⑥
「はいはい、着席! 写真はあとでも撮れるだろ。俺の撮影会も開いてやるから安心しろ」
「先生、それは別にいいです」
「安定のカヤマ!」
「いいから、最後のHRやるぞ! 改めて、みんな卒業おめでとう。これからアルバムと卒業証書を渡す」
出席番号1番の井上くんから順に呼ばれて卒業証書と卒業アルバムが手渡されていく。
「井上、おめでとう。井上は必ず正義感にあふれ、地域に愛される警察官になるよ。初心と優しい心を忘れずに。日本を頼んだぞ!」
井上くんはブワッと泣き出し、先生は微笑みながら「シャンとしろ!」と井上くんの広い肩をたたいた。
「次、宇山亜季! おめでとう。宇山は誰よりも周りのことを考えられる人だって、みんな知ってるよ。自信を持って。はい、次!」
先生、全員にメッセージを考えてるんだ。ヤバい、泣く。絶対泣く。生徒として先生の言葉に感動するとか、それだけじゃない。出席番号が早いことを恨めしく思った。
「次、菊池美紗!」
香山先生から「卒業おめでとう」と言われたら、「先生」としてのメッセージを聞いたら、それ以上の関係は望めないような気がした。少しくちびるをかんで涙をこらえた。
「おめでとう。いろいろあったな。生徒会の先輩として何より『ありがとう』と言いたい。お前がいてくれて良かった。ありがとう」
ああ、笑顔でいることのなんと難しいことか。いっそ泣いてしまえればどんなに楽か。
「ありがとうございます」
そう言うことで精一杯だった。
「…おめでとう。次、小林健! 本当に手こずらせてくれたな……」
同じ調子で先生はみんなに証書を手渡していく。全員に卒業証書とアルバムが行き渡り、香山先生は大きく息をついた。これが香山先生の最後の言葉になるとクラス全員が直感する。
「本当に何度でも言いたい。卒業おめでとう。今みんなに伝えたいのは、『ようこそ、大人の世界へ』ってことだ。『大人』って言葉をどう思う? 『大人になりたくない』って思うか? どうだ?」
香山先生は適当に指名して答えを求めた。「大人になるのは怖い」、「よく分からない」、そんな言葉が聞かれる。
「真剣に『大人』ってのを考えようか。みんなは卒業して、大学・専門に進学、もしくは就職するわけだな。就職する人は特に『大人』を強く意識するだろう。でも学生も同じだ。何をどう勉強して身にするかは自分で決めるんだ」
高校を卒業し、自分を無条件で庇護してくれるのは家族だけになる。そんな中でわたしは何をするか、自分で考えなくてはならない。
「今まで俺たちが道しるべを作っていたけどそれがなくなる。どうだろう、不安に思うかな? 成長するも堕落するもすべて自分次第になるんだよ。さてここでだ。自分を成長させるのにもっとも足かせとなるのは自分自身なんだ。『どうせ自分にはできない』。そんなことはない。自分を成長させるのになんの遠慮もいらない。自分に遠慮することもない」
香山先生は教壇から下り、わたしたちの間を縫うように歩いていく。
「みんな、大切な人はいるか? 守りたい人、愛している人はいるか? 大切な人のために失くしたくない心はあるか? 『大人の世界』でそれを保つのは難しい。でも自分が成長していれば守ることができる。変わらないでいられる。優しい心、感動する心、憤る心、苦しむ心、すべてを守るために、素直でいられるように、『大人』になっていこう。一緒に成長していこう。……ようこそ、大人の世界へ! こっちは最高に楽しいぞ!」
シンとした教室にチャイムが鳴る。香山先生の言葉に重なるチャイムの音が、聞いたこともないような明るい音色に聞こえた。
「じゃあ、今日のHRはこれで終了!」
「香山先生!!」
クラス委員長が立ち上がった。
「せーのっ!」
「「「「「香山先生! 2年間、ありがとうございました!!」」」」」
クラス全員立ち上がり、深くおじぎした。
最後のHRで何をしようか? 一昨日の登校日でクラス委員長がみんなに呼びかけて、ファミレスに集合し侃々諤々たる議論を繰り広げた。結局一番シンプルに全員でお礼を言うことにしたのだ。あとは大きな花束とプレゼント。
「こちらこそ、……ありがとう。みんなの担任をできて、俺は幸せだったよ」
先生は心から満足そうだ。
「先生、包み開けてくださいよ!」
「そうだな。……これは、何? パンツ?」
イタリアの高級ブランドで、「勝負パンツに」との思いがこもっている。わたしは去年の夏を思い出すので複雑だったけど、クラス全員の意見が一致したので反対しなかった。
