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バス停と、とらこ  作者: 藤崎珠里


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09 : 「……なにその都合いいボール」

 唯ちゃん、と呼ぶのにも慣れ始めたころだった。


「ちっさーってさ、もしかして見えるの?」


 バスの座席に座ると、いきなりひそっと唯ちゃんが尋ねてきた。外は暑くても、バスの中はクーラーがきいていて涼しかった。

 ついに来たか、と思う。唯ちゃんには、とらこと虎太郎さんとの言い争いを見られていた。あの日のことをクラスの女子にひそひそ言われることは少なくなってきたが、隣のクラスなら噂くらいは聞いていただろうし、今まで何も言ってこなかったほうが不自然なのだ。

 反対側の席に座ったとらこが、ちらちらとこっちの様子を窺う。そんなに心配しなくて平気だよ。

 できるだけ、きょとんとした顔を作ってみる。顔が引き攣りそうだった。でも、唯ちゃんから気持ち悪いと思われたら嫌と思うくらいには……私は、唯ちゃんと仲良くなりたいと思うようになっていた。


「……見えるって?」

「幽霊とか。ほら、こないだなんかイケメンと一緒になんかと言い合いしてたじゃん? 二人してってことは、あそこにほんとはなんかいたのかなって。結構噂にもなってたしさ」


 唯ちゃんは最初から直球だった。う、負けた。これは誤魔化しも通じないかもしれない。なんとか誤魔化せないかと、苦し紛れに返す。


「……その『イケメン』と言い合いしてただけだよ」

「なんだー、そうなんだ……。あ、ごめんね、がっかりした声出して」


 あっさりと信じて、唯ちゃんは肩を落とした。もしかして、鎌をかけただけだったんだろうか。

 うっかり認めなくてよかった、と内心で冷や汗をかく。


「ううん、別に。でもなんで?」


 今更なぜそんなことを訊いてきたんだろう。

 唯ちゃんは「んー……」とどこか遠くを見た。その膝の上には、いつものマルチーズの姿はない。最近はいたりいなかったりなのだ。

 そして唯ちゃんは、私に視線を戻した。


「もし見えるんだったらさ……犬の幽霊とか見えないかなって思ったんだけど」

「犬?」


 どきりとしながらも、何も知らないふりをする。


「うん。ほら、前にさ、ペット飼ってるかって話になったじゃん? あのときいるって言っちゃったけど、もう死んじゃってたんだよねぇ。だからちっさーとイケメン見て、もしかして? って。元々ちっさーとは仲良くなりたかったし丁度いいや、でもこれを訊くのはちゃんと仲良くなってからにしよーって思って。まあ見えたとしても、犬相手だと話もできないし、結局なんにも意味はないんだけどさ。ごめんね、変なこと訊いて」

「……ううん、大丈夫」


 ははは、と空々しく笑う唯ちゃんに、首を横に振る。きっと今、私の顔は強張っているだろう。

 やっぱりあのマルチーズは、やっぱり唯ちゃんちの犬だったんだ。確信はしていたけど確証はなかったから、今になって心が沈む。

 はっきりとわかったところで、唯ちゃんも言ったとおり犬の幽霊相手だと何もできない。……けど。すぐ近くにいるんだよ、って伝えるだけで、何か変わるんだろうか。

 無理して、それでも一見普通の笑顔を浮かべる唯ちゃんに、私はうつむくしかなかった。


 例えばもし私なら。千佳が近くにいるよって……そう誰かに教えてもらうだけで、ちょっとは救われるかもしれない。私のように幽霊が見える人なんて滅多にいないだろうし、私が見えていないのなら、千佳は実際どこにもいないんだろうけど。

 だけど、あのマルチーズはいる。唯ちゃんにしっぽを振って、唯ちゃんの膝に乗って、唯ちゃんの顔を勢いよくなめていたのだ。

 唯ちゃんには見えなくても、さわれなくても、聞こえなくても……いるのだと教えるだけで、何か変わる、のだろうか。


「ごめん、嘘ついた」


 気づけば、そんな言葉を口にしていた。

 気持ち悪い、と思われるのは嫌だけど、嘘をつくのだってやっぱり嫌なのだ。これで唯ちゃんの心が少しでも軽くなるのだとしたら、言いたい。


「……え?」


 唯ちゃんは目を見開く。


「私、見えるよ。最近学校近くに白いマルチーズがいて、特に唯ちゃんの近くでしっぽ振ってるの。よく一緒にバスに乗って、唯ちゃんの膝に乗ってて。唯ちゃんの顔をなめてるときもある。たぶんその子、だよね?」


 ぽかんとしていた唯ちゃんは、私の言葉の意味がじわじわとわかっていったのか、へにょりと下手くそに笑った。


「うん、そう、その子がまろん。あー……そっか、そうなんだ。今はいる?」

「いないよ」

「そっかー、じゃあお母さんとかのところ行ってんのかな」


 見ていて痛々しい、とは、こういうことを言うんだろうか。

 涙が溜まり始めたことを気づかれたくないのだろう、唯ちゃんは私から視線を外した。いつもちゃんと人の目を見て話す唯ちゃんには、珍しいことだった。


「もしかしてあの子、死んだのもわかってないのかなぁ」


 膝の上に置かれた唯ちゃんの手に、少し力が入ったのがわかった。

 唯ちゃんは反対側の窓の外を見ていた。私が窓側の席に座っててごめん、と謝りたくなる。その代わりに、私も近くの窓から外に目をやった。

 快晴。雲一つない空で、太陽がぎらぎらと輝いている。

 バスのクーラーは、少し寒かった。


「病気で苦しんでたし、急に楽になってわーいって感じなのかもなー」


 唯ちゃんはわずかに涙が混じった声で言う。

 そっか、生きていたときは病気で動けなかったから、あの犬はあんなに楽しそうに走り回ってたのか。


「うん、そうかもね。少なくとも、幽霊になってからすごく喜んでると思う」


 たぶんだけど、と付け足す。


「だって、あの子もう成仏しそうだよ。……もしかして散歩大好きだった? いっぱい走ってたし。あとさっきも言ったけど、唯ちゃんをすっごいなめてた。それだけでたぶん、満足したんじゃないかな」

