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バス停と、とらこ  作者: 藤崎珠里


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13 : 「ゆるして」

 今年もお盆がやってきた。この時期が一番見える時期だ。やっぱりみんな、お盆になると帰ってくるんだな、と思う。向かいの家のおばあさんも遊びにきてるみたいだし。

 だけどやっぱり。

 千佳はいないのだ。

 リビングのソファに、だらりと横になる。左腕を目の上に乗せて、両目を隠した。本当、千佳以外は見えすぎるほど見えて、嫌になる。この時期、家の周りは妖怪は少ないままでも、幽霊は増えるのだ。

 それでも、千佳はいない。


 かわいくて、人付き合いが上手くて、わがままを言うのが上手くて、みんなから愛されてた子。お母さんとお父さんも千佳ばっかり可愛がって、だから昔の私は面白くなかった。

 千佳のことを考えると、一気に色んな記憶が蘇ってくる。忘れていたわけではない。思い出さないようにしていただけだった。


 たとえば誕生日。昔からお母さんとお父さんは共働きだったけど、千佳が生きていたころは、千佳のために仕事をどちらかが休むことが結構あって。私の誕生日は二人とも朝早くから夜遅くまで働いていたけど、千佳の誕生日は二人とも有給をとっていたのだ。三人で外食へ行って、私はお母さんが作った適当なものを一人で家で食べた。三人が出かけていくのを、何度一人で見送ったことだろう。

 きっと私だけ、家族じゃなかったのだ。


 たとえば熱を出したとき。私は自分でおかゆを作って、薬を飲んで、寝ていた。千佳にはお母さんが林檎をすってあげて、着替えなんかも手伝って、つきっきりで看病していた。

 私だって、熱が出れば心細くもなる。誰かに近くにいてほしかったけど、近寄ってくるのは千佳だけで、その千佳も、お母さんにうつるからやめなさいと言われれば近寄ってこなくなった。

 だけど千佳だけは、私を心配してくれた。それが嫌でたまらなかった。



『おねえちゃん』



『お姉ちゃん』


『お姉ちゃん、大丈夫?』

『お姉ちゃん、誕生日おめでとー』

『お姉ちゃんありがとう!』


 私は、千佳とどうやって話していたっけ。

 私があげた誕生日プレゼントを、千佳はどんな顔をして受け取っていただろう。私はどんな顔をしてあげたんだろう。


 両親からしたら私は気味が悪い子で、千佳は普通の子で。歳だって五個違うし、この対応の差が仕方ないと頭では理解していても、誰かから愛されているという実感がほしかった。誰からも愛される千佳が妬ましかった。

