②
図書室に向かってトボトボ歩いていると、早瀬くんと剣道部の元マネさんがそろって出てきた。当然のように早瀬くんがマネさんの携帯をのぞき何か言う。マネさんが笑いながら手の甲で早瀬くんのお腹にツッコミを入れた。ふたりの間に爽やかな風が吹いているように見える。
早瀬くんがわたしに気づいた。
「菊池。なんか久しぶりだな」
「そうだね。ねぇ、ふたりホント仲いいね」
早瀬くんは赤くなって面食らっているけど、マネさんは「コントみたいな会話しかしないけどねー」と高笑い。
「尚子、余計なこと言うなっつの」
「ハハッ! じゃ隆弘、明日ね!」
「うん、じゃあな」
マネさんと一緒のときは、早瀬くんは気どらない態度になる。これが素なんだろうな。
「ゴメン、早瀬くん。お邪魔しちゃった?」
「いや、今日は別々に帰るつもりだったから」
「楽しい子だね。すごくお似合い」
心底参ったという様子で早瀬くんは頭をかいた。
「まぁ、別に普通だけど。菊池は彼氏いないんだっけ?」
「そうだねぇ、そういうのしばらくないね」
「もったいねーな、JKブランドが」
「うちの学校はフリーの人のが多そうだけどね。塙さんたちみたいのは珍しいんじゃない?」
少し沈黙が流れた。ウワサが収まってきているとはいえ、あのふたりはわたしたちの意識に一石を投じた。
もし自分が同じ状況になったら。
付き合ってたらやることやるし、できるもんはできる。
軽々しくしたらやっぱりダメでしょ。
好きだったらしたい。
だらしない付き合いはどうかと思う。
幸せそうなふたりがうらやましい。
責任とるってどういうことだろう。
わたしたちは子どもじゃない。
わたしたちは大人じゃない。
もし自分が同じ状況になったら。
高校生にもなれば、付き合うからには「そういうコト」が否応なくからんでくる。
「……早瀬くんはさ、塙さんたちのことどう思った? 彼女さんとしゃべった?」
このことを単なるウワサではなく、ちゃんと話す機会はそうそうない。誰も皆そうだろう。
「んー、少ししゃべったね。オレらは気をつけようとか、そんなんだけど」
「そっか。ゴメンね、変なこと聞いて」
「菊池はどう思うわけ?」
「え、わたしは……」
彼氏とか、好きな人とかいないし。でも塙さんがうらやましくて、でもしばらくそういう気持ちに縁がなくて少し焦ってて、でもなかなか心開ける人がいなくて、でも好きな人とそうなることに人並みに興味はあって、でも特に女の子は自分を大切にすべきって見方も分かるし、でも、でも。
「悪ぃ、オレこそ変なこと聞いた。尚子は、まぁ、付き合ってるからさ、一般的な女子の意見を聞くには微妙なんだよね」
それはそうかも。わたしは今感じている葛藤とは言えないほどのとるに足らない葛藤を率直にしゃべってみた。
「わたしなんか縁ないから、余計な心配だけどね」
「そんなことねーだろ、男子ともよくしゃべってんじゃん」
「そりゃあ普通にしゃべりはするけど、モテたことないし」
「ふーん。つーか、モテることと付き合うことはあんま関係ねーって。タイミングとかフィーリングだし」
「あ、それ分かる」
なんだか早瀬くんとこんな会話するなんて思ってもみなかった。生徒会やってたときは、連絡事項とか議論とかになっちゃうから。もちろんそれも楽しかったのだけど。
「菊池は今そういう人いないわけ?」
どうなんだろ、自分。答えに窮する。え、待って、そういう人いないはずだよ。いや、何にわたしはとまどってるの?