「ホント、まったく…、ありがとよ! 婚活のシメに活用させてもらうよ!」
いろんな意味で、なんだか複雑。
「さあ、最後のあいさつはちゃんとしよう! 委員長、頼むぞ!」
「じゃあ全員着席、着席! 起立! 礼!」
「「「さようなら」」」
「「「ありがとうございました」」」
「ん、みんな、元気でな。ありがとう」
今日だけで何回の「ありがとう」を言い、そして聞いただろう。
ありがとうを漢字で書くと「有り難う」。当たり前のことではないのだ。全部がいとおしく、尊く、有り難いものだった。
卒業アルバムに寄せ書きし合ったり、写真を撮ったりして時間はすぎていくけれど、部室棟などに顔を出しに、ひとりふたりと教室から人が減っていった。香山先生もバドミントン部に連れられて部室棟へ行ってしまった。
「美紗ー、お待たせ! 生徒会室行こう!」
嵐のように優が迎えにきた。早瀬くんも一緒だ。
「優、何その荷物! やっぱり持って帰ってなかったんだ」
夏休み前の小学生のように、両手に教科書やら辞書やらつめこんだエコバッグを持ち、テニスラケットや美術で使った絵の具セットも背負っている。
「テニス部の後輩、誰も欲しがらないんだよね。洋三たちいらないかなー」
「絶対いらねーよ。こうなると思ってたけど」
「あ、でもわたし学校で勉強してたから結構荷物ある。面倒くさいよね」
「いや、菊池は仕方ないだろ。高嶋と一緒じゃねーよ」
「ひいき! 早瀬、最後の最後にどういうつもり!?」
ギャーギャー騒いでいると、まだ残ってるクラスメイトから「生徒会サイコーだったよ」と声がかかる。優は顔全部でクシャッと笑って飛びはねた。
「ありがと! あたしもそう思う! このふたりサイコーっしょ!?」
「会長が高嶋だったから、サイコーだったんだって」
「早瀬ー、そういうことはもっと早く言ってよ」
「ホントだよ、優。楽しかった!」
「やだな美紗まで、やめてよ。答辞でも…、泣かなかったのに。行くよ、生徒会室」
優は顔をそむけて小走りで教室を出ていった。わたしと早瀬くんは顔を見合わせ、苦笑いしながら追いかけた。
会う人会う人に「おめでとう」、「答辞良かったよ」と言われ続けた優は、ついに立ち止まってベソをかきだした。「さみしいよー」とグスグス言っている。早瀬くんにいい子いい子され、わたしも優を抱きしめた。
わたしたちに光をくれた優。わたしも背は低い方だけど、それでも優はこんなにも小さい。
「あ、ミサミサだ!」
「菜摘、どこ行ってたの?」
廊下の向こうから菜摘が現れた。花束やら色紙やらを大量に持っている。部活を4つかけもちしていたから、全部に顔を出すために分刻みのスケジュールなのだろう。
「さっきはね、演劇部。葛目いなかったから、ミサミサたちを待ってんじゃない?」
「そうだよ、彬から『早く来い』ってLINE来てた!」
わたしの腕からスルリと抜け、優はまたパチンコ玉のように走っていった。
「優さーん、答辞感動したよー!」
「ありがと、斎木っち! またね!」
わたしも生徒会室へ急がなくちゃ。
「あ、ミサミサもカラオケ行くよね?」
ふと、菜摘に呼び止められた。「オレ先に行くから」という早瀬くんの声が遠ざかる。
「うん、生徒会室と書道部に顔出したら行くよ。菜摘も行くでしょ?」
今日はクラスのみんなでカラオケだ。プリクラとかも撮るだろうな。
「もちろん。ねえミサミサ、先生のとこ、行かなくていいの?」
「先生?」
「香山先生。いいの? 行かなくて」
お祝いムード一色で歓声があふれる校内にいるのに、急に菜摘の声だけが耳の奥に響いてきた。
なんで…、菜摘、知ってたの?
「分かるよ、ミサミサのことだもん」
あれ? 今わたし声に出したっけ?
「ミサミサ、全部顔に出てるって」
そっか、なんだ。菜摘知ってたんだ。
「……ねえ菜摘、前に『いい恋して、いい女になる』って言ったの覚えてる? わたし本気出すよ。でも入試の結果が7日に出るから、たぶん自信あるから、合格の知らせをお土産にまた学校来るつもり」
「なるほどね、隙なし状態で挑むわけだね。いいんじゃない? 楽しみ!」
わたしの携帯が鳴った。優からだ。もう向かわないと。
「また7日に連絡するから、夜は空けといてね」
「うん、ふたりで電話してきて!」
菜摘も無茶を言う。ハードル高すぎるよ。でも、それが一番の理想。
イメージコントロールという名の妄想は、するだけタダってもんだ。




