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バス停と、とらこ  作者: 藤崎珠里


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22/23

21 : 「あの、すみません」

 とらこのいない日々にも少し慣れてきてしまった。そろそろ二月になろうとしている。

 今日はとらこと会った日のように、土砂降りだった。傘を打ち付ける雨の音を聞きながら、バス停へ向かう。傘を持つ手袋はもうびしょびしょで、なんの役目も果たしていなかった。タイツもスカートも濡れていて、すごく寒い。歩くと靴にしみこんだ水がぐしゅぐしゅするし。

 身を縮こまらせてバス停に目を向け、あれ、と思った。

 誰もいない。唯ちゃんは委員会があるらしく、雨の日ではあるが一緒には帰れないのは知っている。だけど……虎太郎さんもいなかった。来ないときは前もって教えてくれるのに、珍しい。


 ――もしかして。


 とらこが、完全に消えてしまった? 

 ざわりと胸に変な感じがした。雨の音よりも、心臓の音のほうがうるさい気がした。

 ……とらこが来なくなったのは、十二月の終わり。ここまで持ったのも、長かったと考えていいのかもしれない。

 いや、とそれを自分で否定する。消えてしまいそうだから……虎太郎さんは、とらことの最後の時間を過ごしているとか。そういう可能性もある。たぶんその可能性は低いのだろうけど。

 どの可能性も、どの想像も、苦しくなるだけだった。


 ほどなくしてバスが来た。バスに一人で乗り込むのは久しぶりだった。スマホをいじって時間を潰す。寒さプラス激しい雨のせいで指がかじかんでいて、しばらく上手く操作ができなかった。

 諦めて、土砂降りの外を見る。薄暗く、雨が激しくてあまり見えなかったけど。傘を持って歩いている人を見るたびに、大変だな、と他人事のように考える。実際他人事だ。……うわ、あの人、こんなに雨降ってるのにカッパ着て自転車こいでる。

 しばらく外を見ていたが、気分が悪くなってきて、窓にもたれる。酔った、のかもしれない。雨の日のバスは、においが嫌いだ。

 なんとなく思い立って、スマホのメモを開く。

 今までのとらことの会話は、全て消さずにとっておいた。何日かに一回新しいメモにしていたが、結構な量がある。



『今日席替えで、瑞穂ちゃんと席が離れちゃった』

 ――え、それは残念ですねぇ。


『今度調理実習でカップケーキ作るんだ』

 ――おー! ちーさんの腕の見せ所ですね! 男の子たちの胃袋をつかんじゃいましょう!

『いや、つかまないし』

 ――もったいないですよー。


 ――明日は体育祭ですよね?

『うん』

 ――頑張ってくださいね! ちーさんは百めぇとる走に出るんでしたっけ。

『そうだよ』

 ――転ばないでくださいね。

『頑張る』



 どの文章も、読めばとらこの言葉をぼんやりと思い出せた。私の返事はそっけないことが多かったけど、日にちからどんな会話をしていたかはなんとなくわかる。

 会話を遡っていくうちに、くすっと笑ってしまった。普段なら下を見ると気分の悪さは増すだけなのに、今はちょっと解消していた。

 ……大丈夫。受け入れる準備はできている。

 最寄のバス停に着いた。スマホをしまって、傘を差して歩き出したとき。


「あの、すみません」


 小学生くらいの、高い女の子の声がした。雨の中でもその声ははっきりと聞こえて、思わず振り返る。その先には、真っ白な長い髪の毛をツインテールにした、赤い目の可愛い女の子がいた。見たところ、年は小学校中学年くらいだろうか。胸元には、銀の羽がついたルビーのネックレスがあった。この雨の中、傘を差していない。

