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06 : 「なんかこう、なんだろ。とにかくムカついた」

 沈黙。とらこは相当ショックだったようで、さっきの私の発言から結構時間が経っているのに、一言も発さない。虎太郎さんも、とらこではなく私を見つめてくる。きっとこの沈黙は、私が破らなければずっと続くのだろう。

 ぽつりと、空気の読めない雨が頬を濡らした。ああ――だから梅雨って嫌い。幸いにも、それ以上雨が降ってくる気配はなかった。

 このまま何も言わない、というのもいいかと思ったけど。

 それはそれで、私の気も晴れない気がした。

 ……そろそろ、いっか。この沈黙を終わらせよう。


「そのちぃさまって人の生まれ変わりだか知らないけど。『私』を見ないの、すっごいムカつくんだけど」


 ちぃさまちぃさまちぃさま。そればっかり。

 ずっと待っていたというのだって、私のことじゃない。『ちぃさまの生まれ変わり』としての私だ。

 やっと会えたというのも、ちぃさまのこと。だって私は、以前にとらこと会ったことなんてなかったんだから。

 全部ちぃさま。私じゃない。

 うん、そう。要するにただの嫉妬だ。とらこが私を『私』としてではなく、『ちぃさまの生まれ変わり』として見ていることに、すごくムカついたのだ。

 嫉妬して、ムカついて。だから私は言う。


「とらこの言う私って、全部ちぃさまの生まれ変わりって意味でしょ。やだ」

「そんなことありません! というかやだって……それやきもちなんですか!?」

「そうだけど」


 あっさり認めて、とらこが他に何か言う前に続ける。猪のような妖怪が近くを走り去っていったけど、気にしない。


「でもそれは認めても、そんなことないって言葉は認めない。とらこがそう思い込んでるだけだよ。私と仲良くなりたかったのはちぃさまの生まれ変わりだからで、ずっと一緒にいたいのもちぃさまの生まれ変わりだからでしょ。私の奥にちぃさまを見てるだけ」


 一瞬、とらこが言葉に詰まった。

 ほらやっぱり。とらこだって、自覚はあるんじゃないか。

 ずどんずどんと、何か重い音が響いてくる。もしかしたらどこかで、巨人でも歩いているのかもしれない。


「……仲良くなりたかったのは、そうです。それに、ちーさんの力はちぃさまの力とほとんど同じで、一緒にいて心地よかったのも確かです。でも、」

「私とできるだけ長い時間を過ごして、っていうのもさ。ちぃさまが死んじゃったから、その代わりなんでしょ。守れなかったから、私を見守って、ちょっとでもちぃさまへの罪悪感を減らしたいんでしょ」

「っちがいます! 全然違います!」

「違わな」

「違います!」


 い、と言い切る前に、遮られた。思わず口を閉じてしまう。

 ……違わないはずだ。どう考えたって、とらこの今までの言動は私の奥のちぃさまへのものなんだから。なぜここまで必死に否定するのか理解できない。

 周りのひそひそとした声がうるさかった。虎太郎さんがいてくれてよかった。私一人がとらこと言い争っていたら、余計に不気味だったはずだ。まあ今、虎太郎さんは全然話していないから意味はないのかもしれないけど。


「最初は、そうでした」


 うるさい中で、とらこの声だけが静かに聞こえてくる。


「でも、ちーさんのことずっと見てきたんですよ。姿を見せるようになったのは最近ですけど、ちーさんが小さかったころから……生まれてすぐのころから、見てきたんです」


 ……ずっとって。やっぱりそんな昔からだったのか。

 驚きもあったが、納得の気持ちが大きかった。そうじゃなかったら、私が今まで妖怪や幽霊によって危険な目に遭わなかったことがおかしい。

 とらこは、優しい目で私を見上げてきた。


「幽霊や妖怪が見えたせいで、友達ができなかったのも知ってます。すごく不器用な性格で、真っ直ぐなことしか言えなくて、だから人から嫌われやすいのも知ってます」

「……うん」

「頑張っていたころから知っています。諦めてしまったときも知っています」


 私でさえ、いつから諦めたかなんてはっきりわからないのに。

 頑張っていたころなんて、いつだ。面倒になって早々に諦めた気がする。頑張れば頑張るほどなぜか上手くいかなくて、ますます孤立して、もうどうでもいいや、とある日ふと思ったのだ。

