①
吹きすさぶ木枯らしに舞う木の葉が、本格的な冬の訪れを告げている。
「起立ー、礼ー」
「さようならー」
「はい、気を付けて帰れよ」
期末テスト期間がようやく明け、クラスメイトは部活の荷物を担いで一斉に教室から駆け出して行った。わたしの書道部は週3日で今日はないから、まっすぐ生徒会室に向かう。廊下に出た途端、急に後ろから抱きつかれた。
「ひゃあ! ちょっと、優でしょ?」
「美紗ー、すぐ生徒会室行くでしょ?」
生徒会長の高嶋優。学校一小柄だけど、どこからでも優の声が聞こえてきて、誰よりもパワフル。
「うん、優は?」
「職員室寄ってコピーしてくるから、会議の準備しといて。これ議題!」
「了解ー」
議題を黒板に書いておくのが、書記であるわたしの務め。「字がきれいだから」と適当な理由で、優に引っ張りこまれた。もともと生徒会とかちょっと興味はあったけど、実際背中を押してくれたのは優だった。
「今日の議題は…と、『卒業生を送る会の企画決定』。そっか、年明けには準備始めるんだもんね。それと、『目安箱に寄せられた投書について』。なるほど、しばらく開けてなかったなぁ」
「お、菊池。早いな」
「早瀬くん、久しぶり。わたし部活なかったから。これ今日の議題だって」
副会長の早瀬隆弘くん。容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能の3拍子で、さらに気さくで爽やかときた。神様ってちょっと不公平。
「おっはよー、美紗先輩! 会いたかったよー」
「『おはよう』って、バイトじゃないんだから」
「だってオレ、さっき学校来たんッスもん」
「はぁ? 黒岩、お前バカか? テストはどうしたんだよ」
「中間で8割とれてるから、今日1日サボるぐらいじゃ留年はしないッスよー」
会計の黒岩彬くん、唯一の1年生。人懐っこくて人気者。なにげに成績はいいらしい。
「お待たせ! テストも終わったことだし、気合い入れて定例会議やるよ!」
嵐のように優がやってきた。小脇に目安箱を抱えている。今日の会議は長引きそうだ。
「じゃあ、卒業生を送る会は『クラス対抗卒業生おもてなし出店コンペ』で決定ね」
「異議なーし」
「今年は文化祭ない年だったから、喜んでくれそうだな」
「あとは先生のオッケーだけだね」
会議は順調に進み、優は満を持して目安箱に手を伸ばした。歴代の生徒会から引き継いできたものだ。これを始めた会長を除けば、まともに対応している会長は優が初めてだ、と教頭先生が褒めてくれた。優はこれがやりたくて会長になったような節がある。
「さてさてさて、目安箱の中身を拝見しようかな!」
「うれしそうだな、ホント。お、結構たまってるな」
まずは仕分け。半分ぐらいがしょうもない内容。
「『サッカー部の相川くんとマネージャーを別れさせてください』。こういうことは自分で策略たてて引き裂くから楽しいんスよねぇ?」
「黒岩くん、問題発言」
「お前は敵に回したくないな。はい、次は?」
「放送部から『予算上げてくれ』って。さっきもこんなのあったね」
「弓道部、弓道部。いつもだよ」
「あ、放送部はマジッスよ。使ってるパソコンがサポート切れるって。今年度中に買い替えないとヤバいでしょ」
「さすが彬、顔広いね。よく知ってる」
「任してください、優先輩」
「じゃあヒアリングして特別予算案作っといて」
「えー、マジでー?」
「お前会計だろ」
楽しい。小学校のころから学級副委員長とか、頑張ってるんだけど2番手な、あと一歩のところでパッとしない役目が多かった。生徒会という学校の中心で、信頼できる仲間と、楽しくかつ真剣に議論できるなんて、本当にわたしはチャンスに恵まれている。
「次は次は?」
「…これは、ヤバいんじゃないか…?」
「何、早瀬くん?」
「貸して。『2年F組担任の香山先生は、最近小学校の周りをウロついています。小学生を観察したり、メモをとったり、怪しい行動をしています。調べてみてもらえませんか?』。2-Fって、美紗んとこじゃん」
うちの担任の香山拓朗先生。そんな話は初めて聞いた。アラサーで独身で、小学校ノゾキとかしゃれにならないんだけど。
「へー、香山のヤツ、裏ではそんな…」
「美紗、どうする?」
「『どうする?』ったって、さすがにガセでしょ」
わたしはその投書を優から取り上げて、「しょうもない内容」の束に加えた。
香山先生が、そんなふざけたことを……。古代ローマ史を愛する、わたしのクラスの担任。まったく信じられない。でも教師がこの手の事件を起こすと、「あの真面目な先生が…」とか言われるのが常なんだよね。
会議が終わって帰路につく。今朝はこの冬初めてコートに袖を通した。よく晴れていて、今夜はキンと冷え込みそうだ。
「菊池、帰りか?」
タイミング良すぎ。
「香山先生! はい、今日は定例会議で」
「そうか。今の代は本当に熱心だな。しかもそれを楽しんでる。俺が高校生だったら、菊池たちが生徒会やってる学校に入りたいよ」
この言葉に嘘偽りがあるとは思えない。生徒からも慕われている。
「じゃあ、すぐ暗くなるから早く帰れよ」
「先生も帰りですか?」
「ああ。じゃあな」
「さようなら」
どうしよう。どうする? 後をつける? どうしよう、どうしよう。考えているより早く、わたしはいつの間にか、距離を置いて香山先生を尾行し始めていた。
電車で3駅ほど行って、先生が降りるのに合わせて、逆方向なんだけどわたしも降りた。先生は少しキョロキョロしつつ、小さなメモを出しながら歩いていく。歩きどおしなはずなのに背筋がゾクゾクする。尾行なんてしちゃいけなかったんじゃないか。見てはいけないものを見るんじゃないか。
「さあ来ーい」
「次レフト行くぞー」
たどり着いたのは、少年野球チームの練習の真っ最中である小学校だった。校庭の奥の方では女の子がなわとびや一輪車で遊んでいる。
「やだー、手ぇ離しちゃダメー」
「大丈夫、乗れてるよ! もうちょっと、もうちょっと」
転んで擦り傷を作っても、すぐに立ち上がってまた走り出していく。足の裏は地面に着いているより、跳んでいる時間の方が長いようだ。女の子が男の子を追いかけまわしている。いたずらでもされたのだろうか。高学年らしい子が小さい子に鉄棒を教えている様子も見られた。
香山先生は周りを気にしながらフェンス越しに小学生を観察し、時折ニヤリと笑い、ブツブツ独りごち、何ページにも渡ってメモをしていた。投書の通り、いや、それ以上、違う、それ以下だった。
最低、最低。どういうことなの? 小学生をノゾキだなんて。
わたしは香山先生を見ていられなくなった。わけが分からなかった。どう帰りついたのか覚えていないけど、気が付いたら自分の部屋のベッドに潜り、布団をかぶって震えていた。