 アルビノ、かな。失礼なんだろうけど、綺麗、と感じてしまう。……いや、その感想は違うな。

 なんだ、こんなに可愛かったのか。


「どうしたの?」


 少女の上に傘を差し出す。それほど大きくない傘だから、私にも少女にも雨がかかるけど、我慢してもらおう。まったく意味のない行為ではあったけど。

 少女は、うつむいて黙り込んだ。

 びしょ濡れになった靴の中が気になり始めた。早く靴下を脱ぎたい。

 少女は顔を上げ、緊張した顔で真っ赤な目を私に向けた。



「……ずっと前から、気になってました! 好きです!」



 ぷっと吹き出しそうになるのをこらえて、眉をひそめる。


「……私、そういう趣味はないんだけど」

「あ、いえ、恋愛とかそういうのじゃないんです!」


 少女はあわあわと手を振った。

 うん、知ってる。わかってる。ただからかってみただけだ。


「誤解を招く言い方をしちゃってごめんなさい……」


 しょんぼりとする少女に、やっぱりこらえきれずに笑みがこぼれる。うつむいていた彼女には、その笑みは見られていない。

 ほんと、馬鹿だなぁ。

 これで騙せるとでも思っていたんだろうか。


「それを言いたかっただけです。それじゃあ――」

「私も好きだよ、とらこ。恋愛とかそういうのじゃないけどね」


 遮って。

 さっきの返事をする。


「……へっ」


 な、なん、なんで、ととらこはぱくぱくと口を動かした。

 むしろ、なんでばれないと思っていたのかが謎だ。全て不自然な点だらけで、それが全てとらこと一致しているというのに。

 ばーか、と言ってやりたかったが、久しぶりに会ったのだ。そういうことは言わなくていいだろう。


「ばれないとでも思ってたの? わかるよ、そりゃあ。配色一緒じゃん」


 白い髪、赤い目。それだけでは、ただのアルビノの可能性もあるけれど。


「でもでも、それだけじゃ」

「というかそんなこといきなり言う時点でとらこだし」

「……うぅ」

「それに傘差してないのに濡れてないのとか、おかしいでしょ」

「あっ、そこまで気が回りませんでした……」


 白い髪、赤い目。雨に濡れない。私を『ずっと前から』気になっていて、好きと言ってくれた。

 ……それに、ネックレス。

 これでとらこじゃなかったらびっくりだ。

 ばれないと思ってたのに、とぼやくとらこに口を開く。


「久しぶり、とらこ」


 うなだれていたとらこは、私の声にほっとしたように微笑んだ。


「……はい、お久しぶりです」

「今日はどうしたの?」

「情けないことに、もう限界が来てしまって。最後の力を振り絞って、こうして会いにきちゃいました」


 やっぱり、と思った。

 ……きっと、ぎりぎりまで虎太郎さんがこの世界に行かせてくれなかったのだろう。家族なら、少しでも長く生きてほしいと思うだろうから。

 これ以上力がなくなったら、もうこの世界に来れない……そうなって、ようやく許してくれたんだろうな。それが簡単に想像できた。

 最後の力を振り絞って、私に会いにきてくれたのか。虎太郎さんのために使ってあげなよ、とは思うが、嬉しかった。


「人間なのはなんで?」

「最後に、ちーさんと同じ姿で話したくて。あと、これもつけたかったので」


 とらこはネックレスのチェーンを指でつまんだ。

 私が、とらこの誕生日に渡したもの。

 あの日以来、とらこがつけていることはなかった。……最後につけてくれているのは嬉しいが、複雑な気持ちだ。最後だということを突きつけられて、寂しくなってしまうから。


「うん、つけてくれてるなーって思って見てた」

「……全部ばれてましたか」


 へへ、と照れくさそうに、とらこは笑った。

 雨が弱まってきた。出会った日も、とらこと話している間に雨はだんだん弱まったんだよな、と思い出す。別れるころにはすっかり止んでいたのだ。


