③
翌朝、香山先生は体育祭の振り替え休日だったけど、わたしは2限から講義なので、東京に戻るために早起きした。全身ダルい。先生の部屋は相変わらず殺風景で、朝食も食パンとブラックコーヒーしかない。わびしい食卓だけど、パンもコーヒーもなぜか甘く感じた。
「お前さ、ホント大学にいいヤツいないわけ?」
「なんでですか? 他の人と付き合ってた方が良かったですか?」
先生は昨日から時おり突っかかってくる。その度にわたしも不機嫌になって、先生はそれをしずめるように強くわたしを抱いた。
「ダメ。美紗は俺のだから」
「…やいてるんですか?」
「当たり前だろ。若くて未来ある男がお前の周りにはウジャウジャいるんだから」
「別に誰がどうとか言ってないのに。自分の想像に嫉妬してどうすんですか。仮想敵国ですか」
先生はそっぽを向いてコーヒーをすすり、2枚目の食パンに手を伸ばした。トースターは壊れているらしい。
「…なんでもっと早く俺んとこ来ねえんだよ……」
さっきから言ってることが支離滅裂だ。「半年経ったら来い」って言ったのは先生なのに。
「そんなのわたしだってそうです。かわいい子いっぱいいるじゃないですか、学校に」
「まあ、女子高生は普通に魅力的だと俺も思うけど、俺は生徒に対してはそういう魅力より、なんつーか若者の可能性とかに心ひかれるんだよ」
高校教師がいちいち生徒をそういう目で見てたらマズいとは思うけどね。
「…じゃあわたしは?」
「美紗には…、両方を感じてるよ。それはホント。相変わらず板挟みなんだよ、俺は」
「………」
「大学生は山ほど勉強して、山ほど遊ぶべきだよ。たくさん人に会って、恋愛もハデにしたらいい。でもお前を手放すのもイヤだ。どうしたらいいんだろうね」
「わたし、浮気なんかしませんよ」
「そんなことを言ってるんじゃない。……好きだ。好きだよ、美紗。俺はただの男だ。俺を受け入れる覚悟があるか?」
やることやってからそれを聞くのは卑怯じゃないだろうか。でも先生は今、すべてをさらけ出そうとしている。昨日のわたしのように。
「……ありますよ。先生が子ども趣味でも、オタクでも、パン一の変態でも引かなかったじゃないですか」
「お前な」
わたしは先生のツッコミをさえぎった。
「全部、わたしのものです」
昨日の先生の言葉だ。
「全部言ってください。わたしを嫌っての言葉じゃないなら、何言われたって平気です。スネてください。八つ当たりもしたらいい。全部わたしのだから構わないです」
「お前はホント…、俺の負けだよ」
クスッと笑った先生に抱き上げられ、パンを食べてる途中なのにベッドに横にさせられた。
「待って、今日の2限はサボりたくないんです」
「あー、ぶっちゃけ、あと何分で出なきゃマズい?」
「あと40分かな…」
「よし、1回できるな。サクッと」
「サイテー、このオッサン!」
「何とでも言え」
いっぱいしゃべろう。いっぱいケンカしよう。いっぱいエッチしよう。
わたしを先生でいっぱいにして。
昨年雪が降った東京ビッグサイトは、今年は雨に見舞われた。昨日から降り続いた冷たい雨が身体の芯から体温を奪っていく。
「寒っ! こんなに降るとはな」
「雪のがましですねー」
コミケの入場待ちは傘厳禁らしい。わたしと香山先生はレインスーツ上下を着こみ、冬コミの長蛇の列にいた。色気も何もあったもんじゃない。
「ヤバいなー、風邪ひくなー」
並びながら先生はさらにレインコートを取り出した。自転車に乗るときに着るポンチョ型、しかもXLサイズだ。
「よしよし、ふたりで入れそうだな。ほら、遠慮すんなって」
一緒にポンチョ型レインコートにくるまろうと言うのだ。周りの視線が痛いけど、先生はまったく気にせずわたしを背後から抱いてレインコートのボタンを閉じた。
このためにわざわざ持ってきたのだろうか。微妙に下腹部を触っている。くすぐったい。
「もう、何考えてんの…」
香山先生は最近ただのエロオヤジと化している。
コミケに来るのは今日で3回目。最初は先生がオリジナル小説書いてるって知った日。次はわたしの策略でデートにこぎつけた日。今日は恋人同士になって初めてのコミケだ。クリスマスに会ったときに「サークルの人に美紗のこと紹介しよっかな」とポツリと言われて、今日にいたる。
初めてコミケに来てから2年間、本当にいろんなことがあった。先生のいろんな顔を知った。わたしの肩に背後から顔をうずめて「あったけー」とボソボソ言ってる香山先生にあきれつつ、もっとたくさん先生を知りたいと思う。
