあっと言う間にGYU-DONを平らげてしまう。

 食べきった――という感じではない。気付けばなくなっていたと、そのように、こんなガッツリした物を『ペロリ』としか表現できないほどいつの間にか完食していた。


 自分が健啖家である自覚はあるものの、これは――すごい。

 GYU-DON。

 未知の味であり、初めての食感であり、だというのにどこか安心するような――そんな料理だった。



「……うまい」

「おかわりなさいますか?」

「……いいのか?」

「はい。『腹いっぱい食事をしたい』――それが、あなたの願いですから」

「……俺の、願い……」

「はい。あなたの――末期の願いです」



 末期の願い。

 つまり――女神は続ける。



「あなたは一度死にました。それを私が復活させ――あなたの願いを叶えるための環境を用意したのです。魔王を倒した功績をたたえて」

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