 だから、三年前のあの日、ついにちょっとだけ意地悪してしまったのだ。あくまで、ちょっとだけのつもりだった。


『千佳、ちょっと買いもの行ってきてくれない?』


 私は知っていた。


『えー、ゲームしてるのにー』

『今日の夜ご飯いらないの?』

『……いる』

『じゃあ、ここ行ってきて。買うものはこれとこれとこれ』


 広告を見せながら指差せば、ふんふんと千佳は真面目そうな顔で聞いていた。食べることが大好きな子だったから、夜ご飯でつることは簡単だった。


『わかったー。行ってくるね』

『……車には気をつけてね。結構飛ばす人たちもいるからさ』


 私は、知ってた。


『うん!』


 笑顔でうなずいた千佳は、きっと自分が死ぬなんて欠片も思っていなかっただろう。私もそうだったのだから。

 あのショッピングモールまでの道は、まだ小二の千佳には危険な道だと知っていた。私でさえ、たまに猛スピードで走る車にひやっとしたのだ。

 事故に遭えばいい、なんて思っていたわけじゃない。ただ怖い目に遭えばいいのに、という気持ちがあっただけだ。

 ……ううん、事故に遭えばいい、と。思ってたのかもしれない。


 その後家にかかってきた電話の内容は、よく覚えていない。相手が女の人だったか男の人だったかさえ覚えていない。

 千佳が死んだ。それしかわからなかった。

 千佳が死んだ。それだけで頭がいっぱいになって、いっぱいになって。


 涙も、出なかった。



『なんで千佳を行かせたの!?』


 お母さんにはたかれた。


『お前のせいだ! なんで中学生にもなってそんなに考えなしなんだ!? ちょっと考えればわかったことだろう!』


 お父さんに殴られた。


 私だって、自分を思い切りぶん殴りたかった。でも痛いのは嫌で、結局両頬をぱんっと軽く手で挟むしかできなかった。何回もやった。そんなに痛くなかった。

 本当に。中学生にもなって、なんであんなに軽く考えてたんだろう。

 まさか死ぬとは思わなかった。死がそんなに身近なものだと思っていなかった。

 そんなの言いわけにもならない。昔から幽霊が見えていて、私にとっては死は『身近なもの』だったのに。幽霊が見える私は、そんなふうに思ってちゃいけなかったのに。

 毎日、幽霊を見ていたじゃないか。大人も、子供も。何か犯罪をしていそうな人も、すごく優しそうな人も。何も関係なく。みんな、幽霊だった。死んでいた。


 千佳が死んでから、お母さんたちはますます仕事しかしなくなった。最後に会ったのはいつだったっけ。……最後に名前を呼ばれたのは、いつだっけ。

 腕を顔から下ろして、目を開けて天井を見る。

 どうして千佳は来てくれないんだろう。私を恨んでいるからだろうか。それとも、もう成仏してしまったんだろうか。

 謝りたい、と思うのは勝手な話なんだろう。許してほしい、と思うことも。


 会うのは、怖い。千佳が死ぬことを望んでいたと、そう思われているかもしれないのが怖い。

 気付いたときには、口が開いていた。


「ゆるして」


 思ったよりもたどたどしい声が出た。

 許して、許して。私を許してよ千佳。何回だって謝るから。千佳が言うなら、自殺だってしてみせるから。

 違うよ、私は千佳に死んでほしかったわけじゃないんだ。信じて、許して。千佳だけは私と普通に話してくれたのに、嫉妬してごめん、あんなことしてごめん。


 会いたい、と思う。会いたくない、と思う。

 だけど結局会いたいという気持ちのほうに傾くのは――私が、ただ自分勝手なだけなんだろう。


「ちーさん」


 どろどろとした思考に落ちそうになったとき、ふいにとらこの声が聞こえた。空耳かと思ってスルーすればまた名前を呼ばれ、思わず飛び起きる。

 ソファの近くに座って、とらこは心配そうに私のことを見上げていた。


「……とらこ? なんで家にいるの?」

「この時期はやっぱり、つらいかなぁと思いまして」


 つらい、と。思ってはいけないんだろう。

 視線がさまよう。

 何を言えばいい。


「……ずっと見てきたなら、知ってるんでしょ。私が千佳を殺したこと」

「殺してません」


 即答だった。


「殺してません」


 もう一度、とらこはゆっくりと言った。


「少なくとも、千佳ちゃんはちーさんに殺されたなんて思ってません」

「……なんで、そんなわかったような口」

「だって千佳ちゃんは、ちーさんのこと今でも心配してますよ。ちーさんが責任感じてるんじゃないかって。ちゃんと気をつけてって言われてたのに、車に轢かれちゃったって」

「待って」


 待って、待って。

 その口ぶりは、まるで。

 声が震えた。


「とらこは会ったの? 千佳に」

「……はい、会いました」

「……っなんで私には会いにきてくれないの!? やっぱり私を、うらん、で」


 勝手に出ようとする涙を無理やり止める。泣くことは許さない。私が、許さない。

 とらこは、私の腕にぽんと手を当てた。


「恨んでなんかいませんよ」


 優しい声でそんなことを言うとらこに、カッとなる。


「だって、会いにきてくれないじゃん! こんなにいっぱい幽霊がいるのに、千佳だけはいないんだよ!?」

「……そう、ですね」


 こんなに誰かに感情をぶつけたのは初めてだった。

 間違えた、と思った。思っても、もう口から出てしまったものを取り消すことはできなくて、私はただ黙り込んだ。

 そうですねって、なんなんだ。結局、千佳は私を恨んでいるのか。

 尋ねたいけど、そんな勇気はなかった。


「すみません。余計なことを言いました」


 何も返さない私を気遣わしげに見ながら、とらこは帰っていった。

 ああ、八つ当たりなんかして、本当最低。私が死んで千佳が生きれば、みんな幸せだったのに。

 私はソファに置いてあるクッションに、顔を押しつけた。







「兄上、言ったほうがよかったんですかね」

「何がだ」

「……いえ」


 縁が深い者の幽霊は、決して見えない。

 彼女の妹が、ずっと彼女たち家族の傍にいると知ったら。


「言わなくてよかったかもしれません」


 とらこの言葉に、虎太郎はただ「そうか」とうなずいた。

 見えないのに、知ったところで何になるのだ。ただ教えるだけなんて、残酷だろう。彼女のような見える人間は、見えない人間よりも見えないものを信じない。

 いつになればあの子は成仏できるのだろうか。ずっと彼女の傍で心配そうにしている幽霊を思い浮かべて、とらこは深く息を吐いた。




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