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バス停と、とらこ  作者: 藤崎珠里


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20/23

19 : 「私、とらこのこと好きだよ」

 早いもので、もう十二月だ。冬休み前のテストも終わり、やっと息が抜ける。

 顔のほとんどをマフラーで覆う。変な人に見えようが気にしない。寒さを防ぐことのほうが大切だ。タイツも分厚いものを履いているし、冷たい風が当たるところなんて目の周辺だけだった。それでもやっぱり寒くて、ぶるりと体が震える。


 千佳が成仏しても、私は特に何も変わらなかった。なんとか手紙の返事だけは出したが、両親と近づこうともしなかったし、唯ちゃんたち以外の友達を進んで作ろうともしなかった。唯ちゃんと瑞穂ちゃんとは、順調に仲良くなっていっている気はするけど。

 今更だ、と諦めているわけではない。単に私が面倒臭がりで、臆病なだけなのだ。

 いつかは両親と、唯ちゃんたち以外の友達と、笑って話せる日が来るだろうか。

 バス停が見えてきて、私は足を止めた。正確には、そこに立っていた人を見て、だった。


 ――なんでとらこじゃなくて虎太郎さんがいるの。


 もしかして、と嫌な考えが頭を過ぎる。

 この日常に、終わりが来ることはわかっていた。だけど心のどこかで、まだまだ続いていくとも思っていた。……その終わりが、ついに来てしまったのだろうか。

 虎太郎さんは私を見た。私も虎太郎さんを見返した。

 出そうとした声は掠れていて、少し咳払いをしてから、もう一度口を開く。


「とらこは、どうしたんですか」

「無理やり眠らせてきた」

「……そろそろなんですか」

「そうだな。これ以上こちらへ来れば、きっととらこは消滅する」


 消滅。何が、とは言わなかったのに、虎太郎さんは容易くその言葉を口にした。

 ……とらこは、本当に消滅するんだろうか。

 まだ生きているということに安堵しながらも、そんな疑問が浮かぶ。

 毎日会って、明るく話して。そんなとらこが消えてしまうのは想像できなかった。というより、想像したくないだけなのかもしれない。


「……妖怪って、死んだら幽霊になったりしないんですか」

「ない。ただ消滅するだけだ」


 幽霊になったとらことまた話せるんじゃ、という希望は呆気なく崩された。

 消えておしまいなのか。それで、終わっちゃうのか。

 私がもっととらこに嫌われるようなことをして、そしてとらこが私に会いに来なくなっていたら、とらこはまだ生きられたのだろう。そうするように頼んできた虎太郎さんは、どんな気持ちで今私に会いに来たんだろうか。

 私のせいでとらこが消滅するのだと、そう思っているのかもしれない。それは事実だから、もしも虎太郎さんが私のことを責めるようだったら、甘んじて受けようと思っていたのだが。

 虎太郎さんは、無表情だった。何の感情も感じさせない顔で、それが余計に彼の辛さを伝えてきた。


「とらこは、あなたに自分の死期を言ったりしないだろう」


 そうですか、と小さく相槌を打つことしかできなかった。

 消滅も、死期も、そんな現実を突きつけられるような言葉に、どう反応すればいいのかわからない。


「これからはもう、俺はとらこを止めない」


 諦めたように、虎太郎さんは言う。ように、ではなく。もう諦めてしまっているのだろう。


「ただ、残された時間が短いことだけは知っておいてくれ」

「……そう、ですか」


 本当に、なんて返せばいいのかわからなかった。

 その日私は、一人でバスに乗って、一人で家まで帰った。

 残された時間は短い。そう知っていても、私にできることなんてないのだ。ただただ、いつか――すぐに来る別れの日に、怯えて過ごすことしか。私にはできない。

 とらこと会ってから、まだ半年しか経っていないのに。とらこのいる日々は私にとっての日常で、とらこがいない日々なんて想像ができなかった。


「ただいま、千佳」


 ぼんやりとしながらも、写真に挨拶をする。

 成仏するまで……千佳は私のこの言葉を、聞いていたんだろうか。今更考えたって、なんの意味もないけれど。

 スマホを見ると、唯ちゃんからラインが来ていた。今度の休みに、瑞穂ちゃんとの三人でスケートに行かないかという誘いだった。

 ちょっと考えてから、断りの返事をする。

 とらこがこんな状態のときに、ちゃんと楽しめる気がしなかった。それは唯ちゃんたちに失礼だろう。……もしもこれがとらこにばれたら、怒られるんだろうけど。怒りたいのはこっちのほうだ。