「先生、わたしも濡れてるんだから、顔濡れるでしょ? あ、ほら、列が進み始めましたよ」
「んー、このまま行く」
「この体勢で行くんですか?」
「だって、あったけーんだもん」
子犬のようだ。たまに先生はスイッチが入ったように甘えてくる。いくつの顔を持っているんだろう。
「ちょっと拓ちゃん、見たよ! 並びながらイチャイチャしてたでしょ!?」
香山先生とスペースに行くと、先生がサークルの人にあいさつするより早く、例のキョウコさんが目を輝かせてスマホを見せてきた。見事に撮られている。
「なんだ、ノゾいてんじゃねえよ。ま、改めて紹介しますか。こちら菊池美紗です」
キョウコさんに、去年もいた男の人、それともうひとり、少し年のいった男の人がいる。
「彼女さん? 彼女さん? ってか拓ちゃん、生徒さんだよね?」
キョウコさんは徐々に鼻息が荒くなっていく。
「美紗にからむな」
「先生、こちらが挿し絵を描いてる『キョウコさん』?」
「Yes、Yes、Yes、『先生呼び』Yes! 美紗ちゃん分かってる!!」
興奮は最高潮のようだ。これがオタク女子のノリか。キョウコさん、美人なのに残念すぎる。
「いい加減引っこんでろ、恭子。美紗、こいつはもういいから。ケンさん、前に話した彼女です」
彼女か。マズい、顔がニヤける。というか先生、友だち相手だとこんな感じなんだな。
「初めまして。一応ここのサークルの代表です。この男、熱血教師だったり、オタクだったり、あわれなピエロだったり、ただのエロガッパだったり、大変だろ?」
「ちょっと、ケンさん!」
「エロガッパ!? そこんとこkwsk! やっぱあれ? 制服着せるんでしょ? 末永く爆発しろっつーの!」
いい笑顔でキョウコさんはグッと親指を立てた。
「黙ってろ、な? お前」
「いっぺん死んでこい。悪いな、美紗」
おかしい。先生とキョウコさん、小学生みたいだ。笑いすぎて涙が出てきた。
「こいつが彼女連れてくるの、初めてかな。面倒なヤツだけど、よろしく頼むよ」
あれ? 去年キョウコさん、元カノがどうとか言ってなかったっけ? やっぱからかわれてたのかな。「悔しかったら男連れてこい!」、「余計なお世話だ、このロリコン!」、と三十路とは思えないケンカをしている香山先生とキョウコさんを見ていたら、
「ほらほら、美紗ちゃん、やきもちやいちゃうよ」
とニヤニヤしながらキョウコさんが寄ってきた。自分の趣味趣向を満足させるのが最優先らしい。この人の言うことは信じない方がいいな、と直感する。
「いや、恭子に限ってそれはねえ。あきれてるんだって」
「そんなことないよねぇ? 香山センセイがあたしみたいな美女としゃべってたらモヤモヤしちゃうよねぇ?」
おもしろい。このペースについていく気はないけど、見てるだけならいいかな。
「スミマセン、あきれもモヤモヤもしないです。先生の違う顔を見られて良かったです。ありがとう、キョウコさん!」
これが彼女の余裕ってやつよね。「ドヤ!」と思っていたら、キョウコさんにハグされた。
「美紗ちゃん最高~! ああ、このちっちゃい清楚な外見からは想像もつかない器の大きさ、あふれる自信。愛されてるのねぇ。拓ちゃん、この子いいわ、最っ高!」
「美紗に触んな、この痴女が。こいつの良さは俺が知ってんだよ」
まったく、そんな恥ずかしいこと堂々と言わないでよ。ムキになるのもたいがいにしてほしい。
「良さ? どうイイの? ケンさん、今度『高校教師×女子高生』本出そうよ」
「ふざけんな、美紗を汚すな!」
「誰も成人向けだなんて言ってないでしょ~? ヤらしいな~、香山センセイ」
「言ってろ。行くぞ、美紗」
わたしは先生に手を引かれながら振り返り、キョウコさんたちに手を振った。
「また来ます、キョウコさん!」
「いいから、行くぞ!」
先生に肩を引き寄せられ、それにあらがいながら何度もわたしは振り返った。
雨はみぞれに変わり、泥色になって微妙に積もりつつあった。去年はしんみり心に染み入った雪景色だったけど、今年は少し興ざめだ。でも悪くないと思う自分がいる。
優しく頼もしい香山先生が好きだし、お調子者でオタクでやきもちやきでエロガッパで甘えたで子どもみたいな先生が好きだ。こういうと散々だけど、悪くない、もっと知りたいって思う。
パレットタウンの観覧車に乗り、重く暗雲が立ちこめた空をふたりでながめた。最初は向かい合って座っていたけど、1分もしないうちに先生はわたしの横に移動してきた。