「菊池、いたいた」
「あ、香山先生。ちーッス」
廊下の向こうから香山先生がやってきた。わたしを探してたかのような口振りだ。
「お、早瀬も久しぶりだな。菊池、お前さっき進路指導室に来ただろ?」
ギクリ、と全身に力が入る。のぞいてたのバレてたんだ。この後ろめたさはなんだろう。
「確かセンターの過去問探してたよな? 世界史の10年分のやつ。何冊か余分あったから借りてていいぞ」
香山先生から分厚い問題集を手渡された。そう言えば先週「10年分ぐらい解きたいけど本屋に5年分しか見当たらなくて」と、立ち話程度に相談したかもしれない。わたしも忘れてたけど、覚えててくれたんだ。
「早瀬も国立ねらいだったな。文化祭のあと大変だろ」
「大丈夫です。結構コツコツ型なんです、オレ」
香山先生はA組を受けもってないはずだけど、早瀬くんのことまでよく覚えている。わたしに限らず、みんなのことをよく見てる。
さっき進路指導室でG組の子に接していた様子も、香山先生には普通のことだ。夏前に黒岩くんの相談に乗っていたときも、ずいぶん前のめりで話をしていて、黒岩くんは食われそうになったほどだ。
文化祭でわたしと一緒にお化け屋敷に入ったり、女子に連れまわされたり、男子にお姫さま抱っこされたり、どれもたいしたことではない。
生徒会を引退したときにずっと話を聞いてくれたけど、途中まで他の先生がいたし、特別な雰囲気はどこにもなかった。
先生がオリジナル小説を書いてるとわたしが知ったのも偶然で、その話題を共有する機会が増えたのは、単なる延長線だ。
香山先生にとって、なんでもないこと。当たり前のこと。
わたしも早瀬くんもちょうど帰るつもりだったので、駅まで一緒に行くことにした。容赦ない木枯らしが頬をなぐる。
「香山先生ってスゴいギャップあるよな」
「え? そう?」
「んー、ほら、インターハイ見に来てくれたじゃん。あの時はサイテーだっただろ」
「フフ、救いようがなかったね、香山先生」
懐かしさすら覚える夏休み、剣道部と、生徒会と、香山先生&クラスの男子でO市の海水浴場に遊びに行った。調子に乗った香山先生にあきれたんだった。
「でもあれだろ? 香山先生よく生徒のこと見てるし。去年だったかな、オレらのこと『いいチームだ』って言ってくれたの、地味にうれしかったんだよね」
あれは昨年末、先生の秘密を知る直前だった。どの顔が本当の香山先生か分からなくて、わたしは心底困惑してた。
今はどうだろう。わたしは香山先生をどう見てるだろう。
優しく温かく、指導熱心。誰にでも親しげで、心に垣根がなく、それがお調子者な一面に通じる。それから意外な趣味があって、お化けが怖くて、結局のところ「普通の人」なんだと思わされる。
「そうだね。なんかわたし、香山先生にはいろんなことしゃべっちゃう」
「ふーん」
「……泣いちゃったことも…、結構あったなぁ…」
早瀬くんは北風に目をしばたたせてわたしを見た。
「そうなんだ? 苦楽を共にしたオレだって、お前の涙そう見てねえよ」
「ええ格好しいだからねぇ、わたしも」
「ハハッ、見栄っ張りなとこあるよな、菊池」
「早瀬くん、古風と言ってちょうだい、古風と」
ええ格好しいのわたしが、香山先生の前ではどうしたことか、泣いたり、すごく頼りにしたり、延々と話に付き合わせたり、強気にツッコミ入れたり、自分を見失ってリスカしかけたり、どうしたことだろうか、本当に。
わたし、こんなに……。
「素直じゃねえよな、菊池も」
こんなに、素直だったろうか。
帰宅すると、オリーブオイルの豊満な香りが家中にただよっていた。
「ただいま。今日ご飯何? なんかいいにおい」
「お帰り、美紗。お父さんがトルコ出張でオリーブオイル買ってきてくれたの。パエリア作ってみた!」
「スゴい! お腹空いてきた」
「お父さんすぐ帰ってくるから、もうちょっと待ってなさい」
口うるさくて料理好きなお母さん。普段はいろいろ言わないけど家族思いのお父さん。大恋愛の末の結婚だったって、いつか聞いた気がする。冷戦のようなケンカをすることももちろんあるけど、今も結婚記念日にはふたりで出かけてる。
異様にカバンが重たいと思いながら階段を上がっていて、香山先生から問題集を借りたことを思い出した。香山先生の声が耳から離れない。先生がそっとなでてくれた手のひらの感触が頭によみがえる。
夕ご飯まで軽く勉強しながら、お母さんのパエリアを食べながら、お父さんと新聞を読みながら、弟の悠太と歌番組を見ながら、香山先生の骨ばった手や、左にできるえくぼや、くせのない猫っ毛や、涼しげな奥二重や……、振り払おうとしても勝手に頭にありありと浮かんで離れない。その香山先生が自分の担任で、毎日すぐ近くにいるという事実が信じられない。同時に、今ここに先生がいなくて、胸にポッカリと穴が開いたような気持ちになる。
どうしよう。どうしよう、わたし、どうしよう。この答えを出してはいけない気がする。
部屋に戻ると、本棚の一番奥にしまった「Tiny Little Soldiers ~T.L.S.~」の13巻が目に入った。9月にもらったものだ。リスカしようとして叱られて、先生を傷つけてしまって、1時間泣きまくって、先生に勇気をもらった。先生はわたしの両肩に手を置いて微笑んでくれた。
顔が熱い。どうして今まで平気だったんだろう。
ああ、どうしよう。
わたし、……わたし、すごく好きなのかも。香山先生のこと。




