02 : 「あ、あの、ゆう、結城さん」
定期テストが終わり、土日が明け。席替えをすることになった。二年生になってから初めての席替えで、どこか浮ついた雰囲気が教室に流れている。
別にどこでもいいな、と冷めたことを考えながら、前で席替えを仕切っている人をぼうっと見る。別に私自身は冷めているとは思わないけど、他の人たちにはきっとそう感じるんだろう。席替えというのは、それなりに重要なイベントらしいから。
ざわざわと聞こえる会話からすると、なんだかみんな教卓の前を嫌がっているみたいだった。授業に集中できるいい席だと思うけど、確かに先生によっては唾が飛んできたりチョークの粉かかったりするから、そうも言い切れない。
「……結城さんは……だなぁ」
「あー……だし、うん…………」
数列離れた女子の会話が聞こえた。こそこそとした声の中でも、自分の名前は自然と聞こえてくるものだ。……聞こえてないって思ってるんだろうな。実際、はっきりとは聞こえないのだけど、内容はなんとなくわかるのだ。
きっと私と近くになったらやだなとか、そういうことだろう。
とっつきにくい、暗い、怖い、何考えてるかわかんない、だからどうやって接すればいいのかわからない。
そう言われるだけなら全然構わないのだが、私のことを嫌っている数人の女子は物を隠したりするから困っている。たぶんこれはもういじめと言ってもいいんだろう。教科書がなくなったときには流石に怒りたくもなった。
ただ、まあこの状況は私にも落ち度があるから、甘んじて受け入れている。隠されたものはしばらくしたら出てくるし、悪口陰口言われるくらいで大した実害はないし。
席替えはくじ引きだ。わらわらとくじの元へ集まる子たちを、頬杖をつきながらぼんやりと見る。余り物でいいや。人がいっぱいいる中に行くのは疲れる。
ひょこっと視界の隅で何かが動いて、ついそっちに視線が奪われる。
火の玉だった。顔はどこにもなくて、じゃんじゃんと妙な音を立てながらゆっくり飛んでいた。
――学校内にも、妖怪はいるんだよなぁ。
もちろん、幽霊だって。
なのにどうして、私の家には妖怪も幽霊も出ないんだろうか。
じっくり考えたって、わかるようなことでもない。くじ引きがそろそろ終わりに近づいてきたので、よいしょと立ち上がる。最後だとくじを引かなくてもどの席かわかるけど、一応引きにいったほうがいいだろう。
私が近づくと、くじを引いていた人たちは微妙な顔をしてちょっと距離を空けた。
構わずに残っていた最後のくじを見て、黒板に書き込んでいっていた人に番号を伝える。……落胆したようなため息が聞こえてくるのは、私の近くの席の人なのかな。
がたがたと机を動かして、席替え完了。私は窓側の後ろから二番目の席だった。黒板が遠いから、字が小さい先生の授業が少し不安だ。外をぼんやり見るのは結構好きだから、なかなかいい席だとは思うけど。
今日のホームルームはこれだけだった。担任は適当な先生なので、もう帰ってもいいと言ってくれた。
それなら帰ろう、とリュックを背負うと、隣の席の女の子に声をかけられる。
「あ、あの、ゆう、結城さん」
すごくびくびくした声だった。
そんなに怖がらせちゃってたのか、と少し反省しながら「なに?」とできるだけ優しく返す。この子は確か、佐伯さん、で合ってるだろうか。もう六月だというのに、いまだにクラスの人の顔と名前が一致していないのだ。
佐伯さんは視線をうろうろとさまよわせて、「えっと、あの、ね」と何か言おうとする。頑張っているのはわかるけど、何が言いたいんだろう。
三分ほど待ってみたが、一向に話し始める気配がない。もうすでに帰った人もいて、徐々に教室のざわめきは収まってきている。
それが更に佐伯さんの焦りを加速させたのか、「ああああうう」と顔を両手で隠してしまった。それでも待っていると、いきなりその手を顔から外す。