 だけどきっと、とらこは何も言わずに残りの日々を過ごすから。

 私もできるだけ、普通に過ごすようにしようと思った。



 次の日からも、とらこは普通に来た。

 バス停にいたとらこを見たとき、思わず足が止まった。それと同時に体をぶるっと震わせて、足を止めたのは寒さのせいだという、意味のないアピールをしてしまった。

 よし、大丈夫。

 そっと息を吸って、なんてことのない顔を作る。


「……おはよ」

「おはようございます!」


 いつもどおりの、明るい元気な声。


「いやー、昨日はなんか兄に止められちゃいまして。来れなくてすみませんでした」


 ははは、と誤魔化すように笑う。

 とらこは、私が知っているということを知っているだろう。そのうえで、何も言ってくれないのだ。

 ぎゅっと手に力が入った。

 駄目だ、普通を意識しようと思っていたのに。


「寂しかったですか?」


 とらこは、にこにこ笑っているような口調で訊いてきた。


「……別に」

「あ、別にってことは寂しかったんですねー? ふふふふふ、わたしにはちーさんの気持ちなんてお見通しですよ!」

「だからとらこは馬鹿なんだよ」

「なんで急に貶されたんですか!?」


 だからってなんですか、繋がってませんよ! とぎゃーぎゃー言うとらこの頭に、ぽん、と手を置く。しゃがみこんで。周りの確認はしなかったから、何かに見られているかもしれないが、それでもいい。

 とらこの声は驚くほどすぐ止まった。

 ……あ、手袋したままだった。外してから、もう一度とらこのふさふさの頭に手を置いた。ふさふさで、温かい。こんなに簡単にさわれるのは、私のそういう力が強いのもあるだろうけど、とらこ自身の力が強いからだろう。

 しばらく何も言わずになで続けた。とらこはされるがままになってくれた。


 指が一瞬、毛をすり抜けた。


 心臓が止まったかと思った。

 強張った私の顔を、とらこが心配そうに見上げてくる。何でもない、という意味をこめて首を振った。

 ……気のせい、だと思いたいけど。だけど今、確実に、私の指はとらこの毛をすり抜けた。そのときが近いのだと、嫌でも理解してしまった。

 とらこは、もうすぐ消滅する。


「とらこ」


 気づけば、口を開いていた。


「なんですか?」


 どうしてとらこは、私の前に姿を現したんだろう。ずっと陰から見守っていてくれれば……こんなに寂しくなることなんてなかったのに。泣きたくなることなんてなかったのに。

 でも、とらことの日々は楽しくて、感謝もしているから。


「私、とらこのこと好きだよ」


 きょとん、と私を見上げてくるとらこ。

 私は精一杯の笑顔を浮かべてみた。無理やり笑顔を作るのは苦手だけど、気持ちが伝わればそれでいい。


「ふふ、変な顔ですね」

「うるさい」


 ちょっと黙ってから、とらこはぽつりと言ってくれた。


「……わたしも、ちーさんのこと大好きですよ」


 そっか、とだけ返した。

 到着したバスにとらこと一緒に乗って、喋りながら帰って。また明日、と別れた。明日はまだ消えないよね。そんな思いを込めて。とらこもまた明日と返してくれたから、安心して家に帰れた。

 次の日も、その次の日も、私たちはいつもと同じように過ごした。

 また明日。また明日。祈るように、私は別れる間際にその言葉を言い続けた。いつしか、とらこは「さよなら」としか言ってくれなくなった。




 ――そして。雪が降った、十二月の終わり。

 とらこは来なくなった。







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