「美紗、お前いつまで俺のこと『先生』って呼ぶつもり?」
「キョウコさんに言われたの気にしてるんですか?」
「やめろ、あいつを引き合いに出すんじゃねえ。汚らわしい。つーか、ずっと敬語だしさ」
気にしてるんじゃん。でもそんなのすぐには無理だよ。
「何年後か分かんないけど、俺の親とかに会うじゃん? そのときも『先生』だとアレじゃん」
そんな先のこと考えてるんだ。でももう30歳だし、周りは結婚してる人多いんだろうな。
「そういうときはちゃんと『拓朗さん』って言いますよ」
「お前、そういうのうまいことやるよな。高嶋とか斎木のこと、俺の前じゃ下の名前で呼んでなかっただろ」
「あ、気づいてたんですね。そういうふうに育ったんです、わたし」
「ふーん。そういえば俺さ、生徒のこと『お前』って絶対言わないんだけど、気づいてた?」
そうだったっけ? 「お前呼ばわり」はわたしだけだったんだ。
「…2年前にカミングアウトしたときから、お前を見る目が少し変わったんだよ。同人やってても引かなかっただろ? それこそ、子ども好きでも、パン一の変態でも。『菊池はものごとをよく見て、真面目に受け入れようとしてるんだな』って思ってたよ。考えすぎな面も、美紗の味だ」
付き合い始めてからも、たまに「教師」の顔を見せる。それも香山先生のひとつの顔だから、「先生ヅラはやめて」と駄々をこねる気はない。そんな余裕も身についた。
「なんでも見て、受け入れて消化してしまう美紗にね、全部見せたくなってきたんだよ。ホントお前、俺がどんなんでも引かないから、うれしくなっちゃってね。調子に乗ってたよな」
でもそれがなかったら、先生が調子に乗ってなかったら、わたしは先生のいろんな顔を知ることはなかった。
「今さら何言ってるんですか。全部……、わたしのものだって言ったじゃないですか」
明るい観覧車でこんなこと言うの恥ずかしい。
「そうだな。美紗にやるよ、俺の全部」
先生はわたしの肩と腰を抱き、深くキスしてきた。太ももを触ろうとする手を「ここじゃイヤだ」とつねると、「あとでな」と先生はイタズラっぽく笑った。
「そうだ、持ってきたんだった」
トートバッグをゴソゴソ探り、先生は2冊の本を取りだした。
「夏と、あと今回出した新刊やるよ。新シリーズ」
卒業直後に聞いた話だ。本当に新シリーズ始めたんだ。「Tiny Little Soldiers ~T.L.S.~ Ⅱ」。夏に出したのが第1巻で、今回のが第2巻というわけだ。前より少し大人びた主人公たちが表紙を飾っている。
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S県立H高等学校 3年F組に捧ぐ
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表紙をめくった1ページ目にはそう印字されていた。わたしたちのことだ。
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ヒナはゆっくりと振り返った。
ずっとT.L.S.の仲間と共に訓練を受けていたG棟を仰ぎ、ヤスヒコのメッセージを思い出した。
オレたちの心臓をあずける
この細い腕1本で何を守れるのか。ヤスヒコたちの心臓を守る技術、地球を守る技術を身につけるには自分は未熟すぎる。しかし、自分ならできると思う。
信じてくれる存在は、成長していく障害をすべて取り払う。何にも阻まれずにまっすぐ上を目指そうと素直に思える。
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先生はまだまだ書きたいこと、伝えたいことがあるようだ。
「中高生ぐらいに年齢を設定してさ、生徒みんながモデルみたいなもんだから、どんどん書けるんだよね。ヤバいよ、今のペース」
「こっちが本業になっちゃうんじゃないですか?」
「それはないな。みんながいるからこその作品だし」
「フフッ、でも良かった。これからの楽しみがまた増えて」
相変わらず登場人物がイキイキしている。作者がこのキャラクターを、モデルである生徒たちを、とても愛しているのだと分かる。
「この年代だと、自分の判断をするようになるだろ? 個人的な進路しかり、この本の舞台になってる戦争しかり。誰がどんな決断をするかはまだ練るけど……」
これも、香山先生の顔だ。
いったい先生はいくつ顔があるんだろう。何足のわらじを持っているんだろう。