「ごめ、ごめんね! また今度ね! ちゃんと言いたいことまとめてくるから、えーっと、はい、時間無駄にしちゃってごめんなさい!」
「え、佐伯さん?」
泣きそうな顔をしながら、佐伯さんはあたふたと教室を出て行ってしまった。……荷物全部置いていったんだけど、帰るんじゃないのかな。
戻ってくるのを待ったほうがいい気もしたが、それもプレッシャーになるかもしれない、と考え直して、昇降口へ向かう。
何が言いたかったんだろうか。今度また話しかけてきてくれたら、もう少し長く待ってみよう。今日みたいに逃げ出されてしまったらおしまいだけど。
外は雨が降っていた。雨は嫌いじゃないが、梅雨は嫌いだ。暑くて湿気が高い日が週に何日もあると、家の外に出るのが嫌になってしまう。なんとなく気分も重くなる。
雨はたまにあるのがいいんだよな、と思いながら傘を差す。コンビニで買った、ただの透明なビニール傘だ。特に目印をつけていないし、いつか取られてしまうかもと思っても、結局面倒で何もしていない。
普段どおりでもテストのときの時間でもないのに、とらこはバス停で普通に待っていた。ずっと私の様子を窺っていて先回りしているんじゃないか、とさえ思ってしまう。
「おはよ」
「おはようございます!」
近づくだけでとらこはぐるぐると喉を鳴らした。無意識なんだろうけど、こんな簡単に喉鳴らしちゃっていいのかな。普通の猫ならまだしも、子どもとはいえ虎で、しかも妖怪なのに。
軽くとらこの頭をひとなでした。
「……あれ、なんか犬が飛んでるね」
ふと上を見れば、犬の幽霊が飛んでいる。……んーっと、マルチーズだっけ。犬は好きだけど犬種とかはあまり気にしないから、名前がはっきりわからない。
ふわふわと空を走って……あ、私の隣のクラスだ、の窓から中を見ている。キャンキャン、と高い鳴き声が聞こえた。次第にそれは寂しげな声に変わり、犬は地面に降りて拗ねたように寝始めてしまった。
「飼い主がこの学校の生徒なんじゃないですか?」
「みたいだね。隣のクラスの子の犬だったのかも」
「かわいいですねぇ」
「……とらこも可愛いとか思うんだ」
奇妙な見た目とはいえ、とらこは虎だ。虎が犬に対して可愛いと思うのか、と考えると、何だか変な感じがする。
私の言葉に、とらこは心外そうに「えっ」と言う。
「思いますよ! ちーさんのことだってかわいいと思ってます!」
「ううん、そういうことじゃなくて、虎でも犬が可愛いって思うんだなって」
「……ちーさんのことだってかわいいと思ってます!」
「なんで二回? 私犬っぽい?」
「いえ……意味を取り違えた恥ずかしさを誤魔化そうと……」
ちーさん相手には無駄でしたね、と落ち込む。別に落ち込むほどのことでもないと思うんだけど。
そんな話をしているとバスが来たので、会話をやめる。とらことの会話は楽しいから、バスの中の約二十分を無言で過ごすのはつまらないな。
乗り込んで一番後ろの席を確認して、あれ、と思う。あの幽霊のおじいさんがいなかった。
「あの人、成仏できたみたいですよ」
とらこがこそっと教えてくれる。とらこの声は誰にも聞こえないから、声を抑えなくてもいいのに。というかなんでとらこがそんなことを知っているんだろうか。
……あ、でも、そっか。とらこの声は聞こえないんだ。
ぽん、と手でも叩きたい気分だった。
席に座って、スマホを取り出す。メモ帳を開いて文字を打ち込み、とらこに見せる。「なんですか?」と覗き込んだとらこは、ぱあっと雰囲気を明るくした。
『これで話さない?』
「いいですね!」
『でしょ?』
私がスマホに文字を打ち込めば、バスの中でも会話ができる。我ながらいいアイディアだ、とちょっと得意げになってしまう。
