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ここ数日、曇りや雨が続いたけど、今日は久しぶりに気持ちよく晴れている。夕べは香山先生の「T.L.S.」を読んで少し夜ふかしをしてしまったけど、すでに高く上がっている太陽がまぶしくて、ボーッとしたわたしの頭に活を入れてくれる。

やっぱり、中国史を勉強しよう。勉強して得たもので何ができるかは分からない。分からないけど、それを生かす方法は見つけられると思うから、とにかく今は自分の興味を追究したい。「学びたい」という気持ちを突きつめてみたい。

今日「T.L.S.」を先生に返すときに、ちゃんとお礼を言おう。

電車で今日の小テストの範囲をザッと確認し終え、図書室で借りた「西遊記」の続きを読む。この本ひとつとっても、たくさんの人が関わっているはずだ。著者はもちろん、編集者もいるし、校正の専門家、本のデザイナー、できあがった本の宣伝、「本に関わる仕事がしたい」と考えるだけでも、さまざまな役割を担っている人がいるんだ。

もし「中国史に関わる仕事がしたい」と思ったら? 歴史書を扱う出版社で今思いついたような職に就いたり、それこそ研究者になったり、博物館の職員、古美術の専門家とかも聞いたな、香山先生みたいに歴史を教える先生になるのもそうだ。「三国志」や「水滸伝」とかは映画、ドラマ、ゲームにもマンガにもなってる。シナリオライターもありなのかも。中国史といっても学ぶのは政治史? 軍事史? 文化史? 風俗史? 知りたいことが山ほどあるし、生かせる分野が無限にあるように感じた。



駅から校門への道のりも足取り軽やかだ。

「美紗先輩ー、おはようッス!」

「あ、黒岩くん。おはよう」

自転車通学の黒岩くんが追いついてきて、わたしの横でスタッと降りた。自転車を押しながら笑顔を見せてくれる。

「先輩、なんかスッキリしました? 先生に相談した?」

「まぁ、そんなとこかな。やっぱ普通に史学科あるとこ受けるけど、ちょっと考え方変わったかも」

「そッスか。オレも香山さんに相談してみよっかなー」

黒岩くんは遠くを見ながら言った。

「あれ、黒岩くん、担任だれだっけ?」

「んー、渡邉さんなんだけど、あんま頼りになんないし」

なんとも辛辣で笑ってしまう。香山先生は、イイ先生、なのかな。うん。

「わたし香山先生に用事あるから、何もなければこれから行く? 先生んとこ」

「そうッスねー。美紗先輩、超落ちてたじゃん? それがこんだけスッキリしてるから、香山セラピー受けてみようかな」

わたしそんなに鬱だったかな。

香山先生から借りた「T.L.S.」がちゃんと紙袋に収まってるか確認して、昇降口からまっすぐ社会科教員室へ向かった。



「おう、菊池。昨日は悪かったな」

「大丈夫です。はい、お返しします」

社会科教員室に入ると、香山先生は今日の小テストを背後に隠しながら、わざわざ立ち上がって迎えてくれた。そういえば、昨日は先生にすっぽかされたんだった。その先生の鼻先に昨日借りたばかりの「T.L.S.」を突きつけると、先生は慌ててカバンにしまった。

「もう読んだのか。早いな」

「美紗先輩、それなんスか? 雑誌?」

「これはね、香山先生の神髄が詰まってるんだけど、だれにでもは見せられないんだよ」

「おい、菊池。あることないこと言うなよ」

「フフッ。香山先生、一晩で読んじゃいました。わたし、中国史勉強します」

「そうか。これ役に立ったか」

「はい。先生、あのね、わたしすごく勉強したくなりました」

なんだか興奮してきた。

「良かったな。志望校はじっくり考えよう。な?」

香山先生はわたしの目をのぞきこむようにかがんで言った。先生を見上げて、わたしも素直にうなずいた。

「香山先生、オレも悩んでんスよー」

いけない、黒岩くんを忘れてた。

「黒岩は理系だったか。2年は受け持ってる授業ないから分からんな、成績はどうなんだ?」

「先生、黒岩くんもスゴいんですよ」

「まあまあです。勉強自体は好きだから」

香山先生は自分の席に腰かけて、その隣の席に座るように黒岩くんに促した。わたしは古ぼけたソファーに座らせてもらった。朝のHRはあと15分で始まる。他の先生はバタバタし始めた。