どの先生もホントなのだと思う。
ねえ、教えて。
先生のホント、全部教えて。
(完)
(あとがき的な何か)
1年近くこの話を書いていたんだと、第10話を書き終えるぐらいに気がつきました。あっという間だった感じがします。この最終話には今までの要素を詰めこみすぎた感がしますが、自分としては満足しています。出しきりました。
大した文章でもないし、PVも他の作者様の足元にも及びませんが、たまに第1話からまとめ読みしてくださる方もいたようで、本当にうれしく思っています。今まで1度でもお目にとどめてくださった方、すべてに感謝の気持ちでいっぱいです。
さて、主要人物の後日談などをいくつか。
美紗は大学在学中に1年休学し、中国に留学します。現地の大学で北京語の勉強をしながら、長期休暇中に西安の兵馬俑を見に行ったりします。「危ない」と怒られるので香山先生には事後報告です。中国内陸部の貧困、教育事情に心を痛めたまま帰国し、一念発起し留年しながら英語と地歴と公民の教職をとり再渡中。4年ほど甘粛省で英語教師をつとめます。念願の敦煌も行きます。
香山先生はそんな美紗の飛躍をうれしく思い、辛抱強く日本で待ちます。ですがやはりただの男なので浮気もします。美紗にバレますが(というか隠しておけない)、「別れるか、婚約するか」を美紗から迫られ、「悪かった。結婚しよう」と折れます。1年後美紗は帰国、ようやくゴールイン。美紗28歳、香山先生39歳。新婚旅行はローマを中心にイタリアへ。3人の子どもに恵まれます。
結局美紗は結婚するまで香山先生を「先生」と呼び、結婚してからは「あなた」、子どもが生まれてから「パパ」or「お父さん」になります。香山先生はそれにスネつつ、すべての髪が白髪になっても、美紗を優しく「美紗」と呼びます。
呼び方といえば、香山先生はたまにみんなの前でうっかり美紗を「お前」と呼んじゃってます。
優は医療系大学を卒業後、群馬で作業療法士として勤務。同僚と結婚し、平凡な家庭を築きます。平凡な日々に嵐を巻き起こして楽しんでいるのでしょう。
隆弘は大学院に進学、茨城にて地震予測の第一人者になります。たまにTVに出ます。剣道部のマネさんとは博士号をとったときに入籍しています。マネさんは保育士さんです。
彬は大学卒業後、人材コンサルタントに就きます。結婚は32歳でしますが、それまではずいぶん遊んでいるようです。本編で書けませんでしたが、足が速いのでラグビー部では花形・ウイングでした。
菜摘は大学在学中に米、英、独に短期留学します。卒業後ライブハウスで修業、27歳で渡米してさらに修業、帰国して自分のライブハウスを持つのが32歳。結婚は35歳で、電撃国際結婚をします。
他の登場人物について諸々。
洋三と聡はどちらもいいキャラになり、いいコンビになったなと思っています。洋三は舞台俳優になり、聡はシステムエンジニアになります。死ぬまで腐れ縁です。芙美子ももうちょい目立たせたかったですね。この子はアパレルの経理に就きます。
飯野先生は、こういう微妙な距離の先生いるよね、と思ってキャラ設定しました。恭子は知らぬ間に変態淑女になりました。BLはあまり読まず、NL、GLが好み。もっとキレさせたかったけど、蛇足すぎるのでやめました。
美紗たちの高校生活の舞台は埼玉県東松山市ぐらいの田舎度を想定していました。あの辺りヤンキー多いですけどね。季節感を大事にしたかったので都心近くではなく郊外、そして東京ビッグサイトに苦労せず行けるという点から、だいたいこのあたりな感覚です。東武東上線沿線というのは間違いないです。本編でダイヤ的に有楽町線との直通運転に矛盾が生じていますが、そこはご愛敬。
書きたりないですがこのぐらいにしておきましょう。
最終的に美紗と香山先生が恋人同士になるというのは、当初の構想からひとつの目標としていました。もっと美紗に「押せ押せ」で行ってもらってもよかったのですが、この子は真面目でみっともないことが嫌いなので、ハメをはずさせるのはやめておきました。とはいえ、夏休み編、いじめ編、文化祭編と、ふたりは勝手に心通わせ、勝手に布石してくれました。
この話で私はみずみずしくキラキラした高校生活を綴りたいと考えていました。勉強、部活、恋愛、生徒会、進路…、毎日がスペシャルな美紗たちの姿を少しでも感じていただけたのなら幸いです。
1年弱の連載になりましたが、1度でも読んでくださったすべての方に心から感謝申し上げます。ありがとうございました!!