「……そっかー」


 彼女はもう一度、そっかーとつぶやいた。今度はへたくそな笑顔さえ作れていなかった。

 バス停に着くと、「じゃあまた明日」と唯ちゃんは私のほうを見ずに帰っていった。


 ――伝えないほうが、よかったのかな。


 後悔しそうになる。それほど、今の唯ちゃんの笑顔はらしくなかった。『唯ちゃんらしさ』を語れるほど、私は彼女と親しくはないのだが。

 私の判断が合っていたのか、間違っていたのか。それを決めるのは、明日唯ちゃんと会ってからでいいだろうか。「また明日」と言ってくれたということは、また明日も一緒に帰ろう、と言ってくれたと思っていいんだろうか。

 とらこと話す気にはなれなくて、スマホは出さなかった。とらこは私の隣の席に移ってはきたが、丸くなってただ前を見ていた。

 バスを降りると、熱い日差しに肌が焼かれる。日焼け止めは面倒でつけていないけど、やっぱりつけなくてはいけないかもしれないと危機感を覚えるくらいだった。


「じゃあね、とらこ」

「はい、また明日」


 その日とらこと交わした言葉は、それだけだった。



 翌日。

 今日も暑かった。家を出てすぐ、水筒のお茶を飲む。氷をたくさん入れたそれは、すごく冷たくて体に染み入った。……飲み物、買い足さなきゃいけないかな。学校の自動販売機は安いけど、十円玉のつり銭が切れていることがよくある。

 小銭入ってたかな、と財布の中身を思い出しながら最寄のバス停に向かえば、とらこがいた。今まで朝に来たことはないので、びっくりして一瞬足が止まってしまう。


「……おはよう、とらこ」

「おはようございます!」


 初めて、この挨拶が時間帯と一致した。

 どうしたの、と私が尋ねる前に、とらこはどこからかボールを取り出した。握りこぶしくらいの、黄色いボールだった。

 ぽとん、と弾むようにしてボールが置かれる。


「さてちーさん。ここに、幽霊も人間も触れるボールがあります」


 おそらく人間の顔だったら、自慢げににやっと笑っていただろう。

 唖然として、すぐには言葉を返せなかった。


「……なにその都合いいボール」


 いや、本当に何だ。そんな都合のいいことがあってもいいんだろうか。もしかして夢なんじゃ、と疑ってしまったが、この暑さは夢ではない、はずだ。

 しゃがみこんで、おそるおそるボールにさわる。うん、私はさわれる。実体はありそう。というより、普通のボールとの違いがわからなかった。


「これ本当にそんなボールなの?」

「あ、失敬ですね! だったら試してみてくださいよ!」

「いや、もう学校行かなきゃだから時間ない」

「……そうですか」


 とらこはしょんぼりとする。いや、だって余裕を持って家を出ているとはいえ、あまりぐずぐずもしていられないのだ。

 腕時計で時間を確認して、あと三分がぎりぎりかな、と判断する。


「で、本当だったとして、どうやってそんなもの手に入れたの? 妖怪の世界みたいなとこでは、普通にあるとか?」

「えっへへー、実はわたしが作っちゃいました」

「……は?」


 自慢げなとらこに、冷え切った声を返す。

 何してるんだろう、この馬鹿虎。それって残り少ない力を使って作ったってことでしょ。自分の命削ってそんなもの……と言うのは駄目なんだろうけど、命を削ってまで作るものではないはずだ。

 私の低い声に、とらこはひえっと体を縮こませる。


「じょ、冗談です、兄上に作ってもらいましたよ」


 まったく、怖いんだから……とぶつぶつと文句を言う。


「まあそこまで都合がいいものでもないんですけどね、こういうもの。色々条件がついてるんです。そのうちの一つに、同じ種族同士では使えないというのがあって」

「同じ種族?」

「人間と人間とか、犬と犬とか。犬にしても、犬種というくくりではなくて、全部まとめての犬なんですよね。だから狼なんかも含まれちゃいます」

「ふーん……ヒト科とかイヌ科とか、そういうのってこと?」


 なんかめんどくさい条件だ。どんな人間、幽霊にでも使えるなんていう都合がいいものは、そう簡単にあってはいけないということなのだろう。

 私の言葉にとらこは「たぶんそうですー」とうなずいた。


「だから、試したことはないですけど、人間とチンパンジーも無理でしょうね。で、まあこれ以上にめんどくさい条件がいっぱいなんですけど。……唯さんとあの犬は、大丈夫です。そうなるように頑張って作り……いえ、作ってもらいました」


 作ったんだろうな。

 冷たい目で見てやると、「な、なんですかー」と怯える。あー、もう知らない。どうせ、私が何もできなくて落ち込んでるのを見て、なんとかしてあげたいとでも思ったんだろう。


「ばーか」

「ええ!? いきなりですか!?」

「はあ……あーあ、ありがとね」


 とらこだし、仕方ない。諦めて、ただお礼を言っておく。

 えへへ、と笑ったとらこは、ボールをくわえた。牙が刺さっても壊れない、のか。ちょっとはとらこの話にも信憑性が出てきたかもしれない。


「それで、使います?」

「使う」


 即答する。

 ……ところでどうやって喋ってるの、それ。







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