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バス停と、とらこ  作者: 藤崎珠里


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05 : 「知ってます!」

 一週間ほど、とらこは現れなかった。私が自分で突き放したくせに、もやもやと寂しい気持ちが溜まってきている。とらこのことを傷つけておいて、いないと寂しいと思うなんて、私って本当自分勝手だなと自嘲する。

 だけど、別に今までどおりに戻っただけだ。何も気にする必要はない、全然平気。

 そうやって、心の中で誰かに言いわけをする。とらこと会ってまだ一ヶ月くらいなのに、バス停でとらこが待っていることが『当たり前』になっていたというのがおかしいのだ。だから寂しいと思うのもおかしい。

 うん、おかしいおかしい、と自分に言い聞かせる。と、六時間目の終わりを告げるチャイムが鳴った。委員長の号令に合わせて礼をしてから、教科書をリュックに詰める。最近授業に集中できてないんだよな。テストの結果はそう悪くなかったけど、気を抜いたら駄目だ。


 窓の外に目をやると、もう見慣れたマルチーズの幽霊が空を走り回っているのが見えた。楽しそうなその様子を見て、きっと生前は散歩が好きだったんだろうな、と想像しながらリュックを背負う。空はどんよりと曇っていたが、雨は降っていない。さっさと帰ってしまおう。

 昇降口で上履きに履き替えて校門を出ようとしたら、また虎太郎さんがいることに気づいた。

 ……とらこに何かあったんだろうか。

 ざわっと嫌なものが胸をよぎる。

 なんとなく足音を立てないようにして彼の前まで歩く。私が止まったのを見て、虎太郎さんは難しい顔で口を開いた。


「まだ毎日あなたに会いにいっているようなんだが、話はしていただけただろうか」

「……え?」


 思わずぽかんとしてしまう。

 どういう、ことだろう。


「……一週間くらい、来てませんけど。というか見てもいません」


 困惑して返せば、虎太郎さんも困惑したように「そうなのか?」と言う。

 何なんだ、一体。あそこまで突き放されて、まさかそれでも私を見守ってるってこと?

 本当に馬鹿なんじゃないか、と思う。もっと自分のことを大事にしてほしいのに。なんでわざわざ私を守って命を削るんだろうか。


 ――ばっかじゃないの。


 苛立ち混じりに深いため息をつけば、虎太郎さんに心配そうな顔をされた。貴方も、心配する相手は私じゃなくてとらこでしょう。八つ当たり気味にそう思ってしまって、今度は自分に対してため息をつく。

 わけがわからない。

 しかし、ここでただ苛立ちを撒き散らしても仕方ないのだ。小さく深呼吸をしてから、言葉を発するために口を開く。


「とにかく、ここは目立ちます。バス停に向かいましょう」

「ああ、そうだな」


 さっきからすでに、駅方面の子たちにじろじろと物珍しげに見られている。「この前の人じゃない?」と話す声も小さく聞こえた。やっぱりもう遅かったか。

 とらこはなんで、自分の命を優先してくれないんだろう。

 歩き出しながらとらこのことを考えて、自然としかめっ面になってしまった。


 ――もっときつく言っておくべきだったかな。


 かなりひどいことを言ったつもりだったのだが、とらこには足りなかったのかもしれない。だけどあまりにもひどい嘘をつけば、そのぶん嘘だとばれる可能性が高くなってしまうし……難しいところだ。

 嫌い、という言葉を、とらこは信じてくれなかったんだろうか。信じてもらうためには、どうしたらよかったんだろう。

 思いつく限りで一番ひどい言葉は、「死ねばいいのに」だけど。死んでほしくないからとらこを遠ざけようとしているわけで、たとえ嘘でもそんなことは言いたくはなかった。


 私も虎太郎さんも、無言だった。とらことの間に不意に訪れる沈黙とは違って、重い沈黙。

 今のままだととらこが危ないと、私たちは二人とも知っている。わかっている。とらこだって知っているし、わかっているはずだ。

 なのにどうして。

 なんで、と思わず口を動かしていた。声は出ない、けれど舌の動いた音が自分にだけ聞こえたとき。



「やっぱり兄上だったんですね!」



 とらこが、私たちの行く先を塞いだ。

 フーッと威嚇するように毛を逆立て、しっぽを激しく揺らす。その赤い目は虎太郎さんを真っ直ぐに捉えていた。

 やっぱり見てたんだ。

 虎太郎さんといればきっと出てくるだろう、と予想していたが、それは当たったらしい。虎太郎さんはそんなことを思ってもみなかったのか、いきなり現れたとらこに唖然としている。

 しかしすぐにはっとして、とらこのことを睨み返した。


「君が俺の言うことを聞いてくれないからだろう!?」

「それでもちーさんを泣かせた罪は重いですよ!」

「え、ちょっと待って、私泣いてないんだけど」


 いつ泣いたっけ。ありもしないことをさも事実かのように言うのはやめてほしい。

 だけどとらこは「いーえっ」となぜか胸を張るような動作をした。


「泣いてましたね! あれは泣いてました!」


 何を根拠にそんなことを言うのか。

 言及するのも面倒になって、わざとらしく大きくため息をついた。ため息をついたら幸せが逃げると言うけど、本当だろうか。さっきから何度もついてしまっている。逃げるような幸せもあまりないが、このため息がとらこのせいだと思うと苛立ちが更に増した。