 諦めたほうが楽だった。だから諦めた。


「だけど相変わらず、ちーさんは優しいですよね」


 なんとなく、とらこから視線を逸らしてしまった。


「別に、優しくなんてないけど」

「いいえ。幽霊の子供が泣いていたとき、ちーさん、幽霊だってわかって声かけてたでしょう」

「……いつの話、それ」

「去年ですかねー」


 とぼけてみたが、さらりと答えられた。


「それで話を聞いてあげて、夜まで一緒にいて。周りからひそひそ何か言われてたのに、ちーさんはずっと子供の傍にいてあげましたよね」

「……そんなことあったかな」

「ありました」


 自信満々にうなずくとらこに、無言を返す。

 本当はちゃんと覚えてる。去年の九月のことだ。

 小学校低学年くらいの女の子だった。自分が死んだことに気づいていない幽霊。家に帰りたいのに道に迷ってしまって、誰かに訊きたくても誰も反応してくれなくて。変な生きものも見えるしで、錯乱していた。生前は何も見えなくても、死んで幽霊になってこの世にとどまれば見えてしまう。小さな少女が錯乱するには十分だった。

 名前は訊かなかった。私も、訊かれても答えなかった。

 ……幽霊も妖怪も普段なら見てみぬふりをするのに、あの子に声をかけてしまったのは。泣いていたから、という理由だけではない。


 死んだときの千佳に、年が近かったから。


 気づいたら声をかけてしまっていたのだ。周りからの言葉なんて気にならなかった。どうせ知らない人だ、なんと言われようと構わないと思った。

 泣いていたうえに混乱していたから、あの子の話はぐちゃぐちゃだった。正直なんとなくしかわからなかった。家の場所も教えてもらったけど、大きい犬のいる家の隣のピンクの家、というだけじゃ、連れていくなんて無理な話だった。

 結局私ができたのは話を聞くだけ。無力だった。


 ――君はもう死んでるんだよ、って。


 言えばよかったんだろうか。言ってしまって、よかったのだろうか。

 あんな小さな子に死を突きつけても、よかったんだろうか。

 あの子が今どうなっているかはわからない。ただ、私と話したってあの子は成仏しなかった。自分が死んだことに気づいていないのだから当たり前だったけど。

 もしかして千佳も、死んだことに気づいてないんじゃないかなと思った。まだここにいるのなら、苦しむ私を見て許してくれるんじゃないかと……そんな卑怯なことを考えたのだ。

 だから私は、全然優しくない。自分のために行動しただけなのだ。


「わたしはそんなちーさんをずっと見てきて、ちぃさまじゃなくて、ちーさんを好きになったんです。あ、もちろんちぃさまも好きなんですけど、ちーさんのことは、別人として好きなんです」

「私はとらこのこと嫌い」

「うぐっ……いいですよ、もう。嫌いでも。わたしは好きです」


 ああ、これは無理だ。すっと、諦めの気持ちが湧く。それと同時に笑いたくなった。

 ――とらこを遠ざけるなんて、私には無理みたいだった。


「……ねえ、そんなずっと見てきたなら、私の名前知ってるんでしょ」

「それは置いといて」

「置いとくんだ」


 びくっとしたとらこは、にこやかに「置いときます」と言った。絶対知ってるな。


「……だから、仲良くなりたいと思ったきっかけがちぃさまだとしても、わたしが仲良くなりたい、傍にいたいのは、ちーさんなんですよ」

「ふーん」

「あ、その顔は信じてないですね」


 心外です、とでも言いたげに、むっとした声を出すとらこ。

 信じてはいない。けど、信じたいと思ってしまった。

 虎太郎さんは何も言わずに私たちの会話を聞いている。そろそろ虎太郎さんにも話を振ったほうがいいよな、とは思うものの、これは私ととらこの問題だという気持ちもある。申し訳ないけど、会話が終わるまで待っていてもらおう。

