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バス停と、とらこ  作者: 藤崎珠里


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19/23

18 : 「だけどさ、一個だけお願いさせて」

「あの、ちーさん」


 泣いている私に、とらこがおそるおそる声をかけてきた。

 返事をしようと思ったが、あまりに涙と鼻水が出ていたので、ティッシュで拭き、かむ。それでもズッと鼻をすすってから、「なに?」と返した。


「千佳ちゃん、成仏しそうです」


 唐突に投げられた言葉の意味が、しばらくわからなかった。


「……は? え、ま、え、ど」


 え、待って、え、どこに、え、え、ちょっと待って。

 まともな単語を話せなかった。頭が真っ白になって、ぱくぱくと馬鹿みたいに口を動かすことしかできない。

 何か言うことを諦めて、視線をあちこちに巡らす。どこを見たって、千佳はいなかった。


「ここにいます。ずっと、ちーさんたち家族の傍にいました」


 私が何を訊いたのかわかったのだろう、とらこは私の隣辺りに目を向けた。

 まさか、と思って隣を見てみるが、何も見えない。……とらこの嘘? だけど、そんな嘘をつく必要は。

 

「……いないじゃん」

「いますよ。ちーさんの隣で、苦笑いしてます。あっ、こっち側に来てほっぺたつついてる」


 反射的に、頬を押さえる。

 何も感じない。何も見えない。何も聞こえない。

 とらこは嘘をついているんだろうか。だけどこのタイミングでそんなことはしないだろうし、とらこの目は本当に千佳を見ているようだった。


 ――いや、でも。まさか。


 否定の言葉で、頭の中はぐちゃぐちゃだった。

 とらこは静かな声で言う。


「自分と縁が深い幽霊は、どんなに力の強い人間にも見えないんです」


 ……今まで。会いにきてくれないと思っていたのは、ただ見えてないだけだったということ、だろうか。


「でも、」

「見えないものを信じるって、本当に難しいですよね。怖いですよね」


 理解ができなくて思わず口をついた言葉を、とらこが遮る。

 言い聞かせるように、ゆっくりと。


「だけどちゃんと、いるんですよ」


 とらこと私が座っている椅子の間。とらこはそこの、見えない何かに手を当てる素振りをした。「さわれませんけどね」と少し苦笑を含んだ声で、千佳がいる位置を教えてくれる。

 本当に、いるんだろうか。

 でもだとしたら。


「なんで、今更成仏」


 今の今まで、未練があったってこと?

 なのに今成仏するということは……千佳が成仏できないのは、私のせいだったと。そういうことなんだろうか。

 とらこは手を何かに当てたまま、呆れた声で言う。


「ちーさんがいつまでも引きずってるからでしょう。やっとちょっと安心できたんじゃないですか、千佳ちゃんも」

「お母さんたちは」

「あの二人も引きずってますけど。でもちーさんよりは、もう大丈夫ですよ」


 あんなに取り乱してた人たちが、もう大丈夫だなんて思えなかった。……思いたくなかった。

 視線をさまよわせて、なんとか反論できることを探す。私が引きずっていたのは確かで、だけどお母さんとお父さんは、もっと引きずっていたはずなのだ。


「だってずっと仕事に行ってるし」

「ちーさんと顔を合わせるのが嫌なんでしょう」

「それって、千佳のことで私を完全に見放したからじゃないの」

「見放したなら、あの二人はとっくにちーさんを家から追い出していると思いますよ?」


 ……生活費は、くれる。誕生日にはお金をくれた。

 保護者のサインが必要な書類は、テーブルの上に置いておけばいつの間にか書かれていた。

 顔を合わせないのは、千佳を殺した私が大嫌いだからだ。そして同時に、気味が悪くて怖いから。……千佳が死んでからまともに顔を合わしたのなんて、千佳の葬式や一周忌でちょっと親戚が集まったときくらいだ。

