14 : 「もうとにかく、いいから!」
夏休みもあと二日で終わる。花火、映画、遊園地、水族館……思い返せば、唯ちゃんたちと遊びすぎたな。
今日は唯ちゃんちで勉強だ。私は最初の一週間で宿題を終わらせていたから楽だったけど、二人はまだ三分の一くらい残っているらしく、ひーひー言いながら問題を解いている。私は夏休み明けの課題テストの勉強中だ。
唯ちゃんが淹れてくれた麦茶を一口飲む。氷がぱきんと音を立てた。
「なんで余裕もってやらないの? その量だと徹夜しないと終わらないよね?」
課題テストの勉強は全然できないだろう。二人との予定しかなかった私と違って、二人はもっと忙しかったのだとしても、もう少し計画的にやっていったほうがよかったんじゃないだろうか。
唯ちゃんはばんばんと軽く机を叩いた。それに驚いて瑞穂ちゃんの字がかなり歪む。
「うっわー、純粋に疑問そうなのが心にくるっ。いい? ちっさー。大抵の学生は、課題は締め切りギリギリにひーひー言いながらやるもんなの」
「ふーん……」
「わ、わたしも七月中に終わらせようと思ってたんだよ?」
「終わってなかったら同じじゃん」
消しゴムで字を消しながら主張する瑞穂ちゃんにそう返せば、「……はい」としょんぼりとうなずかれた。
……あれ、なんか微妙な雰囲気? 空気読めない発言をしてしまったかもしれない。でもはっきりと理由がわかってないことに対して謝るのも違うし、このままでいいかな。
「ちっさー、苦労してきただろうねー……」
ぽつりと唯ちゃんが言った。彼女の顔に笑みはなく、同情の感情だけがあった。
「どういうこと?」
「あたしはちっさーのその性格好きだけど、女子ってちっさーみたいな人嫌がるじゃん?」
「だね。よく嫌がらせされるし」
「で、そのうえ幽霊とか見えちゃうんでしょ? あのイケメンと一緒に何かに話してたときとか、学校で結構噂になってたし」
「……そうだね」
「だからすごい苦労しただろうなーってさ」
苦労、と言うんだろうか。友達なんて別に、ほしいとは思わなかった。私のことを気味悪がる人となんて仲良くなりたくもない。
ああでも。そうだ。
家族とは、仲良くなりたかったから。だから私は、取り返しのつかない間違いを犯したんだ。
家族と認めてくれて、仲良くなろうとしてくれていた。その千佳を殺したのは私だ。家族と仲良くなりたかったなんてどの口が言うんだ、と心の中で自嘲する。
「あ、ごめん、今のなし。ごめんなしで! うっわぁ、今のあたしの発言最悪だね!」
「ううん、全然」
「いやいや、すっごい最悪だったよ!? ごめん!」
慌てたように唯ちゃんがごめんごめんと謝るが、何に対して謝っているのかよくわからなかった。
「最悪なのは、私だよ」
だから、唯ちゃんが謝る必要なんてないのだ。
「妹を、殺しちゃったから」
つい、ぽろっと。
言おうなんてまったく思っていなかったのに、そんな言葉が漏れた。
え、と唯ちゃんと瑞穂ちゃんが固まる。反応に困るよね。そりゃあそうだ。
「……ちっさーの妹ちゃん、今確か小五じゃ」
「生きてたらってこと」
「……生意気になってきたところだって」
「そうかもね、って言ったと思うんだけど」
今も妹がいる。そんなこと、一言も言っていない。
「ごめん。私、することも特にないし帰るね」
近くに置いておいた鞄を持って、立ち上がる。
……あーあ、これでたった二人の友達も失っちゃったかな。
私は二人のこと大好きだったけど。やっぱり好きでい続けてもらうのは、難しい。
「――待った!」
唯ちゃんが立ち上がって私を呼び止めた。早く帰らせてほしい。とりあえず振り返ってみれば、唯ちゃんは「あのさ、その」と口ごもる。
「あー! 無理! 何言ったらいいかわかんない!」