 とらこはきっぱりと言葉を発した。


「信じなくてもいいです。でもちーさん、わたしを嫌いなんて嘘でしょう? わたしと会わなくなってから、ちーさん寂しそうでしたもん」


 そうだった、会わなくなってからの約一週間もずっと見られていたんだ。

 ……確かに寂しかったけど、それに気づかれていたっていうのが恥ずかしい。私と話すときにとらこはよく「恥ずかしい」と口にするが、こういう感じなんだな、とわかった。

 肯定するのは癪だった。


「いや、嫌い」

「えっ、まだ言うんですか」

「……じゃない、かもしれない」


 癪だったけど。仕方ないな、と思った。

 とらこが私じゃなくてちぃさまを見ている、という考えを変える気はない。だけど、とらこが別人として好きと言うのなら、それに乗ってあげようじゃないか。

 落ち着いたら周りの視線や声が更に気になってきた。早く帰りたいが、このまま何も言わず一緒に帰るのは駄目だろう。散々ひどいことを言ったのだから。


「あー、その、さ。ひどいこといっぱい言った。ごめん」


 また、とらこの目を見れなかった。


「私たぶん、君が『死にたい』って言ったからカチンときたんだと思う。私と一緒に長く生きたい、って言われてたら、こんなにムカつかなかった。できるだけ長く一緒にいてから死にたい、って言われて、なんかこう、なんだろ。とにかくムカついた」


 死にたい、という言葉は。許せなかったのだ。

 あ、ととらこは何かに気づいたように声を発した。気まずそうにその口を一度閉じてから、また口を開く。


「……わたしも、ひどいこと言いましたね。わたしのほうこそ、すみません」


 私のことをずっと見てきたからこその、謝罪。

 うん、と軽くうなずくだけで、私はそれを受け入れた。


「あ、でもちーさんは馬鹿ですよ。自分で言った言葉に、自分で傷ついていたでしょう」

「なんのこと?」

「嫌いとかうざいとか」


 とらこは拗ねたようにむうっとしている。


「……だからごめんって。別に私は傷ついてもいないし。むしろとらこのほうが傷ついたんじゃないの?」

「そりゃあ傷つきましたよ。こう見えても私、硝子のはぁとなんですからね!」

「うっわー……ハートの言い方が」

「はーと?」

「ハート」

「はぁと!」

「戻った……もういいよ、それで」


 話が途切れたところで。

 ふっと、二人同時に……厳密に言えば二人という言い方ではないけど、なぜか吹き出してしまった。

 思いきり笑いたいところだが、人目がある。くくくっ、と笑いをこらえて、深呼吸をした。よし。


「それでさ、最初から気にしてたんだけど。結構ここ人通るのね?」

「あ」

「確かにそうだな」


 やっと虎太郎さんも会話に入ってくる。


「うん。行こう」


 もしクラスの人に見られてたら、明日何か言われるかもな。

 一応周りを確認してみる。知り合いは……よし、よかった、いな……い?

 と思ったら、見覚えのある子が一人いた。うちのクラスの子ではないはずだけど、うーん……あ、隣のクラスの子か。体育の授業で一緒だから見覚えがあるんだ。体操部のジャージ……片方だけ松葉杖をついているが、部活で怪我でもしたんだろうか。

 まあでも話したことはないし、特に問題はないかな。

 そう結論付けて、とらこと一緒にバス停へ行く。虎太郎さんは、もう用はすんだからと先に帰っていった。



「また明日、とらこ」

「……はいっ、また明日です!」


 家の前で別れる。

 がちゃり、とドアを開けながら、ふと考える。色々言い合ったけれど、とらこの問題は何も解決していないのだ。


 また明日と言えるのは、いつまでだろうか。







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