「何話しましょうかー。ふふふっ、いいですね、バスの中でもおしゃべりできるって」
『うん とらこと話すの楽しいから嬉しい』
「……そう言ってもらってこちらこそ嬉しいですよ……というかそれわざとです? これが天然というものなんですか……」
『どちらかと言えば養殖だと思う』
「わたしも天然と養殖、あまりわかってないんですけどねぇ。たぶんちーさんの認識も違うと思います」
『そうかな』
「ですよー」
誰かと話すのっていいな、と感じた。とらこと話すようになる前は、まともに人と話すことが滅多になかったから。
バスが停車して、人が乗り降りする。通学にバスを使っていれば、自然といつも乗る人たちの顔は覚える。たぶん私の顔を覚えている人もいるだろう。そういう人たちと話せば、少しは会話が上手くなるだろうか。関わりが薄い人相手のほうが気が楽だから、練習にはもってこいの気がするのだ。
気がするだけで、見ず知らずの人間に話しかける勇気は持ち合わせていないのだが。
発車したバスのエンジン音を、ぼんやりと聞く。昔はこの揺れも嫌だった。幼稚園の行き帰りはバスだったけど、結構な頻度で酔っていた。特に雨の日なんかは最悪で、幼稚園に着くころにはぐったりしていたものだ。今ではましになったが、雨の日は酔うこともある。
だけど今日は、まったく酔いそうになかった。
「ちーさん?」
スマホを打つ手が止まっていたようだ。とらこが瞬きをする。
『なんでもない 何の話だっけ?』
「いえ……ボタン押さないんですか?」
え、とバスの前を見て確認すると、次が降りるバス停だった。危ない、忘れてた。
ボタンを押して、「次、止まります」という声にふうっと安心する。
『こうやって話してると、バス乗り過ごしちゃいそう』
「わたしが気をつけてますから、大丈夫ですよ」
『うん 気をつけてね』
「……ちょ、ちょっとはちーさんも気にしてくださると嬉しいですよ?」
『頑張る』
バスを降り、ようやくとらこと話せる。雨の音は鬱陶しいけれど、それでも会話の邪魔になるほどではない。
スマホをしまって、とらこのほうにちゃんと視線を向けた。バスの会話もあれはあれで楽しいけど、視線を合わせられないのが申し訳ないのだ。
「バスの時間が有意義に使えてよかった。明日からもこうやって話そうね」
「はい! わたしも楽しかったです」
そして、二人してちょっと笑う。
「あ、そういえばちーさんの誕生日って七月二十三日ですよね?」
ふと思いついたかのように、とらこが訊いてきた。確信を持ったその訊き方に、疑問を覚える。
「そうだけど……なんで知ってるの?」
今まで言ったことはなかったはずだ。
首をかしげて尋ねれば、とらこは「えへへ」と誤魔化しの笑みを浮かべた。……とらこ、もしかして本当にストーカーなんだろうか。あれ、でもだとすると私の名前を知ってるだろうし、わざわざ訊く必要は……うーん?
よくわからないから、考えるのをやめることにした。
代わりに、とらこの誕生日を訊いてみる。
「明後日ですよ」
軽く放たれた答えに、「ふーん」と表面上は気のない声を返す。
明後日、か。近いな。テスト期間中じゃなくてよかった。今日の予定を頭の中で組み替えながら、とらこの話に相槌を打っていく。
「じゃあまたね」
「はい」
家に着いて、とらこと別れる。よし、急がなきゃ。
一旦家に入って財布に数枚のお札を入れると、私はまた外へ出た。とらこはいない……よね。
玄関近くに置いてある自転車に乗る。目指すは近くのショッピングモールだ。とらこは一応、あれでも女の子のわけだし、綺麗なものとか好きなんじゃないだろうか。今日は広告の品でいくつか他のスーパーより安いものがあったはずだし、ついでに買ってしまおう。
……車が多くて、飛ばす人も多いから。気をつけて行かなきゃ。