「傘、わたしには必要ないので大丈夫ですよ。ちーさんが濡れちゃいます」

「もうびしょびしょだから変わんないよ」


 リュックの中の教科書が少し心配だが、あらかじめ大きなビニール袋に入れてあるから大丈夫だと信じよう。

 どちらからともなく、私の家のほうへ歩き出す。


「なんだか元気そうですね」

「まあ、唯ちゃんも瑞穂ちゃんもいるし。虎太郎さんだって会いにきてくれるしね」

「幽霊とか妖怪とかに、何かされたりしませんでした?」

「虎太郎さんが守ってくれてるから」


 ぽつりぽつりと会話をする。

 スケートに行った話や、模試の結果の話。美術部に仮入部に行ってみた話、唯ちゃんや瑞穂ちゃんの誕生日の話。今までにしてきたような他愛無い話を続けた。

 特別な会話をすることが、怖かった。たぶんそれは、とらこも同じで。ずっと、つまらない私の話を笑顔で聞いてくれた。

 家に着いてしまったら、とらことお別れしなくてはいけないんだろうか。

 そう思うと、足を止めたくなった。

 家に近づくにつれて、どちらも口数が減っていく。


「――ちーさん。わたし、消えちゃうんですよ」


 思わずとらこの顔をぱっと見れば、笑っていた。満面の笑み、と言ってもいいその笑顔に。私は、何を返せばいいのかわからなくて。

 ただ、「うん」とうなずいた。

 その途端、とらこの顔がぐしゃっと歪んだ。


「ちょ、ちょっとはっ、ちょっとは、悲しそうにしてくれたって、いいっじゃないで、すか……っ!」


 ぼろぼろといきなり涙がこぼれ出したので、ぎょっとした。


「は? だってとらこが、そう見えなかったから」

「がんばってたん、です! それくらい、わかってください!」

「いや、わっかんないよ。だって今、完璧な笑顔だったし」

「ぢーさんのばがー!」

「私爺さんじゃないし、馬鹿って言いたいのはこっちだよ。なんでなんにも言ってくれないの。私のこと考えてくれてるんなら、あっちの世界にずっといればよかったのに」


 むっとして言い返す。

 私は馬鹿って言いたいのを我慢してきたというのに、なんでとらこに馬鹿と言われなくちゃいけないんだ。どう考えたって、馬鹿なのはとらこのほうだ。

 とらこは癇癪を起こした子供のように叫ぶ。


「ちーさんに、あえ、会えないのは、やなんです、よっ!」

「私はとらこが消えるほうがやだ」

「ありがとうございます! でも、わたしはそのほうがいいんです!」


 言い争いに集中してきたのか、とらこの涙は止まってきた。

 いつの間にか、雨もほとんど止んできていた。


「虎太郎さんの気持ちも考えなよ」

「兄上よりちーさんが大事なんです!」

「それはありがとう、でもひどいと思う」

「兄上も馬鹿ですよ! ちーさんに全部言っちゃうんですから!」

「私はとらことの時間を大切にできたから、虎太郎さんには感謝してるけど」

「うぐぐぐぐ……! でもでもでもー! 兄上に止められなかったら、もっとちーさんと一緒にいられたんですよ!」


 手を大きくぶんぶんと振って、不満を表すとらこ。ますます子供みたい、と思ったが、実際に見た目は子供だった。……年齢的には、年上もいいところなんだろうけど。

 傘を閉じながら言葉を返す。


「その分早く消えちゃうんでしょ? 私も虎太郎さんも、とらこが消えちゃうのが嫌なんだってば。なんでそんなに頑ななの」

「わたしが守ってなかったら、ちーさんなんてとっくの昔に妖怪か幽霊にやられてましたよ!? 心配で離れられないですよ!」

「それならそれが私の運命なんでしょ。むしろ私が死んでれば千佳は」

「だ、か、ら! 千佳ちゃんが死んだのはちーさんのせいじゃないんですってば!」

「千佳がそう思ってなかったとしても、私がそう思ってるからそうなの」

「運命っていうなら、千佳ちゃんが死ぬのだって運命でしたよ! ちーさんがいなくたって、何かしらの形で死んでいました!」