「そうか。黒岩は興味のある分野とかは?」

「ないんスよ」

「黒岩くんは全体的によくできるんです」

「嫌いな教科は?」

「それも特に」

「ほー、それは貴重だな。勉強が好きってのは才能なんだぞ」

「…そッスか……」

いつも黒岩くんはあっけらかんとしているけど、なんでもできる。早瀬くんはいかにも「努力の人」って感じだけど、黒岩くんは天才肌だ。それでいて明るく嫌味がなく、だれとでも仲良くなれるのが、黒岩くんのすごいところ。

「勉強することの楽しさって、黒岩はなんだと思う?」

「そうッスね。知らないことを知るって楽しいじゃないスか。今まで分からなかったこととリンクしたり、自分にできることとか分かることが増えると、おもしろくないスか? …と、思うん…ですけど…」

香山先生にジッと見つめられて、黒岩くんはだんだん腰が引けてきた。この香山先生の熱っぽさに慣れてないと気後れしてしまうんだろうな。

「黒岩らしくないな。自信持って言えよ。ん?」

「はい、そうッスね。いや、勉強楽しいッスよ。なんでみんな勉強嫌いなんだろって思いますよ」

「うん。その気持ちが黒岩の一番の強みなんじゃないか?」

「それ考えたことはありますね。学校の先生とかッスかね」

「限定的に考えるなよ、他にも道はある。勉強する喜びを伝えるために、例えば学習教材の業者に勤めるのもできるし、おもちゃ業界だって幼児向けに文字とか数字を覚えさせるの作ってるだろ? 出版社もそうだし、教育番組を制作してもいいんだ。さらに言うと、それぞれに製作担当とか営業担当とかいろいろいるわけだ」

そう。世間というか、社会というか、世の中の歯車というか、なんかそういうものと自分の興味や得意なことを結びつけるのは、それほど難しくないし、鬱になるようなことでもないんだ。黒岩くんはほんの少し顔を上げた。

「企業にこだわることもないし、日本にいることもないんだぞ。海外の教育事情を見てみろ」

「そうッスね。興味はあります」

話が大きくなってきた。わたしまでなんでもできるような気にさせてくれる。香山先生は上半身を乗り出して話をしていたけど、予鈴が鳴ったのを合図にパッと黒岩くんから離れた。

「せっかくだけどここまでだな。まぁ、いつでも話しにおいで。今の時点では自分の考えを小さくしないで、学べる喜びを享受しながらアンテナ張ってれば充分だから」

「はい。ありがとうございます」

黒岩くんはスクールバッグを引っつかんで、「バイバイ、美紗先輩!」と叫びながら教員室を飛び出していった。香山先生は笑いながら、黒岩くんが座っていた椅子を直した。

「黒岩は多分、海外とか目指すだろうな…。アジアかな、アフリカかな……。菊池、どうした? HR始めるから、先に行ってろ」

香山先生が急に大きく見えて、足がすくんでしまった。先生はわたしの気持ちを察してか、背中をグイッと押してくれた。

「なんだかんだ、お前の話は聞いてやれなかったな。ほら、今度一緒に考えるから、いろいろ自分で大学調べて持ってこい。いいな?」

自分で調べて持ってこい。甘やかさない態度が逆にうれしくて、グッとお腹に力が入る。深呼吸して先生の方を振り返った。

「はい。ありがとうございました! あ、先生、ひとつだけ」

「なんだ」

「三者面談のとき、先生あんまりわたしの話聞いてなかったでしょ」

先生は苦笑して頭をかいた。

「あれな、俺は三者面談は『生徒の様子を保護者と教師が確認し合う儀式』だと思ってるから」

「そんなもんですかー? 結構悩んだのに」

「何に悩んでるかをあの場で洗い出すことは考えてないよ。悩みがあるかどうか、ぐらいが関の山だな」

なんだか釈然としない。

「三者面談ってイヤだろ? そのイヤな場でも何か意気込みを持って生徒と保護者が臨んでるかどうか。具体的な話以外では俺はそれしか見てないよ」

「…わたしはどうでした?」

「お前はちゃんと分かってるだろ? ほら、時間ないんだから、先に行きなさい」

教員室のドアの外まで背中を押されてしまった。「俺は30秒後に行くからな」と腕時計を指さしながらわたしを急かすので、早足で教室に向かった。

香山先生がどんな気持ちで高校の先生をしているのか、少し分かったような気がする。わたしたちに何を伝えたいのだろう。先生のメッセージを余すことなく心に刻んでいきたい。

この⑤で第四話は終わりです。お読みいただきありがとうございました。

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