③
「なんだ、コミケ興味あんの、ミサミサ?」
帰宅して菜摘にLINEしてみたら、音声通話がかかってきた。
「興味…そうだね、どんななのかなって。やっぱオタクっていうか、そういう感じの人多いんでしょ?」
「まぁそうだね。でも見た目は普通の人と変わんないよ」
そうなんだろうね。学校の先生とかも普通にいるんだよね。
「そのさ、なんか、ヤバげな漫画ばっかなんでしょ?」
「そうだけど、何? そういうの読みたいの?」
「違う違う! その、あれ、普通のはないのかなって」
「実はね、ギャグとかほのぼの系とか、わりとあるんだよ。高校生は成人向け買えないしね」
「成人向け?」
「そう。そのヤバげなヤツとか」
「そうなんだ、ちゃんとしてるんだね」
「明日からだから、一緒に行く? 始発乗るけど、それでよければ」
「え? ウソ…」
明日から? じゃあ先生は何してたんだろう? 「コミックマーケット」の看板はそこらじゅうにあったし、先生は間違いなく東京ビッグサイトに入っていった。
「普通始発だよ。お姉ちゃんは近くにホテルとってるけどね」
「あ、そっちじゃなくて…」
「ん? でもどうする? 行こうよ」
「……」
「無理だったらいいよ」
「ううん、行く。ありがとう、誘ってくれて」
行ってみよう。香山先生に会うかもしれないけど、そのときはそのときだ。いっそ出くわしてハッキリさせた方が、納得できるのかも知れない。
翌日29日。昨日と同じ経路をたどって東京ビッグサイトにやってきた。何この人、人、人……。なんで年の瀬の始発がこんなに混んでるの? 昨日もすごい人混みだと思ったけど、今日は比べ物にならない混み具合。ここ本当に日本?
「ミサミサー、大丈夫?」
「ちょっと、ちょっ…、大丈夫とは言えないね、これは」
「あたしもさっき並んでて思いっきり足踏まれた」
「毎回こんなに混むの?」
「うん、徹夜組もいるらしいしね」
「…へぇ、じゃ昨日も混んでたのかな?」
それとなく聞いてみる。
「あー、昨日は前日設営とか搬入とかもあったはずだし、それなりに混んでたかもね」
設営、搬入…。そりゃこれだけのイベントなら前日から準備するよね。昨日は序の口だってわけだ。じゃあ香山先生は何なんだろう。普通に菜摘みたいに買いにくるだけの人ではないのかな 。
「何それ、配置図?」
「うん。プリントしてこなかったの?」
「いやー…、わたしは別にそこまで…」
本当に同人誌とかに興味があるわけじゃないし。
「まぁ興味がなくてもさ、日本人なら一度くらい参加した方がいいよね。クール・ジャパンを語れるようにならないと」
今日の趣旨はそんな大げさな話だったっけ?
「とにかくはぐれても、あたしはミサミサのこと気にする余裕ないからね。回る順番が狂うから」
回る順番? そんなことも事前に決めておくんだ。妙に感心しながら、菜摘と腕を組んで、人いきれで真冬とは思えない熱気の会場を歩き回った。
「じゃあミサミサ、あたし一応お姉ちゃんのサークルんとこ行ってくるからここ並んでて」
「え? 並ぶって?」
「これリストね。全部で3000円ぐらいで買えるはずだから。助かるよ!」
「もう、菜摘!」
「2冊買うのもあるから気をつけてね~」
今朝の待ち合わせでいきなり缶コーヒーおごられたけど、こういうことね。仕方ない、か。充分すぎるほど気分転換にはなったし。
コミケは…、誤解を恐れずに言うと、変態オタクの集まりかと思ってた。でも今日、趣味に人生かけてて、情熱がほとばしってるって印象に変わった。確かに中身はアレなものが多いようだけど、この人たちはおかしな人ではない。来てよかった。
「すみません、ちょっと通してもらえますか?」
ボーッと並んでたからか、重そうな荷物を抱えた人に声をかけられた。とても聞き覚えのある声。優しく、温かい声。
「香山先生!」
えんじ色のチェックのシャツの上に茶色いジャケット。キャメル色のパンツ。細身のスタイリングがよく似合っている。先生は落ち着いた様子ながらも、周りを気にしていた。
「菊池…、どうしてこんなところに?」
わたしは不思議なぐらい冷静だ。
「それはわたしが聞きたいです」
「そうだよな」
「ちょっと、列進んでますよ」
わたしの後ろに並んでる人から注意された。
「すみません。菊池、並んでるのか?」
そうだけど……。
「いいえ、大丈夫です」
わたしはためらわずに列から離れた。菜摘、ゴメン。
「先生、こんなところで何してるんですか?」
「これまた直球だな…、分かった、ちゃんと話そう。これ置きに行くからついてこい。はぐれるなよ」
香山先生について、とあるスペースまでやってきた。そこそこ人気のサークルっぽい。先生と同い年ぐらいの女の人が本を売っていた。
「拓ちゃんゴメンね、急に追加頼んで。それで全部?」
拓ちゃん? 先生のこと? 何この人。
「もう俺んちにも在庫ないからな。これで終わりだ」
「じゃあ8巻完売しそうだね! やった!」
「…先生は、つまり、同人誌を作る側の人ってことですか?」
わたしを無視して話が続きそうだから、思いきって声をかけた。この人は何ですか? とも聞きたかったけど、それは喉の奥にとどめる。
「あー…、拓ちゃん、生徒さんに見つかっちゃったの?」
「そういうこと。今日は打ち上げパスな」
「ウソー、なんでなんで?」
「こいつに説明してやらんと」
先生は後ろからわたしのリュックにポンと触れた。
「えー? 拓ちゃんほとんど搬出からしか来ないし楽しみにしてたのにー。みんなに何て言うの?」
「悪い、ケンさんたちによろしく言っといて。ほら、お客さんだ。いらっしゃいませ、お会計こちらです」
「あ、ありがとうございます。拓ちゃん、ちょっと! どこ行くの!?」
先生に連れられて、わたしたちは人混みを縫って会場の外を目指した。やっぱり先生はコミケの参加者、しかも同人誌を作って売る側の人だったんだ。