「千佳の話は今関係ない。私はとらこが、私に何も言ってくれなかったことに怒ってるの」


 うぐ、ととらこはまた言葉に詰まった。


「……すみません」

「ん、いいよ。最後にちゃんと会いにきてくれたから」


 もうすぐで家だ。

 あの角を曲がったら、それでおしまい。


「ちーさん、わたし、わがままなんです」


 不意に、とらこがそんなことを口にした。


「そうなの?」

「そうなんです」


 とらこは明後日の方向を見ながら、むむむと顔をしかめた。


「だから、ちーさんを兄にこれからずっと守ってもらうのはやだっていうか」

「……うん?」


 話の流れが読めなくて、思わず首をかしげる。

 やだと言っても、仕方ないのではないだろうか。とらこが消えた後でも虎太郎さんが守ってくれるのかはわからないが、守ってもらわなければきっと私は死ぬだろう。

 それとも一緒に死のうということだろうか、と思ったとき、とらこは真剣な顔で突拍子もないことを言った。


「ちーさんの力、奪っちゃっていいですか?」


 は? と口から声が漏れた。


「奪う、って……」

「奪ったらもう、幽霊も妖怪も見えなくなります。だけど、これから先、そういうこの世のものじゃないものから何かされる可能性はほぼぜろになります」


 なんだそれ、と唖然とする。そんなことができるなら、とらこがこの世界に留まる必要はなかったんじゃないか。

 きっと自分を見てもらえない、自分の声が届かないというのが嫌だったのだろうけど、やっぱり馬鹿だと思った。


「いいですか? って訊きましたけど、もう決定事項なんですよ。すみません」


 えへへ、ととらこは可愛らしく笑った。

 ……そっか、いつもとらこは、こんな顔で笑ってたんだ。今日はすでに何度もとらこの笑顔を見ていたけど、今の笑顔が……なんだか一番、とらこらしかった。

 もう、仕方ないな。

 ため息が口から勝手に出た。


「いいよ。奪っちゃって」


 あっさりとした私の答えにとらこは目を見開いて、おそるおそる尋ねてくる。


「……本当にいいんですか?」

「だってもう、必要ないし」

「変わるのが怖くないですか?」

「別に」


 しばらくはまあ、変な感じになるんだろうけど。


「とらこがいなくなるなら、そういうの見えてたって意味ないから」


 とらこの顔が泣きそうに歪んだ。今度は泣かなかったけど、そのせいでひどい顔だ。……それでも可愛いから、美少女ってすごいな、とぼんやり思う。


「それでは、そういうことで」

「うん」


 うなずくと、とらこは「じゃあ」と切り出す。


「ちーさん、目をつぶってください」


 言われるがままに目をつぶれば、とらこが体に抱きついてきた。その体は温かくて、これから消えてしまうとはとても思えなかった。

 そのまましばらく、何も起きなかった。……何もしたくないんだな、と察して、目をつぶったままとらこの頭をなでる。とらこが泣く気配がした。私の胸のあたりで、彼女は嗚咽を抑えていた。あーあ、せっかくさっきはこらえてたのに。

 自分のことを棚に上げて、そんなことを思う。


「ちーさん、好きでした」

「だから私も好きだって」


 あえて、過去形では返さなかった。


「ちーさんって呼び方も、結構好きだよ」

「……瑞穂さんがちーちゃんと呼び始めたときは、被った!? と思いましたけどね」

「被ってないじゃん。ちーちゃんのほうが一般的、ちーさんはなんか違う感じ」

「うっ、そうですね!」


 会話が途切れる。


 ちーさん、と。

 とらこは最後に、最期に、私の名前を呼んだ。


「ありがとうございました」


 とらこが離れた。同時に、何かがすっとなくなる感覚。

 目を開ける。


 ……ああ。世界って、こんなに静かだったんだ。







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