「というかとらこ、なんでいるの。私、君のこと嫌いって言ったよね?」


 嫌い、と殊更に強調して言うと、とらこは視線を逸らす。


「……遠くから見てるだけならいいかなって」

「ますますストーカーみたい」


 うっ、ととらこはうなだれた。あれ、今のは本心を言っただけなんだけど。

 不思議に思いながらも、意識を周囲へ向ける。……この状況、周りから見たら、私と虎太郎さんが何もないところに急に話し始めてるんだよな。特に虎太郎さんなんて怒鳴っちゃってるし。あーあーもう、考えないようにしよう。不審げにこちらを見る視線も、声も、全部シャットアウトする。

 虎太郎さんは少し落ち着いたのか、さっきよりも声のトーンを落とした。


「普段よりは短い時間だったが、朝早く出かけて夕方に帰ってきただろう。それでもただ見ているだけだったのか?」

「兄上!」


 慌てたように虎太郎さんの言葉を遮ろうとするが、しっかりと聞こえてしまった。


「うわぁ、朝から見てたの? で、帰りまでずっと?」


 そのうえ、普段はもっと長い時間見ているのか。

 ストーカーみたい、というよりもう、ストーカーでいいんじゃないだろうか、と割と真剣に思った。……まあ別に嫌ではないからいいんだけど。

 とらこはしどろもどろに、言いわけになっていない言いわけを始めた。


「み、見てるのはちーさんが学校にいる間と、帰りのバス停に着くまでですもん! 会っちゃいけないと思って、わたし頑張ってバスに張り付いてちーさん見てたんですよ!?」

「そこまでするの……?」

「するんです!」


 私の若干引き気味な声に、とらこは必死にうなずく。

 バスに張り付くって……どうやってやるんだろう。肉球でくっつくのかな。粘着性のものとか手足から出すんだろうか。

 ……想像してみて若干というか、結構引いてしまった。そこまでするくらいなら普通に会いにきてくれれば、またひどいことを言って心を折ることだってできたかもしれないのに。


「なんでそこまでするの。正直気持ち悪いんだけど」


 まあこれも、一応本心。

 十分傷つけることはできたようで、とらこはしばらく黙り込んでしまった。そう、これでいいんだ。そのまま帰ってほしい。

 虎太郎さんに言って無理やり連れ帰ってもらおうかと考えているとき、とらこが口を開いた。


「……だって、ずっと待ってたんです」


 聞き逃してしまうかと思うほど、小さな声だった。

 下を向きながら言うとらこの頭を、じっと見つめる。

 ずっと待ってた――それは本当に私のことなのか。


「やっと会えたのに、どうして離れなきゃいけないんですか。本当は一日中一緒にいたいのを、我慢してるんですよ」


 絞り出すように、感情をそのまま言葉にしているようだった。

 やっと会えた――それは、誰に対して言っているんだろう。

 ぽと、ととらこの目から何かが落ちた。……動物でも、いや妖怪でも、涙は出るのか。とらこの赤い目によって染められたように、ほんのりとピンク色をしている涙だった。

 落ちたのはほんの数粒で、残りは全部、とらこの白い毛に吸い込まれていった。綺麗、とこの場に不釣合いなことを考えた。


「……いつまでご主人様の死を引きずってるつもりだ、とらこ」


 静かに。怖いくらい静かに、虎太郎さんが問う。

 ばっととらこが顔を上げた。彼女はふるふると、何の感情によってかはわからないけれど、震えた。


「――死ぬまでですよ!」


 私は自然と拳を強く握っていた。

 本当に、もう、何て言えばいいんだろう。

 重たい空気を吐き出す。体は全然軽くならない。むしろ、空気が抜けた分怒りが溜まって、余計重くなった気がした。

 兄妹は、私のほうなんて見もしない。


「兄上にはわかりません、わたしの気持ちなんて!」

「……つらかったのが君だけとでも思っているのか!?」

「そういうことではありません!」

「守れなかったのは俺だって同じだ!」

「兄上は仕方ないじゃないですか!」

「ご主人様の死を仕方ないで済ますつもりか!?」

「ちっがいますよ!」


 いらついた声で言い争う二人。私はそれを、ただ傍観する。口を挟まないのではなく、挟めなかった。

 こらえきれなくなったのか、虎太郎さんが乱暴にとらこを持ち上げた。顔と顔を間近で合わせ、噛みつくように叫ぶ。


「俺も君も守れなかった、それが全てだ!」


「知ってます!」


 そして、不自然な間。

 今までの激しい言い争いが嘘のようだった。

 知ってますよ、ともう一度ぽつりととらこが言う。


「そんなこと知ってます、けど。だってわたしはお傍にいたんです。あそこであいつらの攻撃を食らっていなければ、ちぃさまをお守りすることができたのに。『ちょっと待ってて、すぐに片つけるから』なんて言われて、素直に従ってしまったわたしは大馬鹿なんです」


 ちぃさまの最期に、何があったかは詳しく聞いたことがなかった。これからも聞くつもりはない。とらこが悔いているのなら、それはもうそれだけでいいと思って。わざわざ聞く必要なんてない。

 だけど、とらこの口ぶりからすると、ちぃさまは何かと戦っていて、それで殺されてしまったのだろう。傷を受けたとらこを置いて、一人で戦って。

 とらこはぽつりぽつりと続ける。


「ちーさんと会って、話すことが何よりの幸せなんです。それがなかったら、わたしはもう生きている意味がない。それならわたしは、ちーさんとできるだけ長い時間を過ごして、死にたいんです」


 あ、駄目だ。もう無理。

 ぶちっと自分の中の何かが切れたのを感じた。

 もう知るか、私は私の言いたいことを言ってやる。


 すっと息を吸って、


「ねえとらこ。私、やっぱ君のこと嫌いみたい」


 そう言い放った私に。

 え、と。とらこが小さく声を漏らした。







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