うがー! と唯ちゃんはシャーペンを放り出す。
「……それじゃあ、私はこれで」
「だから待ってってば! よくわかんないけど、今帰したらまずい気がするから待って!」
「う、うん、帰っちゃだめ」
瑞穂ちゃんにまでそう言われてしまった。……帰らないほうが、いいんだろうか。鞄を下ろすと、二人は少し安心した表情を見せた。
唯ちゃんが警戒するように、じりっと近寄ってくる。そんなふうにしなくても別に逃げないのに。
慎重に、唯ちゃんは口を開く。
「殺したってどういうこと? って訊いてもいい?」
「そのままの意味。私のせいで死んだ」
できるだけ感情を込めないようにした。
「せいでってことは、直接殺したわけじゃないんだね?」
「……まあそうだけど」
しぶしぶうなずく。直接殺したのは、あの運転手だ。私が人生を台無しにしてしまった青年。
千佳の人生を奪い、運転手の人生を滅茶苦茶にして。それでも私は、直接は殺していないのだ。いっそ直接殺していればまだよかったのかもしれない、とさえ思った。
唯ちゃんは私の返事を聞いて、珍しく真剣だった表情をすぐに崩した。「なーんだ」と、心底ほっとしたような声で言って、にっと笑う。
「だったらそれ、ちっさーが殺したんじゃないじゃん」
「違う」
「ちーがーわーなーい! なんでそんなふうに思い込んでんのか知らないけど、ほら、吐いちゃいな! 全部!」
力強く、両肩に唯ちゃんの手が乗った。
「ちっさーが殺したかどうかは、あたしが決める。この本条唯を信じなさいって」
おおげさに、唯ちゃんは胸をどんと叩いた。が、少し黙り込む。「……ちょっと痛かった」と真顔になる唯ちゃんに、私はちょっと冷静になれた。
もう、本当に全部言ってしまおうか。
迷ったのはほんの数秒だった。唯ちゃんと瑞穂ちゃんにとっては、もしかしたら長い数秒だったかもしれない。
「……あ、いや、ごめん、嫌なら無理に話さなくても」
「三年前、私が妹を殺したの。千佳っていうんだけど」
急に弱気になった唯ちゃんを遮って、話を始める。
千佳と私への、両親の態度の違い。そのせいで抱いた汚い感情。そして――三年前にしてしまった、あのこと。
全部全部、話してしまった。
私はあまり、長い話をすることが得意ではない。上手くまとめられないうえに淡々としてしまって、きっと相当集中して聞かなければ理解できなかっただろう。
だけど唯ちゃんも瑞穂ちゃんも、私の話をただ無言で聞いていた。何も訊き返さなかった。
全ての話が終わって、二人の顔を見ていられなくて。私はさっきまでの自分の席に戻り、麦茶で喉を潤した。
「……ふーん、なるほどね」
唯ちゃんの結論を待つ。私が千佳を殺したかどうかを唯ちゃんが決める、というのは暴論すぎるけど、それでも待ってしまった。
すたすたと私の前に歩いてきた唯ちゃんは、膝をついて、私の顔を両手でぐいっと上げた。
「大丈夫、ちっさーが殺したんじゃないよ」
なんの曇りもない笑顔だった。
「……なんで」
この話を聞いて、なんでそんなふうに笑えるんだろう。
呆然とする私の頬を、唯ちゃんが軽くぺちりと叩く。
「そんな顔しないの。だってちっさー、ちゃんと千佳ちゃんが家出る前に注意したんでしょ? 車危ないから気をつけてって」
「でも、事故に遭っちゃえばいいのにって思ってたんだよ」
「人間なんだから仕方ない仕方ない。仕方ないで済まされるのは嫌かもだけど、でもたぶん、世の中の大抵のことは『仕方なかった』で済まされちゃうよ」
仕方ないで済まされないことのほうが多いんじゃないだろうか。
唯ちゃんの話には全然納得できなかった。あれを仕方ないで済ましたら、私はどうしたらいいんだ。何をしたらいいんだ。千佳に謝るべきじゃないの? 許す許されるの話じゃないっていうこと?