 そのせいで私は、あの二人がいつの間にか立ち直っていたことに気づけなかったのだろうか。

 でも、ととらこが続ける。


「あの二人、ちーさんのことを愛してはいませんが、愛したいとは思ってるみたいですよ」

「へ?」


 予想外の言葉に、間抜けな声が出てしまった。

 愛されていないのはわかっていたけど……愛したい、ってなんだ。


「まあ、単にわたしがずっとちーさん家族を見てきて感じたことですから、勘違いもあるかもしれませんけどね」


 きっと今の私は、声だけじゃなくて顔も間抜けだ。それを見て、とらこはふふっと笑う。

 ……私だけではなく、家族のことも見守ってくれていたのか。

 それなら千佳を助けてくれればよかったのに、とどろどろした感情が湧いてきて、自分が嫌になる。とらこにそんなことを思うなんて、お門違いもいいところだ。

 それに。もしかしたら、千佳のことがあったから、私だけじゃなくて家族まで見守ってくれたのかもしれない。……私に友達がいたら、きっとその子のことも。


「……ずっといたなら、早く教えてよ」


 それでも、ちょっと恨み言を言うくらいは許してほしいと思った。


「信じてくれないと思って。それに、絶対に見えないのに、いることだけ教えるのも残酷かなと」

「私は唯ちゃんに、まろんのこと教えたよ」

「わたしが教えたとして、信じてくれましたか?」


 信じなかっただろう、と思う。今だって、完全には信じられていないのだ。見えないものがこんなに信じられないなんて、思ってもみなかった。

 だから黙るしかなかった。

 千佳は今も、私の隣にいるんだろうか。どんな顔をして、私を見ているんだろう。


 もう、嘘でもなんでもよかった。たとえ嘘で、騙された私がどんなに滑稽だとしても、それでよかった。

 とらこが手を当てている位置に、そっとさわってみる。何もさわれない。当たり前だ。手に隙間を空けた状態で、握ってみた。とらこは「握り返してますよ」と優しく言ってくれた。

 駄目だ、また涙が出てきた。うつむいて、涙をやり過ごす。

 千佳が死んでから、泣かないようにしてきたのに。泣くことは許されないと思っていたのに。こんなに簡単に泣いてしまうなんて、今日の私はどうかしてる。


「そろそろ行くみたいです」


 とらこの声に、はっと顔を上げる。


「……わたしが千佳ちゃんをずっと見ているので、ちーさんも見ててあげてください」


 思わず勢いよく立ち上がって、とらこの視線を辿る。立ち上がる拍子に椅子が倒れたけど、気にしない。

 だんだん浮いていっているのか、千佳がいる位置はさっきよりも上だった。


「待って千佳、ちょっとだけ待って」


 言いたいことは何も決まっていない。

 だけど、このまま何も言えずにお別れするのは嫌だった。

 待ってくれているのかわからなくて、行ってしまう前に、と早口でまくし立てる。


「ごめんね、ごめん、ごめんなさい、ごめんね、ごめん、ごめんごめんごめん、ごめんなさい、ごめんね、こんな謝ってもただ私が楽になるだけなんだけど、ごめん、ごめんね」


 千佳の声は聞こえない。

 許してほしいと、そう思っていたし、今だって思っている。


 許して。

 お願いだから。


「千佳のこと、私ちゃんと好きだったよ。冷たくしてごめんね、嫉妬してごめんね。お姉ちゃんだったのに、お姉ちゃんっぽいことなんにもしなかった」


 好きだった。たぶん、本当は好きだった。千佳しか、私をしっかり見てくれる人はいなかった。私に嫌われていると、千佳はそう思っていただろうか。

 冷たくした。嫉妬した。

 お姉ちゃんらしいこと、といえば、ご飯だって作ったし、誕生日プレゼントもあげた。だけどそれは姉としてではなくて。ただの義務としてだった。

 もっと、ちゃんと話せばよかった。見ればよかった。


 伝えたいことがあった。

 私の言葉が、一方通行なものだとしても。


「だけどさ、一個だけお願いさせて」





「――ごめん、私のこと許さないで」



 嘘を、ついた。

 だけどこれはきっと、私の本心でもあった。


 なんだか、体が軽くなった。ああ、行ってしまったんだと、すっと信じられた。

 行っちゃったんだ。

 ずるり、と座り込む。涙は溢れるが、嗚咽は上げない。声を出さなければ、いつまでも泣いていいような気がした。

 とらこが、ぽふっと私の足に手を乗せた。


「えー、もともとなんにも怒ってないよ、と。言ってましたよ」


 思わず笑いが漏れた。

 許してという願いも、許さないでという言葉も、なんの意味もなかったのだ。


「……最後のお願いも聞いてくれないなんて、生意気な妹だなぁ、ほんと」


 ああどうしよう、涙止まらないや。これじゃあの人からの手紙読めないじゃん。







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