全然わからない。
だけど瑞穂ちゃんも、私にずいっと詰め寄った。
「そう、だよ! 事故で死んじゃう確率なんて、産まれてくる確率よりずっと高いんだよ! 毎日いっぱい死んじゃって、でも皆、自分は大丈夫って根拠がない自信持っちゃってて、えーっと、うん、そう、死なんて遠いものって考えてて、でも案外近いもので、あーうぅぅ、ごめん、何言ってるんだろう。ごめんね、わかんなくなっちゃった」
途中でやっぱり、謝りながら話をやめてしまったけど。
瑞穂ちゃんの話もよくわからなかった。こんなことを、確率の問題にしてしまっていいんだろうか。だめな気がする。
二人の話の意味がわからない。
二人は私のことをじっと見ていた。
「でも……千佳は、会いにきてくれないんだよ。一回も。お盆にも帰ってこなかった」
二人が何と言おうと、千佳が会いにこないことは事実なのだ。とらこには会ったのに、私には会いにこない。それこそ、千佳が私に殺されたと思っている証拠ではないか。
私が千佳を殺したかどうか、その結論に二人の言葉は関係ない。一番は、千佳の気持ちだ。
「……え、普通の幽霊って帰ってくるものなの?」
私の言葉に、唯ちゃんが目を丸くする。
「たぶん、大体は」
「成仏した後も?」
「お盆とか命日には戻れるみたい」
「……まろんも?」
「犬には、お盆とか命日ってわかんないんじゃないかな」
「だよねぇ。……ってそんな話をしたいんじゃないんだよごめん」
がっくりとうなだれた唯ちゃんは、ふーっと大きく息を吐いた。
そして私の目を、真っ直ぐに見てきた。
「幽霊の事情はわかんないけど、大丈夫! もしかしたらさ、気をつけてって言われてたのに死んじゃったから、申し訳なくて来れないのかもよ?」
「……千佳に会ったって妖怪もいるし」
「妖怪!? 妖怪まで見れるのちっさー!」
初耳だよ!? と唯ちゃんが叫ぶ。
「ああいや、びっくりしてる場合じゃないね。……それで? その妖怪は、なんて言ってたの? 千佳ちゃんがちっさーを恨んでるって?」
少し、言葉に詰まった。
恨んでなんかいませんよ、ととらこは言った。優しい声だった。だから信じられなかった。とらこだったら、私のために優しい嘘くらいいくらでも吐いてくれる気がしたから。
「……恨んでないって、言ってはいたけど」
小さく返した私の言葉に、唯ちゃんは「あのさー!」と苛立った声を上げる。
「なんでそれを信じないかな!? 本人が会いにこないなら、その妖怪の言葉を信じるべきでしょ! その妖怪のことそんなに信じられないの!?」
「……でも、私のことばっかり考えてる子だから、嘘ついてもおかしくな」
「おかしいでしょ! 本当にちっさーのこと考えてるんだとしたら!」
唯ちゃんの声が荒々しくなってくる。
怒ってくれているのだと、思った。
「ちっさーは千佳ちゃんに恨まれたがってるんでしょ!?」
「え、ちが」
「違わない! そうとしか聞こえなかった! どんなにその妖怪とかあたしが、千佳ちゃんは恨んでない、ちっさーは殺してないって言っても、信じてくれないんでしょ!? それって、ちっさー自身がそう思い込んでて、そうであってほしいと思ってるんじゃん! あたしでさえわかるよ、そんなこと! その妖怪だってわかってるよ。だったらさ、千佳ちゃんはちっさーを恨んでる、憎んでるって言うはずでしょ! ちっさーが望んでんだから!」
ぜーはーと息をする唯ちゃんの横で、瑞穂ちゃんがおろおろしていた。
私が、望んでる?
ううん、私はただ千佳に許してほしいだけだ。だから恨まれていないならそれは嬉しいはずで……。
……じゃあ私はどうして、とらこの言葉を否定したの?
違う。望んでない。
私は千佳から恨まれたくなんかない、憎まれたくなんてない。
だけど、でも、千佳はきっと私を恨んでて、憎んでて、それで。それで、私は、私は?
「もうとにかく、いいから! 大丈夫なの! はいおしまい!」
もう何もわからなかった。
わからないのに――心が少し軽くなった気がして、単純な自分に嫌気が差した。




